少し前に,「高岡にいます」と書いたけれど,文字でそう書いただけであったので,写真を1枚.ビジネスホテルの部屋から見おろした,駅前の夜景です.

高岡駅前夜景

こうやって見ると,鉄道模型のレイアウトの世界のようですが,本物(笑)です.左下で「電車のりば」と書かれた看板が照らされていて,そこが万葉線,高岡駅前の電停です.

高岡を訪れたのは1年ぶりくらい.少し駅前のシャッターが増えた気がしますが,それはこの日が水曜日であったからかもしれません.

今,地方都市は,どこも疲弊しきっています.特に駅前でその傾向が顕著で,それは人々の暮らしの中心が,鉄道から,自動車にシフトしていることを明確に物語っています.
もっと,鉄道が町の中心になるように,まず鉄道事業者が先頭になって知恵を絞らないといけません.たとえば,駅の無人化は,短期的には合理化になるのでしょうが,長期的に見れば,色々なものを失っている原因になっている気もします.

今からでも,まったく,遅くないのですから,もう一度,鉄道と町のデザインを描き直してみたいものです.
この夜景が,それこそ,昔はこんなに淋しかったんだと,その時の人たちに笑ってもらえるように.

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ここのところC・カッスラーに傾倒している池口は,ネットオークションで,カッスラーの文庫本33冊を,3100円で落札してしまったのでした.

カッスラー

最初2000円で入札し,一度値が上がって,もう一度3200円を入れたら,3100円で時間切れとなった.馬鹿にしていけないのは,このあたりのシリーズ,今は結構絶版になっていること.まあ,値がつくというものではないにしても,入手には手間がかかるのであります.

カッスラーの一連の冒険小説というのは,とにかくワンパターンで,訳者あとがきに「主人公が勝つのは解っている」と書かれるほど.まあ,勧善懲悪であります.

昨日もある編集者と打ち合わせをし,「今,カッスラーばかり読んでいる」と言ったら,「勧善懲悪ですなあ」と言う.「鉄道もので,カッスラーをやれればなあ」と言ったら,「鉄道で水戸黄門ねえ」と言う.「スタイルが確立できれば,マンネリで食える.池波正太郎だって,そう言えばそうだった」などと,まあ,会話は弾みます.

カッスラー自身もちゃんとそのあたりわきまえていて,昨日読んだクダリでは,登場人物が飛行機の中で冒険小説を読んでおり,「どんな話なんだ?」と聞かれると「うるわしのヒロインがテロリストに拉致され,主人公が助けに行くところだ」などという.それって,カッスラーの小説そのものじゃん.
すると,主人公ダーク・ピットが「そういう小説は,前に読んだことがある」とつまらなそうに言うわけです.これは,笑えます.

ストーリーの書き手にとっては,悲劇的結末がいちばん楽で,次は「結末は読者の皆さんで考えて下さい」というヤツ.イツキさんの小説などにも登場する手法ですが,このスタイルは,作品が高尚なイメージになるというメリットもあります.

そこへいくと,ハッピーエンドは陳腐な印象を与えるのですが,リピーターは多い可能性がある.私的にも,できたら,これで行きたい(笑).

なにしろ30冊以上,一気に入手してしまったので,これだけで,まあ2ヶ月は持ちます.途中,英語の本であるとか,他も読みたいから,もう少しかかるかな,水戸黄門の完結.

それでもまあ,勧善懲悪というスタイルは,何かと軽く扱われるのですが,それなりに,小道具であるとか,伏線が仕掛けてあれば楽しいもの.そういえば,ウチの死んだおばあちゃんなんかも,水戸黄門など結構好きだったものなあ.

昨日までの話から,突然のように飛んでしまいますが(笑),この駅も好きな駅です.

信濃川上駅

何の変哲もない駅舎です.小海線の信濃川上駅.牧歌的な雰囲気で人気が高い小海線は,けれども小淵沢を出た列車が野辺山を過ぎると,風景はそれまでとは一変して,とても日本的なものとなります.私がこの駅のことを好きになったのも,駅舎のデザインに魅入られたとかそういうことではなく,清里だとか,野辺山の辺りでは,女の子と,それと一緒にいる男の子がキャピキャピしているのが嫌で,その次にあるこの駅が,そんな華やかさの陰に隠れて,ひっそりと佇んでいるように感じられたからかもしれません.
この駅を初めて訪れたのは,大学1年生の時でしたから,その頃の自分のメンタリティがそうであったとしても,納得できるのであります(いじけているかなあ?).

この駅の周囲には,ソフトクリーム屋さんも,芸能人が出店したサラダ屋さんもなく,駅前からバスに乗って,千曲川最奥の集落である梓山というところに行きました.梓山に着くと,そこから見える山の向こう側は埼玉県であると,ずいぶん長い道のりを辿って辿り着いた最奥の集落が,埼玉県に隣接しているのだということを,現地の立て看板で知って呆然としたこと,これは以前にこのブログで書いたかもしれません.

その頃の梓山には,まだ石置き屋根の家が何軒も建っていて,それが気に入った私は,それから何回もここに通うことになります.そのたびに,夕立にあったり,昼ご飯を食べ損なったり,テントで寝ていても,寒くて寝付けなかったりと,色々なことが起きているのですが,そんなことが,なんだか自分のかけがえのない財産であるような,つまり,私はこの一帯がとても好きで,しかも,自分が若かった頃の思い出もたくさん残っている,その象徴的存在が,この素っ気ない造の駅舎であるということでしょうか.

こんなことは誰でも書けますよね.いくらでも.

そんな存在であるからこそ,私にとっては,こんな平凡な駅が,とても大切なものに感じられるのです.

備後落合駅の駅舎です。


備後落合駅舎

地方の主要駅にしては素っ気ない作りで、でも、これだけの大きさで作られているのですから、昔は、色々と仕事をこなしていたのでしょうね。私がこの駅を初めて訪れた時も、この駅舎だったのでしょうが、全然記憶にない。その時はC56形の撮影中にフィルムが足りなくなって、駅前にあった「購買」でフィルムを買い足したのですが、今回の訪問では、その建物がどこにあったのか、まるで解りませんでした。まあ、立野駅前のよろず屋さんにしても、この駅の「購買」にしても、それはもう昔の話なのですから、面影を求めてはいけないのでしょうね。

私が訪れた時は、折り返しの列車に乗るまで、駅にいたのは私一人。それでは山間の秘境駅になってしまったのかなというと、ちゃんとお客さんがいる報告もありまして(笑)、↓こんな感じです。
http://yassee.blog38.fc2.com/blog-entry-756.html

青春18きっぷ利用のお客さんが多いようですが、羨ましいような話。

もし、できることなら、もう一度、この駅を訪ねてみたいものです。
今度は、よく晴れた、お客さんで賑わっている日に。

リベンジ…ですかね。


--22時30分 更新--

写真を1点追加します。駅舎の写真の奥の方の、低い場所に、こんな風景がありました。昔、何かの建物があったのですね。それが「購買」だったか、あるいは一般の建物であったかは、解りません。建物の配置なども、メモしておくと良いのでしょうね、本当は。

備後落合駅前
少し以前のこのブログで、私の好きな駅として、門司港、塔ノ沢、別所温泉を挙げましたけれど、まだそれほど全国を旅していなかった時代に、いちばん好きだった駅が、ここです。

備後落合1

ずいぶんと草ぼうぼうの駅ですけれど、どこか解りますでしょうか?
芸備線と木次線の分岐駅、備後落合です。

私が、この駅を初めて訪れたのは、中学校2年生の時だったと思います。芸備線の東城駅の近くに親戚が住んでいたので、このあたりには旅をすることを、親から許して貰えたのですね。ですから、伯備線の三重連も、布原信号場で何回か見ることができましたし、この備後落合駅にも行けた。

ここに行った目的は、木次線のC56形を見ることでした。もう少し前であれば、芸備線のC58形、D51形もたくさん停まっていたのですが、私が訪れた頃には、木次線のC56形しか残っていなかったような気がします。

それでも、その時がC56形との初対面でしたから、嬉しかった。駅構内も、自由に歩かせてもらえたので、たくさん写真を撮りました。芸備線のホームには売店があって、コーヒー牛乳であるとか、おでんであるとか、そのようなものを売っていました。その頃も閑散とした駅ではありましたけれど、それでもまだ、売店でおでんを売れるほど、駅に人がいたのですね。


備後落合2

上の写真は、駅の広島、宍道寄りです。写真の左手奥に、ターンテーブルがあり、午後の3時頃だったでしょうか、木次方面へ向けて出発するまで、C56形が、ターンテーブルの奥の線路で休んでいました。今はもう草ばかりで、当時の面影を探るのは辛いくらい。

作家の西丸震哉さんが、「昔の恋人に今会っても、幻想が崩れるだけだ」と仰っていましたけれど、あるいは、この備後落合駅再訪も、そんなものであったのかもしれません。当然、今、この駅は無人駅で、芸備線、木次線の列車も、ここに来るのは1日に3本ほど。遠い昔には、午前2時半頃に、夜行急行「ちどり」がこの駅で交換し、この列車を利用する乗客は、駅前の旅館で夜中まで、一休みしていたのだとか。そんな逸話も、もう遠い昔のことです。

けれども。

もし、この駅がまた整備されて、昔ながらの美しい姿を取り戻してくれたら。
列車の本数は少なくても仕方ない。売店のおでんも、まあ、諦めましょう。
でも、駅の姿が、もう少し凛々しいものに戻ってくれたなら、どんなに素晴らしいことかと、思います。
昔の恋人は、大いに歳を取ってしまっているのでしょうが、凛とした美しさが備わっていてくれるのなら、もう一度恋をすることだって、できるような気がするのです。

18時過ぎに自宅に帰り着きました。来週は、原稿の納品週間になるわけです。

高崎で仕事が一段落したのが、16時過ぎで、さあ、どうやって帰ろうかな、いちばん最初に思いついたのが、湘南新宿ラインのグリーン車に乗ること。新幹線で急いで帰っても、空いた時間に自宅で本を読むのであれば、車内で本を読んでも同じことで、昔はよくそうしていました。

例えば、夕方の静岡駅の出札口で「横浜」と言うと、新幹線の特急券を買わないのか、不審がられる。係の人の口調は、そうでありました。けれども、こちらは本を買い込んでいるので、速達列車に乗る必要はなく、沼津、熱海、小田原と、駅の様子なども見ながら、のんびり家に帰る行程にも、存分な楽しみがあったような気がします。

今日は結局は「Maxとき」で帰ってきてしまったのですが、オール2階建とはいえ8両編成では高崎からは座れず、デッキに立っていた時間は大した時間ではありませんでしたけれど、「グリーン車の方が良かったかな」と思った瞬間もありました。

昔であれば、喜びいさんで大型時刻表を繰り、最良のルートを見つけ出したかもしれません。あるいは、そのための逆算をして、仕事を終える時間を決めるとか。
最近はPCの携行が不可欠になってしまったこともあり、その分、時刻表が割を食っているというのが、正直なところです。でも、もし時刻表が手元にあれば、昨日の夜などは、色々とルート探索をしていたことでしょう。携帯でも見ることのできるオンラインルート探索は、瞬時に最短ルートを見つけ出してくれますけれど、「思いもかけない、無駄の多いルート」を探すには、まったく不向きです。紙媒体も捨てたものではない。

もしかしたら、仕事全般、そんな袋小路に入りつつあるのかもしれない…
な~んてことは、今、これを書いていて思いついた台詞ですけれど。
今晩は、高崎泊まりです。明日で、今回のワールドツアー4連戦が終了。

高崎ですから、家に帰れないこともない距離ですが、往復の運賃を考えれば、泊まっても同じこと。
それだけ、現代という時代は、宿泊施設が、安く、快適になったということですね。
私たちが周遊券で夜行連泊を繰り返していたのは、宿代を浮かせるための方策でもあったわけです。
逆に考えれば、こんな時代でニーズを喚起するためには、格安のビジネスホテルに負けないサービスを提供できなければ、夜行列車は賛同を得られないということになるのかもしれません。

もう15年以上前のことですが、友人に連れられていったアメリカで乗った夜行列車には、ちゃんとサービスが備わっていました。食堂車のボリュームたっぷりの食事、コーヒーや、ユタ州を通っている間を除いてアルコールをいつでも楽しめるラウンジ、ゆったりとした造りのシャワー、フレンドリーな乗務員などが揃った旅は、朽ち果てかけたようなラウンジカーが連結されたのみの日本の夜行列車とは、別次元の楽しみがありました。もっとも、かの地でも、長距離列車のニーズは衰退傾向にあるようですが。

ホテルのLANでメールをチェックし、あとは気の済むまで本を読んでいてもよい、というのは、もしかしたら、とても贅沢なことかもしれません。先ほど、夕食は駅に隣接したビルの5階ですませました。チキンソテーに、ライス、スープ、お替り自由のコーヒーがついて、1000円とちょっと。昨晩が420円でしたから、う~ん、3倍近いなあ。贅沢しちゃったのかなあ。

じゃ、読書の時間に入ります。
取材で高岡に来ています。
夕方に仕事を追え、ホテルで一休みしてから、夕食を摂りに外出。
けれども、ご他聞に漏れず、ここもシャッターの店ばかりで、なかなかこれはと思うお店がありません。飲み屋には入りたくないし。

遠回りをして、駅の反対側へ。ファミレスがありましたが、今日は入りたくない感じ。地方に来てファミレスに入るのは、最後の手段にしようとか、ちょっとそんな色気が浮かびます。

結局は、駅の元の側へ。けれども、期待していたビルの一角にも、結局は飲み屋しかなく、これなら先ほどのファミレスが良かったかなあ、でも、もう一度、駅の反対側まで出向くのは億劫だなあと、駅構内の隅にある立ち食い蕎麦やに入ります。

一日のディナーですから、贅沢をしましょう。選択肢はありません。天玉うどんです。420円。大盛りもあったけれど、これはパス。5000円のコースが納得できないこともあれば、420円が妥当なこともある…などと、適当なことを思いながら、店の奥に2つだけあるテーブル席につきます。でも、ちょっと失敗した感じです。せっかくなのだから、魚料理とは言わないまでも、もう少し何か気の利いたものを探すべきだったのかもしれません。
まあ、いいか。

隣のテーブル席にも、すぐにお客さんがやって来ました。「作業員」という感じの若い、やや太めのお父さんと、その娘さんとおぼしき二人連れ。娘さんは小学校の中ほどくらいでしょうか。前髪をきれいに揃え、手には絵本だか何か、子供向けの本を持っています。

お父さんが注文したのは天ぷらそばの大盛りのようです。手にはお店の人からもらったのでしょう小さなお椀があり、脇にちょこんと座って本を読んでいた娘さんに声をかけます。
「おい。食べるか」
「ありがと」
この、娘さんの「ありがと」という言い方が妙に大人びていて、まったくのため口。お母さんの口調そのままなのかもしれません。お父さんは、天ぷらそばを分け始めました。

私が見ていたのは、そこまでです。
あとは、ホテルの13階の部屋に戻ってシャワーを浴び、明日の訪問先の資料に目を通したら、ブログを書いて、それから家から持ってきた文庫本の続きを読んで、寝るだけです。

ホテルの部屋に戻ったのは21時近く。部屋から見下ろした駅前広場は、ずいぶん暗くなっていました。
明日も、訪問先に失礼のないよう、頑張って仕事をしなければいけません。
本日はお仕事で、金沢文庫、金沢八景方面にお出かけ。


↓ この子はいくらなのだ?(金沢八景駅前の八百屋さんにて)

八百屋にゃんこ


野辺地駅

唐突に現れたこの駅はどこでしょう?

答えは野辺地駅です。

先日,いのうえさんに,立野駅のカレーの話をコメント頂き,それでは私が駅で美味しいものを食べたのはどこだろうと考えたら,野辺地の鳥弁当というものがあったので,強引にこじつけて,話は野辺地へ飛ぶのでありました。

鳥弁当といっても,何の変哲もない駅弁です。ただ,私が買った時は出来たてで,ご飯が温かかった。こうなると,それって弁当じゃないじゃんということにもなるのですが,せっかく温かいのだからすぐに食べた。この駅に,南部縦貫鉄道のレールバスを見に来た冬のことでした。

当時の南部縦貫鉄道のホームは,国鉄と跨線橋続きで山側にあったはずですから,上の写真では左手の,雪の中のあたりです。冬の,ようやく上った朝日に照らされたレールバスはきれいでした。七戸まで一往復乗って,けれども運転本数が少ないので,「走り」を撮るのはあきらめ,次の十和田観光鉄道に向かった記憶があります。

それはもうずいぶん昔の話であるのですが,こうして,現状のつもりで用意した写真(2010年3月撮影)でさえ,実は現状にはそぐわない。東北新幹線の新青森延伸で,この駅にはもう485系特急など来ないのですからね。
列車の速度と同じように,風景の変化もスピードを上げているようです。