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 昨日(3月1日)は、静岡市の図書館に調査に行ってきました。
 そのあと、地元の鉄道会社の方と、個人的に食事。色々な話が出ましたが、その方もある第三セクター鉄道に個人的な旅行をし、様々な疑問を感じたと仰っていました。つまり、その地方では、一つの大きな谷の中に線路が延びているのだけれど、その谷には高速道路も自動車道もあって、競合している。結果として鉄道は割を食う形となっており、行政は何もしないのか?といことが、大きな疑問であったということです。

 そこで、昔フジテレビのニュースで見たことを話しました。静岡に空港ができた時、空港の建設ラッシュに安藤アナウンサーが疑問を持ち、隣に座っている木村太郎キャスターに「これで良いのでしょうか?」と振ったところ、木村さんは「自由競争」と、少し大きな声と身振りで返答した、という話です。

 けれども、もし交通行政を、本当に自由競争だけに任せていたら、国は崩壊します。それは、もう明治初期には予測がついていた。だから明治政府は、私鉄の建設を認めようとしなかった。これは予算の問題から初志を貫徹することができず、日本にも私鉄が誕生するのですが、それでも全国の幹線の建設は国が手掛けた。そして、大きな組織である国鉄が形を整えてゆくわけです。「もし、私鉄を認めれば、すなわち自由競争を野放しにしたら、鉄道は人口の多い所にだけ作られ、地域格差が拡大する」、というのが明治政府、殊に井上勝の持論であったわけです。『坂の上の雲』ではありませんが、明治という時代はそれだけ偉大な時代であった。

 ひるがえって、現代の行政の、なんと貧困なことでしょう。政治家は保身と利権に走り、本来の仕事である政治、すなわち、国を良くするための枠組み作りに着手することには、非常に及び腰になってしまっている。それでも彼らには、殊に国政の代議士には、非常に大きな特権と、待遇が与えられているのだから、悲しい話です。それもまあ、そういう先生を選んだ有権者が悪いということになり、本当に救いがないわけですが。

 「だからもう、、鉄道会社自身が、行政を動かしてしまうようにしなければ駄目な時代なのだと思います」と、これは企業が自らの力で条例を変え、建蔽率の関係から増築は不可能とされていた横浜スタジアムの増築を可能としたDeNAの例を話しさせて頂いたのですが、本当にもう、それくらいの力技ができる鉄道事業者が現れて欲しいと、なんだか悲鳴にも近いような感想を抱いたのでした。
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 京浜急行電鉄が創立120周年記念事業の一環として進めていた駅名の変更について、4駅の新駅名が発表されました。
産業道路→大師橋 花月園前→花月総持寺、仲木戸→京急東神奈川、新逗子→逗子・葉山の4駅の変更です。

 当初は40駅程の駅名変更がアナウンスされていましたが、実際には4駅ということで留まりました。
 駅名の変更について、結構多くの反対意見があったのかもしれませんね。
 私も京浜急行はよく利用する立場なので、正直なところ、ほっとしています。
 
 商業主義の優先が目立った「恵方巻」の大量廃棄問題は、去年あたりからマスコミにも採りあげられるようになったけれど、1月16日の記事(つまり本日付けですが)で、朝日新聞が「恵方巻き大量廃棄の悲劇防げるか 国が呼びかける事態にと報道したためか、記事中で「売り方を見直した」と報じられている兵庫のヤマダストアーにも問い合わせ、賛同が殺到しているという。
同社のホームページにも、ヤマダストアーの恵方巻報道についてというページが設けられ、

「昨年の当社の恵方巻の取り組みについて全国各地の多くの方よりご関心を持っていただき、またお褒めを頂き誠にありがとうございます。
(中略)
色々な視点で報道され、様々な議論も出てきていますが 私共が考える一番のおすすめは

「それぞれのご家庭で巻寿司を巻いて家族で楽しむこと」です。

当社の巻寿司を郵送してほしいというお声も頂きますが(笑)、遠い所から巻寿司を取り寄せるよりも地元のお店で具材を買ってお家で巻いて家族で楽しむ方が絶対美味しいです! 」
と記されている。

なんか無茶苦茶恰好良いぞ。ヤマダストアー。大きな組織に属しての安定志向では、絶対にこういうセリフは出て来ない。
小さな、けれどもなんだかとても痛快な出来事。


箱根駅伝を小涌谷の踏切で観戦する場合、11時小田原集合(私は友人と待ち合わせてから、現地に赴きました)では、登山電車の行列待ちの間、タイミング的に間に合うのか、少し不安になります。駅係員からハンドマイクで、「これからでは間に合いません」なんて言われたりしますので。10時半なら大丈夫でしょう。
 それでも何とか11時過ぎに小田原を出発しますと、小涌谷には11時40分くらい着かな。それからここで小1時間、選手が走って来るのを待たなければなりません。
 ⒓時に、どこからか、チャイムが聞こえてきます。沿道の誰かがラジオを鳴らしたりしていると、「先頭は小田原の中継所」なんてアナウンスが聞こえたりしますが、それでも、まだ静かなものです。
 やがて花火がドンドンと響き、こちらの気持ちもこれで高ぶってきます。いよいよ来たなという感じ。そしてヘリコプターの爆音が聞こえる。続いて、何台もパトカーが通過し始め、大会関係者の車から「間もなく選手が来ます」というアナウンスもある。さらに続いて、実にいろいろな車が通過してゆくのですが、このあたりの順番は、テレビ中継では解らない。それを目の当たりにできることが、沿道に繰り出すことの醍醐味でしょうか。
 そして、坂の下の方から、歓声が潮騒のように聞こえてきて、それが少しずつ少しずつ大きくなる。白バイも2台だけでなく、何台か通過するのですが、歓声が聞こえたら選手がやって来るのはすぐ。そして選手を見ながら、多くの観衆が「頑張れ!」などと叫ぶのですが、あれ、見る側も相当にハイになっているのでしょうね。
 選手団の通過にそんなに時間は要しません。たいがい最後は「学連選抜」。それが通過すると、また報道だの、大会関係者だの、警察だのの車が大挙して通過し、最後にやはり大会関係の車が通過して、「これですべて通り終わりました」とアナウンスを続ける。
 でも、これが集団の本当の最後ではなく、実はこの後ろにいつも、大量の「一般の人」が漕いでいる自転車が、集団について走ってきます。この自転車の大集団も、決してテレビには映りません。
 数年前には、「沿道で母校を応援したかったけれど、友人がどうしても福袋を買いたいと言い出し、東京駅の大丸で福袋を買ってから、新幹線で追いかけた」という女性編集者がいました。
「湯本で見ることができました」と言っていましたので、惜しまず新幹線を利用すれば、駅伝観戦の領域はずいぶんと広がるようです。

 どういういきさつだったか、今日は打合せの最後に「皆、どこで箱根駅伝を見る?」という話題になりました。私は「去年は行かなかったけれど、その前の年は、箱根登山鉄道の踏切」と答えたら、「鉄だなー」と言われ、その発言の主は川崎なのだと。なんでも選手が通り過ぎたら、その後は川崎競馬に行くのだそうで。

 横にいた一人は、「俺は家でテレビだ」と言っているところに、後から会議室に来たスタッフは「毎年、カミさんの実家に行っている」と、なんだか素行調査みたいになってきた。でも、結構、皆、あれは見ているようです。

 箱根登山鉄道の小涌谷の踏切には、いつも登山鉄道の運転指令の人が来ていて、選手団の動きと、列車の現在位置をリアルタイムで監視しながら、列車を一旦停止させるか、先に踏切を通過させるかを判断しています。もちろん、列車を一旦停止させればその後はダイヤが乱れることになるから、できるのならば、そうしたくないというのが鉄道事業者の立場でしょう。けれどもある年は、どんぴしゃでバッティングしてしまって、現場から「今年は選手をすべて通します。運転整理よろしく」と連絡していた。運転整理というのは、ダイヤを復旧させるための工夫であるわけですが、それを全面的に委任したというわけ。

 けれども、年に2日だけのことであるし、ダイヤが乱れたとしても、「駅伝開催により」とアナウンスすれば、お客さんは怒らないのではないでしょうか?数年前には、京浜急行の京急蒲田駅の近くにあった踏切が線路の高架化によって廃止され、駅伝の開催によるストレスは解消したわけですが。

 観客の立場で言えば、それも少しつまらない気がします。
 もうすぐ、年末、そして年始です。
 皆さんは、どこで?


 これは先日のこと。とあるスーパーマーケットをぶらついていたところ、この近所にある専門学校の生徒らしい女の子が、買い物に来たおばあちゃんを捕まえて、どのカップ麺が美味しいのか、アドバイスをしていた。
「これを買うのだったら、そちらの方が20円安くて、美味しいですよ」と、その口調は何やら自信に満ちているように感じられた。そしておばあちゃんからお礼を言われた応えが、
「いいんです。私、カップ麺マスターですから」 というものだった。その口調もとても自慢げに聞こえるもので、これが若い人が相手だったらうまい突っ込みを入れてもらえるところなのになあ、と、せっかくのギャグが不発に終わったのが、傍で聞いていても、少しもったいなく思えた。

 それにしても、私が若い頃、つまりまあ30年くらい前までは、インスタントラーメンというと、貧乏とものぐさの象徴だった気がするが、現代のカップ麺には、本質的な部分は変わらないにしても、あの頃のインスタントラーメンのようなうらぶれたイメージはなくなっているのだなと、これは女の子の口調を聞いていて感じられたのだった。何しろマスターですからね。

 世の中には進歩するものと、置いていかれるものの2つがあって、その差はどこから生まれるのかというと、やっぱり勢いなのだろうと思う。それであれば、これから私も何かのマスターを名乗って、勢いをつけてみようかとも考えたのだが、これが案外難しい。牛丼マスター、カレーマスター、回転寿司マスターなどを名乗ってみても、そんなに奥行きが感じられず、それではマスターという称号がサマにならないのである。カップ麺というのは、その点、実に良い落しどころなのだった。

 それでは私もカップ麺で行くかとも思ったのだが、スーパーのあの巨大な棚にずらりと並ぶカップ麺の数を思い出し、自分には無理だと、それは確信できた。
 
 匙加減は大事だと思う。何事も。

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 昨日、山手線で建設中の新駅の駅名が「高輪ゲートウェイ」と発表されました。
 賛否両論と言いたいところですが、ネットなどを色々見ていますと、ほとんどすべて失望の表明でした。まあ、マニアは悪口ばかり言いたがる種族なのですが、気になることは、得票では第一位となった「高輪」の8300票あまり、第二位の「芝浦」の4200票あまりとは、およそかけ離れた少数のものが採用されたことで、「これなら最初から、公募などするべきではなかった」という意見には、大いに頷けます。今頃、多くの人が、がっかりとした気持ちになっていることでしょう。これが、採用作が3位くらいの得票(というか応募数)を得ていたのであれば、まだ、納得もできるでしょうが。

 もちろん、公募というものは、単に数の多さだけで決まってしまうものではありません。そういうことであれば、何もかもが組織票で決定されてしまうということがあるかもしれません。それもまた、公募の趣旨に反することでしょう。鉄道関連の物に限ってみても、今までの公募の例で、何も得票数だけで決まったわけではないものがたくさんあります。

 そもそも、日本の初めての愛称名付き特急が運転されることが決まったとき、愛称名が公募されました。そして第1位の「富士」と、第三位の「櫻」が採用されて、それぞれ東京~下関間運転の特急として運転が開始された。昭和4年9月のことです。

 それでは、第二位の愛称名はどうなったのか?この時の第二位は「燕」でしたが、このスピード感のある愛称名は、この翌年から運転が開始される特急に使用されることになった。「燕」は、途中の停車駅を制限したり、機関車のつけ替えの数を減らすなどの工夫をして、東京と大阪の間を初めて8時間20分で結び、「超特急」の愛称名もつけられています。スピード感のある愛称名は、取っておかれたのですね。これなら、「燕」に投票した人も納得したことでしょう。

 今回も選に漏れた人には、なんだかの形で「お返し」をしてあげて欲しいと思います。それが利用者への還元であり、鉄道と利用者も間に絆を強いものとする鍵になると思います。

「残念でした」だけでは、次からはもう誰も投票したいと考えなくなってしまうかもしれません。


来年5月の天皇即位による10連休の実施が閣議決定しました。
 となると、恐らくは法案が成立します。休日と謳って頂くことはありがたいですし、即位に伴うものですからおめでたいことです。ただ、実際に全国民が10日間、家に籠ってしまうようなことはないわけですから、当然、混乱が生じるでしょう。そのことも仔細に記録するべき、と言うか、しておくと面白いでしょうね。


愛媛新聞オンラインに「しなの鉄道、台湾電車の塗装再現」という記事が掲載されていました。オリジナルは共同通信のものであるようです。
愛媛新聞の記事には、台湾の電車の写真が使われていたので、一瞬、その電車が来るのかと思ったのですが、実際は車体の塗色変更であるようです。
 それでも、こういうニュースが国の境などものともせず、入って来るようになりました。この状況が、日本の鉄道を活性化させることもありそうです。

北海道新聞電子版にアップされていた動画です。↘

 取材で1回だけ乗りました。正直に言えば、沿線風景には退屈したのだけれど、終点、夕張の描写とか、もっと執念深くやれば良かった。ちょうど夕張市の破たんが報じられた時だったけれど、ラーメン屋のおばちゃんは、「別に何も変わっていない。大変なのは役人さんなのでしょう」と日々の暮らしのことを話してくれました。

 取材を終わった直後はいつも、「また来るぞ」って思うんです。でも、この夕張線にしても、その思いは果たせないまま。夕張にもまた行きたいとは思うけれど、この冬は、いろいろな予定があり、無理なのかもしれません。



ツイッタ―欄にリツィートを載せましたけれど、パナソニックが発表した自動運転の小型電動車(画面ではスクールバスと書かれているようですが)は、可愛いですね。これなら乗ってみたくなります。近年のAIの進歩は驚異的な速度ですから、案外早く、こういう乗り物に乗れるようになるかもしれない。

私が昔、クルマの免許を取得したときの父の最初のアドバイスが「余計なスピードは出すな。事故の原因の多くはスピードにある」というものでした。自身はスピード狂でしたが。
自動運転は、安全運転との両立の部分で、まだ十分な信頼性が確保されていないとも言えるのですが、スピードが遅い乗り物であれば、自動運転に頼ることも、早いうちにできるようになるかもしれません。

そういえば、友人たちと出かけた10月の箱根の旅では、友人の一人がロボットを持って来ていました。「踊って」「歌って」というような命令を聞いてくれる。最後は『充電してね」と言って、寝込むのですが。面白がる仲間に、友人は「変な言葉を教えないで~」と繰り返し、懇願していました。




 京浜急行が創立120周年記念事業の一環として、一部の駅の名前を変更するというプランが発表されていました。
 新しい駅名は小中学生を対象にした公募とし、応募の締め切りは10月10日とアナウンスされました。もう、締め切りを過ぎたのだけれど、結果はどうなったのかな?
 
 それから、このプランに対して、多くの反対意見が出たことも、皆さんご存知の通りです。駅名には歴史に対するリスペクトがあり、無用にこれを変えるべきでないというのが、その趣旨。私にとって京浜急行は、5歳の時に神奈川新町の近くに引っ越して以来、大好きな私鉄です。そして、多くの反対意見に、今頃「尻馬に乗る」ようで申し訳ないのですが、無用な駅名の変更には反対します。理由も皆さんと同様で、駅名、地名には、その土地の歴史が反映されているということ。京浜急行で最近あった駅名変更には、谷津坂→能見台がありましたけれど、旧駅名だって綺麗な響きを持っています。この名がなくなってしまったことは、今も残念。

 確かに、小中学生は、これからの時代を担ってゆく主役ではありますが、歴史認識は弱いはず。自分だってそうでしたから。そういったその土地のこれまでの歴史を人に教えるのが地名であり、駅名なのですから、これを記念事業で覆してしまっては、本末転倒というものでしょう。

 もちろん、変えても良いかもしれない駅もあります。例えば「花月園前」は、花月園そのものがなくなってしまったのだから、変えても良いのかもしれない。ただし、これも住民の意向は十二分に反映されるべきでしょう。花月園は、大正時代には関東を代表する遊園地として観光客を集めていたそうです。ここには遊園地だけでなく、ホテルや少女歌劇もあったといいますから、宝塚と同じですね。けれども経営難に陥り消滅。跡地には競輪場ができましたが、それもなくなりました。この「花月園前」という名称が消えたら、ここにそれだけの施設があったことも、忘れ去られてしまう可能性もある。そこまでを考えて、駅名を変更するなら、変えれば良い。

 金沢文庫、金沢八景という駅もあります。綺麗な名前です。今、ここに文庫はなく、八景と称された美しい地形も、埋立によって消滅しました。けれども、そこに住む人は、その地名を、そこに住むことを、誇りに思っているのではないでしょうか。そのことも踏まえた上で、新しい意見も採り入れての、記念事業の推進であって欲しいと感じています。


 
 小田急ロマンスカー7000形LSEが引退しました。1980年から運転を開始。これは私が会社に入ったのと同じ年で、同級生のようなものかもしれません。でも、だからといって、7000形に特別な親しみを感じたということはありません。この時代には、次々に新車が登場していましたから、一つの形式に特別な思い入れを持つことはなかったのですね。

 それは、大して熱烈な鉄道ファンでもないはずの自分が、鉄道雑誌の編集部に就職して、いきなり鉄道が仕事になってしまったからかもしれない。もちろん、好きだからこそ、そこへの就職を希望したわけですが、ある程度冷めた眼で、鉄道を見なければいけないと、考えるようになったことも一因なのだと思います。

 よく、「好きなことを仕事にできて、良いですね。羨ましい」ということを人から言われるのですが、良いこともあれば、良くないこともあります。少なくとも、毎日が楽しくて仕方ないというようなことはありません。もちろん、多くの人がなりたくてもなれない立場になれたことは、とても運が良かったのだとろうと思います。そのことは忘れずにいなければならない。

 鉄道を報道するメディアには、車両が引退すると、「ありがとう」という言葉を使うことがあります。ある席で鉄道ファンの大先輩から、突然、「ありがとうなんて書くな」と叱られたことがあり、「私は、ありがとうと一回も書いたことがありません」と、これは結構強く言い返したことがあります。車両の引退、というか、更新、代謝は、より良いサービスの提供と、安全性の確保には重要なことで、そのようなことは当たり前なのですから。そう捉えています。

 もちろん、一つの時代が終わったということを知らされることには、感傷を覚えることがありますが、それは別の言葉で語りたい。「ありがとう」「惜しまれつつ」、そういう言葉は使わないようにしています。ひねくれているかな?でも、安易な言葉で片付けてしまいたくはない。

 いつもの言葉で終わらせれば、それは楽なのですけれど。


来年の春に10連休が設定される方針なのだそうです。
ごく標準的な勤め人の方は歓迎でしょうが、月に10日も(ひと月の三分の一)も休めないという人も少なくないでしょうから、いろいろ軋轢が生まれるかもしれませんね。

フリーの立場としては、連休はとにかく混むから、外出は控えたい。何年か前にゴールデンウィークに白川郷に行って、それはもう懲りました。すると家に籠って仕事でしょうか。そのつもりで仕事の段取りができれば良いけれど、これもそうは行かない出版社もあることでしょう。月に10日、本当にストップしたら、月刊誌を出すのは至難の業となりますから。

さて、どうなることやら。

これは5月末のことで、で、またまた鉄道ネタでなくて申し訳ないのですが、電動アシスト付きの自転車を、中古で購入しました。これまで、アシスト付き自転車には何となく抵抗があったのですが、実際に乗ってみると想像以上に快適で、それから2か月、結構、毎日乗っています。横浜に土地勘のある方なら解るでしょうが、浅間下の交差点から三ツ沢への登り坂を、何の苦も無く登れると言えば、その威力が解ると思います。

これから、そういう日帰りネタも、ちょくちょく登場するかもしれませんが、お付き合いの程を。

電動アシスト付き自転車、通称電チャリを買ったことを自転車好きの友人に話したら、すぐに、どこか輪行に行こうとの提案がありました。輪行というのは自転車をある程度の大きさにまで分解して小さくし、電車などに載せて移動する手段で、これまでに数回実施したことがあります。ただ、この電チャリという奴は、重量がそれなりになり、私が購入したハリヤ―は⒛kg。そのことを話すと、誘ってくれた友人も考え込んでしまいました。私自身、山歩きで30㎏を背負ったことが何回かありますから、この重さは、気合いを入れれば運搬不可能ではない。ただ苦労するでしょうけれど。

そのような経緯もあって、今のところ、電チャリでの輪行はまだ実現していません。もっとも、彼が誘ってくれたのは霞ケ浦を1周するというもので、これは行程およそ120km。ホイホイ出かけていたら、コースの半ば過ぎでバッテリーが切れ、残りの半分は、いわゆるママチャリ以上の重さに苦しめられていたことにはなります。助かったというば助かった。

そのような次第で、予備のバッテリー(これも軽くはない)を携えてでも、長距離輪行に挑戦したものか、今も結論が出ないままではいます。

0530ハリヤ―

新横浜駅前の、お昼どきに出るワゴン販売の弁当を、時々利用している。わざわざ自転車で自宅から往復する時間を考えれば、近くのコンビニ弁当で良いわけだが、そこは変化をつける意味もありまして。
 今日は暑い日差しの中で、お姉さん(でも、もちろん私より遥かに年下だ)が一人ポツンと立っているように見えたワゴンに行った。台の上を見ると、残り2個。
 「サバのお弁当ですけれど、よろしいですか?」
 「ええ」
 「お味噌汁サービスです。どれにしましょう?」
 「じゃあ、油揚げで」
 「ありがとうございます」
というわけで、100円引きの時間だったので400円なり。この手のお弁当は、作り手が一生懸命頑張っているのが見え隠れしている気がするのが楽しい。研究され尽くして登場し、売れなければすぐに消えるコンビニ弁当にはない情感がある、気がする。
 しかし、何だかマッチ売りの少女を助けるような気分でワゴンを選んだので、結局は選択肢がなく、サバになってしまった。でも、もし選択肢があったら、結局はまた、カツだとかハンバーグだとか、鶏のから揚げみたいなものを選んでいたかもしれないから、いつもと違うものを食べることが良かったのだと、そうも思った。
 家に帰り、風が抜けて涼しい1階で、「最後に残った1個は、もう売れたかなあ」などと考えながら、美味しく頂きました。お味噌汁、何故か油揚げではなくて、ワカメだったけれど。

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陽が延びるこの時期は、夕食の前に散歩ができるのが楽しい。
 わが家の近くには新幹線の線路が延びているのだけれど、その裏手には、不思議と手がつかないままの、空き地というか、藪山が広がっていて、まさにちょっとした穴場となっている。
 写真の風景が見える道もそういった場所で、これまでにも何回か通ってはいたのだけれど、いつも日暮れの後だったから、そこにどんな眺めがあるのかは気が付かないでいた。ところが今日、この道を通ったら、なかなかどうして悪くないのである。この数日は寒さが戻ってきて風が冷たかったのだけれど、それも良かった。私が、学生時代や社会人になりたてだった時代に本当によく通った、長野の高原を思い出させる環境が揃っていたのである。
 この時間でなければ気が付かなかったと思う。陽が傾いて、そろそろ一日が終わりに近づく、何をして過ごしていても一抹の淋しさが心に宿るひととき。そんな時間だったから、この平凡な風景が、昔懐かしい高原の風景に見えたのだと思う。
 今の家に引っ越して11年。これから散歩の定番コースになりそうな道を今になって見つけて、ちょっと得したような、でも、ずいぶん損をしたような。

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 昨日は新宿でカルチャースクールの先生を務めて、3人のお客様とお話。相変わらず、池口さんは集客力がないのだが、声がかかる間は、努めよう。
 帰り道に新宿の模型店「模型ファクトリー」に寄り道。昨日は凄かったぞ。お店がお客さんでごった返していて、しかも半分、は無理にしても、4割は女性のお客様だったのだ。店内のワークショップで、何かを作っていた女性連れもいたぞ。スマホで写真に撮りたかったなあ。
 やはり女性のお客様が、店員さんに「どの紙粘土が良いのか?」という質問をした時の、店員さんの応えも、聞いていて快感があった。ざっというと
 「お客様それぞれで、みな違います。お客様が手にしているその紙粘土は硬化が早いのですが、その代わり、外が早く乾いてしまうので、内側がいつまでも湿ったままの状態で保たれる性質があります。紙粘土は、一度開封したら、使い切らないと日持ちはしにくいものなのですが、その粘土は中が乾ききらない性質を逆用して、延命させることもできます。乾いた外側を取り除いて、内側部分に水を加えることで、ある程度ですが、再利用することができます。」
 本当はもっと仔細だったのだけれど、ざっと言うとこんな感じ。それをソフトに、でも立て板に水で説明する。これはこの店員さん自身が模型が好きでなければできない説明。量販店の女性店員さんには、なかなかいないぞ。
 これだけ女性がいるのだから、そのうち、鉄道模型のジオラマをガンガン作る人だって現れるはずだ。あるいは、「竣工直後の赤城」を作る女性だって出て来るかもしれない。
 このお店には、「墨入れの塗料の違いによる仕上がり具合の違い」(これは本当にじっと見比べないと解らない。で、どちらもやってみたくなる)を説明する展示や、1/35くらいだろうか、現代の女子高生を模したフィギュアなんてものも飾ってあって、この女子高生は、目元と顎の先では、ちゃんと肌色の色合いが違う。単に「フレッシュ」を一色塗りしていれば良いというわけではないのだな。
 ここまでやらなければ、いけないんですよ。模型店は、どうせ売れないなどと、ふて腐れている場合ではないぞ。

本日は 新横浜の銀行まで用事を足しに。高架脇の新緑がまばゆい季節になりました。今年は桜の開花も早かったのですが、新緑も半月くらい早い気がします。スマホですぐに写真が撮れるのはありがたいばかりですが、この写真のように半逆光などの悪条件下では、出来上がりが、さすがに普通のカメラよりも劣るようです。レンズフードなどもないし(この写真も、濁りがあって、すっきりしない)。

そういえば、学生時代に読んだ早崎治さん(広告写真の神様とも)の著書に、『順光で撮影した時であれ、レンズフードのあるなしは、写真が印刷された後になって差が出る』という言葉がありました。あれから40年近く経って、けれども覚えているのだから、金言というものなのでしょう。自分がどこまで実践できたか、はともかく。

でもまあ、何よりも大切なことは、億劫がらずに、まず1枚撮ること。これは変わりない大原則だと思います。

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最近ブログが滞りがちなので(いつものことですが)、とにかく仕事で家から出たらスマホで良いから駅の写真を撮ろうなどと思い、バスを降りたら、いつもの新横浜でありました(笑)。
 このビルができて10周年だと。新横浜にも近い今の家に引っ越して、さて、買い物はどこに行けば良いのだ?と思っていたら、すぐに立て続けにこの「キュービックプラザ新横浜」ができて、「トレッサ横浜」もできて、「ららぽーと」もできたから、まるで引っ越してきた私のために街が便利になったのだ、などと思っていたのだが、考えてみれば、どれも似たようなものだ。似たようなというか、入っている飲食店が同じチェーンだったりするから、こうなると、便利な生活というのは、そもそも何なのだ?と、結構、解らなくなる。もう、日本中、コンビニとショッピングモールだい。あと、ファミレスかな。
 もう似たようなショッピングモールはいらないから、昔の荻窪駅前のような(あ、あそこは今も変わらないのかな?)、昔の江古田のような(ここは変わったぞ)、そんな雑踏というか、場末というか、そんな雰囲気の漂う商業地域があったら良いなあと思う。
 ただ、新横浜に「王将」は出店して欲しい気もする。

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