雨の話の続きも、まだあるのですが……

今日は、仕事で山形県に来ています。これを書いているのは、米沢のビジネスホテル。取材は、ここからさらに車で「奥に」入りました。

んで、昼食は、またしても、ラーメンでありました(笑)。だって、町にラーメン屋さんしか、なかったんだもん。車で何キロも走ってファミレスに行くのは、時間が惜しいし。取材時の昼食というのは、とかく、時間優先になりがちです。

で。今日入った店も、私が入った時は、お客さんゼロの状態でした。

「横浜から来たの?」とご主人。車のナンバーを見たのでしょう。

「そう」

「子供が横浜にいるんだ。港南台って言ったっけかな」

「南の方だ。鎌倉に近い方」と、これは私。

「あっちで、福島の評判はどうなの?」

「原発のこと?あまり気にしてないけれど。むしろ、停電の方が気になっているみたい」

「今年の夏は大変だろうね」

「ウチのあたりはね、実は1回も停電になっていないの。たぶん、大きな駅が近くにあるせいだと思う。停まっているところは何回も停まっていて、不公平は話題になてる」

「山形もね。さくらんぼが、全然ダメなんだ」

「山形も?」

「そう」

「皆、可愛そうだよね。茨城とか、千葉とかの魚も、ダメみたいだし」

「そうだろうねぇ。さくらんぼもさ、イベントなんかで、タダで配っているみたいなんだけれど」

「頑張らないと。頑張るって、口で言うのは簡単なんだけれど。それも辛いんだよね。でも頑張るしかない。まず半年。それから1年。ご馳走さま」

「はいお釣り。450円ね」

「あれ、350円じゃないっけ?」

「450円だよ」

「あ。そうか。じゃ、100円。一緒に出してくれた漬物代」

「いらないよ~」

「じゃ、ご馳走様」

「この町はさ、いい所だと、思うんだよね」

こんな会話はファミレスでは、まずできないものです。これももちろん、旅の楽しみ。仕事で体験できるのだから、恵まれているなと思います。

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ウメサオタダオ展を見た後は、大阪でのんびりする時間もなく、広島で宿泊した後、新幹線で九州入り。しかしまあ、大変な雨となってしまいました。

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↑新幹線のホームも雨漏り

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↑ホームで傘をさしている…

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↑こちらは在来線の気動車。窓の外は滝

たまには雨も良いもの…という台詞は、こんな時には通用しません。鹿児島の往復に、行きも帰りも「抑止」をくらうという…、まあ、私にとっては、いつかまたネタになるであろう経験でしたが。

しかし、初めて乗った九州新幹線の新規開業区間。

行きも帰りも、どんな車窓風景だったのか、全然解らなかったのだ。

(つづく)


*池口英司へのコンタクトはこちら

鹿児島に来ています。ホテルの窓から鹿児島中央駅の観覧車が見えるのですが、その距離を歩くのが難儀なほどの雨でした。

九州の南の端ともなると、さすがに蒸し暑い。つい先日、津軽の寒風に吹かれた身としては(笑)、なおさらです。

今回は広島とこの鹿児島の2泊3日の行程なのですが、最初の1日めは、個人的な遊びの旅行でした。大阪の民俗学博物館(←でしたっけ?)で開催中の「ウメサオタダオ展」をどうしても見たくて、1日早く家を出た。この週末を逃すと、展覧会が終わってしまうので。

で、展覧会は、本当に見てよかった。会場には梅棹忠夫さんのノートのレプリカが何冊も展示されていて、レプリカですから、自由に手にとって見れる。でも、学者・研究者のノートを見る機会なんて、そうそうありませんから、レプリカとはいえノートを見ることができると知ったときは、「これを全部見るためにもう1泊したい」と、本気でそう思いましたもの。

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↑こんな風にノートのレプリカが展示されていました

最後に売店で図録を購入して、うどんの食事をして、新大阪駅に戻り、本当につかの間の大阪見物の後に広島へ。万博会場を訪れたのは、1970年以来、41年ぶりですか。大阪万博のときは、「三菱未来館」へのゲートからの競争が途中でいやになって脱落し、古河パビリオンで電車運転シミュレーターをして、IBM館で「自分で作る漫画」という機械で遊び、フランス館でマトンのシチューの昼ごはんを食べた。当時の行動様式を振り返ると、今日の私と、志向というか、嗜好は何も変わっていない(笑)。スズメ百までと言うか…。

でも、こういう展示会を見ると、もっともっと勉強しなければと、大きな刺激を受けることができます。

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↑展示を見終わって、図録を眺めながらの食事。質素なうどんではありますけれど、こういう時間を楽しむのは良いものです。

話が元の方向に戻ってしまいますが(笑)、蟹田で泊まった旅館、中村さんの夕食です。

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蟹田名物というカニが乗っております。あと右手には肉じゃがもあって、結構、豪華。煮魚とか、手間かかるもん。下手な温泉旅館より、ハートフルです。

私が泊まった日は、それでも私の他に、7~8人のお客さんがいました。私より少し年上だろうおばちゃんが、一生懸命切り盛りしていて、大変そうだから、部屋食が終わったら、食器は私が自分で帳場まで下げに行った(笑)。急な階段を下るのが少し怖かった。で、そのあと、布団も自分で敷いて。おばちゃんは「私がやりまーす」って、言ってたけれど。

私のブログはこうして、鉄道車両より料理の写真の方が多いのですが(とほ)、でも、こうして見ると、料理とだって出会いなんだなって思います。その向こうに人の心も見えるしね。だから、何も見えない時は、写真は載せていないんです。美味しくない駅弁とか…ね。

もう亡くなってしまった筑紫哲也さんが、今の私より若い時に、「もう人生もそんなにたくさんは残っていないのだから、毎食美味しいものを食べたい」と書いていたことは、以前にもこのブログに書きましたけれど、「美味しい」必要はない。心がこもっていれば。

だから、もしもまた蟹田に行けるのであれば、また同じ宿に泊まりたいなと思います。

行くことがあれば。


*池口英司へのコンタクトはこちら

7日は、千葉県の市原市で取材。鉄道模型オーナーのレイアウトの撮影でしたが、非常に多くの場合、レイアウトの撮影は、オーナーとの和気あいあいとした会話を楽しみながら、進めることができます。

往復には東京湾横断の自動車道、アクアラインを使用。社会実験とかで、利用料普通車800円となっており、割と気楽に利用することができます。現地まで66kmくらいでしたが、そのうち60kmは自動車道なので速いこと。帰路は海ほたるPAで小休止。

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ウィークデイということで、お客さんは少なかったのですが、若いグループが、遠くに見えるスカイツリーを見ながら「まっすく泳げばあそこに着ける」「じゃ、タワーのふもとで集合しよう」なんて軽口を楽しんでいました。

先日見た、津軽の蟹田の、風に吹かれ続けている海とは違い、東京湾の海は波の音もない。

生まれて初めてみた海が、東京の海なのか、津軽の海なのか。それだけでも、その人の人生観はずいぶんと違うのだとうな、と、そんなことを感じました。

でもね、車利用の旅は、どこかせわしいものです。

ここのところ、出歩いてばかりで、蟹田のような遠出と、スタジオ撮影が半々くらいでしょうか。スタジオ撮影は、ほんと、体力的にきつい。皆で、わあわあ冗談を言いながら頑張るのですが。

で、今日は自宅にほぼ籠っていました。自宅の近くのコンビニには、少し本も置いてあって、太宰治の「津軽」があったので買いました。役に立つこともあるのだなあ、コンビニ書店。

で、何年ぶりで「津軽」を読みますと、本当に軽い。太宰は文章が上手です、本当に。こういう屈託のない読み物をもっとたくさん書いていれば、太宰の評価も、またずいぶん違っていたでしょう。解説の亀井正一郎によれば、氏が選ぶ太宰の一冊は「津軽」だそうで、「斜陽」でも「人間失格」でもないところが、流石です。「斜陽」と書いておけば間違いないところを「津軽」で行くか、亀井君。そうすると、「富嶽八景」も捨てておけないなあ。

で、同じ解説のによれば、太宰の苦しみは、旧家の生まれであったことに起因しているという。そうなのかもしれないし、そうなのだろうし、であるとすれば、本当に呪縛が強かったということになる、戦前の「家」とは。今の私たちは、本当に幸せな時代に生まれたことになる。義経の時代と今日とだって、地球の長い歴史からみれば、本当に隣り合わせなのだけれど。

で、亀井正一郎が新潮文庫版「津軽」の解説を書いているのが、昭和26年とのこと。私はまだ生まれていない。昭和も遠くなりにけりということだろうか。

なんだか、時勢が訳わからなくなっちゃった。