大井川鐵道が、普段は見ることができない、新金谷駅構内の車両整備工場と、転車台(ターンテーブル)の見学を、一般に開放します。

実施日は、平成25年
11月1日(土)、2日(日)、3日(月、祝)、8日(土)、9日(日)、15日(土)、16日(日)、22日(土)、23日(日)、24日(月、祝)、29日(土)、30日(日)  のべ12日間。予約は不要で、入場受付後は自由見学となります。

受付場所  大井川鐵道 新金谷駅構内 転車台横 臨時受付テント
受付時間  午前9時00分~11時00分
見学所要時間  20分から40分ほど
料金    4歳以上 1名 500円
      (専用パンフレット、見学記念缶バッヂ付き)

とのこと。
私も、この場所には1~2度、取材で入らさせて頂いただけなのですが、いかにも地方鉄道の施設らしい、職人気質が随所に窺える魅力的な場所となっています。
パンフレットと、バッヂがつくというのも嬉しいですよね。

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写真提供:大井川鐵道
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松山にある、日本で唯一の、普通鉄道と路面電車の平面交差です。
今までに、この場所は3~4回訪れていますが、路面電車に乗っていて、電車との交差に遭遇したのは、今回が初めて(撮影は今年の8月ですが)。車内からだと、このように見えるのですね。結構、迫力があります。

日本に、好きな町が幾つかあります。もし、できることなら住んでみたい町。そんなことはできっこないのですが、そんな思いを抱かせる町で、それは札幌、松本、博多などですが、この松山も、そうした魅力を感じる町の一つです。

それでは、何故、それらの町に魅力を感じるのか?特別な理由などないのですが、けれどもどの町も、個性が備わっているように感じます。それから、川があるか、路面電車があることも、共通点でしょうか。

路面電車と川は、町を分断する存在でもあります。けれども、それでもちゃんと町が機能している。それから町が大きすぎないことも重要。大きな町は、どうしても没個性になりがちで、私が住む横浜にしても、港がある一画を除けばそうですし、それに港といっても、今は旅客船などほとんど接岸しないという有様ですから、昔とはずいぶん変わっている気がします。

もちろん、日本のどの町も、今はどんどん変貌していますけれど、そのような中でも、何となく、昔と変わらない風景が残っているのは良いもので、私が松山のことを好きなのも、どこかにその雰囲気が残っているからなのだと思います。

さて。そう書き出して、次は何を書こう?

またまた、時系列がメチャクチャになってしまいますが、ススキノの居酒屋に11時過ぎまでいた後のことです。

ホテルへの帰り道に、「ラーメン横丁」の入口がありました。
時間が遅かったこともあって、通りにあまり人はいませんでした。

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私が、この通りに初めて来たのは、80年代の中頃のことではなかったかなと思います。会社に入って間もない頃のことでした。当時の「ラーメン横丁」は、今よりも、少し活気があったような気がします。あれからもう30年経っているわけで、本当に早いものです。
あの頃はまだ、私にとって北海道は遠いところでした。もう飛行機で行き来するのが当たり前の時代になっていましたが、敢えて鉄道利用で北海道に渡った。どの列車を利用したのか、覚えていません。恐らくは急行「八甲田」ではないかと思うのですが。今なら、カメラがデジタルですから、メモ代わりにどんどんシャッターを切れます。その記録が、後日の手がかりになることでしょうが、あの頃はまだ、そのような写真の撮り方はできない時代でした。

その後、会社を辞めて個人で仕事をするようになり、全国を取材する仕事をやらさせて頂いたこともありました。その時は、4年の間、毎年必ず2回、北海道に取材に来ました。もちろん、往復飛行機利用です。でも、そうなると、羽田から1時間半で着ける北海道は、北海道であって、北海道でなくなってしまうのですね。取材は1泊2日、長くても2泊3日で終わらせなければいけませんから、旅情に浸っているヒマはありません。北海道まで来て、本当にもったいないのですが、すぐ帰らなければいけない。つまり、あの頃の旅行と、今の旅行は別のものであるということでしょう。そう考えると、幾分すっきりとします。

それでも、今回の旅の最後に札幌空港から飛行機に乗る前には、ターミナルビルで、味噌ラーメンを1杯食べることにしました。あまりお腹は空いていなくて、こんなことをしているから太るんだよなーなんて思いながら。今回も、せわしない旅でしたから、せめてあの頃のことを忘れないように…ということにしておいて。

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味噌ラーメンにしても、全国どこででも食べられるわけですし、札幌のものが図抜けて美味しいということではないにしても、やっぱり札幌でラーメンを食べるのは良いものです。

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皆でススキノに繰り出す前に、札幌駅で撮影した「北斗星」の発車です(何だか順番がメチャクチャですが)。
20系に比べると、24系は役者としては一枚落ちる気もするのですが、長距離列車の発車を駅で見送るのは良いもので、少しずつスピードを上げてゆく列車を見ていると、何だか自分が取り残されているような気がして、そして、いつかはこの列車に乗ってみたいという気持ちになるものです。昔は、食堂車のスタッフがホームに向かってお辞儀をしたもので、あれも格好良かった。憧れの的とでも言うべき存在でした。

同行のテレビの撮影クルーは、列車の発車を見送ると、すぐにカメラの撤収、広報担当者がいる間に、改札から外に出るという仕事が続き、余韻に浸っている間はないのですが、一段落すると「夜行列車はいいですよね。またそのうちに、皆で乗りたいですよね」と言っていました。

「北斗星」が廃止になる前に乗ることができるのでしょうか。
でも、仕事で乗る寝台列車は、ほとんど寝る時間もない、過酷な仕事場ではあるのですが。

でも、乗りたいよネ。やっぱり。

一方、こちらは、定山渓に泊まる前の夜、ススキノの居酒屋さんのつまみ。北海道に来て「おお~い北海道」という名の、北海道料理を売りにしている店に入ることの是非や如何に?
でも、ボチボチお客さんは入っていました。

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ポテトの三種盛り。

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ジンギスカン。

ほかにはもちろん、ホッケもありました。が、写真を撮る前に、食べ尽くされてしまいました。
この夜の飲み会の参加メンバーは、フジテレビのアナウンサーS氏と、制作会社のディレクター氏、ビデオカメラマン氏、と私。私が「飲めない」ことは知られているので、「食べる方で元を取って下さい」とのことで、ポテトと、ジンギスカンは、私一人が食べました。はい。
もっとも、全部オゴリですから、たくさん食べなくても、元は取れるわけですが。

店には5時間ほどいました。はい。私とS氏はその後ホテルに帰りましたが、他の2名はさらに飲み続けたそうで、こういう後日談を聞くにつけ、下戸は損だなと思います。いつもだと、このメンバーの飲み会は、「南米の人は、何で前髪を揃えているんだ?」とか「味の素を馬鹿にするな!」とか、最後は訳の解らない怒りが(主にビデオカメラマンのK氏から)ぶち上げられ、なし崩し的な散会となるのですが、今回はおとなしかった。「セブンスターと、マイルドセブンの違いなんかわかるか」とか言っていたくらい。大丈夫かな~?と傍目には思うのですが、それでも彼らは、翌朝の下り「北斗星」の走行シーンを撮りにいくわけです。エネルギッシュです。

少し、寒くなった中をホテルに帰る道には、ススキノのシンボル。これを見ると、北海道に来たな、来て良かったな、と思う。地元の人はどう感じているのだろう?私にとっては、北海道旅行のシンボルです。
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「飲み会」というのは、本当に、「寄り道」だと思います。
でも、だからこそ、やめられないものであるようです。



話を、小樽に戻しまして、定山渓のホテルからバスで札幌に戻った後は、小樽の博物館に出向いてみました。
博物館の内容は、「たびねす」に報告したとおりですが、入館前に昼食。博物館の入口の脇で、昔の客車を利用したレストランが営業していました。

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青の色合いが、昔の客車の色とは少し違っていますが、まあ、腹をたてるほどではありません。それよりもむしろ、こうやって客車の車体が再利用されていることが嬉しいところです。

中に入ってみると、
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嬉しかったのは、昔の雰囲気が結構そのまま留められ、けれどもいろいろな所がきれいにリニューアルされていたことです。鉄道のグッズを保存すると、だいたいが古ぼけているものばかりですから、なんだかゴミの集まりみたいに感じられてしまうことがある。けれども、これだけ美しく磨きあげられていれば、レストランとして合格です。トイレはというと、洋式のものに取り替えられていて、とてもきれいでした。

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時間がなかったこともあって、カレーライスを注文。オーソドックスですが、海の幸が入れられていて、美味しかった。でも、本当は、このお店の本分であるイタリア料理か、あるいは小樽運河のあたりで何か食べたかったところです。だから今は、リベンジの思いを秘めているところ。やはり、小樽観光も欲張るのであれば、定山渓はもっと朝早く出なければいけませんでした。

次に行く時は、小樽に泊まろうか。そんなことを考えていると、ちょっとした失敗も、次の楽しみに繋がるようです。



「よく、アナウンスで『線路内に人が立ち入ったため、運転を見合わせています』って、言うよね」
と、10年ぶりの電話で、しばし鉄道旅行の話の後に、そう切り出してきたのは北野君です。彼は高校時代の友人で、最近になって転職をしたのだとか。いわゆるマニアではないけれど、昔、一緒に飯田線に乗りに行ったりした仲です。
「しょっちゅう、電車が止まるよね」と、これは私。
「あの言い方って、おかしくないか?」
「何か、別のことが起こったことの隠語だという噂を聞いたことはある。実際に、線路の上を人が歩いているのを、見たことないもの」
「だとしてもね、あの言い方はさ、鉄道会社が、『改札の中にいる人はお客様ですが、改札を出たら、それはお客様とはいいません』って、言っているようなものだと思うんだよね」と、北野君は続けます。
「確かにそう言われてみれば、『人が』って言い方は、乱暴だよな」と、これは私。
「僕は、トラック関連の仕事をしているけれど、それはもう、皆、お客様だもん」
「改札がないからね」
「まあ、トラックに改札はないんだけどさ」
と、これだけの会話です。

でも、少しばかり考えてしまいました。
別に「お客様が、線路内に立ち入られたため」と、アナウンスして欲しいとは思いませんけれど。

定山渓に1泊した後は,バスで札幌に出た後,小樽に向かいました。
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札幌駅と小樽駅です。なんだか,対照的ですね。個人的には,どうしても,小樽駅の姿に肩入れしたくなりますが。

鉄道の黎明期には,その先進国であるヨーロッパでも,駅舎を巨大な伽藍として製作しました。ちょうど寺院,教会と同じように。それは産業の神格化を目的としたものであるとされ,人の心の拠り所という意味合いからも,教会などと対照的な存在であったと見ることもできます。

その図式は日本にも輸入されるわけですが,日本ではヨーロッパのような巨大な駅舎が作られることはなかった。もっとも,旧・大社駅のような例もありますし,まだ,明治初期の日本には,洋風建築で大きな建物を造るノウハウは持ち合わせていなかったのかもしれません。初代東京駅が開業したのは大正の初期のことです。

それで,現在の駅。札幌も,小樽も,十分な存在感を見せつけています。
ただ,JR各社を代表する主要駅については,今の札幌駅も格好良いけれど,もっと,強いシンボル性があっても良いのかなと感じました。ショッピングセンターは,もうそこらじゅうにたくさんあるのですから。



10月の初めに、テレビ番組「みんなの鉄道」の制作をしている「上(ジョウ)」さんのご厚意で、札幌に出かけました。番組用のスチール写真の撮影という分担も受け持たされているのですが、実際には一日中仕事づけというほどではなく、けれども、現地の視察をできることが、私にとっては大きな糧となっています。

今回の取材は、木曜日、金曜日という行程でしたので、勝手なお願いをして、帰りの航空券を土曜日夕方発にして頂き、金曜日の夜は、自費で定山渓のホテルに泊まったという次第です。

宿に選んだのは「ミリオーネ」でしたが、このホテルのすぐ脇の空き地に、かつての定山渓鉄道の終点、定山渓駅があったのだといいます。
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もちろん、私も、出発前に色々な方のホームページを見て、廃線跡がどのように残っているのかを調べたのですが、それらしいものは、あまり残っていないのですね。ところどころに橋台が残っているくらいで。写真の跡地にも明確なホーム跡などは見つけられないのですが、写真の右端に写っているモニュメントには、

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という、しるしが残されていました。

一般に廃線跡というものは、人口過疎地の、再利用のあての無い場所に明確に残されているものです。それであれば、定山渓鉄道の廃線跡は、そのほとんどが転用されたということなのかもしれません。
個人的には、今は無くなってしまった鉄道に、もし、乗ってみることができたとしたら、木曽森林鉄道と、定山渓鉄道に乗ってみたい。定山渓鉄道は、いかにも観光鉄道らしい瀟洒な雰囲気があって、経営規模は小さいものだったようですが、独特の魅力が感じられたものです。もし、バスではなく、電車に乗って温泉に行けたら、どれほど楽しかったか。もちろん、今となっては、ただの夢物語です。

鉄道は間違いなく、私たちの文化の担い手でもあります。
そのことを忘れずに、鉄道を守っていきたいものです。

旅行紹介サイト「たびねす」に、今回は小樽市総合博物館の記事をアップしました。
http://guide.travel.co.jp/article/6701/

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