東神奈川駅のホームにある立ち食い蕎麦「日栄軒」のコロッケ蕎麦。

にちえい

辛めの出汁のシンプルな蕎麦なのですが、不思議とまた食べたくなる味です。結構、固定ファンがいるらしい。日栄軒は、その昔は駅弁も手掛けていたという話を、食品関係の仕事をしている人から訊いたことがあります。ただ、その人の情報がどこから出てきたのかは訊くことができず、私自身もネットでの情報を見つけることはできないでいます。東神奈川駅が開業したのは古く1908(明治41)年9月のことで、現在の横浜線を建設した私鉄・横浜鉄道が国有鉄道の東海道本線と接続することを目的に建設した駅なのだそうです。当初は、ここから海の方角に向かって延びる貨物支線もあり、この支線を跨ぐために、京浜急行の仲木戸駅は高架化されたのだとか。そういえば、仲木戸駅のホームは、今は道路を跨いでいますが、ずいぶんと大がかりに見える造りで、なるほど他社の線路を跨ぐのであれば、高架化は必須だったということになります。

日栄軒がどのような駅弁を作っていたのかも謎で、古い時代のことですから、オーソドックスな幕の内弁当なのでしょうが、復刻版が登場したら楽しいのですが。最近になって東神奈川駅には、橋上にある駅舎の中に大船軒の売店ができて、駅弁を販売するようになりました。まさか京浜東北線の車内で駅弁を食べる人はいないでしょうが、会社での昼ご飯や、残業食、あるいは帰宅後の食事の支度を省くための存在なのでしょう。そういえば、お隣の横浜駅の駅弁も、相当な数が、そのような目的で売れていると聞いたことがあります。私自身の場合でいえば。横浜スタジアムでの試合観戦にシウマイ弁当を買うことが多いかな。今年は趣向を変えて、東神奈川駅で調達した鰺の寿司を持ってゆくのも楽しいかもしれません。

ちょっと変わったところでは、不定期的ではありますけれど、この大船軒の売店に「得々いなり」というものが登場することがあります。油揚げの袋が破れてしまったなど、いわゆる「訳あり」のいなり寿司ばかりが詰められているのですが、写真のもので300円ですから、確かに安く、一人ではとても一度に食べきれないボリュームがあります。ちゃんと改札の中で売られているので、これも立派な駅弁。もしかしたら、今、日本でいちばん安いものかもしれません。

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駅がどこも機能的で、洗練された姿に変わってゆく中で、小さな駅に、こんな食べ物が残っているのも、ちょっと楽しい話だと思います。


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転轍手詰所の写真をアップした秩父鉄道の影森駅について、線路配置はどのようになっているのだろう?と思っていたところ、「配線略図net」という、楽しい情報がありました。秩父鉄道や、岳南鉄道など、近年まで貨物輸送を頻繁に行っていた、あるいは今も行っている鉄道は、駅の規模が大きく、現地を訪れただけで、ワクワクしてしまいます。

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↑影森駅


フェイスブック上で、友人から、原宿駅の改築が発表されたことの是非を問われました。世界に自慢できるであろう駅舎であるのに、それを壊して良いのか?という問いかけです。
 私の仲間でも、このことはすでに話題となっています。自分たちの「飲み屋の話」では、どうなるものでもないのですが、明るいおしゃべりとはなりませんでした。皆が、今の鉄道の世界であれば、ハッピーエンドが望み薄であることを、知っているからかもしれません。
 フェイスブックでのコメントにはこう書きました。コピペですが
「もう建て替え後のパースが発表されていますよね。まあ、これはごく仮のもの、であるのかもしれません。けれどもパースというものは、例えば新幹線の場合など、時間をかけて決定されます。幾つかの案を用意し、地元との協議を重ねた上で、ようやく選択されるというものです。
 パースが発表されたということは、すでに建て替えについて、内部では検討が進められていたというのが実情かもしれません。実は建物の老朽化が進み、それ以上に電話回線が不足し、使い勝手が悪くなっていた。今であればオリンピックを錦の御旗として、建て替えを発表しても大きな反対にはならないだろうという読みです。
 旧駅舎は、保存されるかもしれないし、されないかもしれない。これは私の推測ですが、「誰かが手を挙げれば」保存されるでしょうし、誰も手を挙げなければ消え去る。鉄道会社自身では、何もしない可能性が高いと思います。
 でも、大変に失礼な言い方をすれば、馬鹿だと思います。自分たちが、これだけの文化的な遺産を継承してきているのに、そのことをPRして地域に貢献することをまったくしようとしないこいとが。そういう発言ができるリーダーがいないことが、です。できの悪い役所みたい。
 鉄道会社というのは、「自分で世界をひっくり返してやろう」と考える人ではなく、「与えられた仕事をこなし、着実に出世しよう」と考える人が就職する、つまり集まる組織なのかもしれません。例外も皆無ではないでしょうが。
 また、口の悪い言い方になりますが、そういう「与えられた仕事をこなす人たち」には、先例などにとらわれず、自らの手で新しいビジネスのスタイルを構築したり、文化事業を推進することなどを望む方がナンセンスということになるのかもしれません。
 原宿駅の結末には、鉄道会社の姿、社会に対する姿勢が反映されることでしょう。私は全面的な改築を望みません。内側は最新の機器で固めても、外観はシンボルとして残す。例えば東京駅のような姿になることを望みます」

 以上のコメントも推測をもとに書いていますので、「大外れ」の部分があるのかもしれませんが、どうであれ、私は何もかもを壊してしまい、旧駅舎をこの世から消し去ってしまうことには反対です。
 以前、美術の仕事をしている人と話をしたときに
「歴史的価値があるものを、すべて残そうとすると、やがて地球上がゴミで埋まってしまうのでは?」と聞いたのに対し
「何もかもを現物で残す必要はないでしょう。データにして残すというのも解決策です。どのような形を継承するのかを考えることも、人間の大切な仕事になるはずです」
という答えを頂きました。まず「自分ならどうするか?」から考え始めることも、大切であるように思います。


追記:フェイスブックの私のコメントに対して、友人から以下のブログをご紹介いただきました。
「JRとしても早急な取り壊しはしない方針」などの状況が報告されており、改築に際しての改良案なども記されています。
勉強させていただけること大です。
http://ameblo.jp/mori-arch-econo/

東神奈川駅。最近、にわかに大船軒の売店ができたのだ。いいぞ、これで東神奈川から電車に乗る時も、駅弁が買えるのだ。名物は「鰺の押し寿司」である。東神奈川は海が近いから、鰺の駅弁は良い感じ、だと思う。
 いつ、オープンしたのか解らないので、グーグルでも、ニフティ経由の新聞記事横断検索でも調べてみたけれど、調べがつかない。ニュースバリューが無いのだろうか?
 いつオープンしたのか?何故、いま、通勤利用の駅に進出したのか?そんなことを訊いて、記事にしてくれれば、少なくとも、「撮り鉄の無法ぶり」の報道より、読みたくなる、読んで良かったなと思える記事になる、と思うのだがどうか。
大船軒

前々回に備後落合駅のことを書きましたので、写真を探してみました。当時は、まだカメラを操作するだけで精一杯で、とても「見ることのできる」写真を撮ることなどできなかったのですが、考えてみれば、この頃が、いちばん写真を撮ることに楽しさを感じていた時期だったのかもしれません。

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駅構内で入れ換え運転をするC56形です。この写真を入れていたアルバムには、その時の切符も挟んであって、昭和46年4月1日と刻まれていました。私が中学校の3年生になる春のことです。そうか。高校の時に行ったと勘違いしていたのですが、高校の時に行ったのは九州で、備後落合に行ったのは、まだ中学生の時だったのですね。

この写真1枚だけ見ても、実に、色々なことに、「惜しさ」を感じる。というのも、機関車だけでなく、一緒に写っている貨車の写真を撮っておけば、どれほど良い思い出になったのだろうということです。もっと言えば、駅にあった売店であるとか、そこで売っていたおでんの写真もあれば、さらに素晴らしい記録になっただろうということです。

もちろん、それは無理な話で、当時の、高いフィルムでそのような写真を撮ることなど思いもよらなかったし、今でさえ、それでは例えばコンビニのお店の写真を記念に撮るか?と言われれば、撮らないはず。そういう意味でも、写真とは撮るのが難しいものだと思います。

一方、下の写真は仕事で訪れた備後落合の写真。日付は2011年7月19日午前8持50分です。これはカメラが記録してます。

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昔の写真とは少しアングルが違いますが、蒸気機関車がいた場所の100mほど先の地点です。昔、ここにターンテーブル(転車台)があって、機関車の方向転換に使われていました。今は、ごらんの通り、雑草に埋まっています。実は、この取材の帰りに乗ったワンマン列車の運転士さんに「あそこに、ターンテーブルがあったんです」と説明したのですが、「ああ。そうですか」との返事。もう昔の話ですからね。

駅の無人化、周辺の過疎化などによってすっかり人影がなくなってしまった今の備後落合駅には、おでんのある売店も、無くなっていました。

私はといえば、プリントで残っている写真だけでなく、なんとか昔のネガも見つけ出して、写真を1枚1枚、すべてじっくり見てみたいなと感じているところです。中学生、高校生の撮った下手な写真であれ、きっとそこにはたくさんの発見があることでしょう。

それはきっと、とても懐かしく、そして、少し淋しい気持ちになる仕事になるのだと思います。


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北海道の北の端、稚内港の桟橋の脇に残っている構築物です。
戦前から戦中にかけて、ここから樺太への連絡船が出ており、このドームは、現在の稚内駅からここまで延ばされていた、連絡船利用客のための線路と、利用客を、波しぶきから守るために作られました。

設計を担当したのは、当時まだ26歳だった技師。今日と違い、専門的な知識を習得している者が非常に少ない時代だったとはいえ、彼にとっては身震いのするような仕事の依頼であったに違いありません。ドームは5年の歳月をかけ、昭和11年に完成しました。

稚内と、樺太の大泊を結ぶ稚泊航路は所要8時間。「外海」へ出るこの海路は、青函連絡船などとはまったく違う、厳しい道のりであったといいます。1年のうち半年は冬という場所で、亜庭湾が結氷して、乗客が氷の上を歩いて上陸したということもあったそうです。

「そんな場所だけれど、夏は素晴らしいところだった」と、話を伺った当時の乗組員さんは、印象を語ってくれました。

そうなのでしょうね。見てみたかったものです。実は、紹介を頂いてこの方に電話をかけ、最初の挨拶で「函館に出かける用事があります。ご自宅まではそこから3時間くらいかと思います。是非、お伺いさせて頂き、お話をお聞かせ下さい」と、お願いをしたのですが、「いいよ。いいよ。電話ですませようよ」と、笑いながら固辞されました。今は、何とかお会いできなかったかなと、少し悔いているところです。

戦争が激化して、連絡船の運航も取りやめとなり、5年をかけて築いたドームは、7年の間使用しただけで、不要のものとなりました。ただ、その遺構が整備されて、モニュメントとして残されたことは、素晴らしいことです。

北海道の北の果てで未知の仕事に挑んだ技師。厳しい環境で働いた乗組員。厳しい冬と、素晴らしい夏。
私たちが訪ねなければならない人々の思いは、まだ無限に残っています。


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幸福駅の話が出たので、愛国駅の写真も紹介します。ただし、こちらも2009年の撮影ですので、現状とは違う箇所があるかもしれません。

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↑駅舎

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↑ホーム

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↑貨車の廃車体を使用していた売店の跡。駅前に建っていました。

幸福駅ブームの時は、この愛国駅から幸福行きの切符が、全国規模で、爆発的に売れたわけです。「愛の国から幸福へ」という洒落だったわけですが、愛国とは、この一帯に愛国青年団が移住してきたことから、幸福は、この一帯の旧地名であった幸震に福井からの移住者があったことから、つけられた名前といいますから、別に何かを期待してのネーミングではなかったのですね。だからこそ、ブームになったと言えるのかもしれませんが。

こうしてみると、線路が廃止されてから(1987年のことです)ずいぶんと時間が経っているのに、駅の施設がきれいな状態で維持されていることが解ります。駅舎は、一度建て替えられたようですが、それでも、それが地元の人にとって、邪魔なものであったとすれば、たちまちのうちに朽ち果てていたかもしれません。まだ、鉄道が愛され続けているんだろうな、と、そんな気持ちにさせられます。

なぜ、鉄道はここまで、人の心の中に居続けるのでしょうね?
理由は人それぞれなのでしょうが、私は、鉄道が愚直に人々を守り続けたからではないかな、と感じています。雨の日も、風の日も、必ず決まった時間にやってきた列車の、真面目さと優しさを、今も皆が忘れられないのではないかな、と思います、鉄道は、その素晴らしさを見失わないで欲しいと思います。

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↑こちらは愛国駅と、幸福駅の間にある大正駅。
やはり、ちょっとした憩いの場になっているようです。



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「僕のところには、『幸福駅のおじさん』と書いただけで、手紙が届くんだ」
駅前に建つ、土産物屋さんのご主人は、少し自慢そうに、自分のことを語ってくれました。

駅、といっても、もう、この駅に列車が来ることはありません。ずいぶん昔に鉄道は廃止され、今は昔から使われていた駅舎と、それから少しばかりの線路と、使われなくなった車両が数両残されているだけ。残されているといっても、それは保存というより、うっちゃってあると、形容した方が実情に似合っているのかもしれません。

この駅とは,幸福駅。北海道、旧・国鉄広尾線の駅で、「幸福行きの切符」が大ブームになったときの、舞台となった駅です。

私がこの駅を初めて訪れたのは、この写真を撮った時よりも15年くらい前のことでした。90年代の初め頃だったと思います。その時は、クルマで、函館から取材先の根室に向けて走っている途中で、本当に偶然に、この幸福駅の脇を通りかかったのでした。今と違ってカーナビなどない時代のことです。きっと、少しばかり道を間違えていたのでしょう。

秋の終わり頃の、午後の遅い時間のことでした。北の国の日没は早く、そろそろあたりが薄暗くなる中で、幸福駅の駅舎と、駅前の土産物店は、誰もいない中で、ぼんやりと灯をともしていたのです。それだけのことです。

私が、月刊誌の取材で、もう一度幸福駅を訪れたのは4年ほど前のことで、この時は、駅舎こそ昔の姿のままでしたが、駅の周辺は公園のように美しく整備され、駐車場には観光バスが何台も止まっていました。ここはもう、一種の観光名所になっていたのですね。駅前の土産物店は2軒になっていました。以前からあったお店も、ぽつぽつとお客さんが来ているようです。観光バスが姿を消して、観光客の相手も一段落したところで、私は昔からあったお店を訪ねてみました。その時の、ご主人の台詞が冒頭のものです。

ただ私は、昔にもここに来たことを話す気持ちにはなれませんでした。「僕はこんなキャラだから」などと話すご主人さんは、そんな言葉使いとは正反対に、本当は口下手で、本質的には人間嫌いであるような人ではないかと、私には思えたのです。そのような人が、昔のことを面白おかしく話してくれるとは思えません。

それでも、もしかしたら…と思えることは、今から20年前の、お客さんが誰も来なくなったあの頃に、もしご主人さんが店をたたんでいたら、幸福駅も、このような姿で残されることはなかったのではないか、ということです。もちろん、ご主人さんは慈善事業で店を続けたのではない。他に選択肢がなく、それだけの理由で店を続けていたのかもしれない。
けれども、土産物店もなくなり、古ぼけた駅舎が残されただけの土地は、やがて何もない無人の原っぱへと姿を変えていったことでしょう。

写真の旧・幸福駅駅舎も今はありません。昨年に建て替えが実現し、駅舎は、昔のイメージを残しながらも、頑丈なものに姿を変えたのだそうです。今でも列車がやって来ることはありませんが、それでもこの建て替えで、もしかしたらあと20年くらいは、駅が残されることになるのではないでしょうか。

1軒のお土産物屋さんが残り続けていたから、駅もここに残った。そんな風に感じています。



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新百合ケ丘

写真は新百合ヶ丘駅コンコースからの眺め。駅というより、単に喫茶店の写真という風情ですが。

あえて暴論を吐くのであれば、この駅はどこか?
新百合ヶ丘ですよ、新百合ヶ丘。
あなた、新百合ヶ丘といえば山の中の分岐駅。小田急の備後落合ですからね。そこにこんな構えの店があって良いものか。

つまり、日本の駅は皆、新幹線の駅になりたいのだな、と感じました。お洒落なことは良いけれど、でも、オーバースペックになってしまわないか心配。今も小田急の某駅では改築工事が進んでいて、またもショッピングビルがオープンするそうな。そんなにたくさんショップがあっても、もう行ききれません。

線路は高架で真っ直ぐに伸び、その下にコンコースであるとか、ペデストリアンデッキがあり、飲食店が並ぶ。この図式も、なんだか飽和してきたような気がします。駅は別にアートではないけれども、ちょっと違う意匠も欲しいですよね。

個人的には郵便局に一票。
 
先月は取材で第三セクター鉄道の駅を幾つか回り、今月は大手私鉄の駅を回っています。発表媒体は別のもので、従って取材の内容も異なるのですが、幹線のジャンクションもあれば、無人駅もありという具合で、駅施設のバラエティなども感じ取ることができ、楽しい取材となっています。

現在の日本にある第三セクター鉄道は、その多くが廃止となった国鉄・JRのローカル線を引き継いだもので、転換後はそれぞれの鉄道が独自の経営戦略を前面に打ち出し、そして地域との連携を深める方策を探り続けています。私が先月取材したのは、由利高原鉄道と天竜浜名湖鉄道の2社でしたが、どちらも駅施設が非常に美しく手入れされていることが印象的でした。これには地域のボランティアスタッフの尽力に負うところも大きいようです。天竜浜名湖鉄道のある駅では、ちょうど花壇の手入れに来ていた方にお話を伺うこともでき、寒い時期から皆で球根を植えたことを教えて頂きました。「駅がきれいなら、誰だって気分が良いじゃないですか」とも。

駅に花を植えたり、駅舎の中に本棚を作ったりという活性化の仕事が、直接的にどれだけ経営改善に役だっているのかは解らないけれど、荒れ果てた無人駅では感じることのできない清々しさがあります。この姿勢が守られ、そしてさらに新たなサービスの改革が実現したら、案外、鉄道は復権への道を歩めるのではないか、と、そんな希望を感じることもできました。

それから私鉄の駅。こちらも急ピッチで姿が変わりつつあるようです。この2ヶ月ほどの間に、東京近郊の大手私鉄3社を回り、ベンチの形や、ホームエレベーターの設置位置などにも各社間の相違点が見つけられて面白かったのですが、多くの駅が高架化され、コンコースは明るくて広く、飲食店などが併設されているという姿は、各社に共通でした。そしてそのスタイルは、新幹線の駅のものと通じているように感じられました。あるいは、自動改札のすぐ脇に、ガラス張りとなった案内所があり、駅員さんが常駐しているというスタイルも多い。このスタイルの駅も、これからさらに増えていくかもしれません。

思えば、昭和40年代くらいまでの駅は、確かに凛としていたけれど、その一方でぶっきらぼうなところもあった気がします。駅員さんの乱暴な口の利き方に傷つけられたこともあったような。昔の鉄道を懐かしむ声も多方面から聞こえてくる昨今ですが、サービスが洗練されたという点は、現代の鉄道の昔はなかった魅力として、率直に評価したいところです。

この調子で、全国に増えてしまった無人駅に何だかの形で人が戻り、昔のような活気と暖かさが戻れば良いのに。もうそのような日が来ることは夢なのだろうか?全国のシャッター通りを、もう少し元気な姿に戻して揚げられるのは、まずは鉄道事業者自身なのではないだろうか。そんなことを思い始めたのは、第三セクター鉄道と、大手私鉄の、それぞれに活気のある駅の姿を続けて見たからなのかもしれません。



 
話は、何の前触れもなく、四国に飛びます。実際には、四国を訪れたあと、山陰へ回ったのですが。

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写真は、「コトデン」の琴平駅です。入線しているのは、どちらも元・京浜急行の1000形。やはり均整が取れた、良いスタイルの電車だと思います。コトデンには、この他にも元・京王の5000形や、元・阪神の旧形車が生き残っています。これから先、もっと注目されることでしょうね。

そして、いま、写真を眺め直してみて、ホームの上屋を支える鉄骨が、何だかとても魅力的なものに見えてきました。なんの変哲もない建物ではありますけれど、いかにも、少し前の鉄道の建築物らしい無骨さ、素っ気なさが備わっています。

きっと、こういう飾り気の無さがフィットして、私は鉄道が好きになったのだとも思います。そういえば、子供の頃は、自動車が嫌いでした。特に豪華な調度品を備えたデラックスな車が駄目でした。

そして考えると、鉄道って、素っ気ないもの、貧しさに共感を得ている子供たちにとっての正義の味方なのですね。誰にも公平に接してくれるし。

無理矢理とってつけたような話の展開ですが、それほど外れていないような気がします。



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こちらは、ストーブ列車の撮影をした前日に立ち寄った、津軽鉄道芦野公園駅。
この駅は、ホームを桜並木が覆っていて、桜の満開の時期の素晴らしさは言葉が見つけられないほどですが、冬のこの時期は、枯木立の中にひっそりと佇んでいます。

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こんな駅です。これは旧駅舎で、新しい駅舎はこのすぐ隣にコンクリート製のものが建っているのですが、木造の旧駅舎も、現在は喫茶店「駅舎」として利用されています。

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やっぱり、駅の中に人がいると、それだけで温もりを感じることができます。最近は、合理化のために無人の駅が増えていますけれど、手入れのされていない無人駅は、廃墟のようなもの。お客様に、そこに来て鉄道に乗れというのは、やっぱり褒められたことではないと思います。そういう姿勢も、お客様を車利用に鞍替えさせてしまっている、一つの理由になっているのではないでしょうか。お金の問題はあるのでしょうが、鉄道会社という大きな組織が、もっと知恵を絞らなければいけないように感じます。

何だか、愚痴になってしまいましたね。すみません。

このブログでは2回めになりますけれど、この駅の春の写真も、もう一度アップします。曇りがちなのが残念だったのと、連休の最終日に行ったので、ゆっくりすることができませんでした。
その意味でも、ぜひもう一度訪ねてみたい駅です。

そういえば、ストーブ列車の乗務員さんからも、「春も素晴らしいので、また来て下さい」と言われています。
それから、鰺ヶ沢の尾野旅館にも、また行きたいし。

必ず。

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7分間停車。
のんびりした行程は良いものですね。



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いま、人吉駅にいます。10時8分だかの、吉松行きの発車を待っているところです。今回は、肥薩線の取材です。私がここに初めて来たのは、高校2年の時で、だからちょうど40年前。もちろんその時は、将来、自分が取材に来ることになるなんて、思ってもみませんでした。
不思議なものです。




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昨日,渋谷駅で撮影した写真です。
気がつけば,もう目の前ということでしょうか。

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久慈に来ています。今年3回めの三陸です。

取材を終え、ホテルにチェックインしてベッドに横になるや眠ってしまい、19時に携帯への電話で起こされて、街に出ました。写真は駅前の様子です。

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夕食はまたもまたもまたも、ラーメン。だって他に開いていたのは洋菓子屋さんだけだもん。本日の夕食はイチゴのショートケーキとモンブランとペットボトルのお茶でした、とか書けませんって。

食事を終え、駅に帰ります。JRの最終20時16分発の改札中です。写真は、駅舎の中にある立ち食い蕎麦屋さんの様子。賑やかな貼紙の半分くらいは復興を願う寄せ書きでした。大切なのは絆。私たちは、体験から学び、より良い明日を作るために、もっともっと、色々なことを真剣に考えていかなければいけないと感じました。
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こちらはホームへ続く通路。
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ホームでは気動車が発車待ち。やがて、20時16分にJRの列車が、20分に三陸鉄道の列車が発車し、この駅を出る列車はすべて終了となりました。

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駅舎は改築中。
これから、港で取材です。
携帯のバッテリーが怪しくなってきた。最近は、本当に「持たない」なあ。






在来線特急に乗り換え。天気予報は曇りだったけれど、快晴。暑い。





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新横浜から、ひかりに乗りました。さて、どこに行くのか?しかし、新大阪行きのひかりはガラガラ。影が薄いなあ。空いているのは、助かるけれど。






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土曜、日曜を使って、自転車で南房総を走ってきました。まずは横須賀まで電車利用。駅前で自転車を組立てて久里浜へ。フェリーで金谷に渡り、また電車利用で富浦へ。そこからまた組み立てた自転車で、館山までを走ります。

写真は、土曜日の夕方に立ち寄った那古船形駅。内房線にもクラシカルな木造駅舎が沢山残っています。あるいは、これから注目されることになるのかもしれません。屋根や壁が明るい水色に塗られているのも、内房線によく似合う気がしました。それから、つげ義春さんが、こんな駅がある風景を、今一度、絵に描いてくれたらいいんだけどな、なんてことも感じました。

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