FC2ブログ

先日、次太夫掘公園民家園のみかんサイダーの写真を出しましたので、今度はリンゴジュース。
盛岡の「もりおか町家物語館」にあります「カフェDOMA」のケーキセット。ドリンクにつけているのは、盛岡ブランドのリンゴを使用したジュースです。たしか、この日の銘柄は「きたろう」という品種だったかと思いますが、酸味も、甘味も強い一品でした。

0529A.jpg

最近は、地方に出かけても、その地方独特の味を、このようなスイーツまで楽しめるようになったのは、本当に嬉しいことです。昔は、地のものというと、蕎麦と地酒、それに農産物、海産物というのが相場でしたが。

まさか、このジュース一杯のために、横浜から盛岡まで出かけることもできませんが、もし盛岡に行く機会があったら、また時間を工夫して寄ってみたいなと思う、そんな気持ちになれることも、確かに旅の楽しみの一つなのだと思います。

スポンサーサイト

 世田谷の次太夫掘公園民家園で撮った写真をもう1枚。

0524B.jpg

 














 民家園の中にある売店で売っている「みかんサイダー」と、お団子です。みかんサイダーは150円、お団子は「みたらし」もあって、どちらも100円、だったかな。
 私たちが子供の頃は、町の中に、大福や、お餅を売っている小さなお店がたいがい1軒はあって、こんなものを買い食いできたものです。今はもちろん、コンビニがいたる所にあって、それ以上のサービスが提供されているわけですが。
 まだ、冷房などない時代には、木陰に逃げて、こんなもので涼を得ていたのですね。クラブツーリズムのツアーでは2回、この公園に行き、2回ともみかんサイダーを買って歩きながらところどころで飲み、初夏の午後の暑さに備えました。車など使わず、歩くからこそ、このようなたわいないものでも、とても美味く感じるようになるのでしょう。

 
 ブログであれ、あるいはフェイスブック、ツイッタ―であれ、食べ物の話というのは、ネタにしやすいものです。最近のカメラは、スマホについているものであれ、食べ物をとてもきれいに、つまり美味しそうに撮ることができますから、いよいよ話題にしやすい。まあ、食べ物の話が乱発されるあまり、「お前が昼飯に何を喰おうと知ったことじゃない」と怒っていた人もいましたが。

 そこで自分を翻ってみて、もちろん美味しいものはこれまでに色々食べてきたけれど、それでは例えばラーメンで、今までいちばん美味しくなかったものは何だろう?と考えてみたら、それは取材で訪れた岩手県の某所の、某ラーメン店のものでありました。街道沿いにあるそのお店は、掘っ建て小屋然とした本当に小さなもので、おじいさんとおばあさんが2日でやっている、10人も入ったら店の中が息苦しくなるような趣さえありました。

 数種類あるメニューから選んだ「何とか麺」は、出されて時にはすでに延びていたような気がする、そんなものでした。ただ、何しろ取材現場の近くにはその1軒しかなく、後悔も何もありなどはしなかったのであります。

 それでは、あのお店が今もやっているとして、もう2度と入らないかというと、そんなことはないという気がします。確かに、美味しくはなかったけれど、つまり、お店の破天荒な雰囲気まで含めて、楽しいことは楽しかったのですから。世の中に、少しくらい美味しくても、お客さんに不愉快な思いをさせる店は数限りなくありますし、今は全国どこに行ってもチェーン店ばかり。それからするならば、その岩手県某所の堀っ建て小屋は、ちゃんと個性はあったのであります。そのお店に行った時は、まだデジタルカメラもスマホもなかったから、ラーメン1杯写真を撮ることなどもなかったわけですが、思えば残念な話です。それだけ個性的なお店であれば、ブログのネタには持って来いですものね。

 もっとも、写真や、お店の名前まで出して、「ここが最低に美味しくない」と書くわけにもいかないでしょうから、さて、どうしたものか?考えてみると、これが難しい。もっとも、実際には写真がないわけですから、実際には記事を書く必要などないわけですが、でも、こうした「IF…?」の話題まで色々と思いを巡らせてみるのも、食べ物の話題ならではの楽しみなのかもしれません。

 カップ麺に「桂花」という製品があって、一度食べてみたら、なるほど熊本に本店がある桂花の味をフォローしていたから、それならと、次は具材も一緒に買ってきた。

 まずは生キャベツ。適当な大きさに切ればよろしい。本物のターロー肉は手に入らないので、スーパーで売っている豚角煮を、カップに入れる前に一瞬、鍋て煮る。これは再加熱と、角煮の肉についている甘いタレを落とす意味。それから同じくスーパーで買ってきた半熟煮玉子を2つに切って入れればおしまい。

 食べてみたら、これ相当に「桂花」の味になっているから愉快。

 作家のエッセイを読むと、時々夜食のことが出てくる。いちばん、美味しそうだったのは、立原正秋の雑炊で、煮干しで出汁を取って、白菜を刻んで入れて塩で味をつけるというものなのだけれど、これが美味しそう。その一方で、、これは池波正太郎が夜明けになって眠る間際にフルーツを食べるというのがあったけれど、これ、あまり美味しそうじゃない。

 つまり、夜食というのは、少なくとも文章で読む分には、汁気のある、あまり上品ではないような食べ物の方が美味しそうに感じるらしい。それであれば、カップ麺などというのも、美味しそうに書ける恰好の題材なのかもしれない。もっとも最近は、あまりエッセイ集なんてものを書店で見かけないから、現代の作家が、どこかでカップ麺について書いていたとしても、なかなか出会うことが難しい。だれか、精密に、まるで小説の中の1シーンのように、夜中のカップ麺のことを綴ってくれないかなあ。

0104BB_convert_20190104223558.jpg








昨日は、東京・木場にあるフランス料理レストラン「アタゴール」に昼食を食べに出かけました。
このレストランには、その昔JR東日本が運転していた「夢空間」という名前の客車1両が置かれてあって、客席の一部として使用されています。シェフの曽村さんは、アジアとヨーロッパの「オリエント急行」でシェフとして働いた経験を持ち、これは日本人では唯一なのだそうです。曽村さんのお店に置かれた客車は、本当に良いランドマークとなっています。
写真は客席。右手に客車が置かれています。

1214IMG_0030_convert_20181214235514.jpg


数年前にムックの取材で曽村さんにお話を伺ったことがあり、それ以来、お付き合いを頂いています。とはいえ、年に2回くらいしか行っていませんから、威張れるようなものではありませんが。


この日のランチBのオードブルです。幾つかの中からチョイスできます。
1214アタゴ―オードブル_convert_20181214235700





そしてこちらが、メインの「肉料理」の方。いかにも現代風の色彩感に溢れた料理です。これでも、結構なボリュームがあります。
1214IMG_0142_convert_20181214235910.jpg




シェフの曽村さんと、支配人の市川さん。コックさんには寡黙な人が多くて、曽村さんもそうなのですが、凄く明るい方です。「明るい寡黙」なので、何でも良いからお話を伺いたくなる。そして市川さんももの静かな方なのですが、昨日はご出身の長野の話を伺いました。
1214IMG_0143_convert_20181214235955.jpg


「美味しい料理の条件とは、食べた人の記憶に残ること」と、曽村さんは仰っていました。これは本当にその通りで、大げさでなく、一生忘れることができない味というものが、確かにあります。「アタゴール」の料理も、確かに印象的です。

記念の写真を撮らせて頂き、最後には「良いお年を」と言って頂きました。後からメールで「でも、できることなら、今年のうちにまたお伺いしたいものです」とは書いて送信しましたが。
まあ、年内はともかく、来年は、いつもの倍くらいはご馳走になりに出かけたいものです。


 こちらが、本日の昼食に食しました、逆輸入ラーメン第5弾「カナダ流鶏白湯」であります。

 まあ、見事なものです。塩ラーメンでありながら、スープは味噌ラーメンを思わせるほど濃厚で、鶏と豚の2切れが入った肉は、それぞれに香りづけが異なり、食べ応えもあります。ひとつ、残念なことがあるとすれば、こういう期間限定品を気に入ってしまうと、別れた後に苦しまなければならない。だから入れ込めないということなのですが…、きょうび、そんなことを言っていたら、外食などできない、それもまあ、間違いがないところです。

1018ラーメン_convert_20181018155114






 先日、中華料理を食べて中国旅行を思い出したということを書きましたけれど、それでは3回行った中国旅行の中で、いちばん美味しかったものは何だろうと考えてみると、これはまあ、私が海外で最高級の店に行っていないということが大きな理由とはなっているのですが、瀋陽だかどこかで食べた北京ダックであったかもしれません。それでも、それが世界一なのか?と問われると、同じレベルの料理は日本国内でも食べている。今はインドに滞在している仕事の仲間が、「日本に帰ってくると、カレーが楽しみ」と言っていましたから、そんなものなのかもしれません。日本人の舌向けに、手間をかけているから、海外で食べるよりも美味しいということでしょう。

 それでは他の国で食べたものの中で、これは美味しかったというものは何だろう?色々と考えて、行き当たったものは、ドイツ・ニュルンベルグの展示会会場の中庭で売っているステーキバーガー。シンプルなものです。ステーキが、やや固いバンズに挟まっているだけ。ただ、このステーキが大きくて(まずバンズからはみ出した両側の肉を食べることから始めなければいけない)、しかも美味しい。それでは値段はというと、当時でだいたい600~700円くらいのものだったと思います。日本であの肉を食べたら、3000円?4000円?まあ、値段のことはさしたる問題ではありませんが。

 けれども、そんなものです。海老沢泰久さんの小説「美味礼賛」の中には、フランスの田舎の偶然行きついた小さなレストランで出されたエビが、主人公に同行した奥様が「何よ?これ」と言って驚いたというシーンが描かれていますが、私は、それほどの味には出会えていないのです。これは先にも書いたように、一流の店に行っていないからですが。ともかく、ディナーまで含めて考えてみたところで、中庭のステーキにかなわない。

 それではシンプルに朝食はどうだろう?と考えてみると、ボリュームが凄かったのは、何と言ってもアメリカ。ラスベガスで泊まったホテルの朝食は、1ドル50セントのバイキングでしたが、そこはアメリカです。朝食会場は体育館のような広さで、そこにあらゆる料理が並んでいたのでした。それだけ価格が低いのは、「みなさん、博打をやってね」という計算があるからですが、まあ、あれにかなうものには出会っていない。20年前のあの旅行の時に、今のデジタルカメラがあれば、写真、撮りまくりだったのでしょうけれど。

 さらに一歩進んで、量は問わない、美味しかったものは?と考え続けてゆくと、かなり考えた結果、東伊豆の片瀬白田で泊まった小さな旅館を思い出しました。大がかりなものが出るわけじゃないんです。朝になって、旅館の人が、近所の漁師さんから鯵を分けてもらい、それを焼いたものが出たのです。

 これが美味しかった、とっても。
 そんな次第で、世界で一番美味しかったものは何かというと、それはロサンゼルスでもなく、パリでもない。伊豆にあった鯵であったと。何だか、「ネズミの嫁入り」のような話で、落ち着いてしまったのでした。


自宅でかき氷を作れる機械を買いました。昔の家庭用かき氷機は、氷がずいぶんとザラザラしたもので、とてもプロのものとは比較することができなかったのですが、今の機械は、これアマゾンで買った3000円台のものでしたけれど、結構サラサラのものが作れます。

で、今日が2回め。今宵の槍ケ岳とでも形容したくなる、思えばずいぶんとリーズナブルなデザートが出来上がります。

子供の頃、母の郷里である佐賀に連れられていき、九州で食べたかき氷は美味しかった。東京のかき氷は、何故かお皿の上にシロップを入れてから、その上に氷を落としてゆくけれど、九州のものは、上からと下と両方にシロップがあって、だから子供でも、そちらの方が美味しいと思っていた。母の実家の近くにも、あるいは皆で出かけていった海辺にも、決まってかき氷だの大福だのを出す小さなお店があって、そんなお店に寄ることも、今思えば、夏休みの中の大事な行事だった。
 
 世の中が、ファミレスとファーストフードとコンビニの食べ物ばかりになると、そんな楽しみもなくなってしまうかもしれない、って書いてはみたけれど、何より、自分の家でかき氷を作って食べているわけですから、やっぱり、考えてしまいます。色々と。

08201かき氷

 どこにも出せない、でもブログとフェイスブックには書いてしまうお話。
 場所は昨日のあらかわ遊園。お休み処でのこのかき氷、お店のおばちゃんが「最後の方の氷だったので、ザラメになってしまいました。お召しあがりになって駄目だったら仰って下さい。作りなおします」と言って出してくれたものです。
 2階のデッキに持ってあがり食してみますと、うん、たしかにザラメです。春のスキー場を思い出しました。帰り際に「どうでしたか?」と訊かれましたので「口に入れて3つ数えれば一緒です」と応え、お互いにニッコリ。さすがにあらかわ遊園。ディズニーランドでは、こんな会話は楽しめませんって。しかも、あらかわ遊園の入場料200円なのであります、と、そういうお話てありました。

a52_convert_20170914213623.jpg




 九州旅行の話からは少し離れますが、今まで色々な旅に出た中で、まあ、それを国内のものに絞るとして、旅の途上で食べた美味しかったもの、印象深かったものは何だろう?と考えてみました。

すぐには思いつかないものですが、1位は恐らく、昭和48年の九州旅行を一緒に回った友人と、その6年後に訪ねた北海道、根室の花咲港で出会った浜茹でのカニだろうと思います。1位といいながら、だろうと付くのもおかしいのですが、また、後から何かを思い出すかもしれない。
そのときは、根室のビジネスホテルを出て車で当てもなく走り、と言うよりも道を間違えて、でもそのまま走り続けたら花咲港に突き当たった。そこでカニをドラム缶で茹でていたのです。友人は花咲カニを、私は毛ガニを、どちらも1000円で買いました。私は毛ガニの美味しさは知っていましたから、シメシメと思っていたのですが、友人が買った花咲カニを一口分けてもらうと、これが味が濃くて美味しい。花咲カニを口にした後に毛ガニを食べても、淡泊で、どうもいけない、わけです。2人ともカニだけで満幅になりました。メシ抜きのカニメシです。

その後、社会人になって2年目の夏休みに北海道に行き、夜行列車で根室に着いてから、すぐに浜茹でのカニを探しました。港までは行けなかったけれど、駅の近くでカニを購入でき、海まで歩いてテトラポッドの上でカニを食べたのを覚えています。のんびりし過ぎて、根室発釧路行きの列車に乗り遅れてしまい、1列車遅れ。これでこの1日が終わってしまいましたが、それでもまだその頃は、根室で美味しいカニが食べられたのですね。

3度めに根室を訪れたのは、いつだったか?恐らくフリーになった後の、つまり90年代に入った直後の取材旅行でですが、この頃みはもう、駅前にはカニ屋さんはなし。それでもまだ、水産のお店の構えだけは何軒か残っていました。そして4度目の根室行では、その店構えも、ほとんどなくなっていたように思います。

要は、輸送技術が進歩して、鮮度イコール美味しさであるはずのカニでさえ、都会に出荷できるようになったから、何も安い値段で地元で捌く必要なんかないわけです。でもこれ、旅の楽しさがなくなってしまいますよね。そこが現代の旅の、なんともフラストレーションが高まるところです。

北海道のカニについては、大楽毛にある通販のお店に、まあまあ美味しい花咲カニを届けてくれるお店を見つけたので(ここに辿り着くにも、何回かの失敗がありました)、時々、そこにカニを頼んでいます。1匹で、送料も入れると5000円くらいにはなりますから、簡単には頼めませんが、味はまあまあ。
それでも、もちろん、学生時代に偶然辿り着いた浜茹でのカニの美味しさには到底かないません。なにしろ、あの時は、毛ガニ6匹1000円でしたし、いや、値段だけではありません。カニの味も、それから偶然辿り着いた道東の小さな漁港も、何もかもがドキドキするほど、刺激的で、新鮮だったのですから。

横浜の産業貿易センター(山下公園通りの端。北欧料理「スカンディア」のはす向かい)の地下にあるとんかつ店「どん八」。今回はカツカレーのMに挑戦してみました。
 注文のときに、ウェイトレスさんが「お皿の直径が37センチありますけれど、いいですか?」と聞いてきて、でも、試しです。行ってみました。結果、カツの一番小さいひと切れと、ご飯をお茶碗に半分ほどでしょうか。残しました。たしかに、60歳の爺さんの食べ物ではありません。これでMですから、まだこの上にLがあるわけですが、私は年長の者として、若者にも「Lは辞めなさい」と忠告したい。
 大食い選手権で、終盤になってお皿を目の前にしながら、もうスプーンを口に運ぶ気力がなくなっている挑戦者の気持ちがよく解りました。「いいから、頑張れ」などと言う気持ちには、もうなれません。私がそんなことを言われたなら「うる」と言い返します。「うるせー、このあほんだらー」などとは、言い返すのも面倒だからです。
 当然、きょうは夕食抜きでOKです。

どん八_convert_20170605210808

本日(2月1日)の昼食は新横浜まで出かけたついでに、ラーメン博物館に行ってみました。5か月ぶりに来たら、入館料が100円になっていました。というのは、値下げではなくて、私が60歳になり、シニア料金が適用されるようになったからで、まあ、嬉しくもありますが、淋しくもあります。とはいえ、入館料の割引は大きく、これから出かける回数が増えるかもしれません(笑)。
「すみれ」で醤油ラーメン。

ラー博0102

この施設が楽しいのは、古い町並みが再現されていることで、開館以来人気が衰えていないことの理由は、やはりこの演出の見事さに拠るところが大きいのでしょうね。

ラ―博0202

この情景が昭和33年の町の姿を再現したものであるということも、よく知られているところです。当時、私は2歳。私の記憶にもこのような風景が刻まれていますから、実際にはあちらこちらに、昭和30年代の後半までは、このような風景が残っていたということになります。

この「ラーメンの町」の地下1階部分には駅の姿の一部が再現されていることをご存知の方も多いと思います。出札口があって、運賃表も掲げれています。

ラー博0302

運賃表の脇には、ここが国鉄の路線であると書かれており、初乗り運賃は10円と出ていますから、これも設定と合致。国鉄の初乗りが10円だったのは、昭和26年から41年の間のことでした。これだけ、駅が密集しているのだから、つまり、この町があるのは、大都市の近郊なのだろうなと思っていたら、町の背景に建設中の東京タワーが見えるとも紹介されていました。つまり、ラーメンの町があるのは、東京タワーが見えるあたりということになります。今日は東京タワーの遠景には気が付かなかったので、次回に確かめてみます。なにしろ入館料100円ですし。ちなみに、東京タワーが完成したのは、昭和33年12月のことです。

食事を終えて、近くの橋の上から横浜線を撮影。さすがに、この季節になると、遠く霞んでしまって見えませんが。

ラー博0402

くっきりと空が澄みわたっていれば、富士山が見える場所です。
ラー博0502

tamago.jpg

仕事の先輩から、「一緒に仕事ができた御礼に」と、卵が贈られてきた。
なんでも、「栃木をクルマで走っているうちに道に迷い、偶然見つけた農場で試しに買ってみたら、凄く美味しかったんだ」とのこと。
「すぐにオムレツを作ってみます」と御礼を言ったら、
「何言ってんだよ。ご飯に生でかけて食べなよ」とのこと。
「そりゃ、そうだ」と返事をする。

昔の小説家のエッセイを読むと、卵が贈答の品として高いポジションにあることが書かれている。エッセイのオチは、「最近はこんなこともなくなった」ということになるのだけれど、こうして卵を送られてみると、今の卵は昔ほどの高級品ではないにしても、結構、受け取って気分の良い品であることが実感できる。まあ、昔の文士気分とまでは行かないけれど。

昔のような高級品ではないかもしれないけれど、何かあったら、私も卵を贈ってみたいものだと思う。




さて、フライポテトに思いを馳せた翌日、つまり今日、と言うか先ほど。
ちゃんと、自分でフライポテトを作ることにした。

冷凍食品のフライポテトを揚げたところで、いつものあの味しか出来ないのだからと、ジャガイモの皮をむき、
薄めに切って、素揚げにして、揚げたてに塩をふる。

美味しくない。

熱くても、ホクホク感がなく、油の匂いばかりが勝ってしまう。
このあたり、主婦の人などさんざん経験しているのだろうなあ、と思いつつ、次は電子レンジでチンしてから揚げる。

似たようなもの。

しからばと、池波正太郎が書いていたポテトフライを真似る。
これはつまり、パン粉の衣をつけるオーソドックスなスタイルで、揚げたてにソースをかけるというスタイル。

先ほどよりは、食べられる。
ただ、これも揚げすぎると、途端に駄目。

やはり、このような単純なものでも、いや、単純なものだからこそ、経験が必要なのだと痛感する。
それに,ご存知のように、揚げ物は片付けが大変で、これだけの手間をかけるなら、もっと別の料理法が良いに違いないと、アタマの中に青い鳥が飛び回って仕方がない。

ハンバーガー屋のフライポテトは、60点だが…。

そこまでの道も、決して近いというわけではないらしい。

この数日間に2度ほど、港区の広尾に出向く機会があり、その時にフライポテトの専門店というものを見つけました。
アンド・ザ・フリットというお店です。下の写真はメニュー2点。

ANDTHE

hiroo02.jpg

ジャガイモのカットのスタイル、付け合わせ、ソースなどをチョイスできます。上はソーセージ添え、下はフライドフィッシュ添え。たわいないような料理ですが、揚げたてのフライは本当に美味しく、たったこれだけのものでも、しばしの間、幸せに浸ることができます。

お店の中にはイスが3つあるだけの、とても小さな店で、だからでもあるのでしょうけれど、私が行った2回とも、結構な行列ができていました。

これで800円というのは、高いか、安いか?
ソーセージも、フライドフィッシュも、パリッとして美味しく、だから少しも高いとは思えないのですが、これだけ美味しいのだからと、家で揚げるつもりで、先日はジャガイモを買い込んで帰りました。
でも、自分で揚げるとなると何となく面倒で、まだ自家製フライポテトで満腹になる機会はありません。

そんな億劫な気持ちになった時は、「こういう料理は、ふらりと気が向いた時に、つまみ喰いで食べるから美味しいのだ」などと言い訳を思い浮かべているわけですが、本当のところはどうなのか。

自分でも、その考えが正しいようであり、間違っているようであり。
あれだけの行列ができるのだから、誰もが「ふらりと」というよりも強い意志を持って、順番を待っているのでしょうけれど。

時々,立ち食い蕎麦で,コロッケ蕎麦を注文することがある。天ぷら蕎麦とは少し異なるボリューム感が気に入っている。

けれども,いつぞやのこと。たぶんネット上であると思うのだが,「コロッケ蕎麦のようなものを注文する人間の気が知れない」というような記事を読んだことがあった。これには気持ちが揺らいだ。自分の味覚がよっぽどおかしいのかもしれないと思った。

ところが先日,吉村昭のエッセイだったと思うが,コロッケ蕎麦を賞賛する一編があった。
ほっとした。吉村昭は,食通を自認してはおらず「食べ物に糸目をつける」と書いているし,「食通は美味しいものを食べる時は真剣な表情になるが,私は笑い出す」とも書いている。それでも,取材で全国を回って鍛えられたらしい味覚は一流のものと思え,そのような人がコロッケ蕎麦を賞賛しているのだから,私だって賞賛して良いのである。

コロッケ蕎麦は,美味しいと思うのだ。

これもいつぞやのこと。コロッケ蕎麦を注文したら,なんとトンカツ蕎麦が出てきたことがあった。あれは高速道路のサービスエリアだったと思う。つまり,調理の係がコロッケとカツを間違えて蕎麦に入れたのだった。作り置きが当たり前の食堂ならではの椿事といったところで,金額的には得をしたことになるのだが,でも,トンカツ蕎麦は食べ辛くで,美味しくなかった。ボリュームがあれば良いというものでは,ないようである。

コロッケ蕎麦は,注文する人の気が知れない食べ物なのか,美味しいものなのか。

自分は,どんなものであれ,食べる人を安心させる文章を書きたいと思う…,というのが結論。
食べ物は天の恵みなのだし。

 この2、3日は文章を書く仕事が立て込みました。とはいえ、ブログにしても楽しみでもあり仕事でもあるわけで、ブログをコンスタントに更新できるかということ、これはセンスの問題となるのでしょうね。

 昨日まとめたインタビュー記事は、寝台列車の思い出について伺ったもので、その中では食堂車の朝食の話がでました。「あさかぜ」などの九州特急で東京に帰る道の、富士山を見ながら食べる朝食の思い出のことなどです。

 こういう時、朝食というものは、とても大きな説得力があるようですね。亡くなった星晃さんの記事には、オシ16の車内での朝のコーヒーの話がありましたし、これはジャンルが違いますけれど、スタインベックの短編には「朝めし」(原題はもちろんbreakfast)という名作がありました。朝食をテーマにした文学は、集めてみると本当に面白そうです。

 かく言う私も、今朝は4時半に起き、残りの原稿を書いて、その途中で、先ほど朝食を食べたところです。特別なものではありません。ご飯と、納豆、目玉焼き、海苔です。でも、ご飯が熱々だと美味しいんだ、これでも。

 土屋賢二さんのエッセイに、毎日をトルティーヤというトウモロコシの粉を練って伸ばし、これを焼いたものだけで毎日の食事を済ませる老人が出て来る一編があり、「私たちはこれで済ませることができるだろうか?」という問いかけがあるのですが、ご飯に納豆、海苔までつけてくれるなら、こちらもかなり行けるような気がします。

 昨日のインタビュー、星さんの思い出話。どちらもゴールへ向かう寝台列車の中での朝食が、素晴らしい朝を演出しているようでした。私も、朝食を済ませましたので、残りの原稿をゴールへ向けて、さあラストスパートです。

 催促は、もうちょっとの間、待っていて下さいね。

土曜日の夜を友人と過ごし、食事などをした他は、この1週間をほとんどPCの前で過ごしています。締切が重なったということが、その理由なのですが、こうなるとほとんど外出もできず、PCの前でコンビニ弁当を食べ続けるような毎日です。食事はもう戦闘食という趣ですね。

では、その戦闘食が味気ないものかと言うと、必ずしもそうでなく、引っ越しの作業中に食べる弁当や、おにぎりが妙に美味しいのと同じで、そこにはなんとはなしの、希望が潜んでいるようにも感じます。

最近読んだ小説の中でも美味しそうだった食事は、池上司さんの「ミッドウェイの刺客」の中に出て来る戦闘食。これはアメリカの空母「ヨークタウン」の撃沈に向かう日本海軍潜水艦の戦闘食なのですが、それはどういう献立なのかというと、種を抜いた梅干しを入れたおにぎり2個と沢庵というものです。けれども、これが美味しそうなのですね。味の描写などほとんどない。アルマイトのお盆に並べて運ばれてきたおにぎりを、一人あたり2個、皆が夢中になって頬張る。かすかに暖かみの残るおにぎり(作中では握り飯と呼んでいたと思います)は美味しかった、というような描写だけなのですが、極限状態の中に登場する食べ物が、ストーリーに不思議な間合いを与えているのです。

一方、あらゆる豪華な食事が出て来る小説は色々とあるものですが、最近私が読んだものの中で印象的だったものは、海老沢泰久の「美味礼賛」でしょうか。辻料理学校の創設者、辻静雄を主人公とするこの話には、主人公、あるいは主人公夫妻が、ただ料理を食べるためにヨーロッパを旅行するシーンが幾度も登場します。

そのストーリーの中で、もっとも「美味しそう」に感じた台詞は、主人公の奥様が、とある小さなレストランで海老を食べた時の「何よ。これ?」というものでした。

本当に、この海老は、どのような味なのでしょう?それを読んで以来、一度、そのような料理を食べてみたいと思っているのですが、何しろ、どんな味なのかよく解らない。「何よ。これ?」と言っているだけですから。

そんなことを思い出しながら、けれども、私はまだPCの前から離れることができません。ちょっと気分が煮詰まったので、先ほどコンビニでおでんを買ってきて食べました。夜中の残りものの風情ではありましたけれど、卵も、昆布も、思いの他おいしく、私は心の中で「何よ。これ?」と呟いたのであります。

さあ、あと少し頑張ろう。



にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ


先日、次に津軽に行くときは魔法瓶を持って行きたい、と書きましたところ、「内田百閒も魔法瓶を携えていました。中身は熱燗でしたけれど」というコメントを、メールにて頂きました。
ありがとうございます。

私の旅日記には、酒がほとんど登場せず、つまり下戸であることがすぐに解るわけですが、下戸であることが、良かったと思われること、残念に思えること、まあ半々といったところです。

魔法瓶に熱燗というのは、本当にアイディアでしょうし、それにしても先生、とにかく飲み続けていたかったんだなあ、とも思います。作家の立原正秋は一升瓶を抱いて風呂に入ったといいますから、ぬる燗派だったのかもしれませんし、開高健はダルマのボトルを冷蔵庫に入れて、冷たいストレートを飲んだ。こんなエピソードが、何となく艶っぽいのが、お酒の話の良いところです。そういえば、津軽鉄道のストーブ列車の車内も、スルメと日本酒の取り合わせが、良い絵になっていました。

ああいう時、コーヒーでは絵にならないんですよね。不思議なことに。

ここで話に何かオチをつけなければいけないのですが、今回はナシです。
それでも、そのうちに、こんなおしゃべりに後日談が生まれることがあるかもしれません。
線路は、まだ先に続いています。



にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ
夕方、インターネットで山下達郎さんの記事を読んでいるうちに、良い音でタツローの曲を聴きたくなり、夕食に、横浜駅東口のカレーショップ「アナンダ」に出かけました。このお店はこれで4回め。これまで3度は、必ずタツローの曲がBGMにかかっていたので、それに期待しての出発です。

お店に入った時に、かかっていたのは「さよなら夏の日」でした。これも流行ったよなあ、などと思いながら、iPhoneで、小物がいろいろと並べられたカウンターと、窓越に見える街の灯を撮影。「ケータイ」でも雰囲気のある写真が撮れることに改めて驚き、「自分の写真学校の勉強は何だったんだろうなあ。受話器で写真を撮っているのだものなあ」と、ちょっと戸惑いも。

ananda02.jpg


にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ