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今回、2回ほど伊豆急行を訪れて、嬉しく感じたことに、この鉄道の駅にはたいがい駅員さんがいるということでした。駅に駅員さんがいるのは当たり前のことではあるのですが、ローカル線はどこも合理化合理化で、駅は無人のものばかりとなり、それどころか大都会の大きな駅でさえ、出札業務、改札業務が機械化されてしまったものですから、駅員さんは事務室に籠もってばかりいるような印象さえある。

伺った話では、伊豆急行でも合理化の推進は避けられず、駅員さんが初発電車に乗って駅に向かうところがあるということでした。つまり、初発電車を利用するお客さんにとっては、その駅は無人駅ということになります。
それでも、駅に職員さんがいることで、駅の雰囲気がぐっと明るいものとなっているように見受けられる。上の写真は伊豆高原駅で、この駅は運転、あるいは観光の中核となっている駅ですから別格的存在ですが、駅にはさまざまな施設が入居し、駅が文字通り、人々の暮らし、あるいは観光の拠点になっているのです。伊豆高原、伊豆急下田などの利用客の多い駅では、改札口に職員さんが立ち、改札業務、接客サービスにあたっています。

日本の鉄道の駅は、昭和の中期まで、地域住民の中核、心の拠り所となる役割を果たしてきました。ちょうど、欧米の教会のように。大きな駅の駅長さんは、その地域の名士であり、だから寄り合いなどがあると、お寺の住職さん、郵便局の局長さんなどと共に、その場に招かれたのです。そうやって、日本の社会は発展していきました。

地方が無人駅ばかりになってしまったことの弊害と思われることをここで書き出すと長くなりますが、もし鉄道会社が本気で「鉄道の復権」(この言葉自身に鉄道の失地が現れていますが)を考えるのであれば、まず駅に駅員さんを配置することから始めても良いのではないか。そんなことも感じたのです。もっとも、鉄道の復権を、まず鉄道会社自身が願っているのであれば、ということではあるのですが。

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伊豆急行のニューカマー「キンメ電車」の写真を、とりあえず1枚アップします。
車両の端の出入口デッキ部分。本当に、ここまでやるか~?という感じです。
伊豆急行の方が「伊豆の庶民的な部分を表現」と笑っておりましたけれど、でも楽しかった。
また乗りたい?
もちろん!
鉄道車両にいちばん大切なことは、「この車に乗れば、どこか素敵な所に行ける」という夢を与えることだと思います。
「キンメ電車」には、その夢が満載されていますもの。

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7日、8日と、伊豆に出かけてきました。伊豆急行の旧型電車に関する取材がメインの旅ではあったのですが、それと一緒に、2月4日から動き始めた「キンメ電車」のお話も伺うことができました。

まあ、これ、とにかく楽しい電車です。基本は同社の看板車両である「2100系 リゾート21」の1編成を、内装に手を加えて、伊豆を代表する人気の食材である金目鯛をプロモートしているものなのですが、室内には、いたるところに金目鯛のイラストが入れられ、窓上には金目鯛に関するトリビアネタや、伊豆急行沿線の各自治体による金目鯛のPRが掲げられ、とにかく賑やかです。いずれ記事にして発表する心づもりでおりますが、まずは外観の写真を1枚。伊豆急行でも、もっとも有名な撮影場所である川奈~富戸間での撮影。
午後の少し遅い時間の撮影ですが、太陽が山に隠れることもなく、きれいに撮ることができました。
やはり、春が近づいていることを実感した撮影となりました。
いや~、しかし、電車の中にいったい何匹の金目鯛が描かれていたことやら!

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↑線路からやや離れた国道からの撮影。100mm以上の望遠レンズがあると良い場所です。






 もう1枚、1月3日の秩父鉄道行で撮影した写真です。鉄道写真の撮影スポットとして有名な白久駅西側での撮影。この季節としては遅い時間の撮影なのですが、そこはデジタルカメラのこと。難なく、走りを撮ることができました。

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写真は三峰口行きの回送列車で、これが三峰口駅折り返しの池袋行きとなることは解りましたから、白久駅からこの折り返しの列車に乗車し、池袋まで乗り換えなしで着くことができました。写真の4000系は、ボックス式のクロスシートを備えた車両で、昔の国鉄急行型電車に乗っているような味わいがあり、ロングシートの通勤型よりも、乗っていて遙かに楽しいものです。

そういえば、西武鉄道では、この3月25日から、土曜・休日に西武秩父駅と元町・中華街駅を直通する「S-TRAIN」の運転を開始します(平日は所沢~豊洲間の運転)。車両には新造の40000系が充当され、この車両が写真の4000系の後継に位置づけられるのでしょう。腰掛けにはロングシートとクロスシートの両方で使えるデュアル式のものが用いられ、トイレはもちろん、各ボックスにコンセントも設けられることがアナウンスされています。
 やはり、長距離運転の列車の登場は、鉄道旅行好きをワクワクさせるものですが、せっかくなら、もう一声頑張って、車内販売的なサービスも提供して欲しいところです。鉄道旅行に大切なのは、乗り心地の良い車両ももちろんですが、鉄道に乗って旅をすることの楽しさをアピールする演出なのですから。




 1月8日に秩父鉄道で撮影会を行いました。前日に雪が降り、開催が危ぶまれたのですが、当日は雪も止み、少しだけ積もった雪は良いアクセントとなってくれました。

 ところで下の写真は、1月3日に出かけた下見で見かけた情景。影森駅に待機中の貨物列車です。フェイスブックの友人が教えてくれたところでは、影森と、この駅から引き込み線が延びるセメント工場の間に平日に限って午前中に3本の貨物列車が設定されているのだそうです。写真の列車は、明朝に備えて待機しているものなのでしょう。
 
 昔は全国を走っていた貨物列車も、今やすっかり本数が減り、特に私鉄を走るのはごく限られた本数となってしまいました。
 1月3日は、何しろ正月3が日のことですから、貨物列車の運行を望むことなどできないわけですが、次の機会には、実際に貨物列車が動くシーンを見たいと思いました。

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筑後川昇開橋のすぐ近くに九州貨幣博物館があります。世界中のさまざまな貨幣がコレクションされている中で、いちばん、忘れ難いのが、写真の西郷札です。
 松本清張の小説の題材ともなったこの貨幣は、薩摩藩が軍資金を調達するためにやむなく発行した私的なものに近い通貨でしたが、西郷軍の没落によって、貨幣としての価値を失い、西郷札を信用したものは没落したとあります。
 九州貨幣博物館が改修のため休館となり、目下、この貨幣を紹介するタイミングも失われている感があります。
 博物館は小さなもので、私が訪れた時も、来館者は私一人きりでしたが、もし、昇開橋を再訪する機会があり、そのときに博物館が開かれていたのなら、是非もう一度訪れてみたいと考えています。
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11日(木曜日)は近江多賀で行われた「多賀SLアクション」に参加させて頂きました。
 これは「多賀SLパーク」跡地に置かれているD511149号機を活用し、多賀の活性化を図ろうというプロジェクトで、今回はその第一回。私はトークショーに参加させて頂き、蒸気機関車の魅力、鉄道旅行の楽しさなどをおしゃべりさせて頂いて、下の写真は、トークショー終了後の、参加者の皆さんとの記念写真です。なんだか、私だけ出しゃばっていますね。ごめんなさい。
 写真でも解るように、この機関車はやや痛みが目だつ状態になっていますが、出来るのであれば、これを本線上で復活運転させたい。けれども、早急にはそれが無理であれば、どのような形が、機関車の活用になるのか?色々な方法がある。夢はどんどん広がります。
 きょうは、「なるべく早く第2回を開催したい。その時は、会場で物販などもやってみたい」、というようなことを皆で話し合ってきました。これが一大プロジェクトと呼べるようなムーブメントになるのか?応援して下さい。
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国鉄の時代は、何故、これほど懐かしいのだろう。
駅はボロかったし、無愛想な駅員さんだってたくさんいたし、列車だって、乗り心地の良くないものがたくさんあった。
でも、今は懐かしい。あの頃の国鉄には、優しく人を抱きしめてくれるような優しさもあったのだろうなと、懐かしさの理由について、今はそう考えてみている。

九州2


九州鉄道記念館の保存車両はピカピカだ。
「こんなにきれいなのだから、動くのでしょう?」とお客様に質問されると、副館長さんは、
「はい。夜の間は動いているようです。朝になると、元の場所に戻って来ていますが」
と応えて、お客様を煙に巻くのだそうな。
輝いているもののそばにいることは楽しい。
車両でも、駅でも、人でも。九州1

上の文章は今日(3日)フェイスブックにアップしたものです。
九州の話が出たついでに、しばらく九州の写真をアップして放浪気分を味わってみることにしたいと思います。
学生時代(高校時代も含めて)の夏休みといえば、決まって九州に出かけていたものですから。


昨日はフェイスブックに以下の文章を書きました。大井川鐵道に取材に出向いた際に撮った写真です。

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写真は新金谷に留置中のオハニ36だけれども,オハ35系であれ,オハ61系であれ,昭和の鉄道が好きだった者にとっては,この旧型客車というやつは,思い出の中の実にさまざまなところで,脇役として登場してくれる。
 いちばん,鮮烈な思い出は,五能線で乗ったオハ61。それは80年代の初めのことだから,そろそろ客車列車の数が減り始めていて,その日は,当初の予定を変更して客車列車に乗ったのだった。
 その前日に,津軽鉄道の車内で,どこか都会から来た鉄道好きの人と列車談義となった。「五能線には乗りに行かないの?」と訊かれたときは,その気がないことを答えたのだけれど,あの会話の後に五能線に「全線通し」で走る客車列車が残っていることを見つけたのだから前言撤回もやむ無しといったところ。津軽鉄道の車内で「行こうかどうか,迷っています」くらいのことを言っておけば良かったのかな?などと思いながら,窓の外を見ていた。
 岩館駅で,上下の客車列車が交換する。ふと見ると,反対側の列車に,昨日津軽鉄道で会った人がいた。
 向こうもこっちに気がついた。慌てて窓を開けて,離れ行く列車の中から,手を振り合った。なんだか恋人同士みたいだったけれど,嬉しかった。
 さすがにこの人とは,フェイスブックでも再会できていないけれど,こんなことだってあるのだから,客車は豪華な内装ばかりが良いとは限らない。窓の外をぼんやり見る気持ちになれること,それからやっぱり,窓は開いた方が良いのだ,本当は。

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幾つかのコメントがついたのですが,やはり皆,昔の旅は思い出深かったようで,特に誰かとの触れあいがあったことが,忘れられない思い出となっているようでした。
旅に出ることが,人格形成のようなものに役立つことがあるのだとすれば,世界の広さを知り,ときには孤独にさいなまれ,そして人と触れあうことがあるからでしょう。
もちろん,しじゅう旅だけしている人が,全人格を歓迎できるようになるわけではありませんが,そんなことも考えさせられました。


大井川鐡道新金谷駅近くの側線に留置されている14系客車です。「はまなす」での用途廃止の後にこの地にやって来た4両で、昨日にメディアックスの編集さんと一緒に出かけた際に撮影したものです。明るい太陽の下でアップで見ると、さすがに痛みが目につきますが、そこはこれまでにあらゆる車両を手直ししてきた大井川鐡道のこと。これから十分に手間をかけてお色直しをすることでしょう。

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 こういう話は「某」などと書いてもつまらないので、真岡駅と駅の名前を書いてしまいますが、昨日の昼食は、この駅の駅舎の中にある立ち食い蕎麦となりました。メニューも多くなく、ごく普通の立ち食い蕎麦です。駅前にこれといった食べ物屋さんを見つけることができず、少し歩いた先に餃子屋さんがあった記憶があるのですが、仕事の約束の時間まで間がなく、他に選択肢がないのです。
 カウンターの前に置かれているテーブルで、汁があまり熱くない350円ナリの天ぷら蕎麦を食べていると、若い男性がやってきて、ただ「うどんで」と、注文をします。青いワイシャツを着ていましたから、この鉄道の職員さんなのかもしれません。
 少しして、その男性がテーブルに運んできたうどんには、ワカメも天ぷらもたっぷりと入っていて、メニューにはない茹で卵まで入っていました。これが賄いなのでしょうね。
「いろいろと入っていて、良いですね」と話かけると、男性は
「いつも、作ってもらっているんです」と、答えてくれました。
すごく嬉しそうな笑顔でした。

連休の最後をいすみ鉄道で過ごしました。
クルマが故障して、まだ直していないことから、鉄道利用での探訪です。
 大多喜の山の上にあるリゾートホテルに泊まりました。それは、失礼ながら、バブルの抜け殻です。バスの便などなく、駅から徒歩1時間。フロントの係の方(受付のおっちゃんという感じですが)も「タクシーをご利用下さい。歩くと1時間かかります」と、私の変人ぶりを諫めましたが、「いえいえ。歩くの好きですから」と、本当に1時間かかりました。
 そんないきさつがあったからでしょうか。フロントのおっちゃんも暇なので、私がチェックインする時に、すぐにおしゃべりを始めます。なんでも、自身も鉄道好きで、新幹線の切符を持っていても、在来線に乗ってしまうことがあるのだと。知床の方の生まれで、私より少し年上だけれども、根北線は覚えていない。などの話が出ました。そして
「いすみ鉄道は、今の社長さんが来られなければ、廃止になっていたかもしれません」と。
 翌日の帰路も、駅まで徒歩です。町中に入ったところで地元の人に話かけられました。また、鉄道の話。その方は
「今の社長さんは陣頭に立つから偉い。前の社長は御曹司で、何もしなかった。そのくせ政界に出ようとして、落選したけれど、地元のことを考えていないということがよく解った。みな、怒っていましたよ」と、教えてくれました。
 なんだか鳥塚さんの仲間褒めみたいになってしまったけれど、もし、私がクルマ利用でスイスイ移動していたら、この2つの言葉には出会わなかったはずです。
 「取材はノロノロと」。今回の旅の教訓です。

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最近2回続けて,銚子電気鉄道に取材に出かけました。経営的には相変わらずなのだそうですけれど,とにかく,そのような中で新しい試みが始められていると訊いてきました。鉄道界が,何か現状維持の空気に浸りきっている感がある中で,小さな芽吹きを見つけるのは嬉しいものです。
 写真は笠上黒生の側線。今は朽ち果てた姿になってはいるけれど,会社はちゃんとその存在意義を認めていて,将来的には有効活用の実現に期待したいところです。「澪つくし号」の復帰は,さすがに無理でしょうが。
 こんな話を知ると,また一つ好きな路線が増えてしまいますけれど,自分が好きだといえる路線は,いくつあったって良いものです,よね?

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 山木康世さんのコンサートが終わり、一度松本駅近くのビジネスホテルに戻って、それから夕食へ。こういう時、下戸はつまらないだろうって、よく言われます。この日も、夜の松本をさんざん歩いて、けれども、昼間のうちに目星をつけていた洋食屋さん2~3軒がみな閉まっていたので、はるか昔に一度入ったことのある中華屋さんで、定食を食べておしまい。それでも、このスタイルが、下戸にとっては当たり前なので、つまらないということはありません。帰りの時間を何も気にすることなく、夜の町を散歩できるのは良いものです。お酒が入っていないから、考えごともできるしね。

 翌日は、篠ノ井線に乗って長野に出て、長野電鉄の特急に乗車。実は、これも今回の旅の目的の一つでした。長野電鉄では、いま、元・小田急の特急車と、元・JR253系(旧・成田エクスプレス)という2種類の特急用車両を運転しているのですが、それが長野では、どのように乗られているのかを見ておこうと思ったのです。地方私鉄が、他社の特急車を導入すると、それを「持てあましてしまう」ことが時々あるのです。そいうことがないかどうか。

 ちょっと驚いたのですが、長野電鉄にやってきた、元・小田急のパノラマカーは、見事に満員でした。日曜の朝というお客さんが多いであろう時間であることを差し引いても、たいしたものだと思います。先行する列車が、まだ長野駅に止まっていても、その次に発車する特急に、お客さんがどんどんと乗り始め、特に先頭の展望席はすぐに満員となりました。発車間際には中間の車両も満員です。
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 須坂を経由して、小布施で下車。帰路には元・253系に乗ろうと決めていたので、それまでの時間に、小布施にある美術館で北斎の作品を見ることに決めていました。
 やはり、印象的だったのは、神奈川沖の荒波越しに富士が見えている作品で、解説では、この作品がちょうど今の横浜の少し沖合の場所が舞台になっていると示されていました。

 面白く感じたのは、荒波が、ハワイのサーファーのメッカのような波として描かれているのには誇張があるとしても、神奈川沖からであれば、船にでも乗っていなければ、波の向こうには富士は見えないというアングルのデフォルメがあることと、神奈川の側から見るのであれば、富士の前には丹沢山塊が衝立のように立っているのに、それがまるで描かれていないということに、改めて気づかされたことでした。もちろん、絵画ですから、これらのデフォルメ、省略は、作品の純度を高める当然の手段として認められていますし、もし「神奈川沖」の富士の作品の中に、丹沢が描かれていたら、この作品は歴史的名画とはならなかったかもしれません。
芸術作品とはいかにあるべきかについて、色々と考えることができる小布施探訪となりました。
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 ナワテ通りからは女鳥羽川を挟んだ対岸にある「女鳥羽そば」は、学生時代に松本に初めて来た時にも寄った店でした。学生にとっては少し敷居が高いくらいの店でしたが、それでも寄ってみたというのは、美味しいものを食べたいという気持ちがあったことと、あとは運なのかもしれません。写真は、今回も頂いた看板メニューの「三重ね蕎麦」で、名前の通り、3段重ねで、ざる、とろろ、茶蕎麦という、それぞれ異なった風味が楽しめます。

接客をしている女性(女将さん?)は、昔と変わらず、凛とした美しさを湛えている方ですが、髪がだいぶ白くなってきました。
お勘定を払う際に
「僕、このお店に初めて来たのは学生時代のことです。だから、もう40年になる」と言ったら、
「そういえば、いらしてましたね」と。
「え?いえいえ。数年に一回ですから」と言うと、
「また、お出かけの時にいらして下さい」と、仰ってくれました。
実は、この会話って、結構もの凄い。なぜかというと、曲がりなりにも、同じ店に40年通わなければ、できない会話なのだから。
「若者よ。悔しかったら、歳を取ってみろ」などと思いながら、店を出ました。

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 旅行の紹介サイト「たびねす」向けに執筆した津軽鉄道芦野公園駅の記事が掲載されました。
http://guide.travel.co.jp/article/17549/

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 この桜の写真を撮影したのは2012年5月のことで、もう少しばかり間が空いてはしまったのですが、いま記事を作成しないと、またこの駅の紹介が1年送りになってしまう。本当は、もっと天気が良い日に写真を撮りたかったのですが、自宅からは遠い場所だけに、致し方ありません。

 それに、この時も急ぎ足の旅行でした。この前日の朝には羽後本荘に宿泊していたのを、夕方までかけて車で鰺ヶ沢まで移動し、その翌日、この日のうちに横浜まで帰らなければならない日に、何とか芦野公園にまで足を伸ばしたのでした。現地はちょうど桜まつりの時期で、駅の周辺にも屋台がたくさん並び楽しい雰囲気だったのですが、ゆっくり見物する余裕もありませんでした。今から思えば、もったいないことをしたものです。

 以前、デジタルカメラが出始めの頃、自分の写真を35mmのフィルムカメラで撮るか、ブローニーで撮るか、デジタルカメラで撮るか、迷っていた時期がありました。3種類のカメラで同じ風景を撮り比べて、その結果、いちばん大切にしなければならないのは、時間であることに気づいた。これが今であれば、撮り比べるも何も、デジタル一眼レフで撮れば、よほどの特別なニーズがない限りことは済みます。あの迷いも過渡期の一時的なものでしかなかったわけですが、それでも、時間がいちばん大切なものであることは、今でも何も変わりません。むしろ、自分が歳を取ってしまった分だけ、時間が貴重であるとも言えるわけです。

 ですから、この芦野公園駅での時間の使い方も、もっとうまくできなかったものかな、と今もって後悔してはいます。
 それでも、今年は何とかまた、この地の桜の満開のゴールデンウィークに出かけてみたいものです。今度は、もう少し天気が良い日に巡り会いたいということと、今度は屋台で何か買い食いでもしようというのが、今の願望。
ゴールデンウィークが来るのも、あと20日あまり先のこととなりました。
もうすぐです。

 小淵沢からは211系に乗って,到着したのは松本。この日はこの街に宿を取っていました。
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とにかく,どこかに行きたいという気持ちから出た旅でしたが,実を言うと,この日,元・「ふきのとう」の,山木康世さんのライブが,この街であったもので,目的地が決まったという次第です。少し前に山木さんのライブに行く約束をしていながら,結果的に約束を反故にしてしまっていたもので,早く一回行かなければと,そんな気持ちでいました。

 ライブは駅の近くのホテルで19時開演。まだ,少し間があるので,まずはナワテ通りに行ってみることにしました。
学生時代から幾度となく来ている松本と,ナワテ通りですが,あまり大きく風景が変わっていないのは嬉しい限りです。

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 この旅に出たのは3月19日のことです。いわゆる3連休の最初の日です。
 予約したビジネスホテルに、その日のうちに着けば良いわけですが、この日に行われるミニコンサートに行くつもりでしたから、18時には目的地に着いておきたい。決めていたのは、それだけでした。学生時代は、そんな自由な旅を、九州や北海道で、ずいぶんしたものです。社会人になってからは、そんな自由はなくなりましたけれど、1泊2日くらいの行程であれば、気ままな旅の気分だけは、今でも、味わうことができそうです。
 天気予報では、1日雨ということでしたが、電車が山梨県に入ったあたりから、少しずつ青空が広がってきました。

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 写真は、日野春駅の停車中の電車からの眺めです。昭和時代に、あちこちに鉄道旅行に出かけた人であるならば、日野春という駅には、思い出があるかもしれません。新宿から長野(後には上諏訪)行きの夜行の鈍行列車が運転されていた時代、この列車が夜明け前に、およそ1時間停車していたのが、この日野春駅でした。

 それは夏であれば、そろそろ空が明るくなってくる時間でしたが、小海線が分岐する小淵沢まではあと2駅。どうせ停まるのであれば小淵沢まで行って欲しいと、何度も思ったものです。小淵沢まで行けば、駅はある程度大きく、時間によってはホームの立ち食い蕎麦の売店なども開いているのですが、日野春は小さな駅で、長い時間をホーム上を散歩して潰す以外にすることがなかったのです。

 けれども、現在の日野春駅のホームのは雑草が生い茂っていました。駅を利用する人が本当に限られた数になってしまったということでしょう。
 けれども、鉄道にとって駅のホームとは、乗客と接する施設であり、いわば旅館の玄関のようなもの。雑草など生えないよう、最低限の手入れはして欲しいものです。

 11時59分。八王子から乗った臨時快速「ホリデーやまなし」号は、小淵沢に到着しました。次の列車までは40分の空き時間があります。

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 昨年の初秋の頃から、今年の2月いっぱいまで、ずいぶん仕事が集中していました。どこにも出かけることができず、朝から夜まで机に向かっている間は、とにかく、どこでも良いから出かけたいという気持ちに駆られたものです。
 ようやくのことで、少し時間ができたので、「どこかに出かける」ことにしました。忙しいさなかには、それこそ「小田原で良いから出かけたい」と思っていたのですが、さて、どこに行くか?
 そういえば、仕事で八王子に出向いたときに、ホームに小淵沢行きの列車が入線してくたことがありました。そのときは、「ああ、これに乗って、小淵沢まで行ってしまいたい」と思ったものでした。

 そこで、八王子から小淵沢行きの列車に乗ってみることにしました。とはいえ、連休のことゆえ、ビジネスホテルの予約だけは取って、あとは時間も決めず、八王子から列車に乗ることにしてみました。
 家を朝の適当な時間に出て、八王子に到着すると、本当に運良く、15分後に小淵沢行きの臨時列車がやって来ることが解りました。
 それに乗ることにします。
 やって来たのはオール2階建て構造の215系電車でした。中・長距離通勤客に着席機会を与えるべく製作されたこの電車は、独特の構造が、結局は災いした形となって、大量生産されることはありませんでしたが、長距離の快速列車としての運転は、あるいはうってつけの役割であるのかもしれません。
 八王子から中央本線を山梨、長野方面へ向けて出発です。
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