IMG_0102_convert_20171019003047.jpg

 今、この記事を書いているのが日付が変わった後のことですから、もう一昨日のこととなるのですが、セリーグのクライマックスシリーズファーストステージの第3戦の試合を見に、横浜スタジアムで行われたパブリックビューイングに出かけてきました。
 これはスタジアムのスコアボードをテレビとして使用し、観客席で見ることができるようにしたもので、入場は無料。後から見た資料では1万2000人が集まったということですから、この季節であれば、ホエールズ時代の試合よりも多いということになります。
 わざわざ出かけたのは、私の家では甲子園の野球中継が見れないことと、最近は頻繁に行われるようになったこの形態での中継が、どれくらいの盛り上がりを見せているのかを知りたいということからでした。

 実際に球場に行ってみますと、盛り上がりぶりは想像どおりでした。スコアボードのテレビから流れる甲子園での応援に合わせて、横浜スタジアムでもファンが声を合わせて応援していました。それはもちろん、甲子園の試合会場には届くはずのないものなのですが、それでもファンが集い、応援することで、ファンが一体感を楽しみたかったということでしょう。なにしろ入場無料なのですから、球団には感謝!です。

 今、ベイスターズは、実にさまざまな仕掛けを続けて、横浜でもプロ野球人気を高め続けています。それは実に手の込んだやり方で、実際に試合を見に行っても、野球を見ているより、コンサート会場、ライブ会場にいるような感覚、充足感を味わうことができます。おかげで、チケットを取るのもひと苦労ということになってしまいましたが、それでも地元の球団が不人気球団と言われるよりは遙かに良い。それに手を替え、品を替えのアミューズメントの戦略には大いに刺激を受け、何とか自分もこのような形で仕事を展開できればと、そんな妄想に陥らされてしまうのです。
 
 球場はいつも満員。すっかり変わった横浜スタジアムの姿を見ていると、楽しいものさえ創り出すことができれば、ファンはちゃんとお金を払って集まってくれるのだということが解ります。さて、すっかり疲弊してしまった感のある、出版界、鉄道界をどうやって行けば良いのか?答えなどすぐに解りはしないのですが、何かとことんやらなければならない。ベイスターズの人気を見ていると、いつもそいう風に、思わされるだけは思わされているところです。




スポンサーサイト

1年半くらい使用してきたiPhone6が、突然、不調になりました。
まずは、リンゴループと呼ばれているらしい状況に陥って、その後、リンゴのマークがだけが表示され続ける起動不能の状態に。自分でも修復を試み、けれどもどうやら手に負えないようなので、横浜駅西口のキタムラへ。ここだと、修理が可能なのだそうです。

結論を書いてしまうますと、ショップのスタッフもずいぶん頑張ってくれて、初期化された状態で復旧してくれたのですが、
「また、いつ落ちてしまうかは解らない状態」とのことで、機械を取り替えました。伺うと、iPhoneは1年半から2年も使うと、どこか故障が出てくるものなのだそうです。その脆弱性を見越して、保証に入っていれば無償で修理が可能というシステムが運用されているわけですが、けれども、本末転倒であるような気もします。なんで、これほど、コンピューターの関連機器は、脆弱であることがいつまでもまかり通っているのか、ちょっと不思議な気もします。

そういえば、今日はある電鉄会社の車両の更新工事を取材してきました。
工場内を案内をして頂いた電鉄会社の方からは、中古車両の扱い方なども色々話を伺えたのですが、現代という時代は、下手に車両の更新をするのであれば、新車を導入した方が安上がりとなる場合もあるのだとか。それは現代の電車が、制御装置にコンピューターシステムを導入しているためで、10年も過ぎれば、システムが一新されてしまい、旧来のものが使えなくなってしまうのだそうです。
一昔前までは、私鉄の車両などは、あちこちを修理して修理して、それこそクタクタになるまで使ったものですが、今はそうしたくても、システムが古くなってそれができないということでしょう。

電話も鉄道車両も、事情は同じ、ということになるのでしょうか、便利なのか、便利そうで実はそうでもないのか、いろいろと難しい時代ですね。


 iPhone6が突然、ダウンした。いや、一度だけ「リンゴループ」状態になり、自然に復旧して、しかし、またダウンして、今度はループにもならなかった。
 当然、ネットで調べ、復旧を試みるがペケ。カメラのキタムラに行く(ここが正規ナントカだそうな)。
 担当となった若い彼も必死に頑張ってくれて、見事に初期化状態で復旧した。ただし「また、いつ落ちるか、解りません」とのこと。iPhoneは、だいたい2年も使っていれば「どこかは行ってしまう」のだそうな。
 いろいろ考え、同じ機種の新しい機械を購入。3万6000円ナリ。仕事の道具だ。行く時は行こう。それに保証に入っていれば、このうちの8割方戻ってくるという。まあ、月々の課金からの精算という、あまり有難味のない奴だけれど。
 そんなわけで、昨日は、まず電話を開通させ、今朝、メールを開通させた。途端に未読180通。これが現代の社会参加というものだ。例えば池波正太郎は、スマホなど持っていなかったとは思うが。
 そのような次第だから、新しい携帯には、まだ、ツイッターも、フェイスブックも入っていない。ただ、今の状態も、なんだか別荘で暮らしているような気分で、これはこれで悪くないと思ってはいる。


武蔵小杉の東急スクエアの4階には、こんな展望席があります。この立っている子が、やたらと鉄道のことを知っているんだ。いつでもおいで。この席はタダだからね。

IMG_1153_convert_20170810115505.jpg



昨日は、荒川線に乗って来ました。仕事でもありますので写真はアップできないのですが、荒川遊園地前と早稲田で、かき氷を売っているのを見ました。昔は、夏になれば、町じゅうにかき氷の小旗が掲げられていたのですが、ずいぶん減ったようです。これも、コンビニや、ファーストフードのお店が増えて、準備にそれなりの手間もかかるかき氷を売る店が減ってしまったのでしょうね。

あ、それからツイッターにはアップしましたけれど、最後に少し寄り道をして、雑司ヶ谷の鬼子母神にお参りをしてきました。ウィークデイのことゆえ、ほとんど人はいませんでしたし(私が着いたときは無人で、あとから少し人が来ました)、境内の売店もお休みでした。それでも少しだけ、心が洗われた気がしました。

私の仕事の仲間で、落合南長崎の方に住んでいる人がいるのですが、彼と1度、鬼子母神の境内で偶然出会ったことがあります。なんでも、彼は時々鬼子母神に来て、最近のこと、天気のことなどを、杜の神様と話し合っているのだそうです。
昨日は境内でそのことを思い出し、私も彼のことを、少しは見習わなければいけないなと思いました。

本日は取材で伊豆へ。午後スタートで時間に余裕があったので、行きは快速「アクティ」で熱海まで。
車内で、向かいの席に座った女の子。友達に向かって、「ねぶかわの次の駅で降りるよ〜。しんとりっていう駅だよ〜」

…それ、全然、ちゃう。

で、彼女たち湯河原駅で降りました。
…真鶴でもなく…

本日(24日)は日本写真家協会のオフィスで編集作業でした。この仕事は、もちろん、ほぼほぼボランティアなのですが、でも、勉強にはなると感じています。
作業中にフェイスブックの友人であり、写真の仕事では先輩である方から「九州にいつ行ったの?」と質問が。
「ああ。あれは私が高校時代の話です」
「なんだあ。俺、門司港の博物館に行ったことがあるよ。レンガの建物の」
「あれは建物自身が文化財なんです。明治時代に九州に鉄道を敷いた私鉄の本社だった建物」
「ふーん」
なんて会話があったわけですが、ここの副館長さんが大変な趣味者であり、鉄道に対する定見をお持ちであると、これは鉄道が好きな人には、つとに有名。今日の、写真の先輩との会話ではそこまで説明できませんでしたが、写真の建物がそれ。九州鉄道記念館です。
なにしろ、ここの保存車両はピカピカに磨きあげられている。副館長さんに伺った話では、毎日、2時間かけ、昔は藁で磨いたけれども、今は入手が難しいので、柔らかい金属たわしを使っているのだと。印象的だったお言葉が
「砲金製のナンバープレートの色は金色ではない。磨いてゆくと白金のような色になる」
というのと、
「よくお客さんから『きれいですね。この車は本当は動くんでしょ?』と聞かれます。そこで『はい。動きます。夜の間は自由に走りに行って、でも朝になると、元の場所に帰ってきています』と答えています」
というもの。いえ、他にも素晴らしい言葉は幾つも教えて頂いているのですが、とにかく、この記念館に行くと、車両がきれいであることを、それが自分の手柄であるような気持ちになれます。
本当に、出会いというのは、財産、宝物ですね。

九州01_convert_20170724225653

九州02_convert_20170724225822

お昼過ぎから雨が降り始めました。2~3日前に、関東も梅雨明け宣言が出たようですが、本当はまだ明けていない気がします。風が冷たいし、セミもほとんど啼いていません。
梅雨明けという言葉には開放感があって、きっと誰もが望んでいるものだから、気象庁としても出したいのが人情なのかもしれません。あんまり出さないでいると、どこからかクレームが来たりして。「こっちは生活がかかってるんだ」なんてね。
個人的には、梅雨はきらいじゃないんです。雨の風景もきれいだと、歳を取るごとに思えるようになって来ました。
(気をつけて下さいね。この「歳を取ると」というのは、おまいら解らんだろーという隠れミノですからね)



今日、横浜の中区方面に出かけたのは、市立図書館で本を借りることがいちばんの目的でした。超大盛りカレーを食べた腹ごなしにと日本大通りあたりを歩いていると、新装なった「ベイス」を発見。少しだけ覗いてみました。
 これ、横浜スタジアムから通りを1本挟んだ隣に建っている小さなビルが老朽化したことから、市が競売に出した。それをベイスターズ球団が落札し、球団事務所と、カフェ、ショップとして新装オープンさせたという施設です。ファンにとっては快哉を叫びたくなる美談なのですが。

ベイス_convert_20170605214034

 で、ショップを見て驚きました。選手の背番号と名前が入ったようなお土産グッズはほぼ皆無。野球をテーマにしたファッショングッズが中心の品揃えではあるのですが、ベイスターズにはこだわらず、とてもお洒落な品物の数々が、ジャケット、ネクタイのようなものまで置かれていたのです。キャップ、Tシャツなど4000円オーバーの品物が中心で、格好いいなー、欲しいなーと思っても、ちょっと決断が要る。もちろん、私は今日はパスです。
 あまりお客さんが入らないようだと、ここまで格好良いショップも模様替えをしなければならなくなるのでしょうが、でもできるなら、無理をしてでも、この形を守り続けて欲しい。この格好良さこそ、現代の先端のスタイルだと、そういう気がしたから。
 表現者は常に新しい夢を創り出して、皆に見せてあげること。それが、とても大切なことだと思うのです。



本との出会いというものも、人との出会いと同じように、多少の運がつきまとっているような気がします。
 その意味ではこの本と、かなり早い時期に出会えたことは幸せなことだったと思います。横浜の日吉にある古書店で購入した記憶があるから、それであれば大学の3年生か4年生の時ということになります。
 この本の著者の岡田喜秋という人が、「旅」という月刊誌の編集長として一時代を築いたことなどその頃は知らず、けれどもこの人の紀行文には惹かれました。それまでの紀行文といえば、列車なら列車に乗って窓の外を描写し、何か物思いに耽り、また窓の外を描写して、駅に着いたら空を見上げる式のイメージが強かったですから、岡田さんの、人、というよりも人と自然の関わり、人の暮らし、が主役の紀行文は、最初はずいぶんと難しく、それでも必死になって読めたのは、私も若かったから、なのかもしれません。
 この本には、木曽森林鉄道の王滝本線も登場します。路線の終点には三浦(みうれ)貯水池があって、その姿は4色刷りの地勢図にも美しく描かれています。その姿に憧れて、岡田さんは森林鉄道に乗って、ひたすら上流を目指します。けれども軽便鉄道の終点に待っていたのは、赤茶けた湖岸の広がる人造湖で、岡田さんは、失望を胸に、現地の人の宿泊の誘いを断って、すぐに山を下りてしまったのです。
 この本に出てくる1編1編には、そのような物語が仕込んであって、だから読み手も、色々なことに思いを巡らされたものです。それに比べれば、鉄道に乗るだけの紀行文は、この本に出会った以降は退屈で、早い時期の出会いが、自分には幸せなことだったと思うのです。
 翻って自分を見て、今の自分が、今の自分よりも遙かに若かった岡田さんが書いた文章に少しでも迫っているのか?自信はまったくないのですが、未だに目標ではあると、勝手に、そう思い続けています。

hikyou_convert_20170406234351.jpg

いすみ鉄道のインタビュー記事に興味があって、週刊「プレイボーイ」を買ったわけですが…。
 まあ、何と言うか、「焼け野原」という印象です。何が?って、誌面。自社広告以外、ほとんど広告が載っていない。昔から、こんな風だったろうか?男性向けの週刊誌というと、バイクや車や、そういう広告がたくさん載っていて、それが時代を反映し、そして時代を動かしていた。そういう広告が週刊誌に載っていたかは覚えていませんが、「ケンメリ」なんて、広告に憧れたもの。「女の子と、あんな旅をしてみたい」って思ったもの。
 「プレイボーイ」誌の広告は電子媒体に関するものがほとんどで、それもほとんどが自社広告だ。自動車会社の広告は、メディアが我も我もと出稿を甘えすぎたという大いなる反省は必要だけれど、ここまで無くなってしまうものか?これはメディアの側にも責任があって、恐らくは編集者自身が、文字を読むことの面白さを、あまり理解していないのだと思う。まあ、大手出版社のことだから、それなりに意志はある人たちなのだろうけれど、どこか投げやりな印象も拭えない。ちゃんと、紙媒体で勝負してくれよって、これはもう嘆願に近い感想。
 ところでこれは八つ当たりですが、石破さんのインビューは、自身は傷つくことのない原則論ばかりで、面白くない。原則論を並べながら、自分は理解者であるという言葉を加えるのは、面白くない。こういう人を論客だなどと、祭り上げちゃだめだよ。編集さん。これは鉄道会社にも責任がある。弱い立場のライターは鉄道会社が敵視するから、こういう攻撃されない立場の人間ばかりが起用されて、メディアに力がなくなってゆく。
 「君の意見には反対だが、君がそれを主張する権利は命をかけて守る」という言葉があるじゃないか。例え辛口の意見であっても、それを抹殺しようとすれば、その見返りだって必ずあるものだ。と、これも八つ当たりです。

 ちょっとした待ち時間ができたもので、本棚の片隅の雑誌を手にとって開いてみました。表紙にシミなどもありますけれど、ご容赦を。
1985(昭和60)年の「電気車の科学」です。ちょうど、私が勤めていた会社が発行した月刊誌なのですが、表紙は国鉄205系のデザイン検討のイメージ図。幾つものデザイン案が検討されていたことが解ります。

Scan_20170404_convert_20170404231040.jpg















 
 本の中には、車両デザイナーなどによる研究論が何編か掲載されているのですが、近畿車輛の南井建治さんが、自分の文章の締めとして、こんなことを記されています。
 「(前略)鉄道も、単なる輸送産業から、サービス産業へと変化して行く必要があると考えられる。効率第一の、とにかく運べば良い状況から、移動とするサービスを販売するように変化していかなければならない」
 また、巻頭言を当時国鉄運転局長だった山之内秀一郎さんが執筆しており、その中には
 「企業が発展するためには常に新しい商品を生み出すことが不可欠である」

 どちらも、まったくその通りで、お二方の文章には、他にも紹介したい言葉が幾つもあります。
 翻って現在の鉄道を見ると、北海道での各種サービスの中止など、この2つの言葉からは逆行するような事柄が連続していることが気になります。そこには「どうせ何をやっても駄目でしょう」というメッセージを読み取ることができます。

 けれども、鉄道会社として経営が続けられるのであれば、何だかの元気は見せて欲しいものです。それは、リーダーシップでもあります。例えば、何かの食べ物屋さんに入ろうと考えたときに、2軒店が並んでいたら、魅力を感じるお店に入ることを選びますよね。でも、鉄道会社は地域を独占するという性格があるからか、そういう魅力作りは、昔から上手ではありませんでしたし、今も、上手くなろうとはしていない。このお二方の言葉にも、まだ景気が悪くはなかったものの、曲がり角を迎えている鉄道に対して、何かを感じていることが窺えます。

 一つのサービスを中止するのであれば、その代わり何か別のものを始めないと、どんどん魅力はなくなってゆく。でも、それでも仕方ないとする鉄道会社の姿勢が、もう本当に利用客を怒らせて、というか、呆れさせてしまっている気がしてなりません。

 何も大それたことを期待しているわけではありません。新しいことを始めて鉄道の魅力作りをする、その何かを。何でも良いから見せて欲しい。32年前の雑誌を開いて、そんなことも感じました。

昨日アップした江ノ島電鉄極楽寺車庫の写真は、同じ写真と同じ文章をフェイスブックの方にもアップしたのですが、すぐにコメントがつき、写っている車両の色から考えて、写真が撮られたのは昭和40年代後半だろうという推測がなされました。
何名もの人が幾つかのコメントを積み重ねていった結果、そういう結論が導き出され、こういう時のネットの積み重ねというものは、本当に個人の能力をすぐに凌駕してしまう。凄いものだと思います。

その一方でフェイスブックでは、嫌な思いもしました。書き込みをする直前にも、友人と電話で写真論をしていたもので、少し気持ちが高ぶっていたのでしょうね。その延長のような気持ちでアップされている写真にコメントを書いたのですが、私の気持ちが伝わらず、私の書き方を否定するコメントが返ってきました。私としては舌足らずであったという非はあるのですが、自分なりに相手の気持ちも考えた上でコメントしたつもりなのに否定されましたから、辛かったです。まあ、これもSNSではよくある行き違いなのでしょうけれど。

何もかもを併せ飲み、自分で取捨選択をして粮とする。
現代は、大変な勢いで勉強できる時代でもあるけれど、何かと大変な時代でもあります。
もし、例えば「書き魔」であった田山花袋が端末を持っていたら(花袋の有名な小説というのは数少ないのですが、膨大な数の、今日で言うところの旅行ルポを遺しています)、どうしていただろうなどと、意味の無いことを考えてみたりして。

今日は、これで寝ることにしましょう。








いつ、自分が何をしたことが引き金になったのかは定かでないのだけれど、この2~3日、ネットにつなぐと「古いドライバをアップデートしろ」という案内が、しきりに表示され、鬱陶しい。
「案内」を受ける側としては、昔存在したらしい「押し売り」がやって来たような気分で、つまり彼らは人の家に勝手に上がり込み、ゴムひもを買えと言っているのである。
 対策としては、PCの何とかかんとかの、何とかかんとかを削除すれば良いだけなのだろうが、嫌なのは、こういう「商売」の感覚が、当たり前のものとなっている風潮である。どこぞの会社の紳士然とした部門長が、一日⒛時間PCに向かっている部下に「構わないから、やっちゃえ」とこの手の「押し売り」を推奨しているのだろうか?もっと嫌なのは、その部下たちや、さらにその部下の世代が何かを任された時に、この方法が当たり前という基準ができてしまうことである。
 体の良い「押し売り」が、合法のもの、当たり前のビジネスとして認められる世界。嫌だなと思う。ある意味、楽な会社だろうなと思う。
 ところで、文章を書く仕事など、ありませんか?
 今なら、価格、納期など、諸々、相談させて頂きます。

追記:同じ記事をフェイスブックにアップしたところ、脆弱なソフトウェアを放置することの危険性を指摘するコメントがすぐに、つきました。何事も前向きに研究しろ、ということなのでしょう。ありがたいコメントだな、と思いました。もっとも、それであれば、もっとユーザ―の気持ちを大切にしてほしいというグチもちょっぴり。


5000字ほどの原稿を書かなければなりませんでした。
テーマに関する大雑把な歴史を調べて把握しておこうと思い、午前10時前にPCをネットにつなげようとしたのですが、ペケ。画面が更新されません。
前にもあったことなのですが、電話代の払い忘れで、回線が止められていたのです(これ大恥ではありますが(^^ゞ)。
急いで請求書を見つけ出し、コンビニで支払い。支払いをした旨を電話会社に電話して、何時頃、電話が復旧するのか、確認しておかなければなりません。
これが憂鬱なんですよね。なかなか電話がつながらない。今回もそうでした。15分待たされて、ようやくオペレーターの女性が出ます。

あー、もう、そのあとのことは省略。

そのオペレーターの指示どおりに動いたのですが、2時間程度で復旧するはずが、電話をしてから6時間経っても開通せず、再度電話。この時は、30分待たされました。

で、向こうの説明にも一部落ち度があったことが判明。「急いで復旧させますが、大変に混雑していますので、何時に復旧できるかは、はっきりとお約束できません」とのこと。

まあ、このときのやるせなさを、つらつらと書けば、いくらでも書けます。(今頃、とっくに仕事が終わっているはずでっせ)
でも、きっとそんなこと、誰もが同じ目に合わされているに違いない。それをまたここで怒ってみても、読む価値のある文章にはならないだろうなと、それは自分でもそう思いました。

だから、そのあとのことも省略。

2回目に電話した時の女性は、ひたすら謝ってくれましたし、それから1時間30分ほどで、電話は復旧しました。ちゃんと急ぐように、現場に指示が通ったのだと思います。

電話会社への電話は、いつも異様に待たされるのは何故なのだろう?窓口なのだから、お客様のストレスのないように整備しなければならないはずなのに、いつまで経っても凄く効率が悪い。電話を待たされている間、こちらもだんだんイライラしてきて話がややこしくなったりするのだから、そこを整備するだけでも、相当に仕事の効率化ができるはずなのに、なぜ、そうしないのだろう。おかげで、あの女性たちは、朝から晩まで、文字通り謝り続けているのではないだろうか?などと、いろいろ考えているうちに、いよいよモヤモヤしてきました。
もちろん、こうなっている理由は、実はちゃんとあるのでしょうけれど。

2回めの電話の後の復旧は速かったですよ、と電話口の女性にこの場で謝意を表して、さて、本当は今日の夕方までに終わるはずだった仕事の回復に努めます。

あっという間に夜の10時過ぎだー。



本日(30日)は、昼食時に新横浜駅前まで出かけてみました。相鉄の新線の工事現場の現在の姿を1枚撮影。
駅前を横切る環状2号線道路の東寄りに円形の歩道橋が架かっているのですが、そこから見下ろした情景。これだけでは何の工事がどの段階に入っているのか解らないのですが、この歩道橋に、新しい新横浜駅が設けられ、その建設工事が佳境といったところです。

しんにょこはま02

この工事は相模鉄道がJR・東京急行と直通運転を行い、目黒方面に直通するという計画に拠るもので、紹介させていたホームページには、相鉄とJRの直通運転が平成31年度内に、さらに東京急行との直通運転が平成34年度内に開始されるとアナウンスされています。この工事が完成すれば、相模鉄道(相鉄)は本線の西谷から分岐して、新横浜、日吉を経由して都心方面への新しい幹線が完成することになり、同社、および、新規開業区間沿線の利便性が飛躍的に向上することになります。新横浜の近くに住む地元民としては、一日も早い工事の完成を願いたいところですが、工事はやや遅れ気味だとか。しかしまあ、これは待つしかありません。

相模鉄道の新線といえば、1976(昭和51)年に、まず二俣川~いずみ野間が開業したいずみ野線も、当初の計画からは大きく遅れて開業した路線でした。その背景には「ドルショック」などを契機とした不況があったのですが、実は先日から話題にしている私が通った高校がいずみ野にあり、最初は校舎が完成するのと同時にいずみ野線が開業し、楽に通学できると伝えられていたのです。実際には工事の遅れによって、三ツ境駅からバスを利用しての通学を余儀なくされ、しかも当時はバスの本数が極端に少なかったことから、通学の苦労話といいますか、クラス会にはもってこいの思い出話は、たくさん生み出してくれました。他校から異動してきた中には、平塚に住み、将来はいずみ野まで電車1本で通えるようになると、工事の完成を心待ちにしていた先生もいましたが、先生はとうに定年となり、しかし、いずみ野線の平塚延伸はまだ果たされていません。

この全線延伸開業は夢のまた夢と揶揄する向きもありましたが、一部区間の延伸の構想もまとめられたようで、大いに楽しみにしたいところです。もっとも、まずは西谷からの延伸。これに期待しましょう。もう楽しい思い出はいらないから、と書いたら、いささか辛辣ではありますけれど。

しんよこはま0302
↑新横浜駅前の歩道橋にも、この真下に駅が誕生することが紹介する看板が掲げられています。



sinnkannsenn.jpg

まだ余韻が残る昨晩の高校のクラス会のことをいろいろ考えていたら、昨日新幹線のことを話し合った地理の先生とも、一緒に新幹線に乗っていたことを思い出しました。それは修学旅行の帰り道のことです。新幹線が米原駅を出た時、先生が通路を通りかかり、窓の外を見ていた私に
「米原だな」
と話しかけてきた。私は、
「ええ。この駅はすぐに解りますね」
と返事したことを覚えています。

43年前の会話だものね。何で、そんなことを覚えているのだろう。
その時の高校2年生と、担任の27歳の先生の会話の、その続きがまた始まったような昨日の会話でした。
(鉄道を好きになって良かったね。担任の先生が地理の先生で良かったね)

あの修学旅行では、私は不思議なほど、鉄道にカメラを向けないでいました。自分自身の中で、そろそろ写真のことを本当に好きになり、鉄道以外に被写体を求める気持ちになり始めていたのだと思います。
(581系電車とか、撮っておけばね)

もったいないけれど…。
それはそれで仕方ない…。

せめて、高校時代の写真のネガを探し出すことにしましょう。あの頃に撮って、今でも覚えているカットも、もちろんあります。
でも、「何でこんな写真を撮ったのだろう?」というカットに再会できれば、それは、相当に楽しめるはず。

新幹線で通り過ぎた米原での会話だって、何も43年後に楽しむつもりで話していたわけではないのだし。
ね?



本日(28日)は16時から高校のクラス会に出席してきました。
何しろ高校の創立1期生なので、高校の先輩はなし。クラスも3クラスしかなく、学年全員が知り合いという環境でした。
おまけに、校舎はまだ未完成、授業のはずが、草むしりになるというようなことが日常茶飯事で、けれども、そういった苦労ばかりが、良い思い出になっています。各先生も、新設校への異動にあたって、当時の新任の校長先生から「どんなことでも構わないから、自分の好きなことを好きなように、思いっきりやってくれ」とだけ言われたのだと。それは、今日初めて伺いました。

あの出発から44年。早いものです。そして、今から44年後には、ここに集った面々は誰もいなくなっているに違いない。でも、それだけの長い間、先生も生徒も同じような思いを共有してこれたことは、幸せな巡り合わせなのだと思います。

私の2~3年生の時の担任は、地理の先生で、きょうも地理であるとか、鉄道の話となりました。
先生は
「JR北海道は可愛そうだね」
と一言。私は
「民営化はともかく、分割の必要はなかったのだと思います」
と返事。
「リニアはどうなるの?」
と、聞かれたので、
「東海道新幹線の代替交通機関は、将来の新幹線施設の疲弊を考えれば、必要でしょう。ただ、現状では名古屋までの到達時点でどのような需要があるか解らず、不透明な部分がかなりあります」
と、まあ、もう少しざっくばらんにですが、そのように応えました。
「アルプスの下を通す必要があるのかな?所要30分~40分なのでしょ。それなら、全線地下にして、現在の新幹線の真下に作れば良いじゃない?」
と聞かれ、
「それは、面白いですね。可能性として」
と返事をしたのですが、東海道新幹線は、何しろ急カーブが連続していて、と説明するのは忘れてしまいました。
次のクラス会があるのなら、リベンジです。


yakusi.jpg

「もしもし。池口さんですか?こちら、町田市の○○課の者です」
今月の初めに、こんな電話がかかってきました。
「12月の初めに、薬師池公園の管理事務所に落とし物が届きまして、カメラのバッテリーケースなのですが…」
「ああ.それは私のものです。赤いケースで、中にバッテリーが2つ入っていたと思います」
「そうですね。それではどのようにしましょうか?」
「私の落ち度ですから、公園まで取りに参ります。どこかに預けておいて下さい」
「それでは明日以降に、警備室にお越し下さい」
カメラマンとしては恥ずかしい話なのですが、12月の初めに薬師池公園に撮影に行った際に、バッテリーのケースを落としてしまっていたのです。帰宅後、どのカメラバッグのポケットを探しても見あたらず、急いで1個予備を購入したところでした。それでも町田市が電話をかけてくれたのはケースの内ポケットに名刺を入れていたためです。バッテリーケースは角張った状態になるので、予備の名刺を入れておくのに好都合だと思っていました。実際に、この予備の名刺が動員されたことはありませんでしたが。

翌日、すぐに公園へ。しかし、管理事務所は無人です。携帯の記録から市に逆に電話。こういう時、今の携帯電話は記録が残りますから楽です。すると窓口の方が大変恐縮しておりました。
「すみません。届けるつもりでいたのですが、これだけ忘れて便が出てしまったのです。ちょうど他の仕事のついでがありますから、別の者に持たせます。管理事務所ではなく、警備室の方でお待ち下さい」

15分ほどして、軽トラックがやって来ました。青い作業着を着た若い職員さんが、すぐに私を見つけて、ハザードランプを点滅させます。
「すみません。お待たせしました」
「いえいえ。こちらこそすみません」
そんなやりとりをして、バッテリー2個とケースが無事戻ってきました。
若い職員さんは、この日の朝のNHKの番組で薬師池公園が紹介されたこと、これでまた公園に写真を撮りに来る人が増えるだろうことを、嬉しそうに話してくれました。

そしてすぐに軽トラックは、来た方向に走り去っていきました。予備の名刺も、ケースの内ポケットで少しよれた形で残っていました。疲れた体で戻ってきたこの名刺は、所期の目的は果たせなかったかもしれませんが、それ以上の働きをしてくれたのかもしれません。これからは、お守りとしてケースの中に残しておこうと考えています。

kisida.jpg

 本日は打ち合わせ兼反省会という形で、編集さんと月島の岸田屋に行って来ました。東京の名居酒屋に数えられる店で、漫画「美味しんぼ」の1巻に、このこのお店をモデルとした店が登場します(出典 pds.exblog.jp)。まあ、私にはネコに小判、なのかもしれませんが、ここは肴がみなとても美味しい。写真は湯豆腐で、しかも私が最初に白菜と豆腐をひと掬いした後に写真を撮らなければならないことに気がついたという体でした。居酒屋評論家でもある太田和彦さんは、このお店の煮込みを「東京三大煮込み」と称し、私は銀ダラの煮付けが好き。酒の揃いもなかなかのようで、同行の編集さんは、澤ノ井の辛口を冷やで飲んでいました。
 
 開店前の午後4時半くらいから行列ができはじめ、私たちも辛うじて4時45分くらいには並ぶことができ「最初の28人」に滑り込むことができたという次第です。
 食べ物屋さんを流行らせるには、美味しいものを、安く出せば良いのだと思うのですが、店が流行ると、その原則が忘れ去られたりする。湯豆腐の写真を撮って「初心忘れるべからず」というところで、でも、ライターの仕事も同じです。頑張って、良いものを書く。良いものは何かを知るためには、とにかく読書。その量×質です(もちろん、私とて、まだ途上にあるわけですが)。
 けれども案外、同業者にもこのことが解っていない人がいるんだよなーって、美味しい料理を前に、野暮なグチはいけませんね。