こんばんは。

あ~、これだけでおしまいにできれば、ブログも苦労しないな~。

そんなわけで、池口です。
先日の四国行に続いて、静岡、大阪と周り、今回は、大阪のことを書こうと思っておりました。
大阪では、取材当日が早朝スタートとなるため、梅田のホテルに前泊。この夜は、締切もないので、地下鉄御堂筋線に乗って、動物園前で下車。単独では初めて、通天閣の麓に行きました。別にお酒を飲みたいわけではなく、この一画に、「チューリップのパチンコ台」なるものがあるパチンコ屋さんがあることを知り、今、そこで遊んだら、どんな気分になるのかを試してみたかったのであります。

目指したお店は「ニュー三共」。確かにありました。チューリップ台。学生時代は、本当に夢中になって、これで遊んだものです。学校に行くのをさぼってしまったことも何度もあり、親に高い学費を出してもらっていたのに、何とも親不孝をしたものです。すみませんでした!

で、台に向かいます。まず200円がすぐに消え、もう500円分玉を借り、単純にいちばん入り口に近い台へ移動。結果、そこそこ出ました。上下の皿が一杯になり、少し箱に移そうかな、というところまで。で、そこからへこみ、これも消えるわけですが、もとより長居するつもりはなく、気分を味わえれば良かったので、正直に言ってほっとしました。

球がヤクモノに飛び込み、複数のチューリップが開く瞬間の快感は、昔と変わりません。でも、ずっと遊んでいて、なんでこれだけのものに、あれほど夢中になったのだろう、なれたのだろう?とも感じました。すぐに退屈してしまったもの。

つまりそれだけ遊びが多様化し、かつ高度になったのが現代という時代なのでしょう。ネットの世界しかり、コンピューターゲームしかり。であれば、それだけ遊びが複雑化しているのだから、遊びの本を作る立場としても、生半可な気持ちではいけないということなのだと思います。それなのに、予算がないなどという理由で、最初から売れないことを覚悟して本を作っている版元の何と多いことか。そろそろ改心しなければ。

そんな訳で、もっと懐かしい気持ちになれるかなと思ったチューリップ台探訪でしたが、大阪に行ったらまた行こうという気持ちにはなれませんでした。ま、それで良かったのだろうけれど。

もちろん、パチンコ台の写真もiPhoneで撮らせて頂いたのですが、あ、店内撮影禁止かな?ま、ともかく台の写真は懐かしいので撮ったのですが、先日、iPhoneとPCを同期させた時に、この写真が行方不明となってしまい、きょうのブログ向けに探したものの見つからず、息切れ。かくして、この一文は、そういうタイトルになったのであります。

考えてみれば、突然、ご機嫌を悪くしたPCの復旧の方が、パチンコよりも数段スリリングである。今は、そう感じています。


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hmdさんからコメントを頂きました。ありがとうございます。

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池口さん、こんばんは。ご無沙汰しております。
関東からは、大変行き難い場所ですね(汗)
大正森林軌道・・・名前だけ聞いたことがありますが、
全く知らなかったりします。記事に期待しています。 
綺麗な現代風のホテルは、気兼ねなくて便利ですが、
たまには町旅館も良いですね。人情温かみがあります(^^)
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大正森林軌道については、私も、ついこの前まで、ほとんど何も知りませんでした。で、取材にあたって、色々調べてはいるのですが、未だによく解らないことが多い。
そういえば、何年か前に取材に出かけた、同じ高知県の馬路村の森林鉄道にしても、今でも時々、新たに線路跡が見つかるのだそうです。営林署管轄ではあるものの、正確な資料が少ないのでしょうね。
だから、この大正森林軌道にしても、もっともっと研究されてよい。東京からは少し遠いですけれども。

今回の旅館は、本当に素敵でした。
ここ1~2年、民宿にも楽しさを感じるようになっています。宿の人とのやりとりも結構楽しいもので、それは私がそれなりの年になってしまった証拠なのでしょうが。
町の旅館には、予期し得ないさまざまな出会いがあるように感じます。

報告が遅くなりました。
今回の四国行。向かったのは、高知県の四万十町です。まあ、この名前を聞いただけで、西の端の方であることは想像ができるかと思います。
四万十町と申しましても、合併による町名変更などもあったようで、以前は、大正村といっていたのかな。つまりまあ、大正森林軌道の跡、というのが取材先でした。

何しろまあ、山の中でした。高知空港でレンタカーを借りて、そこから所要4時間。

やがて車は、山村の中に伸びる一本道、とは言っても国道ですが、を走るようになります。

大正0
↑こんな風景です

で、もし大きな車同士がすれ違おうとするならば、どこか少し道幅が広げられている所でないとすれ違えないという狭い道が、延々、およそ30kmほど続いたのであります。まだ、こんな所があるんだなあ、という感じ。まあ、そんな所ですから、大型車などほとんど通りませんけれど。

わが「お父さんの所」の携帯も、すでに電波が入らなくなって久しく、もちろんコンビニなどもない。良いものです。催促のメールとかも来ない!

一日の取材を終え、泊まった宿は下津井集落にある西村旅館。

大正1
ガイドさんに「きょうは西村さんに泊まります」と言ったら、「ああ。いい所を取ったね」と言ってくれました。なんでも、宿の女将さんと、そのガイドさん(私より年上の男性ですが)が幼馴染みなのだそうで、食事も良く、女将さんは酒豪であり、と、色々と教えて下さいました。「私が飲めないんです」と言ったら、「なあんだ」と言われましたけれど。どんなお宿かといいますと…

大正2









ウェルカムドリンクがあり(インスタントではありますけれど…)
大正4
コタツがあり…
大正3









薄型テレビだってある。そりゃあもう、大したものです。

で、食事はというと、不覚にも写真を取り損ねたのですが(その時iPhoneは、部屋で必死に充電中でもあった)、豪華でした。これだけ豪華だったのは、数年前に津和野で、料理旅館に泊まって以来。
メインディッシュはカツオの刺身でした。これはまあ、歯にしみるほど冷たかったのですが、私は、これはハートだと思います。それだけ頑張って出してくれたと思います。それからアマゴだと思う、それの塩焼き。これが美味しかった。それから鍋はおでん。女将さんが「きょうはおでんにしました」と言って出してくれました。それから鶏の南蛮。ピリ辛風味です。それから、まだ、なんかあったぞ。もう一つ、何かメインディッシュ級のお皿がありました。で、漬け物、味噌汁、ご飯…と。全部食べるのが大変だったもの。

四国の西の端の、この山を越えれば愛媛だが、その方向へは道がないという山の中で、よくもまあ、これだけたくさん出してくれたものです。「このあたりのお土産に、何かお菓子のようなものはありますか?」と聞いたら、「そんなものは何もない」とのことで、「ダバダ」という焼酎を見せてくれました。栗の風味がするとのこと。味見をしたいところですが、そもそも、私には麦も、芋も解らないのですから、無意味です。

本当に満腹になったところで、さて、もう何もすることがないなあと思っていたところ、女将さんが一言。
「2階でインターネット、使えるからね」

ずる。

確かに、ウェルカムコーヒーのテーブルの下で、無線ルーターが光っていました。

翌日は、雨の中を出発。「これをお昼に食べなさい」と、胡麻をまぶしたおにぎりと、漬け物をたくさん包んで頂きました。これだけ心を尽くしてくれたのだから、是非、もう一度、あの宿に行かなければいけません。


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ここのところサボりがちですみません。

先日の静岡行はあっという間に終わり、これから大阪に向け出かけます。
きょう、明日の天気はどうかなあ?

またまた新幹線でのお出かけ(当たり前だけれど)。
考えてみれば、凄いことですよね。静岡からあっという間に帰宅し、これからは大阪。明日の夜には帰宅しという具合で、ビジネス特急ができる前、あるいは新幹線ができる前の、ビジネスマンの仕事というのは、どういうパターンだったのだろう?

こうやってあちこち行って、でもまだ、四国の原稿も、静岡の原稿も書いてないぞ。うふ。

電車の速度が飛躍的に向上しても、原稿を書く速度なんて、実はそうそう変わるわけではないのだから、そりゃ仕事が溜まるわけだ。とほ。

いつも感じることがあるんです。また食べ物の話ですけれど(笑)。
出張旅行って、「ついている」時は、その間じゅうずっと、結構美味しいものに出会える。駄目な時は駄目が続く。前回の四国は「当たり」でした。静岡は、まあ普通かな。さて、今度の大阪はどうなるのか?

いや、仕事の最大の楽しみは、食べることではなく、色々な出会いがあることだと思っています。
念のため。


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日曜日、月曜日と、高知に取材に出かけてまいりました。
廃線跡を含む取材であり、駅から遠いので、いやだけど飛行機と、レンタカーの利用でした。
日曜日は快晴。午後6時を過ぎても明るいのは、関東に住んでいると、羨ましくなります。その分、朝、明るくなるのは遅いけれど。

月曜日は朝から雨。気温も上がらず、傘ナシで10キロほど歩きました。傘を買おうにも、コンビニとか、ないんだもん。帰り道、車で延々走り、最寄りのコンビニと思われるものを見つけた時には、出発地点から30キロ近く走っていた(笑)。それくらい山の中でした。
でも、自然は素晴らしいところでした。もし、何か縁があればまた行きたい。宿のおかみさんからも、「また来て下さいね」と言われたし。

詳細を報告したいのだけれど、これからまた、今度は東海方面へと出かけます。
きょうは、普通のビジネスホテルだ。コンビニもありそう。


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昨日(木曜日)は、もう一度、国会図書館へ行ってきました。

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↑図書館の正門前から見た国会議事堂

先日、国会図書館はデジタル化が進んでいて作業がはかどると書きましたけれど、昨日求めていた記事(鉄道ピクトリアルと、鉄道ジャーナルの、近郊形電車に関する記事)は、まだ合本が書庫から出てくるという形式でした。
けれども、これも本が出てくるまでのおよそ20分間の間には、自分が着席した端末から、他の資料を探していられますし、本が出てくると、結果がその端末に表示されますから、効率的。何よりも今回は、そうやって、半ば時間つぶしのために見ていた書籍に面白いものがあって、それはどういうものかといいますと、昭和30年発行の「電気車の科学」。私も生まれる前に出された本なのですが、この中に、電化初期の東海道線の思い出話が、座談会形式で出ていました。

東海道線の電化に際しては、まず4つの国から電気機関車を輸入した。アメリカ、イギリス、ドイツ、スイスだったかな。各2両程度を輸入して性能比較をしているのですが、それでは、その中からどうやって、それぞれの国の機関車を選んだのか?「電気車の科学」のその記事には「安いのを選んだんだよ」などと、豪快に語られている。こういう本音は真実も含まれやすいもので、このことを即、書くわけにもいきませんけれど、自分が何かを書くに際してのバックボーンにはできる。いわゆる「史観」を得るための材料になるわけですね。こういう記事を見つけると、嬉しくなりますし、自分が勉強不足なんだなと、痛い気持ちにもなるものです。

で、ピクトリアルとジャーナルの記事もコピーをとって、今回は図書館の食堂には行かず、有楽町でカレーを食べ得て帰りました。有楽町はサラリーマン時代に11年間過ごした町。でもやっぱり、ずいぶんと変貌しています。今でも、ここを通る時は、懐かしいような、くすぐったいような気持ちになります。

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↑有楽町にて。この季節、「中の人」は、寒いのだろうか?暑いのだろうか?


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本日(水曜日)は、県立川崎図書館と、市立中央図書館のハシゴ。県立図書館では、東洋電機の社史を借り出しました。
読んでいて、面白いものです。社史ですから、記述は平板であり、言葉も読んで面白く書いてあるわけではない。
では何が面白いのかというと、物の見方です。例えば昭和32年末。この時には国鉄に後の101系が登場するわけですが、この社史では101系の特徴について、まず主電動機にはMT46を使用し、駆動方式にはカルダン駆動方式が採用されている、とあります。
私たちが趣味誌でよく見かける記述では、101系の、その次の特徴はというと、MM'方式の採用と、軽量構造の車体、両開き扉の採用、明るいカラーリングということが書かれることが多いはずです。
けれども、ここでは、発電ブレーキの採用と、1台の制御装置で8台の電動機を制御する8M1C方式の採用が揚げられている。電気品メーカーの社史ですから、こういう記述は当然なのでしょうが、こういう私たちの(私の)先入観とは異なる尺度が随所に登場する。ここが面白い。

つまりまあ、私たちがしょっちゅう読んでいる鉄道の趣味の本は、あまりにも定型化が進んでしまっていて、少し閉塞状況に陥っているということが解るわけですね。それではMT46が開発される前の、国鉄における主電動機の主流は何であったかというとMT40であると、これはそれ以前の主流であったMT30をベースに、電機子軸受けをころがり軸受けに変更したものであったと、そんなことが書かれている。そういう記述は、趣味誌の車両解説にはまず登場しませんから、これは新鮮です。

カルダン駆動の開発には京阪神急行が好意的であったとあり、同社の路線を使用して現車試験が行われたとか、我が国初の国産パンタグラフは大正10年に完成し、これは阪神急行電鉄に納品されたとあります。こんな情報も、頻繁には出て来ない。あるいはこの社史では101系の登場後に、同じくらいのスペースを割いて、南海ズームカーについて触れている。101系とズームカーを比較することなども、まずありませんし。そういった記述が至るところにあるわけです。

つまり、こういう書籍だって、私たちはもっともっと目を向けなければいけないということなのでしょう。鉄道趣味の本ばかり見ているから、安心し切って、紋切り型の表現のみを使い、それでいてマンネリだ、立ち読みで十分だと言ったりする。大いに反省しなければいけませんね。

ところで、借りてきたこの本が、実にきれいであるわけです。普段から、ほとんど借りられることがない本なのかもしれません。でもそれは、考えてみればもったいない話だなあなどと思いながらページを繰っていたら、前に借りた人が作ったのであろう付箋が挟まれていました。スーパーのチラシを切って作ったのに違いないその付箋には「肉ワンタン148円」と書かれてありました。これいつ頃の話なのだろう?まったく解りません。

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本日(火曜日)は運転免許証の更新のために試験場へ。
今週は、割と時間に余裕があるので今のうちに。
とか、何とか言って、本当は昨年の秋のうちに済ませなければいけなかったこと。
10月に行った時、試験場につくのが遅かったので、「後日講習」となり、その講習にだけ出かけた次第。つまりまあ、2度手間というやつです。中途半端なことをしてしまったので、かえって時間がかかってしまったという見本のようなもの。いけませんなあ。

3年に1度見ることになる交通安全の映画は、今回は20分と短く、その代わり、性格テストみたいなものをやらされました。「他の交通機関があっても、車に乗る方だ YES NO」なんて設問があって、こういう所も鉄道は影が薄い。講習会では、昭和40年代初めには、神奈川の人口は今の半分で、けれども、年間に今の倍以上の人が交通事故死していたという説明もあった。事故死最多の年は、昭和45年で、大阪万博の年。日本という国の経済成長のピークは、また、悲しい世相のピークでもあったということになる。たまたま、自分のすぐ近くには事故で死んだ人がいなかったので、遠い他人事でしかなかった、ということになるのかもしれないけれど。

神奈川県の人口が半分だったということは、それだけ地方の過疎化が進んでいなかったということだろうか?そういうこともありそう。そういえば、昨年春に北海道の取材に出かけた時、昔、十勝三股駅があったという場所をレンタカーで走った。今は雑草が茂る空き地があるだけ。民家が2~3軒。昔の写真を見ると、鉄道が延びて来ることも頷けるだけの集落があったのに。

運転試験場を出たのが午後4時前だったので、市立図書館へ寄り道。近郊形電車の本を2冊借りる。まだ、足りない。明日は県立図書館に行ってみよう。本が書庫から出てくる間、社会科学のコーナーに行って鉄道書を立ち読み。ローカル線の活性化策について言及した単行本があったので、斜め読み。
列車の速度を上げ、運転本数を増やし、路線を延長すれば、ローカル線は活性化すると書かれている。

でも、それだけではただ、赤字が増えるだけのような気がする。ヨーロッパのように、自治体がしっかりした指針を示して他交通機関との棲み分けをしなけば、これから先の、日本のほとんどの鉄道は消えてしまうかもしれない。案外、今が運命の分かれ道。大切な時期なのではないだろうか?なんとなく、そんな気もする。それであれば、まず私たちが、未来への提言ができるよう頭の中をきちんと更新していなければならない、ということ、なのかもしれない。


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今日(月曜日)は、部屋を少しずつ掃除。本当は大々的にやらなければいけないのだけれど、パソコンにフリーソフトを組み入れてみたり、読みかけの本を読んだりと、つい、余計なことに手を出してしまって、肝心な仕事がどうもはかどらない。ふと、手にした本が面白くて、止まらなくなったりね。

で、ちょうど読んだある本によれば、司馬遼太郎は、机の上はきれいであったけれども、整理整頓はあまり得意ではなく、机の引き出しから靴下が出てきたことがあったとか。

これにはほっとしましたね。私もきょう、冷蔵庫の中から、餃子1皿無料のサービス券が出てきたから。

掃除のついでに、今日は、もう何年も中断していて、ほとんど開店休業状態になっていた「袋ファイル」を、久しぶりに再開。なんで、何年も中断してしまったのだろう?と思う。「袋ファイル」と言われて、ピンと来る人はすぐさまピンと来るでしょう。山根一眞さんのあれです。角2形の封筒を揃えて、適当なキーワードをつけ、関連の資料を片っ端から入れ、五十音順に並べるというやつ。コピー、パンフレット、あるいはバッチみたいなものまで整理でき、コストもかからないというのが良いところで、簡単に資料の整理、パーソナルデータベースの構築ができる。きょうは「横須賀線」「北海道新幹線」「SENS工法」なんていう名前の袋ファイルが、たちまち10枚できあがった。

一昨年11月だったかに、36年ぶりの高校の同窓会があって、その時に撮った記念写真も掃除中に出てきたので、クリアファイルにいれて「記念写真」という袋ファイルを一つ新製。今は角2形の封筒に写真が1枚入っているだけ。これからこの袋に入るものが増えるのか、そのままなのか?

何年かしなければ、結果はわからない。
タイムカプセルみたいなものかな。
まあ、人生そのものが、そうなのだから。



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昨年、取材でお世話になった方から、青森港に係留されている元・青函連絡船八甲田丸について、存続のための署名をするサイトがあることを紹介頂きました。

http://www.shomei.tv/project-1896.html

ご存知のように、JR青函連絡船が廃止されて以降、八甲田丸はメモリアルシップとして青森港岸壁に係留されています。これまでにも保存を続けるか、用途廃止とするかの議論が起こっているようですが、今、また、存続を巡る議論が起こっているようです。

文化財の保存には、もちろん、そのためのコスト(人的なものも含めて)を必要とするもので、保存に対して賛否両論が出るのは、当然のことでもあります。そのような中で、必要と考えられるものは残していかなければなりませんし、何から何まで残して地球の足の踏み場を無くしてしまうことも、得策とは考えられません。

そのような中で、八甲田丸をどうしてゆくべきか?
このような問題も、私たちがこれから、きちんと向き合っていかなかればならない問題です。
もちろん、私は、八甲田丸は残して欲しいと考えます。文化財は一度失われてしまったら、それが二度と現れることはない。八甲田丸は本物であり、現役時代そのままの姿ではないものの、現役時代の姿を非常によく留めています。

文化財保存の意義を考えるためにも、もしお暇があるようであれば、関連のサイトを覗いて見て下さい。



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