5000字ほどの原稿を書かなければなりませんでした。
テーマに関する大雑把な歴史を調べて把握しておこうと思い、午前10時前にPCをネットにつなげようとしたのですが、ペケ。画面が更新されません。
前にもあったことなのですが、電話代の払い忘れで、回線が止められていたのです(これ大恥ではありますが(^^ゞ)。
急いで請求書を見つけ出し、コンビニで支払い。支払いをした旨を電話会社に電話して、何時頃、電話が復旧するのか、確認しておかなければなりません。
これが憂鬱なんですよね。なかなか電話がつながらない。今回もそうでした。15分待たされて、ようやくオペレーターの女性が出ます。

あー、もう、そのあとのことは省略。

そのオペレーターの指示どおりに動いたのですが、2時間程度で復旧するはずが、電話をしてから6時間経っても開通せず、再度電話。この時は、30分待たされました。

で、向こうの説明にも一部落ち度があったことが判明。「急いで復旧させますが、大変に混雑していますので、何時に復旧できるかは、はっきりとお約束できません」とのこと。

まあ、このときのやるせなさを、つらつらと書けば、いくらでも書けます。(今頃、とっくに仕事が終わっているはずでっせ)
でも、きっとそんなこと、誰もが同じ目に合わされているに違いない。それをまたここで怒ってみても、読む価値のある文章にはならないだろうなと、それは自分でもそう思いました。

だから、そのあとのことも省略。

2回目に電話した時の女性は、ひたすら謝ってくれましたし、それから1時間30分ほどで、電話は復旧しました。ちゃんと急ぐように、現場に指示が通ったのだと思います。

電話会社への電話は、いつも異様に待たされるのは何故なのだろう?窓口なのだから、お客様のストレスのないように整備しなければならないはずなのに、いつまで経っても凄く効率が悪い。電話を待たされている間、こちらもだんだんイライラしてきて話がややこしくなったりするのだから、そこを整備するだけでも、相当に仕事の効率化ができるはずなのに、なぜ、そうしないのだろう。おかげで、あの女性たちは、朝から晩まで、文字通り謝り続けているのではないだろうか?などと、いろいろ考えているうちに、いよいよモヤモヤしてきました。
もちろん、こうなっている理由は、実はちゃんとあるのでしょうけれど。

2回めの電話の後の復旧は速かったですよ、と電話口の女性にこの場で謝意を表して、さて、本当は今日の夕方までに終わるはずだった仕事の回復に努めます。

あっという間に夜の10時過ぎだー。


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本日(30日)は、昼食時に新横浜駅前まで出かけてみました。相鉄の新線の工事現場の現在の姿を1枚撮影。
駅前を横切る環状2号線道路の東寄りに円形の歩道橋が架かっているのですが、そこから見下ろした情景。これだけでは何の工事がどの段階に入っているのか解らないのですが、この歩道橋に、新しい新横浜駅が設けられ、その建設工事が佳境といったところです。

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この工事は相模鉄道がJR・東京急行と直通運転を行い、目黒方面に直通するという計画に拠るもので、紹介させていたホームページには、相鉄とJRの直通運転が平成31年度内に、さらに東京急行との直通運転が平成34年度内に開始されるとアナウンスされています。この工事が完成すれば、相模鉄道(相鉄)は本線の西谷から分岐して、新横浜、日吉を経由して都心方面への新しい幹線が完成することになり、同社、および、新規開業区間沿線の利便性が飛躍的に向上することになります。新横浜の近くに住む地元民としては、一日も早い工事の完成を願いたいところですが、工事はやや遅れ気味だとか。しかしまあ、これは待つしかありません。

相模鉄道の新線といえば、1976(昭和51)年に、まず二俣川~いずみ野間が開業したいずみ野線も、当初の計画からは大きく遅れて開業した路線でした。その背景には「ドルショック」などを契機とした不況があったのですが、実は先日から話題にしている私が通った高校がいずみ野にあり、最初は校舎が完成するのと同時にいずみ野線が開業し、楽に通学できると伝えられていたのです。実際には工事の遅れによって、三ツ境駅からバスを利用しての通学を余儀なくされ、しかも当時はバスの本数が極端に少なかったことから、通学の苦労話といいますか、クラス会にはもってこいの思い出話は、たくさん生み出してくれました。他校から異動してきた中には、平塚に住み、将来はいずみ野まで電車1本で通えるようになると、工事の完成を心待ちにしていた先生もいましたが、先生はとうに定年となり、しかし、いずみ野線の平塚延伸はまだ果たされていません。

この全線延伸開業は夢のまた夢と揶揄する向きもありましたが、一部区間の延伸の構想もまとめられたようで、大いに楽しみにしたいところです。もっとも、まずは西谷からの延伸。これに期待しましょう。もう楽しい思い出はいらないから、と書いたら、いささか辛辣ではありますけれど。

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↑新横浜駅前の歩道橋にも、この真下に駅が誕生することが紹介する看板が掲げられています。



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まだ余韻が残る昨晩の高校のクラス会のことをいろいろ考えていたら、昨日新幹線のことを話し合った地理の先生とも、一緒に新幹線に乗っていたことを思い出しました。それは修学旅行の帰り道のことです。新幹線が米原駅を出た時、先生が通路を通りかかり、窓の外を見ていた私に
「米原だな」
と話しかけてきた。私は、
「ええ。この駅はすぐに解りますね」
と返事したことを覚えています。

43年前の会話だものね。何で、そんなことを覚えているのだろう。
その時の高校2年生と、担任の27歳の先生の会話の、その続きがまた始まったような昨日の会話でした。
(鉄道を好きになって良かったね。担任の先生が地理の先生で良かったね)

あの修学旅行では、私は不思議なほど、鉄道にカメラを向けないでいました。自分自身の中で、そろそろ写真のことを本当に好きになり、鉄道以外に被写体を求める気持ちになり始めていたのだと思います。
(581系電車とか、撮っておけばね)

もったいないけれど…。
それはそれで仕方ない…。

せめて、高校時代の写真のネガを探し出すことにしましょう。あの頃に撮って、今でも覚えているカットも、もちろんあります。
でも、「何でこんな写真を撮ったのだろう?」というカットに再会できれば、それは、相当に楽しめるはず。

新幹線で通り過ぎた米原での会話だって、何も43年後に楽しむつもりで話していたわけではないのだし。
ね?



本日(28日)は16時から高校のクラス会に出席してきました。
何しろ高校の創立1期生なので、高校の先輩はなし。クラスも3クラスしかなく、学年全員が知り合いという環境でした。
おまけに、校舎はまだ未完成、授業のはずが、草むしりになるというようなことが日常茶飯事で、けれども、そういった苦労ばかりが、良い思い出になっています。各先生も、新設校への異動にあたって、当時の新任の校長先生から「どんなことでも構わないから、自分の好きなことを好きなように、思いっきりやってくれ」とだけ言われたのだと。それは、今日初めて伺いました。

あの出発から44年。早いものです。そして、今から44年後には、ここに集った面々は誰もいなくなっているに違いない。でも、それだけの長い間、先生も生徒も同じような思いを共有してこれたことは、幸せな巡り合わせなのだと思います。

私の2~3年生の時の担任は、地理の先生で、きょうも地理であるとか、鉄道の話となりました。
先生は
「JR北海道は可愛そうだね」
と一言。私は
「民営化はともかく、分割の必要はなかったのだと思います」
と返事。
「リニアはどうなるの?」
と、聞かれたので、
「東海道新幹線の代替交通機関は、将来の新幹線施設の疲弊を考えれば、必要でしょう。ただ、現状では名古屋までの到達時点でどのような需要があるか解らず、不透明な部分がかなりあります」
と、まあ、もう少しざっくばらんにですが、そのように応えました。
「アルプスの下を通す必要があるのかな?所要30分~40分なのでしょ。それなら、全線地下にして、現在の新幹線の真下に作れば良いじゃない?」
と聞かれ、
「それは、面白いですね。可能性として」
と返事をしたのですが、東海道新幹線は、何しろ急カーブが連続していて、と説明するのは忘れてしまいました。
次のクラス会があるのなら、リベンジです。


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「もしもし。池口さんですか?こちら、町田市の○○課の者です」
今月の初めに、こんな電話がかかってきました。
「12月の初めに、薬師池公園の管理事務所に落とし物が届きまして、カメラのバッテリーケースなのですが…」
「ああ.それは私のものです。赤いケースで、中にバッテリーが2つ入っていたと思います」
「そうですね。それではどのようにしましょうか?」
「私の落ち度ですから、公園まで取りに参ります。どこかに預けておいて下さい」
「それでは明日以降に、警備室にお越し下さい」
カメラマンとしては恥ずかしい話なのですが、12月の初めに薬師池公園に撮影に行った際に、バッテリーのケースを落としてしまっていたのです。帰宅後、どのカメラバッグのポケットを探しても見あたらず、急いで1個予備を購入したところでした。それでも町田市が電話をかけてくれたのはケースの内ポケットに名刺を入れていたためです。バッテリーケースは角張った状態になるので、予備の名刺を入れておくのに好都合だと思っていました。実際に、この予備の名刺が動員されたことはありませんでしたが。

翌日、すぐに公園へ。しかし、管理事務所は無人です。携帯の記録から市に逆に電話。こういう時、今の携帯電話は記録が残りますから楽です。すると窓口の方が大変恐縮しておりました。
「すみません。届けるつもりでいたのですが、これだけ忘れて便が出てしまったのです。ちょうど他の仕事のついでがありますから、別の者に持たせます。管理事務所ではなく、警備室の方でお待ち下さい」

15分ほどして、軽トラックがやって来ました。青い作業着を着た若い職員さんが、すぐに私を見つけて、ハザードランプを点滅させます。
「すみません。お待たせしました」
「いえいえ。こちらこそすみません」
そんなやりとりをして、バッテリー2個とケースが無事戻ってきました。
若い職員さんは、この日の朝のNHKの番組で薬師池公園が紹介されたこと、これでまた公園に写真を撮りに来る人が増えるだろうことを、嬉しそうに話してくれました。

そしてすぐに軽トラックは、来た方向に走り去っていきました。予備の名刺も、ケースの内ポケットで少しよれた形で残っていました。疲れた体で戻ってきたこの名刺は、所期の目的は果たせなかったかもしれませんが、それ以上の働きをしてくれたのかもしれません。これからは、お守りとしてケースの中に残しておこうと考えています。

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 本日は打ち合わせ兼反省会という形で、編集さんと月島の岸田屋に行って来ました。東京の名居酒屋に数えられる店で、漫画「美味しんぼ」の1巻に、このこのお店をモデルとした店が登場します(出典 pds.exblog.jp)。まあ、私にはネコに小判、なのかもしれませんが、ここは肴がみなとても美味しい。写真は湯豆腐で、しかも私が最初に白菜と豆腐をひと掬いした後に写真を撮らなければならないことに気がついたという体でした。居酒屋評論家でもある太田和彦さんは、このお店の煮込みを「東京三大煮込み」と称し、私は銀ダラの煮付けが好き。酒の揃いもなかなかのようで、同行の編集さんは、澤ノ井の辛口を冷やで飲んでいました。
 
 開店前の午後4時半くらいから行列ができはじめ、私たちも辛うじて4時45分くらいには並ぶことができ「最初の28人」に滑り込むことができたという次第です。
 食べ物屋さんを流行らせるには、美味しいものを、安く出せば良いのだと思うのですが、店が流行ると、その原則が忘れ去られたりする。湯豆腐の写真を撮って「初心忘れるべからず」というところで、でも、ライターの仕事も同じです。頑張って、良いものを書く。良いものは何かを知るためには、とにかく読書。その量×質です(もちろん、私とて、まだ途上にあるわけですが)。
 けれども案外、同業者にもこのことが解っていない人がいるんだよなーって、美味しい料理を前に、野暮なグチはいけませんね。



 昨日アップした画像の左側に写っているのが料亭「田中家」の壁で、このお店のホームページにも、以下の、広重の作品が使われています。kanagawahirosige.jpg

 








 街道の左側に広がる海の青さが印象的で、これは地元に住む者の身びいきですけれど、この神奈川宿の情景は、広重が描いた五十三次の中でも、いちばんきれいなのではないかと思っています。もちろん、今はもう埋め立てが進み、見る影もありません。坂本龍馬の奥様が、龍馬の死後、この神奈川宿で働いていたという説もあり、もっとも、それは幕末のことですから、それからの宿場の変貌は大変なものがあったでしょう。いずれにしても、明治5(1872)年には、新橋~横浜間に鉄道が開通し、神奈川にも駅が設けられます。この時点で街道の宿場としての神奈川宿は使命を失うことになるのですが、この時点での宿場の風景も、もっと知りたいところです。

中公新書の「東海道五十三次」によれば、「いわゆる足弱とされている者でも、この神奈川まできて宿をとった」とあります。昔の人は、当然ながら皆それだけ健脚であり、神奈川宿も賑わったことでしょう。講談社α文庫の「決定版東海道五十三次ガイド」には、勇喜屋という老舗蕎麦店があるとされていますが、今は閉店となった様子。それでもお店があった場所だけでも、確かめてみたい気がします。



本日(16日)は、午後から横浜駅の近くで打合せとなりました。直近のテーマとしては2月に刊行予定のムックの打合せ、少し長いスパンではシリーズ物として単行本が出せたら、などというもので、後者については、まだこれから練っていかなければならないテーマです。

 さて、待ち合わせ場所に向かう直前に現在の横浜駅の姿を1枚、アイフォンで撮影。
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この駅は、ネットに「神奈川のサクラダ・ファミリア」と書かれたこともあるくらい、いつまで経っても工事が続いています。
完成後は、地上36階だか、33階のビルが建つのだそうですが、別に地上10階でも構わないから、早く完成させて欲しいとことろです。自分が住む町を代表する駅が、いつまで経っても工事をしているのは、寂しいものです(下はJR東日本による完成予想図)。
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ちょっと、口直しに、打合せが終わったら、広重が描いた神奈川宿の場所をもう一度訪れてみようと思っていたのですが、打合せの話が弾んでしまい、終わったのは薄暗くなった頃。ここでは以前、このブログでも紹介させて頂いた、場所の写真を再度アップさせて頂きます(お茶を濁すというやつです)。
 本当に、つい百何十年か前には、ここにこんなにのどかできれいな場所があったのですね。それでも、明治の初頭には、人の往来があったのは、この神奈川宿のあたりで、横浜は、そこからは外れた淋しい漁村であったそうな。その頃は、どんな風景だったのだろう?みなとが開港された以降の横浜の写真はよく目にしますが、漁村時代の横浜の姿は、あまり紹介されていないようです。下の写真と地図は、広重が描いたとされる場所。今は、平凡な住宅地の中の緩い坂道となっています。
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 こちらは水上駅の構内の北側にある転車台(ターンテーブル)で撮影したカット。9月に訪れた取材旅行での一こまです。
 考えてみると、自分が鉄道を被写体に選ぶようになって、一生懸命な思いで地方まで出かけるようになるまで、転車台機関車が向きを変えるシーンなど見なかったような気がします。そういう設備があることは知っていましたが。そうして考えると、こうやって自由に見学ができる施設があるというのは素晴らしいことです。私が中学生だったときには、家から自転車で行ける範囲に横浜駅の東口に近い高島機関区という蒸気機関車の車両基地があり、自由に見学することができました。
 ところがこの設備が電化されて電気機関車が入った後に見学を申し込んだところ、あっさりと断られてしまい、とてもがっかりしたことを覚えています。もちろん蒸気機関車が無くなったことはもう知っていて、今度は電気機関車を見学したかった。とてもがっかりしたのは、その時の職員さんの態度を冷たく感じたからかもしれません。もっとも、その頃の職員さんというのは、職人気質でつっけんどんな人も少なからずいたことは確かなようですが。
 水上駅の転車台には、いま、これを囲むようにして建つ見学用の観客席を作る計画が進行しているそうです。

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 今日が、私の還暦の誕生日でした。そしてそれも、あと40分で終わるという時間です。
 多くの人が述懐しているように、この歳になってしまえば、過ぎた日々はあっという間のものでした。そのことを思い知らされるのは、人生がたとえどんなに辛いことの連続であるにせよ、淋しいものです。
 それでも、フェイスブック上などで、とても多くの人からメッセージを頂き、やはり励みになりました。ここのところ、毎日、嫌なこと、辛いことばかりだったのですが、それでも、人生、捨てたばかりではないと。
 ここへきて、私の毎日も、少し雲が切れてきた印象があります。そんなことを言いながら、またすぐに大雨になってしまうのかもしれませんが、それでも、前には向かい始めている。
 明日はまた、今日とは違う、新しい一日。

 

自宅から新横浜駅が自転車圏なので、気が向いた時に時々、ビジネス街の仕出し弁当を買いに行っています。12時15分を過ぎた頃から、安売りタイムになり、1個350円。2個買って700円で、一つは晩ご飯です。
でも、お弁当を買う時間にこんなに陽が傾いている。秋が深まってきたんだなあ。
しかし、左側のお弁当の、やる気のないゴマのかかり方は何だ?

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もうすぐ私にも誕生日が来る。それもご丁寧なことに60回めである。きっと友人からは、「まあ、気を落とさずに頑張れ」であるとか、「傷は浅いぞ。しっかりしろ」というようなメッセージが寄せられるのだと思う。
 沢田研二さんは「還暦だぜ」とコンサートを開き、向谷実先輩は、酋長のような、華麗な踊りをFB上で披露されていた。あれは立派な答え方であったと思う。真似できそうにない。山下達郎さんは「何も変わらないじゃん」と思っていたら、区役所から年金に関する書類が来たのだそうである。見て見ぬふりを、世の中はしてくれないのだ。
 その昔、少年マガジンの編集部が豊川稲荷にお参りにいき、その後、発行部数が伸びた。お礼にお酒を持って行ったら、神主さんだかに「何と申しましても、豊川稲荷はお金の神様でございます」と、現金を要求、ではない違う、歓迎、されたのだとか。
 「何と申しましてもイケグチさんは、お金の神様でございます」という台詞を、あと一日で吐けるようには、ならないだろうなあ。

水上でゆるキャラを撮影した同じ日に、こちらは高崎駅の、何だろう?高崎の名物の一つがダルマだけれど。かぶりもの?
でも、「中の人」の楽しそうな表情が、とても魅力的です。

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 先日、上越線にD51を取材に行った際に、水上駅で出会ったゆるキャラ。水上温泉の「おいでちゃん」。
まんま、なのだけれど、結構でかい。公式HPにも身長185センチとあって、スポーツ選手並であります。
でも、考えてみたら、まだ水上には泊まったことがないなあ。山ノ湯は秋が良いから、できれば近いうちに出かけてみたい。
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しかし、でかいなー。小動物に仕立てる手もあったかも。


 ブログでの報告が遅くなりましたが、今年度から日本写真家協会(JPS)に入会しました。これは日本の職業写真家によって構成されている団体で、昭和25年に創立された伝統のある組織です。

 会での活動については追々報告させて頂きますが、入会の式では熊切圭介さん、田沼武能さんといった、私たちの世代が学生の頃から憧れていた先輩から、一人一人に「おめでとうございます」の言葉を添えて会員のバッジが渡され、この時は本当に嬉しかった。入会しないかという提案を受けたときには「それで仕事が増えるとは思えないなあ」などと、生意気なことを言っていたのですが、こうして色々な人と、改めて知り合えるのであれば、十二分の入会の価値はあったと感じています。入会に際しては、2名の推薦人が必要なのですが、推薦をお願いした先輩カメラマンからは「入会しても、得することってないよ」などと言われはしたものの、そうでもないな、と。
何が得なのかは自分次第だし、何よりもまず人と知り合えることこそが、いちばんの幸せだと思います。

以上、報告でした。

自分は、あと何回春を迎えることができるのだろう?
また巡り来た春をことほぐ。

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これも、高知県の四万十町で撮った写真です。集落の中の道のかたわらの数カ所に、このような手作りのヒナが飾られていました。

本日は相模原まで出かけ、カルチャースクールに参加。日本の城についてのお話を伺う。
講義の終了後に、講師の方とお話させて頂く機会があり、話題が少し鉄道寄りに。日本には、鉄道によって分断されてしまった城が12くらいあるのだという。
「この近くであれば、小田原城がそうです」と講師の方。
「でも東海道線は城山の下をトンネルで通っていますが」と伺うと、
「現在残っている構築物は、後から建てられたもので、北条氏によって創建された元々のものではありません(きっぱり)」とのこと。

簡単に終わる話ではないのですね。何事も。
今日は新宿で打ち合わせ。帰り道に、渋谷のヒカリエに登ったら、山がずいぶん近くに見える。渋谷って、こんなに山が近かったっけ?と、少し不思議な気持ちに。
雪の後だったから、いつも以上に空気が澄んでいたのだろう。すると、江戸時代の眺めとは、こんなものだったのだろうか?
そうかもしれない。町の至るところに高い場所はなかったけれど、それこそ愛宕山にでも登れば、富士も筑波も見えたことだろう。
震災の直後に、原発の是非の論議があって、「江戸時代のような生活になってよいのか?」と発言した代議士がいたような気がするけれど、「鬼平」など読んでいると、江戸時代の生活を体験してみたくなる。もちろん、本物の。冬は厳しかっただろうけれど、それを越える工夫はあったろうし、だから春の訪れの喜びはひとしおだったろう。
もちろんこれも、かなえることのできない夢。
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世の中はクリスマスらしいが、私に課せられたミッションは、冷蔵庫の整理である。もちろん、中身のこと。
スーパーのハンバーグが残っていたのだが、丁寧に焼き、付け合わせを考えるのも面倒になったので、フライパンで肉の両面を焼くなり、水をカップ1杯入れ、白菜を数枚、手でちぎり入れ、タマネギも残り物を少々。塩と胡椒を振りかけ、それだけでは味が出ないだろうから、白ワインと、「寄せ鍋のつゆ」という奴も少々振りかける。このあたりは、本当に手当たり次第。

 あとは蓋をして水気がなくなるまで弱火でコトコト。最後に卵1個を割り入れ、もう1回、蓋。卵が半熟色になったら出来上がりである。 見た目は…賛否両論というか、あまり「賛」の方にはふれない姿となったが、なにしろ火の上で放っておいただけの一品。野菜をきれいに切り、最後に鞘エンドウでも添えて、さらに小さく角切りにしたジャガイモでも添えれば、格好は良くなるはず。
お味の方は…?

「寄せ鍋のつゆ」が冷蔵庫の中に残っていたことが、勝因でしょうか。

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 実はこちら貯金箱です。で、今見たら、貯金箱として使い始めた時にいれた500円玉しか入っていませんでいた。貯金が進行していない。私が、いつまでたっても貧乏であることの理由が解った気がした、なんて書いたら、真面目なのか、ふざけているのか、解りませんが。
 この貧乏状況から脱却するために、貯金をすることを思いついたのですが、ただ漫然と「貯金をしよー」と思ってもどうせ成功しないので、毎日のブログの閲覧者数だけ貯金をすることを思いつきました。とはいっても、閲覧者数はなかなか増えないブログですから、これに×10としてみることにました。これであれば、数年後にはハワイに行くくらいのお金が貯まるはずです。恐竜(バブルンという名の、ナムコのアーケードゲームに出てくるキャラなのだですと一緒に、さあ夢のハワイに行きましょう。
 それであれば、フェイスブックについても、いいね!×1000を貯金するという方法もあるだろうと思いついたのですが、うっかり調子に乗ると、貯金に追われてしまいかねない。貯金をするために生活が立ち行かなくなるという、往年の本多静六翁(野辺地の防雪林を発案し、北海道の大沼公園、東京の日比谷公園のデザインをした人)の生活のようになってしまうかもしれません。まあ、本当にそうなれるなら、それで良いのですが。
 もちろん、この対策も考えてあって、つまり、何も書かなければ良いのです。でもそれよりも難しいのは、忘れずに貯金を4日続ける方なのかもしれないと、今からそんな気持ちも、してはいます。