昨日の続きであります

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↑上田駅前


上田の駅前。上田と言えば、真田幸村、六文銭。伝記によれば、真田幸村は勇猛な武将でありながら、智にも長けていたとか。もちろん、そうでなければ国を治め、歴史に名を残すことなどできなかったでしょう。どこぞの二世議員、三世議員に爪の垢を煎じて飲ませなければ、といったところです。世襲の武将でも、例えば勇猛ではったという武田勝頼は、人を治めることができずに武田家を滅亡させているわけですが、二世議員はそうはならず、何かやらかしたとしても、「今度はおらたちが支える」という人たちが現れて、結局、生き延びてしまう。支持をするなら、厳しい目で監視し、時にはお灸の一つも据えるというようなこともしてしかるべきだと思うのですが、ね。

旅には関係ない話か。

多くの新幹線の駅がある町と同じように、上田も新幹線の駅ができて、駅周辺の雰囲気ががらりと変わりました。それでもまだ、独自の文化が東京というブランド名に侵されきっていないのは、この町が城下町であるからかもしれません。その象徴が、この真田幸村かな。そうすると、この銅像が向かい合っているのは、東京ということになるのかな。


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↑新幹線の駅を見つめているかのような真田幸村像


もちろん、生活は便利にしなければいけませんが、日本のどこもかしこもが、同じような町になっても面白くありません。日本ももっともっと、独自の文化を見直してみて良いでしょう。上田など、城下町ですから、真っ先にそのお手本になって良い。頑張れ真田幸村!


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昨日の続き。

それでは、実在の人物をモチーフにした駅前銅像にはどのようなものがあるのかといいますと、こんな感じ。


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↑甲府駅前

武田信玄です。大きいです。場所は甲府駅前。やはり信玄といえば、この駅でしょう。有名な、頭髪が薄く精力がにじみ出ているような信玄の肖像画は、近年の研究では、あれは別人という説が有力になっているようですが、それでも、この銅像の信玄もちょっと怖そう。

「人は城、人は石垣、人は堀。情けは味方、仇は敵なり」という、信玄が謳ったとされるポリシーは、人を大切にし、山城などには居住しなかった信玄に似合ったものですが、やはり戦国時代の英雄というものは、少しくらい怖いものが絵になるようです。

しかし、大きいということであれば、もっと上もありましてこちら。


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↑小田原駅前


北条早雲です。信玄よりもっと大きいです。場所は小田原駅の新幹線のある側。早雲といえども、信玄と比べれば知名度は落ちますが、銅像はこちらの方がビッグです。いかにもこの地の英雄という感じが良いですね。近代以降の人間は、どうしてもしがらみもあるのでしょう、銅像など立ちにくいのでしょうが、戦国時代ともなれば、その行ないはあまり目くじらを立てるようにしてまで検証されないのかもしれません。(信玄、早雲が悪さをしたと言っているわけではありませんので、念のため)

 それでも、こうして銅像が周囲の風景を見守っているのを見ると、これにもやはり文化というものが宿っているということが解る。それであれば、もっともっと銅像というものを建ててみても良いのではないかなと思います。


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↑北条早雲が見守る小田原駅


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富山の山の中の話が出たので、今度はJRの駅前の話を。

写真は富山駅前。「薬売り」の銅像がちょこんと建っています。

私は、結構、駅前に建っている銅像が好きでして、でもそれは、「希望」というようなタイトルのものよりも、人物。それも実在の人物のものが好きです(岐阜羽島のものの写真を取り損ねたのが痛恨。そのうち写真を撮りに行かなければ)。


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↑富山の「薬売り」


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↑その2


この「薬売り」はおそらく特定の誰かをモデルにしたわけではないのでしょうが、こじんまりとしているのがGOOD。実在していないということであれば、この人もそうなのかな?


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↑岡山駅前にいる桃太郎


金太郎は実在の坂田金時がモデルとも言われていますが、桃太郎はどうだったか。ともあれ岡山の郷土の英雄ではあるようです。できれば、内田百閒先生の姿も見たいけれど。


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↑桃太郎その2


こうして見ると、桃太郎も颯爽としているけれど、JRの宣伝の垂れ幕も、なかなかどうして、見応えがあります。


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先日、白川郷に行って大渋滞に遭遇したことを書きましたけれど、この日は、白川郷に行く前に、一箇所、寄り道をしました。それが下の写真の場所です。


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↑何の変哲もない山村なのですが


ご覧のとおり、何の変哲もない山村で、面白くもなんともない写真で恐縮です。でも、この場所も、私にとっては一度行ってみたかった場所だったのです。集落の名前は祖山。ある程度の年齢の人で、鉄道模型をやっている人であれば、この地名には覚えがあるのではないかと思います。「鉄道模型趣味」という月刊誌の通巻247号(当然暗記しています)に掲載されたHOゲージレイアウト「雲龍寺鉄道祖山線」は、この祖山を舞台にして作られたものだったのです。

そのレイアウトで、祖山は、山間のひっそりとした町として作られていました。建物の屋根は上薬のせいで黒光りし、小さく作られた木造家屋がずらりと並ぶ駅前通りには、人の影も見えず、看板のようなものもほとんど見あたらない。

それはとても美しい町でした。そこを走る天賞堂製9600形機関車も格好良く見えましたし、2色塗りのディーゼルカーもきれいだった。もちろん、当時小学生だった私には、そんな模型を作ることはできず、そんな機関車を買うこともできない。ただただ羨ましく、「大人になったら…」と思うことしかできませんでした。そして、地図で祖山という集落が本当にあることを知ってからは、私にとってのこの地は、見果てぬ憧れの地となっていたのです。

それでも、実際に訪れた祖山の集落は、当たり前なのかもしれませんが、模型のものとはまったく雰囲気が異なっていました。確かに、急な流れに沿って断崖の上を続く街道から、さらにその流れを渡った先にある小さな集落は、まさに隠れ里と呼ぶにふさわしいものでしたが(ただし、現在は自動車道がきちんとつけられています)、何軒もの家が並ぶ斜面は日当たりがよく、けれども駅を作るような平地などはない、雰囲気でいえば、同じ富山県の神岡や、アプト区間が作られる前の井川線沿線、あるいはわたらせ渓谷鉄道の終点、間藤あたりが近い。解らない人にはまったく解らないかもしれない地名ばかり並べてしまい、すみませんが、つまり祖山とは、そんな山村でした。木造家屋が肩を寄せ合うように並ぶ町ではなかったのですね。

それこそ30年ぶりで夢を果たしたことと、夢がある意味で砕かれてしまったこと、それでもまあ良いかななどという、色々な気持ちが混ざり合っていた時、どこからか笛の音が聞こえてきました。春のお祭りなのでしょう。子供たちが獅子舞を舞わせながら、各家を回っていました。獅子舞が訪れた家は、お菓子を出して子供たちをねぎらいます。獅子舞は、それを受け取り、また行列を作って、笛の音を山の中に響かせながら、畑の中を歩いてゆきます。

昔、NHKに「新日本紀行」というルポルタージュ番組がありましたが、何だかその番組を生で見ているような気分になりました。「まだ、こんな場所が日本にもあるのだな」というのが、その時のいちばんの感想です。去年の春、もう一度、あの獅子舞を見に、あのときと同じ日に祖山に行ってみることも計画したのですが、実現はできませんでした。


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↑祖山のバス待合所。時刻表を見ると、平日に1日4本のバスが来ます。休日はなし


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↑祖山の集落をねり歩いていた獅子舞


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東海道新幹線に乗って、先ほど帰宅しました。

浜名湖を過ぎると新横浜まではあと50分。本当に速いものです。

帰路、車窓から京都や、名古屋や、豊橋や、浜松の駅や町を見るごとに、ここで途中下車して、ラーメンでも何でもいいから外食をして、一晩ぼ~っとしていたいなあ、などとも思うのですが、あと1時間、2時間で家に帰れるのであれば、なかなかそうもいかないものですね。

乗り合わせたのは500系で、個人的にはあまり好きでない形式なのですが(窓側の席が狭いんだもん)、もうすぐ、山陽新幹線区間のみでの使用に切り替えられる模様なので、「富士」「はやぶさ」ではありませんけれど、乗り納めに良いかなとも思った次第。乗ってみると、最初の時の印象よりは快適で、何より、車端のデッキの部分でであるとか、トイレ、洗面所もゆったりと造ってあるのは、いかにも現代の車両らしく、好感が持てます。

乗車前に本を探す時間がなかったもので、週刊誌1冊だけ買って乗車したのですが、案の定、これだけでは読むものが「切れて」しまい、新横浜に着くまで、最後は退屈しました。列車の中に1カ所、本を売るコーナーがあれば、良いのですけれどね。飛行機などには機内誌といったものも置いてあるけれど、あれはどうも、いかにも宣伝半分という感じで、あまり好きになれない。

それであれば、文庫で良いので(むしろ週刊誌はいらない)、いっそ名作、古典などを置いてみてはどうでしょう?たしか、開高健は、長い船旅に出る時に、シャーロックホームズ物や、あるいは百人一首を携えたとか。百人一首は、日本の風土、地理をバックボーンとした歌も多いわけですから、無味乾燥なテイスト(←矛盾した言い方だけれど)の新幹線には、むしろぴったりという気がする。そういえば、飛行機では、機内で雑誌や新聞を貸し出しますよね。それであれば、新幹線には、車内図書館が作れないだろうか。もし、そんな設備があれば、私は、博多からだって、ガンガン新幹線に乗ると思うのですが。

百人一首を携えていれば、車内でカルタ取り大会だって…、

いや、これはやっぱりできませんね。


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朝だ。雨が降っている。あさだあめだ。

って、これはSF作家、横田順彌さんが作ったネタですが。

…。

あっ。今日のブログはそれでおしまいなのかっ。

こんな雨の日は、また朝の中央線は遅れているのだろうなあ、と、私は朝、思いました。

日本の鉄道の定時性は確かに素晴らしいと思います。アメリカの大陸横断鉄道なんか、列車が来る時間を聞いても、「30分後かもしれないし、3時間後かもしれない」と答えられたもの。答えたのは線路端に立っていた農家の人だけど。

でも、渋滞がないのは良いですな。これまであちこちで出会った渋滞。その様を思い起こすときりがなくて茫洋としてしまうのですが、近年のヒット作は、ゴールデンウィークに白川郷に行った時。集落の先に村営駐車場があるらしいのですが、長い長い長い車の行列はその出庫を待っている様子で、もう、時速数百メートル。ある秋の連休に富士のサファリパークに行った時も、渋滞に参加した時に始まったF1レースが、まだ渋滞の中にいる間に終わってしまいましたが、それを上回る凄さ。こんな時は、やっぱり、自由席のデッキに立つことになったとしても、鉄道がよろしいようです。

この2週間ほど、立て続けに鉄道の昔のことを調べて書いているのですが、昭和40年代までの国鉄は常に需要に追われていた。そういえば、お盆や正月には指定券が取れないというのはザラでしたし、駅のホームやコンコースに行列を作って、何時間も発車を待ったこともありました。あれも辛かったなあ。けれども、指定券販売システムの進化や、利用客にとっての選択肢の増加もあって、最近は、あの手の行列ともご無沙汰です。皆、飛行機や、バスや、自家用車に「逃げる」手段も知っているしね。

それでもまあ、そんな情景が懐かしく、たまにはそんな目にもあってみたいと、そんな夢想すらしてしまうのは、あの頃の鉄道が持ち合わせていた、今よりも数倍上の、活気の中に身を置いてみたいと、心の中のどこかで願っているからなのかもしれません。

(それではこれから出かけます。明日の更新は遅くなるかもしれません)


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↑とてつもない渋滞の末に出会った風景は美しいものでした


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昨日、鹿児島市電の写真をアップさせて頂いたので、きょうは、そこからさらに南に向かった話を。

1月23日にアップさせて頂いた嘉例川の駅舎を訪れた翌日、私と、同行したカメラマンKさんの2名は、鹿児島のホテルを後にして、指宿枕崎線に乗車します。この時は、青春18きっぷ」のプランを実践するための取材で、でもきっぷの発売前に本を出すわけですから、取材は普通に切符を買っての旅。「ムーンライトながら」の車内で、「八代から肥薩線を経由して鹿児島へ出て、そこからさらに西大山まで」という切符を、東京駅で購入した自動券売機の切符を車掌さんに提示して、車内補充券を発券してもらったのですが、なんと、車掌さんもすぐに経路を理解し、すんなりと車内補充券が発券されたのであります。この文を読んでいて、意味が解るでしょうか?(もうちょっと整理して、解りやすく書けよな)そんなわけで、発券にすったもんだがあることを予想していた私たちは、あっけにとられました。

で、指宿枕崎線。鹿児島中央駅を後にすると、しばらくの間、線路は住宅街の中を延び、そして海岸線に飛び出します。線路脇には、ソテツの木も並び、南国ムード。やがて行く手彼方に石油基地が見えてきます。喜入です。現代と違い、巨大タンカーが続々と造られた時代に、それらのタンカーと喜入の石油基地は、まるで時代の寵児のような扱いを受けていました。ちなみに、現代はかつてのような巨大なタンカーは造られていないそうです。それは不景気のせいではなくて、とり回ししやすい大きさの船の方が、結局は経済性が高いということが理由なのだそうです。

喜入を過ぎると、列車は平凡な田園風景の中を走り、山川で列車を乗換え、さらに南へ。その先2つめの西大山が、私たちの旅の終着駅でした。畑の中に短いホームがあるだけの平凡な駅を、列車はすぐに後にして、ホームに取り残された私たちは、静寂の中に置いてきぼりになります。ホームの端からは、美しいシルエットの山が見えます。

開聞岳。別名薩摩富士。鹿屋にあった基地を飛び立った特攻隊の隊員は、この山を富士に見立てて、日本と、そして生きることに別れを告げたといいます。単線の線路は、開門岳の方向に向かい、少し先で右にカーブして視界から消えています。この西大山は日本で最南端の駅。現在は沖縄にモノレールがありますから、厳密には最南端とはいえず、ホームに建つ標識にも「JR 日本最南端」と書かれていますが、2本の線路の上を走る鉄道の駅としては、この西大山が最南端です。

そこに「最果て」というような雰囲気が漂っていないのは、暖かい南の国だからでしょうか。この駅を訪れることは、本当に昔からの夢だったのですが、実際に現地を訪れてみると、何の変哲もない駅で、でもこういうのもまた良いなと、何となく納得しました。春のことでしたので、空では雲雀がなき、畑の中では耕耘機か何かが音を立てていました。旅のプランを編集部に提出した時は、終点の枕崎まで行くことを想定していたのですが、帰り道に大変な時間がかかることが解り、西大山が旅の終点になったのです。

だから今でも、西大山から先に行ってみたいという気持ちは残ったままです。その夢が果たされるのがいつのことか?来月なのかもしれないし、永遠にチャンスが来ないのかもしれない。まあ、それが解らないということも、それはそれで悪くない気がします。

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↑西大山駅からの眺め。気がつくと私たちの他にも観光客が一人


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2月21日

午前中は簡単な用事を済ませ、図書館へ。これが川本三郎さんなら、短い原稿を1本あげると、あとは千葉あたりに海を見に行けてしまうのだが、どうも、私はそういう具合にいかない。どうすれば、千葉に行けるか?考えておこう。

借りていた本を図書館に返却し、これでまた6冊借りる余裕ができたので、鉄道の月刊誌を2冊と、「火の見櫓の上の海」(川本三郎)、「松本清張研究」「広瀬中佐の銅像」(もりたなるお)の5冊を借りてくる。広瀬中佐の銅像といえば、確か万世橋駅の駅前に建っていたはず。本のあとがきには、「戦争犯罪が美術作品に及んだことへの終戦処理状況を記録し」とある。あくまでも小説だけれども、どのような記述があるのか、ちょっと楽しみ。

「松本清張研究」はムックシリーズ3冊目のもので、松本清張の旅に関する研究が中心。松本清張は今年生誕100年。高校時代にいちばん夢中になれた作家。「点と線」が今でもいちばんの研究対象になっているけれど、「ゼロの焦点」「砂の器」あたりも再研究の対象として面白そう。冒頭に蒲田電車区が出てくるのは「砂の器」だったかな。氏の作品の独特のネーミングは、こういう風にしておけば、予告にタイトルを出されても、ミステリーでもメロドラマでも、どちらを書いても良かったから、とこれは本人が書いていた。真似したいけれど、例えば「ブルートレインの歩み」を書いたとして、それを「青の時代」としても、受けないだろうなあ。ピカソ研究に思われるかもしれないし。

今回返却した6冊の中には「海老料理の技術」というものもありました。書かれているレシピのとおりの料理は作らなかった(もちろん作れない)けれど、ふと閃いて、海老を、棚に残っていたペペロンチーノソースで炒めてみた。

結末は?

軽便「海老チリ」が出来上がりました。


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↑図書館への道すがら。春が待ち遠しい風景です


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豊橋鉄道の路面電車に導入された新型車両が好評だという記事が、20日付けのasahi.comに出ていました。↓

http://www.asahi.com/travel/rail/news/TKY200902200117.html

記事中で採り上げられているLRT(Light Rail Transit)自体は最新の意匠ではありませんが、ともあれ、路面電車がこのような採り上げられ方をして、社会から注目されることは、本当に嬉しいことです。40年前は、路面電車は社会の嫌われものでした。自動車の邪魔ということで、線路がどんどん取り払われた。でも、もし路面電車が今も残っていたら、楽しかっただろうなと思います。

路面電車は全国で運転されていました。旭川にも、秋田にも、仙台にも、横浜にも、それこそ本当にあちこちにありました。一度なくなったものは戻って来ない。せめて、今あるものを失わないようにしないと…、とそんなことを思っていたら、鉄道趣味誌の最新号に、都電荒川線の9000形に増備車が登場するというニュースが出ていました。これも明るいニュースです。

路面電車がある町と、川が流れている町が好きです。どちらも、時に町を二つに分断してしまうこともある存在なのですが、それがありながらもきちんと機能している町は、どこかゆとりがあるように思える。路面電車ファンのH氏は、昔、名鉄の揖斐・谷汲線が存在だった時に、この路線を走る3両編成の写真を撮りたくて、岐阜に通った。3両編成が動くのは朝だけなので、撮影のためには岐阜に泊まるしか手がなく、しかも運転本数は少ない(当時は1本のみだったのかな?)ので、「効率の悪さは快感」と仰っていました。でも、そんな被写体を見つけて、のめり込めるって、素晴らしいことだと思います。

昔の鉄道写真を見ていて、いちばん面白いのは路面電車です。車両だけでなく、古い建物や、古い自動車や、人の姿との対比が面白く、色々な発見があるからです。最近は携帯にだってカメラがついているわけですから、旅に出た先の町に路面電車があったら、1枚でも写真を撮っておいてみて下さい。必ず良い思い出になります。


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↑鹿児島の路面電車。美しく整備された芝生や花壇が見事


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今、夜の0時40分ですが、もちろん眠っていない池口です。だいいち眠っていたら、この文章を書けませんものね。おほほほほほ。

今も、ファクスが受信中です。ということは、ファクスの「向こう側」にも眠っていない人がいるわけで、大変だと思います。頑張って下さい。

そんなことを書いていたらメールも2本来ました。もちろん、仕事のメールです。ということは、メールの「向こう側」にも眠っていない人が2名はいるわけで、会社の一室でハンバーガーか何か囓りながら、必死になってメールを打っているのかもしれません。大変だと思います。頑張って下さい。

私も、来週は泊まりがけの取材があるわけですから、それに向けて、真面目に仕事をしなければいけません。時間を作らなければいけませんから。そういえば(私などとはもうスケールが全然違いますが)、松本清張が多忙を極めていた頃、仕事をうっちゃって九州に出かけようとてしまったことがあった。仕事を依頼した交通公社(当時)の編集部は、松本さんの行先が九州であることはキャッチしていたので、羽田に連絡して案内放送で先生を電話口に呼び出し、「飛行機の中で原稿を書いて下さい。板付空港に、福岡支社の者が受け取りに参りますから」と伝えた。

それで、機内で原稿を書く方も書く方ですが、追いかけた編集者のセリフもふるっていて、「乗客名簿を調べるのはお手のもの」だったそうな。松本先生も、面倒な相手をパートナーにしてしまったものです。

もっとも、現代のビジネスマンは、皆、それくらいに忙しく働いているのでしょう。携帯端末の普及で、出張の帰路でさえ気が抜けなくなったという話もよく耳にします。それなら出張先で30分でも時間を作り、自分の糧にしてしまいたいものです。「仕事をさぼって」というのでは精神衛生上もよくありませんから、調査ということにする。ドイツで乗ったICEは、夕方の時刻ともなるとファーストクラスさえ満員で、多くのビジネスマンが、コーヒーを楽しみながら、ノートパソコンを広げていました。「ファーストクラスでコーヒーを飲みながら」というのが勘所。こんなビジネススタイルは格好良いですよね。

下の写真は、網走駅のホーム。北浜からの帰路、時間に少しの余裕ができたので、30分くらいの間だけ、旅情を楽しむことができたのであります。


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↑陽が傾く時刻。私たちもそろそろ東京に帰らなければなりません。


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