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カレーのお遍路 もしかしたらその42 日本橋たいめいけん 

 三越の地下のたいめいけん。写真はカツカレー。
 柔らかなカレーソースの味と、熱くて柔らかなカツが美味しい。「このカツをカレーに乗せて食べたくない」って、思ったもの。

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 たいめいけんを知ったのは学生時代の終わり頃か、社会人になりたての頃。社会人になってからは、日本橋にお住まいだった高松吉太郎さんの係になったので、毎月原稿を受け取りに行っていた。その帰りにたいめいけんに寄って、でも昼ご飯にレストランに入る余裕はない。通りに面した立ち食いコーナーで、ラーメンを食べたのが数回。会社を辞め、歳も取って、ようやく店の中に入れるようになった。

 今回のこのお店は三越の地下の、イートインに近い雰囲気のお店だけれども、共通していることがあって、それはお客さんが皆、上品なこと。いつもたいめいけんに入るたびに、それだけは感心させられる。浅草のヨシカミでも、こうは行かない。

 そんな場所にいられることも、このお店に入ることの楽しみのうちなのだろうな。私は時々しか来れないけれども。

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 8月の別所温泉への旅行で、もう一つ印象に残ったシーン。上田電鉄の終点、別所温泉駅で保存されている5250形です。この路線で1986(昭和61)年9月末まで使用されていました。早いもので、それからもう33年が経っていることになります。それを考えれば、状態はきれいだと思います。定期的に手入れされているのでしょうね。

 鉄道車両の保存を手掛けている人のお話では、廃車となった車両にも「運」があるのだとか。つまり、廃車後に、何だかの理由で解体を免れたことで、こうして保存される車両もあれば、そうはならず、解体されてしまう車両もある。それはその形式が貴重がどうかという理由でなく、たまたま保存場所があったとか、解体する機会がなかったとか、そのような運です。この5250形が保存されている線路は、かつて別所温泉の車両の入れ換えに使われていたのですが、車両が新しくなったことと、昔よりも運転される車両が減ってしまったことから、線路が不要になり、結果として5250形の保存に活用されることになりました。その意味では、運が良かったということになりはするのですが。

 私自身は、廃車となった車両を次から次に「貴重だから保存しろ」という風に声をあげることには懐疑的です。静態保存にも費用がかかるし、もし、倒壊したらけが人が出ることさえあるかもしれない。何を保存して、何を解体するかは、きちんと論議、検討されなければならない。

 でも、もちろん、ここに車両が、きれいな状態で残されていたことで、駅で過ごした時間が楽しいものになりました。
 つまり、漫画に出て来る海原雄山の言葉ではありませんが「人の心を感動させるのは人の心」ということなのかもしれません。



 京浜急行で踏切事故が発生しました。私は、朝から取材で外出しており、仕事の先輩が携帯に電話をかけて教えてくれたのですが、何しろ外にいましたので、何も知らずにいました。

 今、解っていることは、事故で亡くなった方がいて、多くの方がケガをしたということです。
 鉄道の出版社に在籍していた頃から、事故が起こると、やり切れれない思いに陥っていました。事故は、誰も起こしたくて起こすものではない。当たり前のことです。けれども、マスコミは必ず悪者捜しをする。大きなメディアであるとか、地位が高いとされている人ほど、大正義を振りかざし、自分の立場は何を言おうと安全なので、弱い者を犯人にしたがる傾向があるように感じていました。それが何ともやり切れなかったのです。

 今回は踏切事故ですから、鉄道会社に非はない。こう書くと突っ込まれますが、踏切事故とは、鉄道会社側には不可抗力的な所があります。もちろん、事故を未然に防ぐために、線路を立体化して踏切を無くし、残された踏切にも、様々な保安装置をつけているわけですが、なかなか事故を撲滅することはできずにいます。

 直接的な過失はトラックの運転手にあったわけですが、その方は亡くなり、また運送会社も、これからの様々な事務手続き、補償、そのほかが大変なことでしょう。もし自分が会社の代表者であったなら、途方に暮れてしまうかもしれません。運転手さんにも家族がいたことでしょう。

 そのようなことも、忘れずにいなければならないと思います。単に鉄道会社を悪者にして、正義を振りかざしてすぐに他の話題に写るマスコミのいやらしさ。いつもそれを見せつけられてきたから、事故が起こるたびに、いやな気持になっていました。


 今回の別所温泉の旅行で、いちばん感動したのは、ここだったかもしれません。旧・上田丸子電鉄の廃線跡。「公園下」駅のホーム跡です。もちろん、廃線跡巡りに興味のある人には知れ渡っている場所なのですが、私は今頃、この存在に気が付きました。

 もっとも、よく知らずに出かけたから、出会いに驚くことができたのかもしれません。場所も正確には解らなかったものですから、上田城址近くの観光案内所で尋ねたら、すぐ近くなのだと。上田城址に渡る二の丸橋の真下です。

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 食べ物の写真が続いていますが(^^;)、今回の別所温泉への旅で、最初に食べた駅弁がこちら。東京駅の「チキン弁当」です。
 東京駅の駅弁は、現在ほぼNRE(旧・日本食堂)が掌中に収めている感があり(東海道新幹線の改札内に行けば東海パッセンジャーサービスの駅弁が食べられるなど、いくつかの「抜け道」があります)、新幹線で北へ向かって旅する時などは、たいがいホームで、この駅弁を購入することになります。

 私が「チキン弁当」を初めて食べたのは、まだ学生だった頃だったと思います。その時は2段重ね式の駅弁で、チキンライスの側にも鶏肉が入るなど、今よりも丁寧に作られた駅弁だったという印象があります。同じ写真をフェイスブックにアップしたら、「昔はポテトチップがついていた」というコメントも頂き、そうであったかもしれません。この駅弁は、当時の高校生向けとして、とにかくボリュームのある駅弁を作ろうというのが、開発の主眼だったとか。それでも、初めて食べた時は、そのボリューム感が嬉しく、今でもこの駅弁を買ってしまうのは、その時へのノスタルジーが混ざっているのかもしれません。

 フェイスブックでは、「NREの駅弁はみなぼったくりだから、私は買わない」というコメントも頂きました。全部が全部そうなのかは解りませんが、そういうコメントを書かれる気持ちもよく解ります。少しくらいグレードが落ちでも、東京駅(多くの列車の始発駅)で売る駅弁だから売れてしまうということでしょう。

 私の希望を書くならば、この「チキン弁当」も昔のままの姿に戻して欲しいし(そんなことにはならないでしょうが)、もちろん、もっと美味しくなるのであれば、昔のままの形である必要もない。それであれば、昔の姿が失われたとしても歓迎します。何事も競争なのだから、駅弁の味だってどんどん磨かれるべき、とこう書いて、駅弁も鉄道事業と同じように、競争になることはなかなかないのだなあということに気が付きました。

 駅弁も、もっともっと美味しくなって行かないと。仮に東京駅で駅弁に懲りたお客様がいたとしたら、その方は、博多でも駅弁を買わなくなってしまうかもしれないのだから。いや、もうその時代はとっくに来ているのかもしれません。(少し愚痴っぽくなってしまったかな)

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