本日(31日)は、横浜市の中央図書館に雑誌の借り出しに行き、天気が良いので、日ノ出町駅から黄金町駅まで、線路際を歩いてみました。以前に、このブログで仲木戸駅から横浜駅まで、横浜駅から戸部駅までを歩いたのに続くものですが、戸部駅~日ノ出町駅の間は、トンネルがあることもあって、今回はパス。日ノ出町から黄金町まではわずかな距離ですが、大岡川に沿った興味深い風景を見ることができる区間でもあります。

出発点は日ノ出町駅。気がつかないうちに駅名が掲げられた大きな標識が建てられていました。もっとも、支柱部分には錆びも見え、ごく最近に建てられたというわけでもなさそう。私が気がつかなかったというだけのことです。
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駅の下り寄りにはガーダー橋が架かっています。橋桁に行き先を書き入れるのが京浜急行昔ながらのスタイル。以前は、ここに南房総と書かれていたこともあり、それは京浜急行で久里浜まで行き、そこから東京湾フェリーに乗船して、金谷からさらに館山方面へ向かうことができるということを示したものでしたが、子供心には、それが大きな夢となったものです。
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日ノ出町駅~黄金町駅まで線路に沿って流れる大岡川は、横浜市内を流れる川として代表的なもので、戦前までは水運にも積極的に利用されていたようです。その後は汚れが目立つ川となっていましたが、近年になって浄化、再利用の動きも顕著化してきました。また、このあたりは桜の名所としても知られ、花が咲く時期には、多くの屋台が並ぶことでも知られています。
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下の写真も川を再利用するための方策の一つ。モーターボート用の桟橋が造られています。
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線路は、高架橋を連ねて黄金町駅方面に続いています。ここに線路が敷設されたのは昭和初期のことで、現在の京浜急行の南側を建設した湘南電鉄によってこの区間も線路が敷設されました。ただ、開業年次が古いことから、線路の条件が良いとはいえず、しかし作り直すこともできないので、スピードアップのネックになっていると本で読んだことがあります。高架下には、アンティークショップも入居。古い品物を並べるのには、高架下というのはお似合いのロケーションかもしれません。

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今では珍しくなった感もある、スレートの建物も建っています。
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これはわき水。上に見える解説によると、元々は埋め立て地であった関内の近辺の水は決して良質とは言えなかったが、野毛の麓に湧く水は良質のもので、横浜港に寄港する外国の船にも供給されたとあります。そういえば、横浜の水は美味しいと、その昔多くの人が語っていました。このあたりの水が、その発祥ということなのでしょうか。最近は、水までもペットボトルのものを飲むのが当たり前のようになっており、「横浜の水は美味しい」という自慢も忘れかけていたところでした。
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海が近いこともあって、大岡川に架かる橋の欄干の上でも、多くのカモメが羽根を休めていました。
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これは交番。屋根上のモニュメントは町の見張りなのでしょうか。
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高架下には、こんな絵も。添えられた説明を読むと小学校4年生の作だとか。いや、立派なものです。こういう絵が、落書きのようなものでなく、町の中に飾られていると、町全体に活気が生まれるような機がします。鉄道会社も、もっと色々なところで、魅力作りをして欲しい。それが時代のニーズに応えてゆく方法なのだから、と、なんとなくそんなことも感じました。
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絵の傍らを通り過ぎると、やがて黄金町駅に到着。遙か昔には、この黄金町駅付近は、良く言えば庶民的、悪く言えば、ちょっと怖いような場所でもありました。けれども、それも今は昔。大岡川の流れに沿ってプロムナードが造成された今日では、昔の面影を見つけるのは困難になってしまいました。そういえば、黒澤明の名作映画「天国と地獄」では、犯人の山崎努がこのあたりの一画から、丘の上に建つ三船俊郎の豪邸を眺め、羨む気持ちが誘拐事件を起こすという筋書きが使われていました。今回の散歩では、映画に使われた場所を見つけることはできませんでした。
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本日(30日)は、昼食時に新横浜駅前まで出かけてみました。相鉄の新線の工事現場の現在の姿を1枚撮影。
駅前を横切る環状2号線道路の東寄りに円形の歩道橋が架かっているのですが、そこから見下ろした情景。これだけでは何の工事がどの段階に入っているのか解らないのですが、この歩道橋に、新しい新横浜駅が設けられ、その建設工事が佳境といったところです。

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この工事は相模鉄道がJR・東京急行と直通運転を行い、目黒方面に直通するという計画に拠るもので、紹介させていたホームページには、相鉄とJRの直通運転が平成31年度内に、さらに東京急行との直通運転が平成34年度内に開始されるとアナウンスされています。この工事が完成すれば、相模鉄道(相鉄)は本線の西谷から分岐して、新横浜、日吉を経由して都心方面への新しい幹線が完成することになり、同社、および、新規開業区間沿線の利便性が飛躍的に向上することになります。新横浜の近くに住む地元民としては、一日も早い工事の完成を願いたいところですが、工事はやや遅れ気味だとか。しかしまあ、これは待つしかありません。

相模鉄道の新線といえば、1976(昭和51)年に、まず二俣川~いずみ野間が開業したいずみ野線も、当初の計画からは大きく遅れて開業した路線でした。その背景には「ドルショック」などを契機とした不況があったのですが、実は先日から話題にしている私が通った高校がいずみ野にあり、最初は校舎が完成するのと同時にいずみ野線が開業し、楽に通学できると伝えられていたのです。実際には工事の遅れによって、三ツ境駅からバスを利用しての通学を余儀なくされ、しかも当時はバスの本数が極端に少なかったことから、通学の苦労話といいますか、クラス会にはもってこいの思い出話は、たくさん生み出してくれました。他校から異動してきた中には、平塚に住み、将来はいずみ野まで電車1本で通えるようになると、工事の完成を心待ちにしていた先生もいましたが、先生はとうに定年となり、しかし、いずみ野線の平塚延伸はまだ果たされていません。

この全線延伸開業は夢のまた夢と揶揄する向きもありましたが、一部区間の延伸の構想もまとめられたようで、大いに楽しみにしたいところです。もっとも、まずは西谷からの延伸。これに期待しましょう。もう楽しい思い出はいらないから、と書いたら、いささか辛辣ではありますけれど。

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↑新横浜駅前の歩道橋にも、この真下に駅が誕生することが紹介する看板が掲げられています。



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まだ余韻が残る昨晩の高校のクラス会のことをいろいろ考えていたら、昨日新幹線のことを話し合った地理の先生とも、一緒に新幹線に乗っていたことを思い出しました。それは修学旅行の帰り道のことです。新幹線が米原駅を出た時、先生が通路を通りかかり、窓の外を見ていた私に
「米原だな」
と話しかけてきた。私は、
「ええ。この駅はすぐに解りますね」
と返事したことを覚えています。

43年前の会話だものね。何で、そんなことを覚えているのだろう。
その時の高校2年生と、担任の27歳の先生の会話の、その続きがまた始まったような昨日の会話でした。
(鉄道を好きになって良かったね。担任の先生が地理の先生で良かったね)

あの修学旅行では、私は不思議なほど、鉄道にカメラを向けないでいました。自分自身の中で、そろそろ写真のことを本当に好きになり、鉄道以外に被写体を求める気持ちになり始めていたのだと思います。
(581系電車とか、撮っておけばね)

もったいないけれど…。
それはそれで仕方ない…。

せめて、高校時代の写真のネガを探し出すことにしましょう。あの頃に撮って、今でも覚えているカットも、もちろんあります。
でも、「何でこんな写真を撮ったのだろう?」というカットに再会できれば、それは、相当に楽しめるはず。

新幹線で通り過ぎた米原での会話だって、何も43年後に楽しむつもりで話していたわけではないのだし。
ね?



自宅近くのスーパーマーケットで駅弁大会が催されたので覗いてみました。最近は運輸や、流通システムの発達のお陰で、さまざまな所で規模の小さな駅弁大会が開かれるようになり、それもまた楽しみになっています。

そのスーパーには15種類くらいの駅弁が出ていたのですが、結局、横川駅の「峠の釜めし」を買うことにしました。ただし、これだけは12時前の販売開始で、すでに行列ができています。15分くらいの待ち時間で済みそうなので、列に並ぶことにし、整理券番号は17番となりました。

係の店員さんは、列に貼り付き、「最後尾はこちらです」と声を張り上げていますから、結構大変です。合間を見計らって、その店員さんに「釜めしは群馬から届けられるのですか?」と訊いてみました。最近はOEMによって、東京のキッチンで作られる地方の駅弁もありますが、「峠の釜めし」は、このシステムを使わないということ訊いたことがあるので、それをもう一度確かめるためでもあります。
店員さんの答えは
「はい。群馬から来ます。ただし、一度、川崎の配送センターに届けられて、そこからお店に振り分けられますから、結構、大変なんです」というもの。
ちなみに、私が行ったお店の「峠の釜めし」の販売個数は48個ですから、本当に限定品という趣きです。このお店からしたら、48個の釜めしの利益など、取るに足らないものでしょう。

「でも、その手間を惜しまないことが大事なのだろうなあ」と思いながら、今日は少し遅めで、少し贅沢な昼ご飯を頂きました。

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本日(28日)は16時から高校のクラス会に出席してきました。
何しろ高校の創立1期生なので、高校の先輩はなし。クラスも3クラスしかなく、学年全員が知り合いという環境でした。
おまけに、校舎はまだ未完成、授業のはずが、草むしりになるというようなことが日常茶飯事で、けれども、そういった苦労ばかりが、良い思い出になっています。各先生も、新設校への異動にあたって、当時の新任の校長先生から「どんなことでも構わないから、自分の好きなことを好きなように、思いっきりやってくれ」とだけ言われたのだと。それは、今日初めて伺いました。

あの出発から44年。早いものです。そして、今から44年後には、ここに集った面々は誰もいなくなっているに違いない。でも、それだけの長い間、先生も生徒も同じような思いを共有してこれたことは、幸せな巡り合わせなのだと思います。

私の2~3年生の時の担任は、地理の先生で、きょうも地理であるとか、鉄道の話となりました。
先生は
「JR北海道は可愛そうだね」
と一言。私は
「民営化はともかく、分割の必要はなかったのだと思います」
と返事。
「リニアはどうなるの?」
と、聞かれたので、
「東海道新幹線の代替交通機関は、将来の新幹線施設の疲弊を考えれば、必要でしょう。ただ、現状では名古屋までの到達時点でどのような需要があるか解らず、不透明な部分がかなりあります」
と、まあ、もう少しざっくばらんにですが、そのように応えました。
「アルプスの下を通す必要があるのかな?所要30分~40分なのでしょ。それなら、全線地下にして、現在の新幹線の真下に作れば良いじゃない?」
と聞かれ、
「それは、面白いですね。可能性として」
と返事をしたのですが、東海道新幹線は、何しろ急カーブが連続していて、と説明するのは忘れてしまいました。
次のクラス会があるのなら、リベンジです。



執筆のお手伝いをさせて頂きましたメディアックス刊「大阪環状線」の見本誌が自宅に届きました。
大阪環状線の歴史、乗り入れ運転の歴史はどを紹介し、付録のDVDには、希少車種となりつつある103系の映像も収録しています。書店でお見かけになった際には、手にとってご覧下さい。
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今日(27日)は、午後3時から千代田区内で打ち合わせがありましたので、少しだけ家を早く出て、品川駅近くの八つ山橋で、京浜急行の撮影をすることにしました。今、八つ山橋で撮影をすることに、深い理由はありません。単に家から打ち合わせの場所までの道すがらであったというだけです。

ここでは京浜急行の線路がS字カーブを描いており、ちょっとした絵になるポイントでもあります。

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マスコミではすでに報道されているようですが、京浜急行の品川駅は、今、大規模な改修工事の実施を計画しています。
それは、この八つ山橋付近のカーブを解消することと、ターミナル駅としては手狭な品川駅の拡張を視野に入れてのもので、JRのホームの位置の変更までが同時に行われ、京浜急行の品川駅は、現在の高架駅から、地平にホームが設けられるスタイルに変わることが予想されています。工事の完成は2020年以降とされており、これはまださらに先に延びる可能性もあって、慌てて今のうちに写真を撮る必要もないのでしょうが、このSカーブがある踏切も姿を消すものとなっているようです。

工事が完成したら、品川駅がどのような姿になるのか。今はちょっと想像がつきにくいのですが、楽しみに待つことにしましょう。

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春ももうすぐ



将来は道路の位置も今とは変わってしまうのかもしれません。








前回の書き込みを読んだ関西在住の友人から、「ちょうど今、阪神百貨店で駅弁大会をやっているので、勤めの帰りに寄ってみようかな。豊橋の幕の内あるのかな?」と、フェイスブックのメッセンジャー経由でメッセージを頂きました。その場では「豊橋ならいなり寿司を出す」と返事したのですが、なぜ、そのようなことを知っていたのかというと、昔、豊橋の壺屋さんの社長さんにインタビューしたとき、そのようなお話を伺っていたのです。

駅弁大会というのは、業者さんにとっては、大変に過酷なイベントであるようで、「昼食には菓子パンを食べることができれば良い方」と、その社長さん。「でも、行列ができるのを見ていると、頑張らなければと思っちゃうんです」とのことです。

豊橋駅のいなり寿司は、少し甘めですが、結構な手間がかかっているとも伺いました。駅弁通の人であれば、静岡の伊東駅のものと共に「二大いなり寿司」と評価されていることもご存知でしょう。豊橋駅のものの方が、個性が強いように感じます。

もし、阪神百貨店に出かけて、まだ売り切れになっていなければ、いなり寿司も1つ買ってみて下さい。

豊橋いなり寿司

こちらは、オーソドックスな駅弁。この幕の内弁当は、結構好きなんです。

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どこの駅の駅弁でしょうか?「峠の釜めし」のような強烈な個性がありませんから、食べたことがないと解らない。
もしかしたら、食べている人でも、忘れてしまっているかもしれません。

正解は豊橋駅。壺屋弁当部さんの幕の内弁当です。
なぜ、私がこの駅弁が好きかというと、答えは簡単で美味しいから。見た目には地味なのですけれど、魚のフライは魚のフライの味がし、卵焼きは卵焼きの味がするという、何も奇をてらってはいないけれど、裏切られることがない、とでも言うのでしょうか。
 
 最近は、駅弁大会などがありますと、豪華な、そして個性豊かな駅弁がずらりと並んで、こちらが気圧されてしまうくらい。お値段の方もそれなりで、それは美味しいものを、コンビニ弁当よりも遙かに少ない数しか作らずに確保するためには仕方ない選択と訊きましたから、値段は問わないとして、けれども、このようなオーソドックスな幕の内弁当は、あまり見かけないようになりつつあります。

 実はこの豊橋の駅弁を買った時も、「こだま」に乗る機会があったので、しめたとばかりに豊橋での停車時間に駅弁を買った。夕食には少し早かったのですが。

 列車の速度が速くなって、駅前にはファミレスがあってというご時世で、駅弁屋さんは、どこも生き残りに工夫を重ねています。ということは、今、生き残っている駅弁屋さんは、みなそれなりに、良いところがあるというもの。それであれば、このような「地味め」の駅弁も、もっと食べてみなければいけません。

でも、それって大変なんですよね。なにしろ、1回に1個しか食べられないし。


 東神奈川駅のホームにある立ち食い蕎麦「日栄軒」のコロッケ蕎麦。

にちえい

辛めの出汁のシンプルな蕎麦なのですが、不思議とまた食べたくなる味です。結構、固定ファンがいるらしい。日栄軒は、その昔は駅弁も手掛けていたという話を、食品関係の仕事をしている人から訊いたことがあります。ただ、その人の情報がどこから出てきたのかは訊くことができず、私自身もネットでの情報を見つけることはできないでいます。東神奈川駅が開業したのは古く1908(明治41)年9月のことで、現在の横浜線を建設した私鉄・横浜鉄道が国有鉄道の東海道本線と接続することを目的に建設した駅なのだそうです。当初は、ここから海の方角に向かって延びる貨物支線もあり、この支線を跨ぐために、京浜急行の仲木戸駅は高架化されたのだとか。そういえば、仲木戸駅のホームは、今は道路を跨いでいますが、ずいぶんと大がかりに見える造りで、なるほど他社の線路を跨ぐのであれば、高架化は必須だったということになります。

日栄軒がどのような駅弁を作っていたのかも謎で、古い時代のことですから、オーソドックスな幕の内弁当なのでしょうが、復刻版が登場したら楽しいのですが。最近になって東神奈川駅には、橋上にある駅舎の中に大船軒の売店ができて、駅弁を販売するようになりました。まさか京浜東北線の車内で駅弁を食べる人はいないでしょうが、会社での昼ご飯や、残業食、あるいは帰宅後の食事の支度を省くための存在なのでしょう。そういえば、お隣の横浜駅の駅弁も、相当な数が、そのような目的で売れていると聞いたことがあります。私自身の場合でいえば。横浜スタジアムでの試合観戦にシウマイ弁当を買うことが多いかな。今年は趣向を変えて、東神奈川駅で調達した鰺の寿司を持ってゆくのも楽しいかもしれません。

ちょっと変わったところでは、不定期的ではありますけれど、この大船軒の売店に「得々いなり」というものが登場することがあります。油揚げの袋が破れてしまったなど、いわゆる「訳あり」のいなり寿司ばかりが詰められているのですが、写真のもので300円ですから、確かに安く、一人ではとても一度に食べきれないボリュームがあります。ちゃんと改札の中で売られているので、これも立派な駅弁。もしかしたら、今、日本でいちばん安いものかもしれません。

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駅がどこも機能的で、洗練された姿に変わってゆく中で、小さな駅に、こんな食べ物が残っているのも、ちょっと楽しい話だと思います。