倉吉線の取材に出かけた日の夜は、この近くの関金温泉に泊まったはずだと、手持ちの写真を探したのですが、見つかりません。確かに数枚は撮ったはずと、携帯のライブラリーを遡ってみたら、確かに数カットが保存されていました。

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これは宿からの眺め。桜の満開の季節であったことが、改めて解ります。



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こちらはお馴染み、宿の夕食。これもまた、豪華です。


最近は、このような取材旅行を、可能な時は週末に入れるようにしています。週末は、急ぎ処理しなければならないメールが少なく、従って通信環境にこだわらずに、このようなのんびりした宿に泊まることができ、普段よりも少しばかり余計にリラックスできるから。

もっとも、取材旅行の時は、特に夜は、落ち着かないものなのです。色々と考え事をしたり、家を出る前に終わらせることができなかった仕事の続きをしたり、天気が悪い日は特に落ち着きません。取材を予定どおり進めて良いのか、あるいは何か、方向転換するべきなのか、そんなことにも迷い、夜中に目が覚めることもしばしば。でも、これは誰だって同じかもしれませんね。

仕事仲間には、取材旅行の時は、必ずクルマの中に寝ているという人も少なからずいます。旅館に泊まってしまうと、朝の始動が遅くなるというのが、いちばんの理由だといいます。それもよく解ります。

そんなことを考えながら、ここに掲載させて頂いた、上の写真の撮影時刻を見たら、朝の7時過ぎとあり、これならまあまあというところでしょうか。これがあまりに遅いようですと、気が急いて食事どころではなくなりますし、仕事は将棋倒しになるし、ブログにも発表できなくなるかもしれない。ここでも、早起きは三文よりは得が多いようです。

めでたしめでたし。



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倉吉線廃線跡巡りの旅を、もう少し、続けましょう。

かつての終点、山守駅の近くには、「関金町資料館」があります。写真はその館内。
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もとより小さな施設ですし、鉄道専門でもないのですが、これはこれで価値のある展示だと思います。それではこれが、どこの駅の時刻表なのか?区間列車の終着駅のものであることは間違いありませんから、そうすると関金駅のものです。それでは何年頃のものなのか?試しに昭和48年の時刻表を開いてみたところ、その頃は、展示されている時刻表よりももっと多くの列車が運転されていましたから、そうすると廃止間際のものということでしょう。倉吉線が廃止になったのは、昭和60年の春のことです。

時刻表に載っているこの運転本数が多いのか、少ないのか。印象はそれぞれでしょうが、鉄道に興味がある人であれば、思いのほか多いと、そう感じるかもしれません。朝の上り列車は4本。日中は1往復しか列車がなく、夕刻に2往復と、夜に2往復。

そんな運転本数に合わせて、地域の暮らしが動いていた。現代の閑散線区は、もっと運転本数が少なく、つまりは「クルマ任せ」にしてしまっているような気がします。クルマは確かに便利で、一度手に入れたら、もう手放すことはできないものなのでしょう。けれども、こういう時刻表に見入っていると、あの頃の暮らしの方が、満ち足りていたのではないか、そんな疑問も沸き、それをどうしても打ち消すことができなくなります。ところで、かたわらの柱時計も良いものですよね。デジタルものにはない存在感があります。

もう1枚。これは打吹駅跡近くにある、「倉吉線鉄道記念館」で屋外展示されているC11。
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見ての通り、疲れきっているのですが、私が撮影をしている間、かたわらに立っていた観光協会の職員さんが、居合わせた人と
「今年は予算がついたので、機関車のペンキを塗り直せるんです」
と、華やいだ声で話していました。

きっと今頃は、お色直しも済んだことでしょう。
春はまた巡り来る。




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先日の、当ブログでの倉吉線への記事に対して、メールにて、仕事仲間のTさんからコメントを頂きましたので、こちらで紹介させて頂きます。コメントありがとうございます。

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倉吉線、懐かしいです。打吹、関金、山守…関金までは客車列車も走っていました。
上井駅のころは、打吹が倉吉でしたね。つまり、街の中心は打吹周辺なのでしょう。
山守は何もない棒線駅でしたね。

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そう。昔の倉吉線は、そのようなローカル線でした。
今でも、打吹駅の周辺が、いちばん賑やかな一画となっています。

私自身は、現役時代の倉吉線は訪れておらず、そこに行けばC11が走っていることは知っていたのですが、伯備線や木次線に比べれば、探訪の「優先順位」は低い路線で、結局は行かず終いとなった路線でした。

今頃になって現地の廃線跡を訪れ、そのことが惜しかったようでもあり、それでも良かったのかなと思ったり、複雑です。そんな気持ちになれるのも、あの頃の私たちが、それほどに強く、鉄道に憧れ続けていたからだろうなと、そう思います。果たせなかった思いというのは、数えれば、本当にきりがないものです。
だからこそ、思い出の一つ一つがとても大切であること。
これは誰でも同じなのでしょうね。

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打吹駅の近くには、今も美しい街並みが残されています。



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倉吉線の廃線跡巡りを続けます。
この廃線跡は、路線の途中で二つに分かれる形となっていて、奥の方、昔の山守駅に近い側は、軌道敷が残されているのですが、倉吉駅(もっと昔は上井駅と呼ばれていました)の側は、廃線跡が、アスファルトで固められて、生活道路となっています。

昔、駅があったところは、写真のように小さな公園とされています。
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撮影の日付けを見ると、2012年4月17日とあり、ほぼ1年前のことですね。ちょうど桜の花の満開の時期で、仕事ではあっても、とてもゆったりとした気持ちになれたことを覚えています。

この公園を利用する子どもたちは、昔、ここに鉄道があったことを、どのように感じるのでしょうか。
現地を歩いていて、そのようなことも感じました。
私たちが子どもの頃、鉄道は成長する日本の象徴的存在でもありました。それこそ毎月のようにどこかで線路が延び、どこかで新しい車両が運転を始める。それは希望に満ちたニュースでした。

今の子どもたちは、そのような明るいニュースに接する機会が少なくなっているのではないかと、そんなふうにも感じます。
今は線路はなくなってしまったけれど、昔線路があった道に沿って、今も文化はつながっている。
線路の跡を保存したのであれば、次はそのようなことを、大人は子どもたちに伝えていかなければならないのでしょう。


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先日は、「鉄道遺産いま・むかし」で訪れた余部鉄橋の話をしましたので、やはり同じシリーズで訪れた山陰地方の記録から。

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倉吉線の廃線跡です。

この廃線跡も、現地の観光協会、あるいはボランティアスタッフによって、遊歩道として管理されており、ツアーの人数がまとまれば、今は使用されていないトンネルの中を歩いて抜けることもできます。

写真の区間は、遊歩道となっている区間のうちでも、もっとも印象的だった場所。まるでお寺の境内のような雰囲気ですが、実際に現場を歩いていても静かな場所で、歩いてゆくうちに、ずいぶんと心が落ち着いていったことを覚えています。

廃線跡を遊歩道としているところは、全国に結構な数があるのですが、軌道敷をアスファルトなどで固めているところが多い。やはりそちらの方が歩きやすいですし、何より保守が楽なのですね。

けれども、踏み固められた土の上を歩いてみると、人が歩くのにもっとも適しているのは、そのような道であることが解る。土の上からアスファルトの上に戻ると、それがあまりにも硬いものに感じられるのです。

倉吉線の線路はなくなってしまいましたが、今は新しい姿の道となって訪れる人を迎えてくれる。素晴らしい財産です。取材に立ち会って下さった現地の観光協会の女性は、「今月はまだ一日も休んでいません」と、笑っていました。このような環境を守ってくれている現地の人に、改めて感謝、です。



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