発表から少し時間が経ちましたが、小田急電鉄が新ロマンスカーを製作することを発表しました。
http://www.odakyu.jp/program/info/data.info/8500_1656600_.pdf

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(画像はFacebook 小田急ロマンスカーから転載)

 新しい形式名は70000形で、再来年、つまり2018年3月から運転を開始する予定とのことです。
小田急ロマンスカーといえば、先頭の展望席の存在がやはり最高のセールスポイント。現在運転されている3000系「EXE」がこれを廃止した機能優先のデザインを採用したものの、展望席の存在を望む声が多数あがり50000形「VSE」では、これが復活したと聞いています。20000形にも展望席は健在。

 私自身、仕事も含めて何回も小田急ロマンスカーを利用していますが、実際に展望席に座る機会があったのは2回だけで、そのうち1回は、当初から展望席の着席を予定していた団体旅行でしたから、私たちが展望席を利用する機会はめったにないということにはなりますが、やはり、こういうプレミアムは残しておいて欲しいものです。夢がありますから。

 何年か前に友人グループと連休に箱根に行き、現地で帰路の渋滞を心配する旦那衆を尻目に、一人の奥様が子供に対して「ロマンスカーで帰ろうね」と言ったところ(彼女は旅行の途中からメンバーが増えた事で、クルマに乗り切れなくなったのでした)、運転をしなければならない旦那衆が羨ましがったという、鉄道にはそんな魅力が残されています。

 まずは鉄道会社自身が、もっともっと鉄道に乗りたくなる工夫をして欲しいところです。その意味でも、小田急の真ロマンスカーへの期待は大。まさにフラッグシップトレインというところでしょうか。
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今年のJRのダイヤ改正は、「トワイライトエクスプレス」の廃止、「北斗星」の定期運用の終了があって、北陸新幹線の延伸開業などの華やかな話題がクローズアップされない改正となってしまいました。これまでであれば、「東京から北陸へ1時間半」などという見出しが目立っていたのですが。

この事象に評論を書くと、なんだかまた悪口めいてしまうので、今は自粛しておきます。上野東京ラインは早く利用してみたいですし、北陸新幹線もそう。富山、金沢は好きな街なので、ゆっくり遊べるようになることが楽しみです。それから、大きく様相が変わることになる「ほくほく線」も、もう少し暖かくなったら訪ねてみたい。のどかな一ローカルラインということになっているのでしょうが、そこに新たな魅力を見つけ出したいものです。

なんだが、きょうは大晦日のような気分。でも、吹く風はだいぶ暖かくなってきているから、明日は久しぶりに低山にでも出可kてみようかな。仕事もおしてはいるけれど、帰ってきたら頑張りますから。

JRのダイヤ改正まで、1週間を切るところとなりました。「トワイライトエクスプレス」の廃止、「北斗星」の不定期化(夏までで廃止)などが話題になっていますが、北陸新幹線の開業、東京上野ラインの開業にも、もっとスポットライトを当てて欲しいところです。なぜか、鉄道趣味は懐古趣味的な色合いが、これは昔から強いのですが、それこそ「こんな時代だからこそ」、明るい話題をもっと、目立たせて欲しいものです。それはもちろん、私の役目でもあるのですが。

 その一方で、北陸新幹線の延伸に伴う並行在来線の第三セクター鉄道への転換には、やはり淋しさを覚えます。これはある駅弁業者の方に伺った話ですが「新幹線の開業も良し悪しである。新幹線の開業後、在来線は明らかに不便になった」とのこと。仕事で東京に行くのであれば、新幹線は唯一の選択肢となるのでしょうが、そのような必要のない人たちにとっては、ダイヤ改正ごとに鉄道が不便なものとなっている。鉄道会社の格好良いテレビコマーシャルが流される一方で、利用者の鉄道離れが加速しているのかもしれません。

解決方法は何か?とてもすぐには見つかりそうにありません。
ただ、寝台列車がなくなって淋しいというような、短絡的なものではない、どのような視点で鉄道を見続けてゆくべきなのか?これは本当に、私たちが試されている時代になったのだなと、何となく、そんな気もしています。

本日の昼食は,昨晩に閉店間際のスーパーで売っていた77円のハンバーガーをばらし,肉はフライパンに油を引いて熱々にし直し,バンズも上下ともフライパンで温めてちょっとカリカリにし,口にするとチカチカするくらいに厚く切ったタマネギの輪切りを挟み,マスタードとタルタルソースを少し多過ぎるくらいに塗って,冷たいコーヒーと一緒に食す。見た目は粗末だが,こんなに素敵な昼ごはんはない。もう1個売れ残っていたんだよなー。2個買っておけば良かった。

わあ。もう夕方だ。何か書かねば。
むぅ。

相変わらず、ジャンクメールばかりよく来ますよね。最近「涼子さんが、あなたを指名しました」式のメールは影を潜めており、これだけはありがたいのですが、先ほども、
「隅田川花火大会(東京下町連載)/あなたはなぜ英語が話せないのか分かっていますか?」というタイトルのメールが来て、こーゆー物の言い方はないと思うぞ。なぜ英語を話せないのか?って、俺、アメリカに一人で行ったって、ハンバーガー屋くらいは行けるぞ。もっとも「マクドナルド」の、アメリカ式の発音は難しい。現地の人に教えられた発音をカタカナで書くと「ッナル」となる。これは知らなかった。
それなのに、「なぜ英語が話せないのか分っているのか?」とは、何だ?
それに「隅田川花火大会」というのがくっついているのは、何故だ?英語が話せないと、花火を見てはいけないのだろうか?

↑これは、ジャンクメールに認定してあげよう。

一方、朝イチで「お誕生日おめでとうございます」というのも、ニフティから来た。
えっへん。今日は、防災の日とか、歯磨きの日とか、漬け物の日とか、そういうのではなく、私の誕生日なのですね。おめでとうございます。はい、ありがとうございます。これは冥土への一里塚ですな、本当に。
55歳だもん。昔なら定年だぜ。でも、これから、いよいよこれから稼がなければいけない。大変だけど、仕方ない。頑張るのだ。

この歳になっても、未だに女性からの祝福メールが来たことがないというのも、凄いといえば凄いし、たいしたことないといえばたいしたことない。でも、さすがにこの歳になると、1ステップ1ステップが重いな~、なんて感じていたら「模型工房 クラフト」というホームページに、オーナーが「歳を重ねるほど、新しいものを手掛けたい気持ちがさらに強くなっいていて、頭の中はアイデアであふれています。」と書いているのを見つけて、この言葉、ほっとしたので、勝手に引用しちゃいます(トラックバックものですね)。

でも、こういう言葉を常に口にできるようにしなければいけないなと、それは本当にそう思う。そうであれば、実年齢は関係なく、将棋の米長邦雄さんが言っていた、「大切なことは『若さ・笑い・謙虚さ』」というのも、本当だと思う。アイディアや、バイタリティがあれば、実年齢は関係なく(←あまり)、そのうえ、明るくて、謙虚であること。人に笑いを提供し、偉くならないことですな。偉くなりたいけど。そうすれば、まだ大丈夫かなとも思う。きっと。もう少し。

もっと、勉強しよう。新しいことを始めよう。

うん。ブログらしくはなったな。
読者から笑われているって…?

だから言っているでしょ。笑いは大切だって。
つるかめ。つるかめ。


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糸魚川の機関庫について、またまた貴重なコメントを頂きました。こちらで改めて紹介させて頂きます。

まず、hmdさん。
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池口さん、こんばんは。
天気も回復しましたですね。

初めて乗車したキハ20系ファミリー車両は、
この125でした。
キハ40系世代でもあるので、初乗車は大変感動した
想い出があります。
池口さんと同じく、朱色ツートンでは無かったので、
内心、少しがったりした記憶もありますが・・・。
今春、夷隅で見た時は塗色も変わったせいか、
まるで別人の様に見えました(笑)

こちらのレンガ車庫も本当に残念でした。
解体される1年位前に、糸魚川に訪問出来たので、
良かったと思っています。
機関車は鉄道文化保存の意識が一般の方々にも
理解されやすいですが、客車や貨車、駅舎に付いては、
日本はまだまだと感じます。

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それから、おにぎり太郎さんです。

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こんばんは

どの分野もそうですが保存と解体・廃棄は線引きが難しいですね。どの視点に立つかで見方はかわってくるし、どちらが良かったのかはおいらにはわかりません。ただ無くなったものは二度と見れない。思い出だけになってしまうのは残念ですね。小さなころ買い物に行った町の商店やデパートがなくなるのもさびしいです(涙)

それでもこうやって写真や文章などで第三者が見れるっていいことだなぁ。ふとした時に思いだし、それを検索すると見れるんだから。池口さんのブログは、とっても貴重な資料だと思います♪

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どちらも、きちんとしたご意見で、私が負けています。

本当にこういった「古い物」の保存は難しい。
何から何まで「貴重だ。貴重だ」を連発していると、いずれ地上がゴミだらけになってしまうかもしれません。
やはり定見というものは必須であると思います。

それから「無くなったものは二度と見れない」ということは、日本ナショナルトラストの方もおっしゃっていました。その上で、こういった遺物を目の当たりにして、人間はいかに生きてゆくべきかを考える。
なんだか、大げさで、結論が出ない展開になってしまいました。すみません。

そいえば、昔、大井川鉄道の副社長だった時代の白井昭さんが、モハ52の動態保存を依頼されて断ったということを聞いたことがあります。形態的には魅力があるものの、モハ52形は動力機構などには目新しいものがあるわけではなく、動態保存の必要性があるとは思われない、というのがその理由だとか。これなどは、まさに定見というものでしょうね。

ところで、そのモハ52は、1両が名古屋のリニア・鉄道館に展示されています。
戦前に流行した流線型のフォルムを留め、ベアリングなど当時の最新鋭の技術が採用されていたことが評価されての保存です。

そういえば、大井川鉄道での保存が打診された時は、まだ飯田線で働いていた時代の横須賀線カラーの時代でした。今は、戦前のクリームとこげ茶色の塗装に戻されています。まさに戦前の「関西急電」の姿です。

先のナショナルトラストの方は、「車両にも運を感じることがある。運の良い車両は、何故か解体をまぬがれ、保存に至る」ということを仰っていました。
モハ52形も、運の良い電車なのだと思います。


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先日の記事の補遺です。補遺なんて書くと格好良いけれど、フォロー。ホイですな。ホイホイ。

モレルの墓です。

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外国人墓地の、一般の見学客が立ち入ることのできるコースの入口には、著名人の墓の場所を案内する図が掲げられていて、モレルもその一人なのですが、案内図を覚えていったつもりでも、すぐには見つけることができませんでした。それくらいつつましいお墓です。

でも、お墓は、こういう大きさのものが良いと思います。あまり大きい必要はない。死んだ後、せめて1DKくらいには住まわせろよ、なんて愚痴をこぼすことになるのかもしれませんが。
お墓の後方に建てられている石碑に寄せられた文章には、十河信二の署名があります。
思えば、この名前がしるされていることにも、なんだか味わいがあります。


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先日来、千葉の話は何かと盛り上がっております(笑)。

で、いすみ鉄道に譲渡されたキハ52形の写真がなかったかなと思って探したら、糸魚川で撮影した写真が出てきました。

いといがわきは

キハ52 125。たしかこの125がいすみに行ったはずですが、大糸線時代はブルー塗装だったのですね。晩年はこの塗色と、クリーム+朱色のオリジナル、それから俗に首都圏色とかタラコとか言われていた朱色1色塗りの3両がいた。この撮影は、この前引き合いに出させて頂いたCSの番組「みんなの鉄道」での取材だったのですが、個人的にはクリーム+朱色が好きでしたから、それが来なかったことが、ちょっと残念ではありました。ところが、この写真の125号がいすみに行ったとなると、話は別で、写真の潰しが効く(笑)。ともあれ、こうやって振り返るのも悪くないもので、現役時代のキハ20系、あるいは52系なんて、別にどうでもいいような存在だったのですけれどね。今はこれだけいとおしいのだから勝手なものですが。

で、上の写真の背後にちらりと写っているのが、これ。

いといがわきかんこ
レンガ造りの機関庫です。北陸新幹線の工事のために取り壊され、今はありません。保存運動ももちろん起ったのですが、結実しませんでした。本当はこういう時にこそ、何を残すべきで、何を諦めるべきなのか、理論的に語れる人間が必要なはずです。ところが、鉄道趣味界の人間となると、どうも古ければ良い、思い出があれば良いというところから脱却できないきらいがあり、社会的に評価を得られないでいます。本当は、このあたりこそ大きな問題であるはずなのですが。

そんなことを言いながらも、実は私自身、「線引き」ができないでいる。つまり、勉強不足なのです。本当は、じっくり海外で勉強したいところなのですが、そこまで余裕ないしね(笑)。これは課題です。

そういえば、昔、ある私鉄の人がこんなことを言っていました。「私どもが所有していた、非電化時代に使用した自社の蒸気機関車は、社会的にも保存の必要が認められて、つまり世論のようなものが会社を動かして、保存することができた。けれども、客車はそこまで行けず解体されてしまった。もし、もう少し時代が熟していれば、客車も保存できたかもしれない。それを思うと残念です」

確かにそうなのでしょうね。それでは時代を動かすものとは何なのでしょう。
生き残ったキハと、そうならなかった機関庫のことを思うと、また解決できていない課題が現れた気もします。


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がいこくじんぼち
横浜の外国人墓地です。いきなり墓地の写真ですが、ここには日本の鉄道開業の恩人たちが眠っています。技師長としてイギリスから招かれたエドモンド・モレル、彼が日本の鉄道の開業を待たずに逝去した後、遺志を受け継いだジョン・ダイアックなどです。

実はエドモンド・モレルの墓は、写真の場所からは離れた所にあり、木立の多い斜面の一角に、ひっそりと建っていました。立派な十字架も多い中で、モレルの墓は、イギリスに輸入品ばかりを発注しようとはせず、日本の風土に合った技法を推薦したという、誠実な人柄にも良く似合う、つつましいものでした。

けれど、当時、地球の裏側の「発展途上国」に招かれたやって来たイギリス人技師たちは、どのような気持ちで日本での生活を送っていたのでしょうね。文化も習慣も違う国での生活は、想像以上に苦しかったことでしょう。

今日、日本から海外に出向となるエリートの中には、日本に帰れる日を指折り数えている人もいるのだとも聞いています。それだから、外国人との競争に勝てないのだとも。赴任先で、現地の文化を採り入れ、きちんと対応していける人と、日本でしか役に立たない「高学歴」という看板にすがっている人では、勝負にならないのだとか。

イギリスから来た招かれた人の中には意地の悪い人もいたという証言も残っています。けれども、モレルのように誠実な人も多かったとも。あるいは誠実な人ほど、深い人間性が日本の人にも愛されたことでしょう。それでも、遠い異国の地で終焉を迎える時に、彼らの胸に去来したのは、望郷の念だったのか、それとも達成感だったのか。それは、解らない。

あり得ない話ですが、もし自分がその立場になったら、どう思うのか。それも想像がつきません。
昨日、鉄道開業の話を書きましたので、こんな施設もあるということを書いてみました。もし、横浜に寄ることがあったら、ついでに墓参してみて下さい。鉄道に対する思いが、少し深くなると思います。

みなとのみえる
外国人墓地の近くにある「港の見える丘公園」からの眺め。確かに昔は良い眺めだったはずですが、今は埋め立てなどによって「港も見える丘公園」になってしまいました。
日本人は、景観を守ることが、本当に苦手ですね。


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「昔の写真には発見がある」と浅井慎平さんが仰ったので、昔の写真を探し出してみました。

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これはどこでありましょう?はい、臨海副都心という所です。遠方に見えるのがテレコムセンターの建物でしょうか。ゆりかもめからの眺めです。

しかし、見事に何もないなあ。ポジの別のカットを見ると、シーリアお台場が写っていて、入居は始まっていたから96年初頭頃の撮影でしょうか。青島幸男が都知事に当選して、この場所で開催される予定だった「世界都市博」が急遽中止になった。そのためもあってか、現地は空き地だらけという光景です。

この頃は、本当にどうなるのか?と思っていました。もしかしたら、都心から至近の場所に広大な荒れ地ができてしまうかもしれないと、私自身、そんな予感すら感じていました。

今、休日にお台場に遊びに出かけている若い子たちが生まれた頃の風景ということでしょうか。彼ら、彼女らには信じられないことでしょうね。

まさに発見でした、って、浅井さんが言っていることと、意味が違うけれど。



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8月31日をもって、JR東日本房総地区に残っていた113系が全廃となったそうです。

私は、ことさらに見納めには出向きませんでした(家で仕事してたもん)。

昨年の8月15日に、鉄道雑誌の取材に出かけさせてもらい、館山駅まで113系に乗り、帰路はどこかで走りの撮影をするということで、結局、上総湊の鉄橋で、4時間待ちということになった。その頃、相次ぐ運用変更があって、当日もよく解らない状態になってしまい、問い合わせのしようがなかった。待ってれば、そのうち来るだろうと思っていたのですが、昼食抜きで現地に行ったのに、113系がやって来たのは、太陽が色づく頃。1箇所で4時間待ちというのは私にとっての新記録でしたが、ここまでなると、食い物の恨みは…というより、また来ることにならなくて良かった、というのが正直なところでした。

それだけ113系が少なくなっていたことも解っていたので、だから今回も、来る時が来たのだなあという感じです。この手の話題があるときに、決まって「惜しまれながら」とか「残念ながら」とかいうような紋切り型の形容をするマスコミもありますけれど、そういう感じはありませんでした。

ただ、113系に最後に乗ったその時も、クロスシートから窓の外の海を眺めていたときは爽快で、「これで仕事では申し訳ないな~」と思ったことも、まあ、本当と言えば本当です。

今、113系の代替に運用されているものの一つが209系でしたっけ。内房線は極端なラッシュ区間ではないのだから、できるだけ、クロスシートを装備した車両を充当して欲しいとは思います。

なくなる113系を残念がることも大切ではありますけれど、「鉄道の旅」を楽しめる線区では、それにふさわしい居住性を備えた車両を運転して欲しいと、そんな声を上げることも、大事なのではないかなと思います。

113系
↑ 館山駅にて



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きょうから9月。区切りの上では秋,ということでしょうか。

私が,いちばん鉄道に夢中になっていたのは,中学生,高校生の頃でしたが,その頃は9月になるのが恨めしかった。学校に行かなければいけないというのもありはしたけれど(笑),それよりも,夏が終わってしまうということが淋しかった。夏休みには必ず,鉄道でどこか遠い所に行けて,蒸気機関車や,その他,見たことのない車両を見ることができて,田舎で過ごすことができた。例えば,田舎道を歩いている時に,偶然C58形が通り過ぎてゆくような,そんなシーンに出会えて,それが,当時聞き始めていたはっぴいえんどというロックグループ曲の中のひとつ、「夏なんです」という歌の歌詞と,自分の心の中でシンクロしたりして,なんだかとても美しいものに感じられた。

その,自分がいちばん幸せな環境にいれることの,象徴が8月だったわけですね。今にして思えば,その頃の人生は,9月であれ,10月であれ,毎日楽しかったわけだけれども,つまり,その頃の自分は,鉄道旅行が好きで好きで仕方なかったわけです。今はまあ,その頃はかなえられなかった夢を,もう一度,追いかけているようなものでしょうか。フォローできるものと,絶対にできないものがあるけれど。

年齢が50代も半ばになってしまうと,やれやれ暑いのも終わったか,くらいの感覚がまず最初に来て,昔の,なんと言うのかな,ガラス細工のような感性はどこかに行ってしまっている。もしかしたら,それを忘れてしまっていることがいちばんいけないのかもしれませんね。欠点はいつまでも直らないのに,自分の財産はどんどんうっちゃってしまっている。

でも,もう一度,あの頃いちばん大切にしていたものを思い出して,頑張って,夢をかなえたいものです。
例えば,北海道であるとかに出かける,そんな夢であれば,いくらだって実行できるようにはなっているのですから。


富士急ひまわり
↑ 富士急行の夏



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18時過ぎに自宅に帰り着きました。来週は、原稿の納品週間になるわけです。

高崎で仕事が一段落したのが、16時過ぎで、さあ、どうやって帰ろうかな、いちばん最初に思いついたのが、湘南新宿ラインのグリーン車に乗ること。新幹線で急いで帰っても、空いた時間に自宅で本を読むのであれば、車内で本を読んでも同じことで、昔はよくそうしていました。

例えば、夕方の静岡駅の出札口で「横浜」と言うと、新幹線の特急券を買わないのか、不審がられる。係の人の口調は、そうでありました。けれども、こちらは本を買い込んでいるので、速達列車に乗る必要はなく、沼津、熱海、小田原と、駅の様子なども見ながら、のんびり家に帰る行程にも、存分な楽しみがあったような気がします。

今日は結局は「Maxとき」で帰ってきてしまったのですが、オール2階建とはいえ8両編成では高崎からは座れず、デッキに立っていた時間は大した時間ではありませんでしたけれど、「グリーン車の方が良かったかな」と思った瞬間もありました。

昔であれば、喜びいさんで大型時刻表を繰り、最良のルートを見つけ出したかもしれません。あるいは、そのための逆算をして、仕事を終える時間を決めるとか。
最近はPCの携行が不可欠になってしまったこともあり、その分、時刻表が割を食っているというのが、正直なところです。でも、もし時刻表が手元にあれば、昨日の夜などは、色々とルート探索をしていたことでしょう。携帯でも見ることのできるオンラインルート探索は、瞬時に最短ルートを見つけ出してくれますけれど、「思いもかけない、無駄の多いルート」を探すには、まったく不向きです。紙媒体も捨てたものではない。

もしかしたら、仕事全般、そんな袋小路に入りつつあるのかもしれない…
な~んてことは、今、これを書いていて思いついた台詞ですけれど。
今晩は、高崎泊まりです。明日で、今回のワールドツアー4連戦が終了。

高崎ですから、家に帰れないこともない距離ですが、往復の運賃を考えれば、泊まっても同じこと。
それだけ、現代という時代は、宿泊施設が、安く、快適になったということですね。
私たちが周遊券で夜行連泊を繰り返していたのは、宿代を浮かせるための方策でもあったわけです。
逆に考えれば、こんな時代でニーズを喚起するためには、格安のビジネスホテルに負けないサービスを提供できなければ、夜行列車は賛同を得られないということになるのかもしれません。

もう15年以上前のことですが、友人に連れられていったアメリカで乗った夜行列車には、ちゃんとサービスが備わっていました。食堂車のボリュームたっぷりの食事、コーヒーや、ユタ州を通っている間を除いてアルコールをいつでも楽しめるラウンジ、ゆったりとした造りのシャワー、フレンドリーな乗務員などが揃った旅は、朽ち果てかけたようなラウンジカーが連結されたのみの日本の夜行列車とは、別次元の楽しみがありました。もっとも、かの地でも、長距離列車のニーズは衰退傾向にあるようですが。

ホテルのLANでメールをチェックし、あとは気の済むまで本を読んでいてもよい、というのは、もしかしたら、とても贅沢なことかもしれません。先ほど、夕食は駅に隣接したビルの5階ですませました。チキンソテーに、ライス、スープ、お替り自由のコーヒーがついて、1000円とちょっと。昨晩が420円でしたから、う~ん、3倍近いなあ。贅沢しちゃったのかなあ。

じゃ、読書の時間に入ります。
7月の3連休を浜松と沼津で遊んだのですが,その時に泊った沼津のビジネスホテルで,月末に花火大会があることを教えてもらいました。もうずいぶん以前,西伊豆で,加山雄三さんのインタビューをしたことがあったのですが,その帰り道に,この花火大会に偶然遭遇し,そのときは,ずいぶん近くで打ち上げられるんだなあと,そんなことを感じたものです。

今朝,何気なく沼津のホテルの予約状況を見ていたら,やはりどこも週末は満室。花火大会のおかげかな,とも思ったのですが,偶然,あるホテルに1室だけ空きがあることを見つけ,衝動で予約をしてしまいました。

さて,それでは夜は花火を見るとして,それまで何をしていようと考えたのですが(笑),沼津の図書館に調査に行くことにした。いや,別件でちょっと調べものをしているうちに,それなら沼津に行かなければいけないのかなあ,などと思うようになり,なんだ,ホテルの予約をしていたじゃないかと(笑)。そんなわけで,週末は沼津で,仕事の調べものと,花火大会です。さて,どうやって行こう?

沼津といえば,国鉄が初めて電車の長距離運転をした,「湘南電車」の終着駅。もっとも,電車の長距離運転は,それまでにも東武鉄道や,参宮急行電鉄が実施しているわけですが,まあ,国鉄としては初めて。昭和25年の春に運転が始まりました。

その頃の時刻表を見てみようと思い,すぐに出て来たのが,昭和31年の復刻版で,これによれば,横浜発8時04分の,浜松行が,沼津着10時04分,浜松着12時53分。この頃の電車は80系でしょうか。各駅停車とはいえ,沼津まで2時間,浜松まで4時間50分を要しています。今は,「のぞみ」ですと,浜名湖から新横浜までジャスト1時間。比べてはいけませんけれど,やはりずいぶん違うものですね。

でも,この頃はまだ,中・長距離輸送は,客車列車が主体のはずで,電車の運転が開始された時は,沿線の人は大きな喜びも感じていたのではないかと思います。週末の沼津も含めて,そのあたりのことを,これから少しずつ調べてみようかなと思っています。

東京に帰って来ました。唐突ですね、昨日まで山陰におり、その前は浜名湖におりました。山陰取材では、今期3回目の直撃を食らい、スペクタクルでした。松江の町の小さな掘割が、津軽の海のように波だっているのですもの。高知など、かなり雨が降っているようですが、気をつけて、がんばってください。
帰路の「やくも」は一部抑止がかかって、大幅に遅延し、でも新幹線は定時でびゅんびゅん動いていました。
凄いといえば凄いものです。5時間くらいで横浜まで帰ってこれてしまうのですから。山陰や、芸備線や、木次線に蒸気機関車の撮影に行っていた頃はこうではなく、京都まで帰ってきて103系を観ると、ほっとしていましたけれど。旅情も乏しくなりはしたけれど、こちらも頭を切り替えないとね。それこそ新幹線のスピードに負けないように。