余部の橋の取材に出かけてきて、これは前回の報告の続きです。

鉄道が好きな人であるならば、きっと何回も、海辺に建つ、堂々とした赤いトレッスル橋の写真を見たことがあると思います。その堂々とした姿は、山陰本線の象徴的存在にふさわしいもので、私も写真を見るたびに、再訪の思いに駆られたものです。

 けれども、さすがの名建築も寄る年波には勝てず、ということでしょうか。4年ほど前に改築工事が始まり、昨年には新しいコンクリート橋が使用開始されました。今回は、その取材です。

 橋の姿は大きく変わっていました。真新しいコンクリート橋はいかにも機能的なデザインでした。新しい橋も、以前のものと同様に、この地域のランドマークとして愛されることと思います。

 前回、この橋を取材したのは8月のことでした。橋の近くにある漁港で、数人の子供たちが泳いでいました。漁港は防波堤で囲まれているので、船の出入りがない時は、格好のプールになるのです。子供たちを連れてきたのだろう傍らに座っているお年寄りが、橋の撮影をしている私を見て
「あんた、よくここに来ているね」
と話かけてきました。私は撮影のために、3日続けて同じ場所に来ていただけでしたが、そのお年寄りは、前から、どこかで私の姿を見ていたのでしょう。
「いえ。取材なので、集中的に来ているだけです。実は鉄橋の写真を撮りにきたのは初めてです」と答えると、
「そうかい」との返事。けれども、柔らかな口調が、私をほっとさせてくれました。
「この漁港は、子供たちには、良いプールですね」と聞くと
「今年は夏が遅くてね。海に入れたのは、今日が初めてなんだ」と仰っていました。

 記録を見ると、それはもう4年前の8月20日のことでした。8月20日といえば、確かに海に入るのには遅い時期です。やがてやってきた特急列車と、子供たちを絡めて撮影をしました。

 実は今回も、その漁港まで足を運んでみました。冬のことだから当然、泳いでいる子供たちなどいません。冬の波は、あの夏の日のものより、ずいぶん荒いものでした。
 でも、何か物足りない気持ちが拭えないでいます。もし、機会があるならば、また夏休みの時期に、同じ場所に出向いてみたい。もう子供たちは、上の学校に進み、みんなと一緒に漁港で泳ぐことなど、なくなっているのかもしれませんが。


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コトデンの取材をした日には、地元の歴史研究家の方の推薦を受けて、琴平駅近くの「おがわ」というお店で、細切り釜揚げうどんを頂きました。勝手に名前を出してしまいますけれど、美味しかったのだから、構わないでしょ?

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地方に出かけて、その土地の名物をことさらに求める習慣は、いつの頃からか、なくなりました。日本全国で同じようなものが食べられるようになったことと、それから、いわゆる名物料理の店は、当たり外れが大きいこと、もっと言えば、観光客目当ての粗雑なものも多いというのがその理由でしょうか。

でも、この日のように、地元の方の推薦があると安心できるものです。食してみますと、飾り気のない、素朴で確かな味でした。だからこそ、毎日でも出かけることができるのでしょう。

ともすると、私たちは、食べ物屋さんにしても、入ってくる情報ばかりを鵜呑みにして頼っている節がある。それだから、出向く店に偏りがでたり、ノウハウを習得したチェーン店ばかりが増え続けることになる。
でも、それは淋しいことでもあります。それが嫌であれば、地域色を守りたいのであれば、私たちも、まず自分の脚と、舌の記憶と、信念を大切にしなければならないのでしょう。これは何も、食べ物に限ったことでなく、旅先で見聞きするもの、すべてについて。

そんなことを書きながら、自分でも矛盾に満ちていることを感じつつ。
でも、自戒も込めて。

写真の釜揚げうどんは、お薦めです。


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話は、何の前触れもなく、四国に飛びます。実際には、四国を訪れたあと、山陰へ回ったのですが。

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写真は、「コトデン」の琴平駅です。入線しているのは、どちらも元・京浜急行の1000形。やはり均整が取れた、良いスタイルの電車だと思います。コトデンには、この他にも元・京王の5000形や、元・阪神の旧形車が生き残っています。これから先、もっと注目されることでしょうね。

そして、いま、写真を眺め直してみて、ホームの上屋を支える鉄骨が、何だかとても魅力的なものに見えてきました。なんの変哲もない建物ではありますけれど、いかにも、少し前の鉄道の建築物らしい無骨さ、素っ気なさが備わっています。

きっと、こういう飾り気の無さがフィットして、私は鉄道が好きになったのだとも思います。そういえば、子供の頃は、自動車が嫌いでした。特に豪華な調度品を備えたデラックスな車が駄目でした。

そして考えると、鉄道って、素っ気ないもの、貧しさに共感を得ている子供たちにとっての正義の味方なのですね。誰にも公平に接してくれるし。

無理矢理とってつけたような話の展開ですが、それほど外れていないような気がします。



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あまるべ

先週末だかに取材で旅してきた、余部橋梁の現状です。

有名だったトラス鉄橋は解体され、その山側に隣接してコンクリート橋ができています。鉄橋時代の圧倒的な迫力は失われてしまいましたが、安全を考えれば仕方のないことでしょう。それでもトラス橋も、ごく一部だけですが、保存されるようです。

面白かったのは、鉄橋が姿を消しても、橋の下にある道の駅や、売店には、そこそこ人が集まっていたことでした。やはり「何か」があるのでしょうね。鉄道に関連する大きな構築物には。人の心を惹きつける何かが。

やはり鉄道は地域のシンボルになり得る存在なのだと思います。無粋で、不器用ではあるけれども、真摯で、ひたむきな交通機関。その姿勢が伝わるから、人に安心感を与えるのだと思います。

鉄道会社の人も、もっともっと、その姿勢を大切にして欲しいなあ。
どうしても、そんな思いに行き当たってしまいます。

今回は数時間だけの探訪になってしまいました。
数年前の夏のように、近くの民宿に泊まって、ゆっくり海を見ている時間を、もう一度、作りたいものです。
作らなければいけません。



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私が好きなジャズバイオリニスト、寺井尚子さんの曲を友人にも一度聴いて欲しいと思い、CDショップを探しています。町のどこにでもあるはずの「レコード屋」を、今さらに探しているなんて話もおかしなことですが、最近、地方への取材旅行が連続してしまい、横浜でゆっくり時間を過ごせる日がなかったというのも、こうなってしまった一因ではあります。

それでも、今回出かけた高松では、CDショップはあっても、寺井尚子さんのアルバムが全部揃っているような店は見つけられませんでした。東京であのHMVが店を閉めているくらいなのですから、それが地方都市であれば、そのような潮流はより大きなものとなっているように感じます。

もちろん、インターネット経由で注文すれば、すぐに入手できることは解ります。けれども、今回は友人へのプレゼントでもあるのですから、宅配便の梱包ではなく、品物を何か別の包みに入れて渡したいのですね。それから、久しぶりにショップに出向いて、他にどのようなものが出ているのか、他のジャンルの音楽についてまで、見てみたい気もしているのです。細かい部分には精緻な視線が向けられても、全体像を把握しづらいというインターネットという媒体の欠点は、このような部分でも同様に働いているのではないでしょうか。

それであれば、インターネットは、人口の関係で情報量が揃いづらい地方都市に大きなメリットをもたらすが、それと同等以上のデメリットももたらす可能性があるということになります。現に高松駅近くのCDショップに出かけてみても、そこで偶然に寺井尚子というアーティストを発見し、その音楽を知る可能性は限りなく低いわけです。現に私が出向いたその日には、ただの1枚も、そのお店に寺井尚子さんのアルバムはなかったのですから。

高松駅近くの、昔、うらぶれた感じのうどん屋さんがあった一画は、今はきれいに整備されてショッピングモールとなり、食べ物屋さんはチェーン店ばかりが並んでいました。

もちろん、そのようなスタイルが、便利であることは間違いなのですけれどね。


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金曜日はインタビュー取材の日。
無事、予定を終え、モスバーガーでひと休みです。

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時間の縛りのあるなしがはっきりしていることは、私たち、組織に属していない者の数少ないメリットでしょう。きょうは、これで帰宅できるので、こうしてのんびりできる。会社に帰る時間をだらだらと引き延ばしているわけではありません。

考えてみれば、会社に入って、まず先輩から教えられたことは、喫茶店でさぼることでした。でも、これはすごくうしろめたいんです。

その後、フリーになって間もない頃、ある出版社を手伝うようになった。毎日スーツを着て出社してましたから、やっていることは正社員と変わりないのですが、そこで上司から教えられたことは、「外へ出たら、喫茶店で休憩してから、帰って来い」ということでした。

この言葉は嬉しかった。その会社では、先輩の正社員に連れられて外を回ることもあったのですが、その先輩、山本さんという方ですが、山本さんからは会社に帰る前に、「よし。池口さん。休憩しよう」と、よくお茶に誘われた。でも、それは20分~30分くらいのものです。山本さんは、私より年上だったのに、私のことをかならず「さん」づけで呼んでくれた。叱られたこともありましたけれど、その時も「さん」づけで叱られました。

そういうシチュエーションですから、喫茶店での20~30分の時間も、いきおい仕事の話になる。同じことをやっているようでも、さぼる気持ちでいるのと、次の仕事のことを考えているのでは、結果に大きな差が出るのは明白です。だから会社に勤めている人も、積極的に喫茶店に入ることをお薦めします。ただし、時間は20分。お茶代は、絶対に自腹です。

と、ここまで書いてきて、新入社員時代の嵐山光三郎さんが、就業時間内に銭湯に行っていたという話を思い出しました。
あれ、良いことなのかなあ?

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取材で、鳥取駅前のビジネスホテルにいます。

取材旅行で、ホテルにチェックインし、まず始めることは何か?
これはもう10人が10人、同じ答えだと思います。充電です。

充電をすると、大食らいのスマホも正気となり、それに22時頃になると、この時間はこの時間で、結構メールが舞い込みます。先ほども、メールが舞い込み、スマホでは対応しきれないと思われたので、PCをLANケーブルに接続。けれども、これがつながりません。幾度か試し、でも駄目なのでフロントに電話。LANがつながらないことを伝えます。

するとフロントの女性がやって来て、大変恐縮しながらレンタル用のPCを接続。これもつながりません。
そこで、別の空き部屋に行き、私のPCをつないでみましたが、やはり駄目。

「部屋の回線に不具合があるのかもしれませんね」と、これは私。今度は私のPCを1階のロビーに持って行き、ホテルのPC回線に接続。これもヘペケ。謎は深まります。

1階の回線は、さっきまで正常だったのだから、私のPCに非があるということになるのですが、私の部屋に持って来たレンタルPCもつながらないのですから、部屋の回線もおかしいのかもしれない。
その時、頭に電球が点灯する図が浮かび、私のPCをリセット。そして、1階の回線に接続すると、今度はつながりました。

そこでまた、フロントの女性と一緒に上の階の別の部屋に行き、そこでホテルのPCを接続。駄目です。
今度は、そのPCをリセット。すると、つながりました。
そこで、今度は私のPCを接続すると、これもOK。

そこで、私は部屋を移ることになりました。部屋が変わったことで、部屋が元のように寒くなり、窓から見えていた鳥取駅が見えなくなり、ベッドの数が一つ増えました。

かくして、書いている自分も順番が良くわからない活劇が終了。ホテルの女性(最後は2人がかりでした)は、恐縮しきりでしたが、こういうとき、文句を言ったりせず、一緒に笑いながら、窮地を脱出する共同作業をするのは、楽しいものです。先方も安心して、本音を言ってくれたりしますしね。

つながらなかった原因は?
最初の部屋の回線は、どこかが切れているのでしょう?最初つながらなかった2つめの部屋の回線は?これは風向きのせいでしょう。デジタルの世界ではよくあることです。

さて、こうして充電が終わり、急ぎのメール処理が終わり、次にするべきことは?

ブログの更新です。


先ほど、閉店間際のスーパーに駆け込んで、夜食を購入してきました。30パーセント引き。そういえば、夕方に新横浜駅へ行って指定券を購入してきたところ、そちらにはパンの安売りがあり、20パーセント引きのイギリス食パンを購入。何だか、安売りまみれの食生活です。ま、それはいいとして。

スーパーでは店内にチラシが張り巡らされており、今日、明日は、「駅弁大会」とのこと。駅弁大会にはあまり出品しない横川の釜飯も販売されると、大々的に書かれてあります。

最近は、流通が発達したこともあって、このような「ゲリラ駅弁大会」が、スーパーなどで開催されることが多くなっています。

いつもいつも、迷うんですよね。

駅弁は、弁当としては安くはないし、しかも自宅近くのスーパーであれば、素材を買ってきて、自分で何か作った方が納得できるものが作れるかもしれない。

でも、何故なのだろう?駅弁には求心力、と言うよりも、魔力が備わっています。「専門家」として、何か新作があれば、食べておいた方が良いのかもしれない。

そういえば、東京駅の地下通路には、全国から駅弁を取り寄せて販売している「祭り」という店があり、連日大変な額の売り上げを記録しているのだとか。

少し前に、全国各地の駅弁屋さんにインタビューして回るという仕事をさせて頂いたことがありましたが、全国で駅弁屋さんも数が少なくなりつつある中で、今も健全経営を続けているメーカーはどこも、「駅を大事にしている」「値段は少し高いけれど、味はコンビニ弁当には絶対負けない」ということを異口同音に仰います。

そうなのでしょうね。あと一手間をかけて、良い商品を作る。それが少し高かったとしても、それに価値があるとお客さんが判断すれば、それは売れるわけです。

自分の仕事もそうしなければと、夜食を買いに行っただけで反省しきり。
写真は宮島口駅の「あなごめし」。この駅弁も、少し高くても、それだけの価値は十分にある一品なのでした。

宮島口あなごめし


日曜日までやっている「駅弁大会」。さてどうする?悩みは続く。
金曜日は、打ち合わせ2本のあと、食事、バーへのお付き合いなどを愉しみました。
仕事以外では、本当に久しぶりの午前様。気がついたらもう電車がない時間。こういう体験は、実は生まれて初めてで、これは私が下戸であるから。お酒が好きな人であればよくあることなのかもしれませんけれど、でもまあ、こんな時間の楽しみ方も、悪くはないものですね。

それでも、ちゃんと8時には起きて、原稿の残りの仕上げ。ちゃんと編集さんから、確認の電話もありましたから、真面目にやって良かった。

ようやく一段落したら夕方です。さて、きょうという一日を無駄にしないために、これから何の仕事をしよう?
でも、無駄な一日にしてしまいたいなあ。午前中には原稿を書いたのだし…などと、今は私の中の良い神様と悪い神様が闘っている最中です。

コーヒーブレイク。

頑張れ!良い神様。

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先日名前を挙げさせて頂いた坂口安吾の評論に「日本文化私観」というものがあって、これを読んだのは、もう30年以上前のことなのだけれど、その時は、かなり衝撃を受けました。
その評論の骨子はどういうことかというと、実質の伴わない文化には価値がないということなのですが、安吾がふと見つけた美しいものが、戦闘機と、駆逐艦と、ドライアイス工場であったと、そういう口上が出て来るわけです。

そして、それらをなぜ美しく感じたのかというと、虚飾がないのだという。いわゆる機能美に溢れているということなのですね。それがゆえに、たとえば平等院のようなものが、もしあれが虚飾であるとするならば、私たちが生きてゆく上では不要であり、必要なものは実質の伴った美、文化であるということなのです。

その頃はまだ、例えば寺院のようなものは、問答無用で尊ばなければならない、というような意識がありましたから(この歳になると、平等院は必要であると断言できますが)、とにかく、安吾のその論理は新鮮で、色々考えさせられました。

その、「一切の虚飾を廃したところに、真の美が生まれる」という安吾の論理が正しいのであれば、つまり現代の、川本三郎さんに「現代の駅舎はつまらない」と言わせた、現代建築には何が欠けているのだろう?と、そんなことがこの2~3日、頭の中でモヤモヤとしています。

こういう問題は、考えてもすぐに結論が出るはずはないし、けれども、考え続けなければ、絶対に、自分なりの回答を導き出すことはできない。その答えが見つかるのは、10年後、20年後なのかもしれませんけれど。

機能的に作られているはずなのに、何故か心が惹かれることがない現代の駅舎。安吾の論理はどこに行ってしまったのか?

それから、近刊に押し出されて、「日本文化私観」のような本が見つけられなくなっていることにも、寂しさを感じます。出版人!もっとしっかりしろよ!


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