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 昨日は編集さんと横浜市中区内で打ち合わせ。300何ページ分かの校正をドンと渡される。
 で、食事は中華街の海南飯店です。ランチ2人分+麻婆豆腐このあと、ずいぶん遅れて春巻と杏仁豆腐がきました。食べるタイミングも、撮るタイミングも難しいぞ。
 このお店は丸谷才一の「食通知ったかぶり」に登場するお店で「中華街で一軒というと難しいけれど、地元の人が行くのが海南飯店」と記されていたと思う。ただ、それはもう40年近く前のことだから、お店も代替わりしているのだとは思う。昨日気がついたのだけれど、中華街のお店は、どこも店構えが「ケバく」なった。やたら仰々しいのである。それからするならば、このお店は昔ながらで、つまり間口が狭く、それに銀行からお金を借りる気もないということなのだろうけれど、やたらにケバいお店は、やっぱり、敬遠しちゃいます。
 編集さんとの話は、いつもとりとめがなく、けれども勉強になるので、長い時間お付き合い頂いているのだけれど、昨日の話題の一つに、西村京太郎さんのトリックがあった。現役の作家の方だから、これはひがみで言うのだけれど「刑事が鉄道員に列車の行き先を聞いて(もちろん捜査のためだ)、その答えが「この列車はミステリー列車なので、行き先は解らないんです」というのは、如何なものか?と。
 あと、名古屋から「しらさぎ」の先頭に乗ったのに、列車が岐阜で方向転換したので、それがトリックになったのだと、こういうのは小説のトリックとして、如何なものか?とも思いました。


 







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はい。みなさん、今晩は。本日のお昼ご飯自慢タイムがやってまいりました。
本日の写真は木場のフランス料理レストラン「アタゴール」のBランチのメイン(肉料理)、牛ハラミのなんちゃらかんちゃらですよ。えー、牛ハラミまでは間違いないのですが、その後は忘れました。何しろすべての料理がなんちゃらかんちゃらですから、本日はウェイターのIさんも、しまいには「デザートでございます。アイスクリームと、イチジクの‥‥」と一瞬詰まっておりましたよ。私が「覚えきれない」と茶々を入れたら、「いや‥‥」と、笑っておりましたが。
このお店に置いてある24系客車「夢空間」は、JR東日本が89年に3両を試作した車両で、実際にお客さんを乗せて線路の上を走った車両です(アタゴールに置いてあるのは、そのうちの1両、オロネ25 901 デラックススリーパーです)。
 チーフコックの曽村さんは、オリエント急行でシェフを務めた人で、いかにも現代風の料理を作る方です。つまり偉い人なのですが、私のような者が訪ねても、いつもニコニコと挨拶して下さる。「やっぱり偉い人は偉ぶらないよなー、真似しなきゃ」と思って店を出るのですが、思えばあのニコニコも、あと味のひとつであるに違いありません。4IMG_1171(1)_convert_20170815194710.jpg



武蔵小杉の東急スクエアの4階には、こんな展望席があります。この立っている子が、やたらと鉄道のことを知っているんだ。いつでもおいで。この席はタダだからね。

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昨日は、荒川線に乗って来ました。仕事でもありますので写真はアップできないのですが、荒川遊園地前と早稲田で、かき氷を売っているのを見ました。昔は、夏になれば、町じゅうにかき氷の小旗が掲げられていたのですが、ずいぶん減ったようです。これも、コンビニや、ファーストフードのお店が増えて、準備にそれなりの手間もかかるかき氷を売る店が減ってしまったのでしょうね。

あ、それからツイッターにはアップしましたけれど、最後に少し寄り道をして、雑司ヶ谷の鬼子母神にお参りをしてきました。ウィークデイのことゆえ、ほとんど人はいませんでしたし(私が着いたときは無人で、あとから少し人が来ました)、境内の売店もお休みでした。それでも少しだけ、心が洗われた気がしました。

私の仕事の仲間で、落合南長崎の方に住んでいる人がいるのですが、彼と1度、鬼子母神の境内で偶然出会ったことがあります。なんでも、彼は時々鬼子母神に来て、最近のこと、天気のことなどを、杜の神様と話し合っているのだそうです。
昨日は境内でそのことを思い出し、私も彼のことを、少しは見習わなければいけないなと思いました。

大学4年生の時の北海道旅行では、根室のカニのように、美味しいものに何回か出会ったわけですが、昭和48年の高校2年生の時の九州旅行では、「これは美味しい」と記憶に残る食べ物とは、何も出会わなかったようです。それはもちろん、九州に美味しいものがないということではなく、そのときは美味しいものを探そうとしていなかったということなのでしょう。まだ高校生だったから食べ物に対して「鼻が効く」ようなことはなかったし、それに今考えてみると、まだ今日のように外食産業が発達していなかったのだと思います。特に地方では。

だから、立野駅前でも入ったのは、よろず屋風のうどん屋さんだったわけだし、日本食堂にも何回か入った。吉松では2回、やすだ食堂に入っています。でも、今日のように、地方都市で小洒落た店に出あうことなどは皆無だったと思います。それに、ファーストフードのチェーン店もなかった。それからコンビニも。そういった「舶来」のチェーンが現れたことで、日本の外食産業、食の事情が大きく変わり、ビジネスホテルというコストパフォーマンスに長けた宿泊施設も現れた。そうして、生活様式が変わったのに、けれども変化に対応できなかった昔ながらの商人宿や、寝台車は廃れてしまった。まあ、寝台車など、いくらでもスタイルを変えることはできたはずですが、国鉄はそれをやらなかった。別に営業成績が落ちでも、誰も責任を取る必要がなかったからでしょう。

実は、このひと月ほど、都内の地下鉄の駅をいろいろと回っていたのですが、都心から少し離れると、駅前にはほとんどといって良いくらいマクドナルドがあった。便利ではあるのだろうけれど、「どうなんだろうなー?」という気持ちにもなりました。
クライブ・カッスラーの小説の何かの一編に、主人公のダーク・ピットが、天体望遠鏡で月面を覗いた瞬間、「マクドナルドがある」と叫んだというブラックユーモアが挟まれたものがありましたが、案外カッスラー翁も、ため息をつきながら昔を懐かしんでいるのかもしれません。



 九州旅行の話からは少し離れますが、今まで色々な旅に出た中で、まあ、それを国内のものに絞るとして、旅の途上で食べた美味しかったもの、印象深かったものは何だろう?と考えてみました。

すぐには思いつかないものですが、1位は恐らく、昭和48年の九州旅行を一緒に回った友人と、その6年後に訪ねた北海道、根室の花咲港で出会った浜茹でのカニだろうと思います。1位といいながら、だろうと付くのもおかしいのですが、また、後から何かを思い出すかもしれない。
そのときは、根室のビジネスホテルを出て車で当てもなく走り、と言うよりも道を間違えて、でもそのまま走り続けたら花咲港に突き当たった。そこでカニをドラム缶で茹でていたのです。友人は花咲カニを、私は毛ガニを、どちらも1000円で買いました。私は毛ガニの美味しさは知っていましたから、シメシメと思っていたのですが、友人が買った花咲カニを一口分けてもらうと、これが味が濃くて美味しい。花咲カニを口にした後に毛ガニを食べても、淡泊で、どうもいけない、わけです。2人ともカニだけで満幅になりました。メシ抜きのカニメシです。

その後、社会人になって2年目の夏休みに北海道に行き、夜行列車で根室に着いてから、すぐに浜茹でのカニを探しました。港までは行けなかったけれど、駅の近くでカニを購入でき、海まで歩いてテトラポッドの上でカニを食べたのを覚えています。のんびりし過ぎて、根室発釧路行きの列車に乗り遅れてしまい、1列車遅れ。これでこの1日が終わってしまいましたが、それでもまだその頃は、根室で美味しいカニが食べられたのですね。

3度めに根室を訪れたのは、いつだったか?恐らくフリーになった後の、つまり90年代に入った直後の取材旅行でですが、この頃みはもう、駅前にはカニ屋さんはなし。それでもまだ、水産のお店の構えだけは何軒か残っていました。そして4度目の根室行では、その店構えも、ほとんどなくなっていたように思います。

要は、輸送技術が進歩して、鮮度イコール美味しさであるはずのカニでさえ、都会に出荷できるようになったから、何も安い値段で地元で捌く必要なんかないわけです。でもこれ、旅の楽しさがなくなってしまいますよね。そこが現代の旅の、なんともフラストレーションが高まるところです。

北海道のカニについては、大楽毛にある通販のお店に、まあまあ美味しい花咲カニを届けてくれるお店を見つけたので(ここに辿り着くにも、何回かの失敗がありました)、時々、そこにカニを頼んでいます。1匹で、送料も入れると5000円くらいにはなりますから、簡単には頼めませんが、味はまあまあ。
それでも、もちろん、学生時代に偶然辿り着いた浜茹でのカニの美味しさには到底かないません。なにしろ、あの時は、毛ガニ6匹1000円でしたし、いや、値段だけではありません。カニの味も、それから偶然辿り着いた道東の小さな漁港も、何もかもがドキドキするほど、刺激的で、新鮮だったのですから。