この数日というもの、少しばかり締切が重なり、悪戦苦闘しています。もっとも、私の仕事のようなものは、余裕などがあるようでは駄目なのだとは思います。眠いのだけは辛いけれどね。

今はPCで音楽をかけながら、比較的軽い記事を書いているところ。iTunesでシャッフルをかけて、曲の並びがマンネリにはならないように。

そういえば、先ほどはダイアナ・ロスの「遙かなる影」が流れました。オリジナルは、もちろんカーペンターズ。私の世代には、このあたりがいちばんの憧れのアーティストでもあります。そして「遙かなる影」を聞くと、私は昔から、何故なのか、備後落合駅のことを思い出します。それも、親戚の家に無理矢理お世話になり、やっとの思いでC56形蒸気機関車を見に行った、たった一日のことを、です。

その時私が駅でC56形を見ていられたのは3時間の間くらいだったと思います。わずかそれだけの時間のことを、あれから40年以上経っているのに鮮明に覚えている。出会った人のたったひとつの言葉まで。記憶というものは、失われてしまうことの方が圧倒的に多いのに、不思議なものです。

だから今、少しくらい辛くても、もっともっと仕事を頑張ろうと思っているところ。たった1両の蒸気機関車との出会いがあれほど楽しく、鉄道に対してたくさんの夢を抱いていたあの頃。私には、思い出という宝物があり、そして今もまだ、その続きを楽しめているのだから、です。
旅に出てれば、一生忘れることができなくなるような、あんなに楽しい出会いがあることを、皆に教えなければいけないのだから。

眠いことは、眠いけれどもね。
皆さんも、そんな駅や、あるいは車両がありませんか?


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諸般の事情により、いや、つまり時間がないからということなのですが、本日の夕食は駅弁となりました。
写真の、小田原駅の駅弁、「おたのしみ弁当」です。

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これもオーソドックスな幕の内弁当ですが、美味しかった。

やはり、このお弁当も、十分な手間はかかっているのだそうです。コンビニ弁当とは、段違いの。
ちょっと伺った話では、「例えば、揚げ物にしても、自前で魚をさばくところからやったものと、揚げるだけの形で輸入されたものと、どちらが美味しいか?」などということになるのだそうです。
こうなると、消費者の側にも責任があるということになりますね。美味しいものを食べることには。

それからこんな話も。
「留守番をしてくれたお父さんに、コンビニ弁当をお土産に買って帰ったら、ふて腐れられるけれど、駅弁なら喜んでもらえる」と。これは確かに、そうである気がします。


「僕は毎日パンケーキでいいよ。焦げてなければね」と言ったのは「魔女の宅急便」に出て来るジジですが、私は「毎日駅弁でいいよ。心が込められていればね」というところでしょうか。
大丈夫。今も生き残っている駅弁は、どれもみな、きちんと作られているものです。


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いま、新幹線の歴史のことを色々と調べています。新幹線ができて今年で50年。そのうち、国鉄時代がおよそ半分、JRになってからがおよそ半分というところですが、新幹線が開業した直後の昭和40年代にも、色々と動きがあったことが解ります。

新幹線が岡山までの延伸開業を果たしたのは昭和47年のことですが、振り返ってみれば、この頃は、日本全国が旅行ブームに沸いていたようでした。昭和45年に大阪で万博が開催され、これが閉幕すると、国鉄が「ディスカバージャパン」キャンペーンを始めた。ちょうどその頃には、「遠くへ行きたい」という曲が流行し、同じ名前の旅行番組もテレビで放映された。松本清張が全国を舞台にして推理小説を書き、これにはもちろん、当時の旅行ブームにひっかけての販促の作戦があったようです。

それから私のような鉄道好きにとって忘れられないのが「SLブーム」でした。ブームそのものは、私たちのように昔から鉄道が好きだったものには、むしろ迷惑と言いたくなる事象ではありましたけれど、それでも鉄道の写真を撮影する旅行が意義のある、楽しいものだということを社会的に認知させたという効用はありました。

それからアンノン族の登場であるとか、幸福行きの切符のブームもありました。つまり、昭和40年代は、そんなブームが次から次に起こる時代であったのだと思います。

その頃の私はといえば、ブームの橋にはいたけれど、当時はまだ高校生。大人のように全国を旅することはできず、それが残念でなりませんでした。

もっとも、その時の悔しい思いがあるから、今の自分があるのだとも思います。あの頃が、日本人がすべてブームに酔っていた時代だとすれば、今も二日酔いが醒めないでいる人間がいるということでしょうか。あの頃の「酔い」は、とても魅力的なものでしたから、いまだその二日酔いにあることも、それはそれで悪くないという気がします。

少し前まで、昭和30年代ブームというのがありましたけれど、そのうちに昭和40年代ブームがやって来るかもしれません。ブームの時代のブームといったところでしょうか。

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↑ この頃の絵葉書です。


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北海道の北の端、稚内港の桟橋の脇に残っている構築物です。
戦前から戦中にかけて、ここから樺太への連絡船が出ており、このドームは、現在の稚内駅からここまで延ばされていた、連絡船利用客のための線路と、利用客を、波しぶきから守るために作られました。

設計を担当したのは、当時まだ26歳だった技師。今日と違い、専門的な知識を習得している者が非常に少ない時代だったとはいえ、彼にとっては身震いのするような仕事の依頼であったに違いありません。ドームは5年の歳月をかけ、昭和11年に完成しました。

稚内と、樺太の大泊を結ぶ稚泊航路は所要8時間。「外海」へ出るこの海路は、青函連絡船などとはまったく違う、厳しい道のりであったといいます。1年のうち半年は冬という場所で、亜庭湾が結氷して、乗客が氷の上を歩いて上陸したということもあったそうです。

「そんな場所だけれど、夏は素晴らしいところだった」と、話を伺った当時の乗組員さんは、印象を語ってくれました。

そうなのでしょうね。見てみたかったものです。実は、紹介を頂いてこの方に電話をかけ、最初の挨拶で「函館に出かける用事があります。ご自宅まではそこから3時間くらいかと思います。是非、お伺いさせて頂き、お話をお聞かせ下さい」と、お願いをしたのですが、「いいよ。いいよ。電話ですませようよ」と、笑いながら固辞されました。今は、何とかお会いできなかったかなと、少し悔いているところです。

戦争が激化して、連絡船の運航も取りやめとなり、5年をかけて築いたドームは、7年の間使用しただけで、不要のものとなりました。ただ、その遺構が整備されて、モニュメントとして残されたことは、素晴らしいことです。

北海道の北の果てで未知の仕事に挑んだ技師。厳しい環境で働いた乗組員。厳しい冬と、素晴らしい夏。
私たちが訪ねなければならない人々の思いは、まだ無限に残っています。


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幸福駅の話が出たので、愛国駅の写真も紹介します。ただし、こちらも2009年の撮影ですので、現状とは違う箇所があるかもしれません。

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↑駅舎

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↑ホーム

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↑貨車の廃車体を使用していた売店の跡。駅前に建っていました。

幸福駅ブームの時は、この愛国駅から幸福行きの切符が、全国規模で、爆発的に売れたわけです。「愛の国から幸福へ」という洒落だったわけですが、愛国とは、この一帯に愛国青年団が移住してきたことから、幸福は、この一帯の旧地名であった幸震に福井からの移住者があったことから、つけられた名前といいますから、別に何かを期待してのネーミングではなかったのですね。だからこそ、ブームになったと言えるのかもしれませんが。

こうしてみると、線路が廃止されてから(1987年のことです)ずいぶんと時間が経っているのに、駅の施設がきれいな状態で維持されていることが解ります。駅舎は、一度建て替えられたようですが、それでも、それが地元の人にとって、邪魔なものであったとすれば、たちまちのうちに朽ち果てていたかもしれません。まだ、鉄道が愛され続けているんだろうな、と、そんな気持ちにさせられます。

なぜ、鉄道はここまで、人の心の中に居続けるのでしょうね?
理由は人それぞれなのでしょうが、私は、鉄道が愚直に人々を守り続けたからではないかな、と感じています。雨の日も、風の日も、必ず決まった時間にやってきた列車の、真面目さと優しさを、今も皆が忘れられないのではないかな、と思います、鉄道は、その素晴らしさを見失わないで欲しいと思います。

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↑こちらは愛国駅と、幸福駅の間にある大正駅。
やはり、ちょっとした憩いの場になっているようです。



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「僕のところには、『幸福駅のおじさん』と書いただけで、手紙が届くんだ」
駅前に建つ、土産物屋さんのご主人は、少し自慢そうに、自分のことを語ってくれました。

駅、といっても、もう、この駅に列車が来ることはありません。ずいぶん昔に鉄道は廃止され、今は昔から使われていた駅舎と、それから少しばかりの線路と、使われなくなった車両が数両残されているだけ。残されているといっても、それは保存というより、うっちゃってあると、形容した方が実情に似合っているのかもしれません。

この駅とは,幸福駅。北海道、旧・国鉄広尾線の駅で、「幸福行きの切符」が大ブームになったときの、舞台となった駅です。

私がこの駅を初めて訪れたのは、この写真を撮った時よりも15年くらい前のことでした。90年代の初め頃だったと思います。その時は、クルマで、函館から取材先の根室に向けて走っている途中で、本当に偶然に、この幸福駅の脇を通りかかったのでした。今と違ってカーナビなどない時代のことです。きっと、少しばかり道を間違えていたのでしょう。

秋の終わり頃の、午後の遅い時間のことでした。北の国の日没は早く、そろそろあたりが薄暗くなる中で、幸福駅の駅舎と、駅前の土産物店は、誰もいない中で、ぼんやりと灯をともしていたのです。それだけのことです。

私が、月刊誌の取材で、もう一度幸福駅を訪れたのは4年ほど前のことで、この時は、駅舎こそ昔の姿のままでしたが、駅の周辺は公園のように美しく整備され、駐車場には観光バスが何台も止まっていました。ここはもう、一種の観光名所になっていたのですね。駅前の土産物店は2軒になっていました。以前からあったお店も、ぽつぽつとお客さんが来ているようです。観光バスが姿を消して、観光客の相手も一段落したところで、私は昔からあったお店を訪ねてみました。その時の、ご主人の台詞が冒頭のものです。

ただ私は、昔にもここに来たことを話す気持ちにはなれませんでした。「僕はこんなキャラだから」などと話すご主人さんは、そんな言葉使いとは正反対に、本当は口下手で、本質的には人間嫌いであるような人ではないかと、私には思えたのです。そのような人が、昔のことを面白おかしく話してくれるとは思えません。

それでも、もしかしたら…と思えることは、今から20年前の、お客さんが誰も来なくなったあの頃に、もしご主人さんが店をたたんでいたら、幸福駅も、このような姿で残されることはなかったのではないか、ということです。もちろん、ご主人さんは慈善事業で店を続けたのではない。他に選択肢がなく、それだけの理由で店を続けていたのかもしれない。
けれども、土産物店もなくなり、古ぼけた駅舎が残されただけの土地は、やがて何もない無人の原っぱへと姿を変えていったことでしょう。

写真の旧・幸福駅駅舎も今はありません。昨年に建て替えが実現し、駅舎は、昔のイメージを残しながらも、頑丈なものに姿を変えたのだそうです。今でも列車がやって来ることはありませんが、それでもこの建て替えで、もしかしたらあと20年くらいは、駅が残されることになるのではないでしょうか。

1軒のお土産物屋さんが残り続けていたから、駅もここに残った。そんな風に感じています。



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センター街とともに、良きにつけ悪しきにつけ渋谷を象徴している道玄坂の、とても猥雑な雰囲気の交差点を曲がった先にあるお店。その一画は途端に森閑としていて、これが本当の渋谷なのかな、とも感じます。

写真はムルギーカレー玉子入り。深みのある味わいが心を惹く一皿で、吉祥寺の「武蔵野文庫」のカレーを思い出します。こちらの方が、少し尖った感じかな。

このお店も「池波正太郎が通った店」なのだそうで、先生が通った店は浅草の洋食屋であったり、上田の蕎麦屋であったりと全国にあって、何だか日蓮上人の足跡を辿っているような気分。もっとも、この味であれば、食いしん坊の先生も、納得して坂道を上り下りしたことでしょう。

お店の中には奧の棚の上に置かれたステレオでBGMがかけられていて、ちょうど、私の大好きな曲が流れ始めた。この曲の名前が何だったか、お店の人に訊いたら解るかもしれないと思っていたのですが、カレーがやってきたら、そんなことは忘れてしまいました。

美味しいものを食べると、しばし頭の中が浮き世離れしてしまい、仕事の世界に戻るのが嫌になります。その感覚は、面白い本に出会った時とまったく同じだと思いながら、道玄坂を下って、渋谷駅に戻りました。



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現在(とはいっても,一昨年ですが)の,大畑駅の写真を,少し追加でアップします。

駅舎は,こんな感じです。一昔前に,どこにでもあったような,小さな木造駅舎。この駅にスイッチバックなどの設備があって,列車の運転に重要な役割を担っていることを考えれば,駅舎は,それとは不釣り合いなくらいに小さなものということになります。昔から,駅の周辺には,それほど人が住んでいなかったのかもしれません。
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今は無人駅となった駅舎の中には
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観光客の名刺がたくさん貼られています。同じような遊びは,以前の幸福駅などでも見かけましたけれど,どのようなことが発端になって,こんな意匠が広まったのでしょうね。


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駅舎の脇には,給水塔の跡が残っています。

まだ,鉄道の主役が蒸気機関車であった時代。いたるところに,これを維持管理するための施設が作られました。水をお湯にして,吹き出す蒸気でピストンを動かして走る蒸気機関車は,なにしろ「手のかかる」乗り物で,それこそ人がつきっきりで世話をしなければ,本来の力を出すことができなかったようです。このような山の中に,給水塔が設けられていることも,航続距離が短い蒸気機関車を運転するためには必須だったもの。けれども,蒸気機関車がそのような原始的な乗り物だったらこそ,多くの人が寝食を共にした。すると,駅の周辺には町ができ,駅が大きくなると,町も発展したわけですね。文字通り,駅は町の中心でした。

しかし,交通の主役がクルマになると,地方の駅の多くは廃れていきました。この大畑も同様であるようです。駅員がいなくなった駅は,廃墟をも思わせる淋しい姿に変わっていきました。

今は,JR九州が運転する観光列車が,肥薩線を走り,結構多くの人が鉄道の旅を楽しんでいます。話題の「ななつ星」が肥薩線を通過するのは深夜のことですが,昼間に運転される「いさぶろう・しんぺい」も盛況。列車が駅に到着すると,乗客はそこで記念写真を撮ったり,駅に繰り出した地元の人の屋台でお土産を買ったりして,駅で過ごす旅を楽しんでいます。みな,とてもエネルギッシュで,列車が停車している間の賑わいぶりは,「喧噪」と形容したくなるほどのものです。それは,数多くの蒸気機関車が運転されていた時代にも見ることができないものでした。

そんな観光列車も,駅に停車しているのは数分間だけ。列車が姿を消すと,山の中の無人駅には,またそれまでと変わらない静けさが訪れます。

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JR肥薩線の人吉駅と吉松駅の中間に、大畑(おこば)駅があります。ここは日本でもただ一つの、スイッチバックとループ線の両方がある駅。スイッチバックとは、線路を山腹につづら折りのルートで建設し、列車がここを行ったり来たりする形で、坂道を登るもの。ループ線とは線路を同じ場所で一周させて距離を稼ぎ、勾配を緩和する施設ですが、その両方が備わっているのは、日本では、この大畑駅だけです。

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写真は、大畑ループを見下ろす丘からの眺め。写真では山の陰に隠れていますが、この右手方向に大畑駅があります。そして,写真の手前に伸びているのが、人吉方向への線路、上の方向に伸びているのが、吉松方向への線路です。写真に写っている列車は、これから左手方向に進み、そこでスイッチバックで方向を変え、写真上の方向の線路へと進むわけです。

鉄道ファンにはその存在をよく知られている場所で、この写真を撮るために訪れた丘にも、地権者が、土地の整備費用として500円の募金を募る募金箱を設けていました。500円玉を投入しました。

私がこの路線を初めて旅したのは高校2年生の時で、40年も昔のこと。鉄道雑誌にこのループ線で撮影した作品が発表されていて、その写真に憧れての訪問でもありました。その作品は、「ループの夏」というタイトルでしたが、深い山の中で、立ち枯れの木が1本立っている脇を、蒸気機関車が引く列車が通過してゆく情景が描かれたものでした。いかにも夏らしい、コントラストの高い風景が、とても魅力的だったのを覚えています。

上の写真を撮影した、一昨年の大畑ループ取材の際には、人吉に住む趣味の大先輩のFさんの家にも伺うことができました。いろいろと九州の鉄道の話をしているうちに、話題が「大畑ループ」となります。私が「もう遙かに昔のことなのですが、『ループの夏』という写真を見まして…」と、言ったところ、Fさんは即座に「ああ。あの木ね。ループの内側のいい場所に、ぽつんと1本だけ立っていたんだ」と、当時のことを教えてくれました。雑誌に掲載された、ただ1枚の写真のことを、Fさんもしっかりと記憶しているのですね。

もちろん、今、その立ち枯れの木を見つけることはできないのですが、あの頃の鉄道に憧れた人の心の中には、今でも木が立ち続けているということでしょうか。近年は「撮り鉄」などと称され、何かと蔑まれることも多い鉄道カメラマンではありますけれど、こんな会話ができるのは、それだけ夢中になれるものがあった者だけの、特権なのかなと思います。


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写真は,肥薩線吉松駅で購入した駅弁。掛け紙には「御弁当」とだけ記されています。
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蓋を開けてみると,中身はこのようなもの。ごくオーソドックスな幕の内弁当です。
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見た目で,だいたい味も想像できるのではないでしょうか。私も,この駅弁の味について,裏切られたという記憶はありませんから,味も見たとおりであったのだろうと思います。

それでも,この駅弁には,すごく「ほっとさせられた」ことを覚えています。食材などに奇をたらったものはないけれど,地元の鉄道利用者も含め,安心して買って食べることができる味。今は,駅弁は日に日に華やかさ,艶やかさを増していますが,こんな駅弁も,是非,残っていて欲しいものです。

今まで読んだ小説,あるいはエッセイの中で,読んでいていちばん美味しそうに感じたのは,吉村昭がエッセイに書いた味噌漬けの味でした。今,手元に本がないのですが,それを一口食べた瞬間,「私は,ううっ,と呻いた」というもの。昼食に訪れた旅館で,単にご飯のお湯漬けと,味噌漬けだけを出され,あまりにも質素な食事であったことを不満に思いながら,食事を始めた途端に,それまでの思いが見事に覆されるというもの。ネタバレをしてしまうと,やがてその美味しさは,味噌漬けにあるのではなく,白米の美味しさにあったことに気がつくというオチなのですが,「ううっと呻く」ほどの,白米の美味とはどのようなものなのか。ちょっと,想像がつきにくいものです。

そうして,これまでに読んできた様々な文を思い出してみると,食べ物の美味しさを形容するときの言葉は,描写などなにもなく,なるべく短いものの方が良いのではないかと,これは確信に近い感じで,今はそう思っています。そういえば,海老沢泰久の小説「美味礼賛」の中には,主人公夫婦(辻静夫夫妻です)がヨーロッパを旅し,どこか片田舎の小さなレストランで,思いもかけず美味しい海老に出会う。その時の奥様の台詞が「何よこれ」です。この海老の味も,なにやら神秘的です。一体,どんな味なのだろう?

もし,私がこれからそのような味に出会うことがあったとして,その時にはどう言葉を使って形容するものなのか。あるいは今から,余計な味の形容などをしない,短く,鮮烈な言葉を用意しておくべきなのかもしれない。そしてできることであれば,それは,名もない駅弁に出会った時に使ってみたいものです。そんな出会いも,今から楽しみにしています。



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