東京の西郊に出かけてきました。まず訪れたのが青梅線。青梅線には幾つかの、魅力的な駅舎があります。
写真は青梅駅。たしかこの駅は、その昔はショッピングセンターとしても使用されていたはず。今は使われていないけれど、地下もあったと思います。
その昔の鉄道模型レイアウトであれば、「中央駅」と銘打たれて、こんな建物が建っていたかもしれません。
ご存じ御嶽駅と紅葉です。青梅電気鉄道という私鉄で開業した青梅線で、しばらくの間、終着駅として使われていた駅。休日には駅前に売店が現れ、おにぎりやバナナを売っているのですが、この日はなし。私は、青梅線の駅ではここが一番好きです。
これも有名になった奥多摩駅。このブログでは2回目の登場。今回の方が光線は良いけれど、何となく落ち着かない写真になってしまいました。この駅は、国鉄買収後の開業です。
御嶽には玉川屋さんというお蕎麦屋さんもあり、ここも好きなのですが、定休日。今回はよれなかった沢井の酒造(お酒が飲めなくても楽しめるものがたくさんある)も含め、早くもう一度行き直したい気持ちに、現地にいる時からなっていました。
午後4時には撮影が終了してしまう中国のツアーも贅沢といえば贅沢なものであったけれど、その上をいってしまったのが、もう10年くらい前のパリでのことで、ヨーロッパツアーでフランスにいた一日、朝からどうにも風邪の具合いが芳しくなく、しかも下り坂にあることが解ったので、その日は連泊であったのを良いことに、オプショナルツアーに出かける一同をホームで見送り、ホテルで一日眠らさせてもらうことにした日がありました。
何時間か眠り、目を覚ますと夕暮れ時。ヨーロッパのホテルならではの高い天井が覚めたばかりの目に入り、一瞬おいて自分が今パリにいたんだということを再確認できる。しっかり眠れたことが幸いして、体から風邪が抜けつつあることがはっきりと解り、ベッドから出て、窓からホテルのすぐ目の前にある駅前広場を見下ろす。朝から夕方までずっと同じ所にいたことで、いかにも今、自分がパリにいるんだという気持ちにもなることができ、「これはこれで、贅沢な海外旅行だな」などと思いながら。
少し空腹だったので、駅まで歩き、売店でパンを一切れ購入。海外旅行も要は慣れで、別に会話らしい会話も必要とせず、部屋に戻る。夕食は、ツアーから帰った仲間たちが「レストランに行くから呼びに戻る」とのことだったので、満腹にはせずに、それを待つことにします。
ヨーロッパの大陸の鉄道はよく知られているように、基本的には改札口はなし。だから、ホームの近くに、いろいろな売店があって、大きな駅は特に活気がある。いっそ、日本でも駅構内を解放したらどうだろう。どうせ地方の無人駅は、せいぜいがカード読み取りの端末が立っているくらいだから、改札口などあってもなくても同じようなもの。それであれば、遊んでいる土地を格安で提供して、何かを誘致できれば、人を増やすことだってできるはず。買い物に行くので、ついでに電車に乗ってくる、という具合いに。別に物販である必要はなし。地方のコミュニティセンターという例は多いけれど、郵便局、いっそお寺、神社だって良い。旧来の図式を守りすぎたことも、寝台車が衰退した理由の一つであったと思うし。
この夜、同室の、現地人からの呼び名ソーニャさんが帰ってきたのは午後10時近くで、夕食はもう済ませたとのこと。ありゃりゃ?「あ~美味しかった」とか言う。
その後、私がもう一度、駅に買い食いに行ったのかどうかは覚えていません。
食い物の恨みは、10年後のブログに結実したのだから良しとする…か、どうか…。もう一度、考えてみなければいけません。
きょうは,30何年かぶりでの,高校のクラス会でした.
みな,同じ歳というのは,ほっとしますね.
ずいぶんと変わった人,まるで変わらない人というのが,結構両極端に別れていて,私は「変わらない」方だそうですけれど(笑).ま,独身だし.
30年ぶりのギャグがちゃんとそのまま通じたりして,皆,結構昔のことを覚えているものです.今,振り返れば,高校時代というのは,本当に懐かしいものです.受験とは無縁の高校生活を送らさせてもらいましたから,それはもう,笑えるネタはたくさんある.
友人との別れぎわ,「明日からまた,辛い毎日に戻らされるな」とも思い,もっと,夢の続きを見続けていたいような気持ちになりました.まあ,自分で選んでここまで来たのだから,そのことを幸せに思って,後から振り返った今を幸せな時代にしないと.と,いうことは将来にもっと不幸な時代が来るのか.まあ,それはそれで置いておいて.
しかし,なんだ.会場で数人から「最近ブログが止まっているじゃん」と言われ,う~む,私のブログを支えているのは,ほとんど身内だけなのだろ~かと,嬉しいような切ないような.
ちゃんと,きょうは書きましたからね.しかもちゃんとクラス会のことですからね.校歌もろくに覚えず(しかし,新設校だったゆえ,校歌ができたのは2年になってからだったぞ),清水先生からも,「おまえら,なんだ」と言われましたからね.
先生はいつまで経っても先生です.
それもいい.
一年のうちでいちばん日の入りが早いのが,11月下旬の,ちょうど今頃から12月の12日くらいまでなのだそうで,確かに部屋に差し込んでいる光がずいぶんと傾いたなと思って時計を見ると,まだ午後2時前.一日の長さは24時間で変わりないのだけれど,なんだか慌てさせられる気持ちになります.
先日も,ちょっと夜更かしをした翌日,午後2時頃にどうにも眠くなって,ちょっとだけ眠るつもりで横になったら目が覚めたのが午後6時過ぎ.なんだか,一日があっという間に終わってしまったような.
若い頃は(まあ,今でも若いといえば若いが),そんな一日があると,なんだか愉快になっていたけれど,今はなんだか損したような気分になってしまいます.本当はね~,もっと泰然としていないと.
もう20年も前のことになるけれど,年末年始に中国に行ったことが3回ありました.前進形蒸気機関車を撮影に行こうと,友人に誘われて,彼の地では朝から餃子が出るという言葉にむしろ引かれて(笑).いや,本当は,どこか外国に行ってみたかったのですね,それまでどこにも行ったことがなかったから.
当時の中国といえども,蒸機が現役でいるのは東北部と,いわゆる内蒙古だけ.北京から,ドメスティックエアに乗りハルピンへ.そこからさらに夜行列車に乗って着いた先が目的地の黒龍江省の最北部です.
北緯50度近くのこの地では,もう午後4時で暗くなる.日中の晴れている時でも,空にはぼんやりと白い霞がかかっているようで,日の光にもまるで力がない.
こうして書いていると,なんだか,また行ってみたくなりますね.
ある年,そんな中国の最奥の地で,日本語がペラペラの才女(しかも美しかったです!)と出会いました.出会ったといっても,彼女は警察関係の人だそうで,まあ,日本人ツアーのお目付役みたいな立場でしたけれど.
でも,あの時は,本当にキツネにつままれたような気持ちになりました.鶴岡という町です.これでハオカンと発音するのですね.日本から北京まで飛行機で行って,そこからもう一度飛行機に乗って,そこから夜行列車に乗って,ようやく着いた町で,日本語の達人の,美しい女性と出会うのですもの.
これが映画か,ドラマであれば,あるいはもっとドラマチックな筋書きが用意されていたのかもしれませんが,凡人の一日というものは,本当にあっという間に終わってしまったのであります.最後,どのように別れたかも,覚えていないものなあ.
いずれにしても,あれから20年経ってる.
きっと,あれだけの人ですから,美しく歳を取られているでしょう.
で,俺は?
う~ん.
中途半端なフレーミングですみません。
先日、取材先で泊まったペンションの夕食です。
取材先の近くにビジネスホテルがなく、旅館もなく、ペンションとなった次第。実際にはペンションというより、民宿というノリだったかな。若いお兄さんが、何から何まで一人で切り盛りしていました。
献立は、見ての通りのシンプルなものでしたけれど、宿での食事というのも良いものです。町に出て、ラーメン屋へ入るより落ち着く気がします。
心もこもっていますしね。
部屋にはLAN回線どころかテレビもなく、宿まで案内してくれた役場の人が「夜が長いですよ」な~んて言っていましたけれど、そういうことだったのね。
しかしまあ、こちらも出かける前には深夜まで原稿の書き直しをやっていたので、ちょうど良い寝だめにはなりましたけれど。
たまにはこんな宿も良いものです。
せっかくあちこち旅しているのだから、もっともっと、いろいろなスタイルの宿に泊まらないと、もったいないですよね。
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TBSでしたっけ、きょう、東京キー局の夕方のニュース枠で、いわゆる「撮り鉄」の危険な行為を放映していました。
鉄道の敷地内に入る、畑や庭など他人の土地に勝手に入る、勝手に木を切り倒す等々…。
こんなもの、違反であるに決まっています。
人に迷惑をかけてまで名作写真を撮ろうなどとは、私は思いません。
心の傷の方が大きいに決まっているのだから。
テレビも、単に叩くだけの姿勢は、もう止めて欲しいですし、鉄道の側も、認めるものと認めないものを、もっと明確化するべきかもしれません。
最近、「撮り鉄」を叩く報道をずいぶん見させられています。
何度見ても、後味が悪いのは何故なのでしょうね。