オンラインのコンテンツ「Bizコンパス」に、私が担当させて頂きました取材記事が掲載されました。
http://www.bizcompass.jp/original/re-management-040-4.html

第2回の今回は東京駅の駅弁屋さん「祭」。
店長さんにお話を伺い、お得な利用法などを紹介させて頂きました。
ご覧下さい。


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カレーのお遍路 その28 新宿 アカシア

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  昨日は高田馬場の編プロまで打ち合わせに行ったら「アカシアでカレーを食べて帰りなさい」と言われたので、そうしました。
「アカシア」は、アルタのすぐ裏という、まー、ごちゃごちゃした所にあるのですが、「な、何故、こんな所に?」と思えるような、昔ながらの洋食屋さんです。一歩お店に入ると、そこはもう、クーラーが効きすぎで、昔ながらの店はこうでなければいけません。こういう店って、結構好きな人いますものね。私もそうですが。

写真は「激辛カレー」。骨つきの鶏肉がごろごろと3本入っています。激辛カレーと言いますと、「自分ではうまいと言っているが、本当のところはどうなのだろう?」という、売れないフォークシンガーみたいな奴が多いのですが、この激辛は美味しい激辛です。辛味、苦みがほど良いので、豆腐を入れても美味しいだろうななんて思ったりもしましたよ。

このお店は、今までにも何度か来ていて、そのたびにロールキャベツを食べていたのですが、これでまた、「食べたくなるカレー」を一つ増やすことができました。なにしろ居心地も良いし、またカレーを食べに来ようと思います。

……。
ロールキャベツ食べられないじゃん。



田山花袋の「温泉めぐり」を読んでいます。箱根の塔ノ沢が出て来て、伊香保が出て来てという具合に、今も名が知れている温泉が出て来て、そこに出向いて、酒を飲んだり、芸者さんの弾く三味線を聞いたりしているのだけれど、でも、とてつもなく淋しい紀行文。

さすがに文体が少し古く、馴れない読み手の足取りを弱めさせるのだけれど、雨が降り出す前の夕暮れの風のような、ひとりぼっちの夜のすきま風のような、やりきれない淋しさを読み取るくらいのことはできる。

こういう著作まで目を通していないと、内田百閒の紀行文の位置づけはできないということになる。

またも、目の前に、暗闇、か。



カレーのお遍路その27 横浜・本牧 ラーメン亭笑苑

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  今からもう20年ほど前のことになるのだけれど、サンフランシスコをクルマで移動していたとき、どこかで見たような町並みの中を走っていることに気づき、それがどこの町であったのか、すっかり落ち着かなくなった。 そして、少しした後に、それが自分がまだ小さな子供だった頃の本牧であることに気がつき、すっかり安心できたことを覚えている。
  実際、60年代初め頃の本牧は、目抜き通りを路面電車が走っていても、米軍の居住地であったことから、すっかりアメリカナイズされた一画となっていて、ボディ一面を真っ黄色に塗られたアメリカの子供たちのスクールバスが、ひっきりなしに走っていた。

  時が経って町並みが変わってゆくのを目の当たりにするのは淋しい気持ちになることが多いのだけれど、本牧もまさにそれで、遠い昔のあのバタ臭さは、今はもう微塵もない。路面電車の通りには商店が軒を連ねていても、半分はシャッターを閉めている。まだ、オモチャ屋さんなどが健在で、店内に子供の集団がいるのを見つけてホッとしたりするのだけれど、でもやはり人通りは少なく、明日、この町がもっと元気になっているという予感は、今はあまりない。

  写真はカレーライス。お店の名からも解るとおり、純然たるラーメン屋さんなのだけれど、カレーライスだけは置いてあった。土曜日の午後3時前なのに、お客さんは4組くらい入っていて、つまりこの通りには、ほかに適当な店がないということなのかもしれない。

  今年の夏はあっという間に終わり、きょうも曇った空の下を涼しい風が吹き抜けている。「このやるせない、あてどない物語は、何に出会ったら結末を見つけることができるのだろう」。そんな最後の一行を頭の中に思い浮かべならが街を歩いていたのだけれど、注文してすぐに出て来た何も具の入っていないカレーは、しかし、思いの他に美味しく、最後の一行に繋がらない味になってしまった。
「芥川賞が遠のいたなあ」なんて思いながら店を出た。付け合わせのスープは濃いとんこつ味で、これも元気な味でした。





若桜鉄道の山田社長から、メールが届きました。
同鉄道がテレビ番組で紹介されるとのことで、拡散します。


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こんにちは、若桜鉄道の山田です

昨晩、若桜駅出発で鳥取駅まで行われた29(ニク)ロードウォークの密着取材が
TBS系列 テレビ「新・情報7daysニュースキャスター」
で放映されます。

放映は8月29日(土)22時30分~23時24分、全国ネットで放送されます。
鳥取ではBSS山陰放送となります。

ぜひご覧ください!

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いま、全国の第三セクター鉄道で、次世代の鉄道のあるべき姿を探る、様々な動きが起こっています。
たとえ経営基盤が大きなものではなかったとしても、小回りが利く組織がある利点を活かした新しい施策には、大いに期待してしまいます。
私たち利用者自身も、鉄道の次の姿がどうあるべきなのか、常に何かを考えているべきなのでしょう。

若桜
(2015年4月11日 若桜にて 撮影:池口英司)

先日の続き。
山形、滑川温泉の福島屋さんです。

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こんな感じの廊下を歩いて行った先にあるお風呂。

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たしか、この浴槽は混浴でしたが、このときは、女性の入湯はありませんでした。ほかに、女湯もありますし。

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一方、こちらが露天風呂です。5月初旬のことで、まだ渓谷沿いに雪が残っています。

私がこのときより前にこの温泉を利用したのは、10年以上前のことだったと思います。予約なしで現地に行ったかもしれません。小さな部屋に泊まり、浴場の何もなさに驚き、翌日はクルマを旅館の駐車場に駐めたまま、山に登って、稜線の避難小屋に一泊し、翌朝旅館に下りきて、お風呂に浸かってから家に帰った。

つまり、それだけ駐車場もガラガラで、クルマを駐めっぱなしにしても、何も問題がなかったということでしょう。
それだけ、現代はクルマ依存度が高まっているということなのだと思います。
私自身、こうしてクルマ利用で現地に行っているわけですから、本当に何も言える立場ではないのですが、過度のクルマ依存は、やっぱり、旅を大味なものにしているような気がします。

駅について、茶店があれば一息入れて、小一時間歩いて宿に着く。そんな行程にはいろいろな楽しみがあるように思います。クルマ利用だと、渋滞にイライラするばかりで。
だからこそ、私のような立場の人間は、鉄道を利用して旅をすることの楽しさ、意味を、もっと訴えていかなければいけない。
鉄道会社自身も、もっと頑張って欲しいなあ。


引き続き、奥羽本線の峠駅のことです。

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こちらも、旧駅の跡。この駅がスイッチバック駅であった時代に使われていたスノーシェッド(シェルター)の跡です。昔あったホームの脇に建ち、今もシェッドの手前に信号が残っています。ここに線路があった時代には、運転士さんはこの信号を見て、列車の進行方向を確認したのでしょう。

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こちらが、茶店です。「峠の力餅」が名物で、列車が駅に停車している時間には、立ち売りも行われていました。
この立ち売りのおじさん、先代のご主人さんということでしょうか、「今も家にいますよ」と、お店の方からは伺いましたが、このおじさんが気さくな方で、前回、この駅を訪ねた時には、昔ここにいた小さな白い子犬が「米沢に嫁いだ」ことや、「駅の裏手にある山の中腹に残っているレールは、昭和中期まで鉱石の搬出に使われていた」ことなどを、親切に教えてくれたのを覚えています。

で、昨年5月にここに伺った時には、その方にはお会いできなかったのですが、お雑煮を注文したら「取れたての山菜もあるよ」と、この時、お店の方に薦められたというのが、下の写真です。

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取れたての山菜の、揚げたての天ぷら。これが美味しくないはずがありません。

これで「駅の姿は大きく変わったが、駅を守る人たちの暖かい心遣いは、昔と何も変わらなかった」と書いてしまえば、話は簡単にオチの形が作れるわけですが、いくらなんでも、そう簡単には行きません。この駅が、これからどうなって行くのかは、まだこれから先に決まることです。

そうすると、私たちにできることは「愛すること」なのですが、それでは「愛する」ってどういうことなのだろう?と考えてしまいました。自分なりの結論は、「忘れずにいること」かと思いましたが、でも愛するには、「愛される側が愛されるだけの資質を備えていること」も大前提なのだろうな、と思います。これからも鉄道は、利用者から愛されなければならないはずですが、自分が乗ったことのない豪華列車は、愛せないのかなあ、だって、思い出がないのだし、などと、ちょっといじけた気持ちにもなりました。

ともあれ、私にとっての峠駅は大丈夫です。子犬のその後を教えてもらった時のご主人との楽しい会話を、一生忘れられるはずはありませんから。


前回、少し引き合いに出しました、奥羽本線の峠駅です。その名の通り、福島県と山形県の県境に位置する板谷峠の、峠の近くにある駅です。
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とはいっても、写真は、かつての駅の跡。現在の峠駅のホームは、これよりも少し低い位置にあって、山形新幹線が走る線路の脇に、短いものが作られています。写真のものは、新幹線が開業する以前に使われていた、スイッチバック駅時代のもの。今はもう、線路は雑草に埋もれています。

私がこの駅に初めて来たのは、80年代の終わり頃でした。新幹線が建設されるということで、スイッチバックが廃止されることが決まり、その様子を取材に来ましたし、友人たちとも、遊びで、何回か撮影に来た。その頃はもう峠駅も利用する人も希な無人駅になっていて、まだ賑やかな頃はそれなりに利用客がいたことを窺わせる案内所の跡であるとか、看板類を見て、淋しい思いもしたことを覚えています。

でも、今の駅はもっと荒廃しています。使われなくなったのだから、荒廃という表現は正しくないかもしれませんが、あの頃の風景とも、ずいぶんと雰囲気が変わっていた。昔を思わせるものが減って、むしろさっぱりしたくらいです。

で、ここにたくさんの観光客が、クルマで来ていたのです。駅前には、いわゆる茶店があるのですが、それなりに賑わっていました。もちろん、列車の到着時間には関係なく。
本当に、何を求めて、それは恐らくノスタルジーであり、あるいは鉄道が今よりももっと元気で、いろいろな魅力があった時代の面影をどこかに見つけたくて、ということなのかもしれません。
このあたりの心理がどういうものなのか、もっと考え詰めてみる必要がありそうです。

それからこれは駅から徒歩で1時間、クルマだと15分くらいのところにある滑川温泉。
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この温泉も、私が初めて来た時は、秘湯という言葉がぴったりでした。
今回、と言っても写真は昨年の5月のものですが、訪れた滑川温泉は、クルマを駐める場所がなく、旅館の駐車場が空くのを待たされた記憶があります。やっぱりクルマ時代なんですね。
宿が俗化していなかったことには、救われた気持ちがしました。だからもう1回でも2回でも、泊まりに行きたいとは考えています。
本当は列車で行った方が絶対に楽しいのでしょうね。



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この写真は以前にもアップしたかと思います。架け替え工事が進められている途中の余部鉄橋です。
ここにまたアップしたのは、この写真が2009年8月22日撮影と記録されていたからでした。
つまり、「6年前の、きょう」なのです。

本当に早いものですね。何もかも。
ここに写っている子供たちは、たぶん今は高校生でしょう。
私がもう一回「あっ」と言ったら、6つ歳を取ってしまう。
いやだなあ。

でも、きれいな風景ですよね。写真の場所は小さな漁港で、船がいないことから、子供たちがプール代わりにして遊んでいる情景です。どの子だかのお爺さまらしい人が付き添ってきていて、木陰で涼んでいましたけれど。

余部鉄橋も架け替えが終わり、無骨なトラス橋は用途が廃止されました。
そういえば、架け替えが終わった後にも、1度取材で現地に出向いたのですが、トラス橋はなくなったのに、バスやマイカーで橋を見に来ている人がたくさんいて、橋のすぐ下にある「道の駅」が結構な賑わいを見せていました。
このような現象は山形の峠駅でも見ましたし、九州の嘉例川駅でも見ました。
鉄道には乗らないけれど、クルマで来て、鉄道の施設を見物し、またクルマで帰るのです。

この珍現象をどう捉えるのかは難しいのですが、それでもまだ、人が鉄道になんだかのノスタルジー、魅力を感じているのだと思います。まだ、このような人がいるうちに、鉄道は、もう少し頼もしさを取り戻して欲しいものです。

2009年8月の、私のこの取材は3日間現地にいたのですが、月刊誌の4年続いたシリーズの中で、いちばん楽しい思い出になったことを忘れられずにいます。
風景も、子供たちも、何もかもが輝いていたから、ということなのかなと思います。
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 こちらは銚子電気鉄道です。
 先日、取材に出かけた時に、車掌さんから教えて頂いた、興味深い話。
 なんでも、沿線のどこかに蜂の巣があるのだそうです。それで時々、電車の中にまで蜂が舞い込んでくるのだとか。
 「で、どうするのですか?」と伺うと、
 「帽子を使って、追い払います。それも車掌の仕事ですから」
とのことでした。
ともすると、何から何まで、鉄道会社に限らず、仕事はなるべく人に回そうとする風潮がある今日、当たり前のように、「それが自分の仕事」と仰った車掌さんに、例えようのない爽やかさを感じました。

蜂の巣は?
どこにあるのか、見つけ出して、対策を施したそうです。