伊豆高原_convert_20170224003649

今回、2回ほど伊豆急行を訪れて、嬉しく感じたことに、この鉄道の駅にはたいがい駅員さんがいるということでした。駅に駅員さんがいるのは当たり前のことではあるのですが、ローカル線はどこも合理化合理化で、駅は無人のものばかりとなり、それどころか大都会の大きな駅でさえ、出札業務、改札業務が機械化されてしまったものですから、駅員さんは事務室に籠もってばかりいるような印象さえある。

伺った話では、伊豆急行でも合理化の推進は避けられず、駅員さんが初発電車に乗って駅に向かうところがあるということでした。つまり、初発電車を利用するお客さんにとっては、その駅は無人駅ということになります。
それでも、駅に職員さんがいることで、駅の雰囲気がぐっと明るいものとなっているように見受けられる。上の写真は伊豆高原駅で、この駅は運転、あるいは観光の中核となっている駅ですから別格的存在ですが、駅にはさまざまな施設が入居し、駅が文字通り、人々の暮らし、あるいは観光の拠点になっているのです。伊豆高原、伊豆急下田などの利用客の多い駅では、改札口に職員さんが立ち、改札業務、接客サービスにあたっています。

日本の鉄道の駅は、昭和の中期まで、地域住民の中核、心の拠り所となる役割を果たしてきました。ちょうど、欧米の教会のように。大きな駅の駅長さんは、その地域の名士であり、だから寄り合いなどがあると、お寺の住職さん、郵便局の局長さんなどと共に、その場に招かれたのです。そうやって、日本の社会は発展していきました。

地方が無人駅ばかりになってしまったことの弊害と思われることをここで書き出すと長くなりますが、もし鉄道会社が本気で「鉄道の復権」(この言葉自身に鉄道の失地が現れていますが)を考えるのであれば、まず駅に駅員さんを配置することから始めても良いのではないか。そんなことも感じたのです。もっとも、鉄道の復権を、まず鉄道会社自身が願っているのであれば、ということではあるのですが。

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