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 新橋まで出かけたついでに撮った写真を、もう一枚。旧・新橋停車場の建物です。
 中途半端なアングルではありますけれど、これもスマホで撮影した写真です。雨なのに綺麗な色だと思います。

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フィルム時代には、雨の日のカラー写真というのは、どうしても青みがかかってしまい、綺麗には撮れませんでした。増感現像や、カラーバランスを変えるフィルターを使っても、どうしても、それなりにしかならない。そこへ行くと、デジタル写真は綺麗なものです。その意味では、もっと雨の日の風景写真が発表されてしかるべきなのでしょうね。億劫がらずに出かけければ、きっと十分に楽しめ、発見に出会えるはず。

 スマホは、胸のポケットに入っているのだから、1日に1枚の気持ちで気楽に撮り続けたい、続けなければいけないのでしょうね。

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昨日は新橋で取材がありました。取材終了後、雨模様だったので、写真を撮りまくる気持ちにもなれず、新橋駅ホームの屋根の下で撮影。モノクロ風にして、かつ超硬調にして、屋根の威容を表現、などとも思ったのですが、むしろ圧迫感が強い感じになってしまいました。

この屋根の雰囲気は、JRの大阪駅とも少し似ている気がしますが、必要以上に重い感じがします。個人的には、ホームに屋根をつけるなら、白いテントを張り巡らしたような、ケルン駅のものが好きです、って。あまりにも引き合いが突飛過ぎて、イメージが湧かないかもしれませんね。すみません。

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 上野駅前にて。
 この写真をフェイスブックにアップしたら、「このお坊さんは偽物なんですよ」というコメントがつきました。そしてその後から、「誰もが仏さまの弟子なのだから」というコメントもついています。
 お坊さんの世界の制度には門外漢ですが、人に迷惑をかけているわけではないのだし、とは思います。

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 昨日アップした上野駅の地上ホームのモノクロ写真に、自分でも発見があったので、鶴見線国道駅のガード下も同様の画像表現をしてみました。

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 なにしろレタッチソフトのことですから、オリジナルどおりに真っ暗にすることもできるし、もっと明るくすることもできる。そのあたりの匙加減は、文字通り撮影者のフィーリング次第で、デジタル写真というものは、本当に表現領域が広いと思います。

 実はこの写真のカラー版はフェイスブックの方にアップしたのですが、今は廃墟然としているこの場所が、実は丁寧に装飾されて造られていることを見つけてくれた友人がいましたし、これからもう一度、賑わうようにできないものかなというコメントに頂きました。

 そこなのでしょうね。誰もが朽ち果てたような風景を見るよりも、手入れの行き届いた風景を見る方が、気持ちがすっきりできるはず(おどろおどろした眺めの面白さというものもあるのでしょうが、あくまでも一過的なものでしょうし)。もう一度、手が加えられて、明るい雰囲気のガード下になっても良いのだろうなあと、コメントを読んでそう感じました。


 これも昨日撮影した写真をモノクロ風にしてみました。上野駅地平ホーム。この駅は、これから100年経っても、姿が変わることはないかもしれません(画像クリックで拡大します)。

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昨日(6月17日)の新横浜駅。毎日のように使っている駅でも、被写体になりました。
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前回の書き込みに頂いたコメント、グーグルストリートビューで見る小淵沢駅が、見方によって変わるというお知らせを、実証してみました。

1)駅前の通りを横から進入した時の眺め
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2)駅舎の正面側から進入した時の眺め
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こんなこともあるのですね。まさに絶妙のタイミングということでしょうか。

画像はグーグルストリートビューのものです。

 こちらは2018年5月27日の小淵沢駅です。駅舎が改修された後の姿。実は工事が行なわれたのを知らなかったので、現地に行って驚きました。
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 いかにも今風のスタイルで、「国鉄の時代」の面影を残す旧駅舎がなくなってしまったのは残念ですが、駅舎の改築とは、利便性の向上のためであり、老朽化した建物を作り直す、すなわち利用客の安全性の確保のためでもあるのだから、当然進めなければいけないと考えます。
 思えば、一時代前までは、乗用車やスキー板などに新モデルが登場すると、やたらと称賛されたのに、鉄道の駅が同様のことを行うと、批判の声が挙がるのは理不尽なことです。まあ、そういう声を挙げる人は、普段はその鉄道を使ってなどいない人だという話を聞いたことはありますが。

ともあれ。
 下の写真は、この駅舎の2階にある立ち食い蕎麦の一品。お店のおばさんの話では、東京の八王子から食べに来る人もいるそうな。まあ、わざわざ、この一杯のためだけに、ということはないのでしょうが、八王子に住んでいれば、小淵沢はそれほど遠いという感覚はなく、「自分の庭」として通うことができるのでしょう。
 そこに蕎麦があって。
 これは素敵な話だと思います。

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 本日(8日)は鶴見区内で撮影。自転車で出かけたので、少し寄り道をしてみました。
 写真は浜安善駅の跡です。浜安善と言っても、どこか解らない人が多いかもしれませんが、鶴見線安善駅の海側にありました。

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1926(大正15)年4月10日に開業した時の駅名は「石油」。まんま、という感じですが、当時は旅客営業もしていたのだそうです。13年ほどで止めてしまったそうですが。それでも貨物専用の駅としては長く使われ、貨物駅としても廃止されてしまったのが1986(昭和61)年。比較的最近です。それでも線路が残っているのですから、駅としてではなく、引き込み線として使用され続けているのでしょうが。

 この鶴見線の沿線は、信号のない小さな交差点が多く、それでもかなりの量のトラックが走っているので、自転車ですと、道路の反対側に渡るのも、結構大変です。

 これだけトラックが走っているのだから、鉄道の貨物輸送も、成立しそうな気がするのですが、昔は各駅の広い構内に、石油などの製品を運ぶ貨車がたくさん留置されていたのですが、今はもう、雑草がぼうぼうと生い茂る駅ばかりになってしまいました。




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 昨日写真をアップさせて頂いた小淵沢を訪れた翌日の、長野電鉄小布施駅の風景です。
 何の変哲もない写真ですが、のどかな雰囲気が結構気に入っている駅です。考えてみると、最近はこのような「中くらい」の規模の駅が少なくなっているような気がする。統廃合のようなものが頻繁に行われた結果、駅であるとか、鉄道そのものの魅力が、ずいぶんとそぎ落されてしまったのが、今であるような気がします。無人の駅ばかりが増えて。

 もちろん、コストカットは必要だろうし、駅を無人にするなとは言い切れないのですが、無人駅にするならするで、何かしらのメッセージを駅にしたためておいて欲しいと思います。血の通っていないものには、誰も魅力を感じないのですから。



 昨日は春のイメージの駅の写真をアップしたので、同じような季節の駅の写真はないかな?と探してみたところ、季節的にはやや早いのですが、3月の小淵沢駅の写真が見つかりました。小淵沢駅は、小海線が分岐するということもあって、ずっと前から好きだった駅です。この写真を撮った時の旅は、普通列車を乗り継いで松本に行くことが目的で、乗る列車も決めず家を出たのですが、八王子駅から乗車した列車が、たまたま小淵沢どまりだったので、途中下車したのでした。

 この時は、何も特別なことなど考えずにシャッターを切ったのですが、今はこの駅の駅舎はすっかり近代的なものに建て直されていて、この写真ののどかな駅の姿も思い出のものとなってしまいました。

 何気なく撮った1枚が、後になって色々なことを語りかけてくるというのは、本当によくある話ですが、この1枚もそんなところでしょう。もっとも、それを語るには、やっぱり、いろいろな経験が必要なのでしょうね。

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 朝は快晴だったのに、正午をを過ぎた頃から俄かに雲が出始め、午後3時過ぎには強い雨が降り始めた。真夏の、夕立を思わせる雨。
 駅舎の屋根の下では、強い雨で足止めをくった人が多数、雨宿りをしている。若い女の子2人連れが、スマホを覗き込み、天気予報をチェック。
 「4時半頃まで止まないって」
 「えー?どうするー?」
 
 こんな風景も、現代ならでは、なのだろうな。小田急の向ヶ丘遊園駅は、今ではむしろ珍しい存在となった、地上に駅舎が建てられている駅だ。駅舎が2階にあり、それがショッピングビルと直結しているような構造であれば、雨宿りの風景など見ることなどできないのかもしれない。

 初夏というにはまだ早いけれど、そんな風景に出会いました。そういえば、隣の登戸駅の高架下には、ツバメの巣があったような。
 小さな夏見つけた、そんなところかもしれません。

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 江ノ島電鉄が駅のイルミネーションを行っているというニュースを見ましたので、現地に行ってきました。
 ホームでイルミネーションを行っているのは江ノ島駅、鎌倉高校前駅、長谷駅の3駅でした。写真は長谷駅。この駅のものが、いちばんロマンチックな雰囲気であったようです。

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 実はこの写真を撮っている時に、若い駅員さんが話しかけてくれました。
「もう、長谷寺には行かれましたか?」
とのこと。なんでも、この季節は紅葉のライトアップを行っているのだそうです。この時点で夜の6時。これから長谷寺まで行っても、30分ほどしか撮影ができそうにありませんでしたから、出直すことを申し上げました。
 このような話をする時、鉄道で働いている人は、とても真摯な話し方をしてくれるものです。そしてそのことは、私たち鉄道好きにとっても誇りになることだと思っています。




 工事が進められている宇都宮のLRTで、最大の懸案となっているのが、既存のJR宇都宮駅とどのような形で交差するか?これについて、市の見解が出されたようです。

理想は、ヨーロッパのLRTのように、地下に潜って「中央駅に直結」なのでしょうが、ともあれ、工事を進めて開通させ、LRTの評価と信頼を高めて欲しいものです。東海道新幹線ができて、今度は新幹線建設誘致合戦が起こったような、そんな図式にならないかなあ。車の時代の次世代の姿を作ることができれば。




 東神奈川駅のホームにある立ち食い蕎麦「日栄軒」のコロッケ蕎麦。

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辛めの出汁のシンプルな蕎麦なのですが、不思議とまた食べたくなる味です。結構、固定ファンがいるらしい。日栄軒は、その昔は駅弁も手掛けていたという話を、食品関係の仕事をしている人から訊いたことがあります。ただ、その人の情報がどこから出てきたのかは訊くことができず、私自身もネットでの情報を見つけることはできないでいます。東神奈川駅が開業したのは古く1908(明治41)年9月のことで、現在の横浜線を建設した私鉄・横浜鉄道が国有鉄道の東海道本線と接続することを目的に建設した駅なのだそうです。当初は、ここから海の方角に向かって延びる貨物支線もあり、この支線を跨ぐために、京浜急行の仲木戸駅は高架化されたのだとか。そういえば、仲木戸駅のホームは、今は道路を跨いでいますが、ずいぶんと大がかりに見える造りで、なるほど他社の線路を跨ぐのであれば、高架化は必須だったということになります。

日栄軒がどのような駅弁を作っていたのかも謎で、古い時代のことですから、オーソドックスな幕の内弁当なのでしょうが、復刻版が登場したら楽しいのですが。最近になって東神奈川駅には、橋上にある駅舎の中に大船軒の売店ができて、駅弁を販売するようになりました。まさか京浜東北線の車内で駅弁を食べる人はいないでしょうが、会社での昼ご飯や、残業食、あるいは帰宅後の食事の支度を省くための存在なのでしょう。そういえば、お隣の横浜駅の駅弁も、相当な数が、そのような目的で売れていると聞いたことがあります。私自身の場合でいえば。横浜スタジアムでの試合観戦にシウマイ弁当を買うことが多いかな。今年は趣向を変えて、東神奈川駅で調達した鰺の寿司を持ってゆくのも楽しいかもしれません。

ちょっと変わったところでは、不定期的ではありますけれど、この大船軒の売店に「得々いなり」というものが登場することがあります。油揚げの袋が破れてしまったなど、いわゆる「訳あり」のいなり寿司ばかりが詰められているのですが、写真のもので300円ですから、確かに安く、一人ではとても一度に食べきれないボリュームがあります。ちゃんと改札の中で売られているので、これも立派な駅弁。もしかしたら、今、日本でいちばん安いものかもしれません。

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駅がどこも機能的で、洗練された姿に変わってゆく中で、小さな駅に、こんな食べ物が残っているのも、ちょっと楽しい話だと思います。



転轍手詰所の写真をアップした秩父鉄道の影森駅について、線路配置はどのようになっているのだろう?と思っていたところ、「配線略図net」という、楽しい情報がありました。秩父鉄道や、岳南鉄道など、近年まで貨物輸送を頻繁に行っていた、あるいは今も行っている鉄道は、駅の規模が大きく、現地を訪れただけで、ワクワクしてしまいます。

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↑影森駅


フェイスブック上で、友人から、原宿駅の改築が発表されたことの是非を問われました。世界に自慢できるであろう駅舎であるのに、それを壊して良いのか?という問いかけです。
 私の仲間でも、このことはすでに話題となっています。自分たちの「飲み屋の話」では、どうなるものでもないのですが、明るいおしゃべりとはなりませんでした。皆が、今の鉄道の世界であれば、ハッピーエンドが望み薄であることを、知っているからかもしれません。
 フェイスブックでのコメントにはこう書きました。コピペですが
「もう建て替え後のパースが発表されていますよね。まあ、これはごく仮のもの、であるのかもしれません。けれどもパースというものは、例えば新幹線の場合など、時間をかけて決定されます。幾つかの案を用意し、地元との協議を重ねた上で、ようやく選択されるというものです。
 パースが発表されたということは、すでに建て替えについて、内部では検討が進められていたというのが実情かもしれません。実は建物の老朽化が進み、それ以上に電話回線が不足し、使い勝手が悪くなっていた。今であればオリンピックを錦の御旗として、建て替えを発表しても大きな反対にはならないだろうという読みです。
 旧駅舎は、保存されるかもしれないし、されないかもしれない。これは私の推測ですが、「誰かが手を挙げれば」保存されるでしょうし、誰も手を挙げなければ消え去る。鉄道会社自身では、何もしない可能性が高いと思います。
 でも、大変に失礼な言い方をすれば、馬鹿だと思います。自分たちが、これだけの文化的な遺産を継承してきているのに、そのことをPRして地域に貢献することをまったくしようとしないこいとが。そういう発言ができるリーダーがいないことが、です。できの悪い役所みたい。
 鉄道会社というのは、「自分で世界をひっくり返してやろう」と考える人ではなく、「与えられた仕事をこなし、着実に出世しよう」と考える人が就職する、つまり集まる組織なのかもしれません。例外も皆無ではないでしょうが。
 また、口の悪い言い方になりますが、そういう「与えられた仕事をこなす人たち」には、先例などにとらわれず、自らの手で新しいビジネスのスタイルを構築したり、文化事業を推進することなどを望む方がナンセンスということになるのかもしれません。
 原宿駅の結末には、鉄道会社の姿、社会に対する姿勢が反映されることでしょう。私は全面的な改築を望みません。内側は最新の機器で固めても、外観はシンボルとして残す。例えば東京駅のような姿になることを望みます」

 以上のコメントも推測をもとに書いていますので、「大外れ」の部分があるのかもしれませんが、どうであれ、私は何もかもを壊してしまい、旧駅舎をこの世から消し去ってしまうことには反対です。
 以前、美術の仕事をしている人と話をしたときに
「歴史的価値があるものを、すべて残そうとすると、やがて地球上がゴミで埋まってしまうのでは?」と聞いたのに対し
「何もかもを現物で残す必要はないでしょう。データにして残すというのも解決策です。どのような形を継承するのかを考えることも、人間の大切な仕事になるはずです」
という答えを頂きました。まず「自分ならどうするか?」から考え始めることも、大切であるように思います。


追記:フェイスブックの私のコメントに対して、友人から以下のブログをご紹介いただきました。
「JRとしても早急な取り壊しはしない方針」などの状況が報告されており、改築に際しての改良案なども記されています。
勉強させていただけること大です。
http://ameblo.jp/mori-arch-econo/

東神奈川駅。最近、にわかに大船軒の売店ができたのだ。いいぞ、これで東神奈川から電車に乗る時も、駅弁が買えるのだ。名物は「鰺の押し寿司」である。東神奈川は海が近いから、鰺の駅弁は良い感じ、だと思う。
 いつ、オープンしたのか解らないので、グーグルでも、ニフティ経由の新聞記事横断検索でも調べてみたけれど、調べがつかない。ニュースバリューが無いのだろうか?
 いつオープンしたのか?何故、いま、通勤利用の駅に進出したのか?そんなことを訊いて、記事にしてくれれば、少なくとも、「撮り鉄の無法ぶり」の報道より、読みたくなる、読んで良かったなと思える記事になる、と思うのだがどうか。
大船軒

前々回に備後落合駅のことを書きましたので、写真を探してみました。当時は、まだカメラを操作するだけで精一杯で、とても「見ることのできる」写真を撮ることなどできなかったのですが、考えてみれば、この頃が、いちばん写真を撮ることに楽しさを感じていた時期だったのかもしれません。

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駅構内で入れ換え運転をするC56形です。この写真を入れていたアルバムには、その時の切符も挟んであって、昭和46年4月1日と刻まれていました。私が中学校の3年生になる春のことです。そうか。高校の時に行ったと勘違いしていたのですが、高校の時に行ったのは九州で、備後落合に行ったのは、まだ中学生の時だったのですね。

この写真1枚だけ見ても、実に、色々なことに、「惜しさ」を感じる。というのも、機関車だけでなく、一緒に写っている貨車の写真を撮っておけば、どれほど良い思い出になったのだろうということです。もっと言えば、駅にあった売店であるとか、そこで売っていたおでんの写真もあれば、さらに素晴らしい記録になっただろうということです。

もちろん、それは無理な話で、当時の、高いフィルムでそのような写真を撮ることなど思いもよらなかったし、今でさえ、それでは例えばコンビニのお店の写真を記念に撮るか?と言われれば、撮らないはず。そういう意味でも、写真とは撮るのが難しいものだと思います。

一方、下の写真は仕事で訪れた備後落合の写真。日付は2011年7月19日午前8持50分です。これはカメラが記録してます。

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昔の写真とは少しアングルが違いますが、蒸気機関車がいた場所の100mほど先の地点です。昔、ここにターンテーブル(転車台)があって、機関車の方向転換に使われていました。今は、ごらんの通り、雑草に埋まっています。実は、この取材の帰りに乗ったワンマン列車の運転士さんに「あそこに、ターンテーブルがあったんです」と説明したのですが、「ああ。そうですか」との返事。もう昔の話ですからね。

駅の無人化、周辺の過疎化などによってすっかり人影がなくなってしまった今の備後落合駅には、おでんのある売店も、無くなっていました。

私はといえば、プリントで残っている写真だけでなく、なんとか昔のネガも見つけ出して、写真を1枚1枚、すべてじっくり見てみたいなと感じているところです。中学生、高校生の撮った下手な写真であれ、きっとそこにはたくさんの発見があることでしょう。

それはきっと、とても懐かしく、そして、少し淋しい気持ちになる仕事になるのだと思います。


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北海道の北の端、稚内港の桟橋の脇に残っている構築物です。
戦前から戦中にかけて、ここから樺太への連絡船が出ており、このドームは、現在の稚内駅からここまで延ばされていた、連絡船利用客のための線路と、利用客を、波しぶきから守るために作られました。

設計を担当したのは、当時まだ26歳だった技師。今日と違い、専門的な知識を習得している者が非常に少ない時代だったとはいえ、彼にとっては身震いのするような仕事の依頼であったに違いありません。ドームは5年の歳月をかけ、昭和11年に完成しました。

稚内と、樺太の大泊を結ぶ稚泊航路は所要8時間。「外海」へ出るこの海路は、青函連絡船などとはまったく違う、厳しい道のりであったといいます。1年のうち半年は冬という場所で、亜庭湾が結氷して、乗客が氷の上を歩いて上陸したということもあったそうです。

「そんな場所だけれど、夏は素晴らしいところだった」と、話を伺った当時の乗組員さんは、印象を語ってくれました。

そうなのでしょうね。見てみたかったものです。実は、紹介を頂いてこの方に電話をかけ、最初の挨拶で「函館に出かける用事があります。ご自宅まではそこから3時間くらいかと思います。是非、お伺いさせて頂き、お話をお聞かせ下さい」と、お願いをしたのですが、「いいよ。いいよ。電話ですませようよ」と、笑いながら固辞されました。今は、何とかお会いできなかったかなと、少し悔いているところです。

戦争が激化して、連絡船の運航も取りやめとなり、5年をかけて築いたドームは、7年の間使用しただけで、不要のものとなりました。ただ、その遺構が整備されて、モニュメントとして残されたことは、素晴らしいことです。

北海道の北の果てで未知の仕事に挑んだ技師。厳しい環境で働いた乗組員。厳しい冬と、素晴らしい夏。
私たちが訪ねなければならない人々の思いは、まだ無限に残っています。


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