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 京浜急行で踏切事故が発生しました。私は、朝から取材で外出しており、仕事の先輩が携帯に電話をかけて教えてくれたのですが、何しろ外にいましたので、何も知らずにいました。

 今、解っていることは、事故で亡くなった方がいて、多くの方がケガをしたということです。
 鉄道の出版社に在籍していた頃から、事故が起こると、やり切れれない思いに陥っていました。事故は、誰も起こしたくて起こすものではない。当たり前のことです。けれども、マスコミは必ず悪者捜しをする。大きなメディアであるとか、地位が高いとされている人ほど、大正義を振りかざし、自分の立場は何を言おうと安全なので、弱い者を犯人にしたがる傾向があるように感じていました。それが何ともやり切れなかったのです。

 今回は踏切事故ですから、鉄道会社に非はない。こう書くと突っ込まれますが、踏切事故とは、鉄道会社側には不可抗力的な所があります。もちろん、事故を未然に防ぐために、線路を立体化して踏切を無くし、残された踏切にも、様々な保安装置をつけているわけですが、なかなか事故を撲滅することはできずにいます。

 直接的な過失はトラックの運転手にあったわけですが、その方は亡くなり、また運送会社も、これからの様々な事務手続き、補償、そのほかが大変なことでしょう。もし自分が会社の代表者であったなら、途方に暮れてしまうかもしれません。運転手さんにも家族がいたことでしょう。

 そのようなことも、忘れずにいなければならないと思います。単に鉄道会社を悪者にして、正義を振りかざしてすぐに他の話題に写るマスコミのいやらしさ。いつもそれを見せつけられてきたから、事故が起こるたびに、いやな気持になっていました。

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 これは昨晩のこと。夕食を食べようと家から自転車で出て、新横浜方向に走ると、浴衣を着た人がたくさん歩いていました。
 やがて、ドーンという音が。花火大会があったのですね。

 どうせなら写真を撮ろうと、眺めの良い場所を探して走ったのですが、人出も凄く、なかなか自由に場所選びなどできません。
 結局はスマホでかろうじて1枚撮り、もっと良い場所はないかなと考えているうちに、結構あっけなく、花火は終了してしまいました。

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 このことから得られた教訓というのは…、「気が向いた時にでもとにかく出かければ何かに出会うことができる」、ということと、「やはり準備はしっかりと」、という何だか矛盾しているような2つのことでした。

 でも、私はそうなのですが、夜、自宅にいて、花火の音が聞こえると、出かけてみようかなと思う、で、でも、出かけているうちに終わってしまうのかなと思い、結局は出かけず、いつまでも続く花火の音を聞きながら何となく後悔する。

 作家の太宰治が、これは『佐渡』という作品の中でだと思うのですが、何となく佐渡に出かけた自分を評して、「私は、しなかった後悔をしたくなかったのだ」と、綴る。これ、いかにも太宰らしい、計算し尽くして出した台詞のようにも感じますが、でもまあ、的は得ている。その意味からすれば、今回は、私も、後悔はしなくて済んだ。

 そういえば、やはり作家の内田百閒は、「とくに用事はないが大阪に行ってみようと思ふ」と言って、特急「はと」に乗った。これは本当に、毎日がやるせなくて家を出た、という風に感じるのですが、それでもこの時のことを書いた『阿呆列車』は好評で、文庫本3冊分暗いのシリーズになったのですから、仕事を取ったという点では、大成功です。用事がなくても、出かけたお陰、です。

 かく言う私は、とにもかくにも出かけたお陰で、こうして色々考えることができたのだから…。
 良しとしましょう。

 横浜市営地下鉄が、2030年にあざみ野から新百合ヶ丘までの延伸を計画していることは、すでに発表されていますが、そのルート案3案についての説明会が開催されると、神奈川新聞のオンライン版に掲載されていました。

19年度中には候補を1案に絞るとのことです。
いま、鉄道の新線建設は受難の時代です。環境保護など難問が非常に多く、土地の価格も高騰している。とても1事業体で賄える仕事ではなくなっているそうです。それがために第三者機関による建設という手法も多く採られているわけですが、それでも地下鉄であれば、様々な問題も、幾分かは、ハードルが低くなるのかもしれません。
けれども10年先かあ。長いな。本当は3年くらいで作って欲しいところなのだけれど。

7月21日に横浜駅西口の新通路が開通したというので、外出のついでに見物に行ってきました。新しくできた部分には吹き抜けがあり、これは現在駅の真上に建設中のビルの1階部分になるのだそうです。よく見ると、向こう側に横須賀線の電車も見え、工事がすべて終わると、かなり解放感のあるスペースになりそうです。ちょうど横を歩いていた女の子たちも「きれい~」と驚いていました。

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 一方、西口通路の肝心要とも言える駅前の地下商店街(旧・ダイヤモンド地下街)と、駅通路の接続部は閉鎖されています。この部分が開通しないと、駅前の地下街と、駅の地下通路を通して歩くのに、一度登ってから降りなければならないという不都合が生じるのですが、この部分が開通するのは12月頃のことといい、まだ先の話です。よく横浜駅を「日本のサクラダファミリア」と呼んで、いつまで経っても工事が完成しないことが揶揄されていますけれど、本当にそんな感じ。開通が待たれます。それから、フェイスブックにこれらの写真をアップしたところ、友人から「それよりも、駅のホームへ上がるエスカレーターの設置をもっと急いで欲しい」というコメントも付きました。なるほど、私たちはどうしてもPRにつられて華やかな部分にばかり目がいきがちですが、そういう視点も確かにあるのですね。バリアフリー化の進捗は、どうしても「健常」でいると気が付きにくいのだけれど、忘れてならないことだなと感じました。

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 ここで本論から離れて、当日は桜木町駅前へ。ちょうど、この前日にモスバーガーの高級店がオープンしたということで、覗いてみました。

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 写真はランチタイムに出される「モスプレミアムバーガー」で、飲み物とのセットで1200円。

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 正直な感想としては、どうせやるなら、あと少しだけ高くてもいいから、もっと驚かせる演出があればと感じました。最近は、価格を少し高く設定しても、1個でお腹がいっぱいになるようなハンバーガーがあちこちで出されています。このハンバーガーだと、それと同等か、少しだけ下かという感じで、どうしてもチェーン店だと、奇抜なことは難しいのかもしれません。(それでも、これ1個で、結構なボリュームがありますが)
 ともあれ、桜木町駅前で食事をする時の選択肢は増えたことになります。

今朝のオンライン版北海道新聞の記事です。
名寄線代替バス 夏も乗り放題 「パスポート」冬の好評で
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/326938?rct=n_hokkaido

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夏の名寄。いいかもしれません。でもバス路線って、時刻表の地図に紹介される機会が乏しいから、何かランドマークを作るのが良いかもしれない。「バスの駅」みたいな。要は知恵を絞れるか、それを実現するだけの人と予算を集められるか、なのでしょう。
でも、こういうアイディア、プロジェクトって、いったん成功してしまえば、誰でもできるようになる。だから最初が大切なのでしょうね。
そういう仕事をどんどん手掛けてくれるドン・キホーテが現れてくれないものでしょうか。


写真は、川崎市の日本民家園に建っている合掌造りの家の土間です。明日(日曜日)、クラブツーリズムの徒歩ツアーでここを周ります。この民家園には25棟くらいの昔ながらの民家が移築されており、それぞれに魅力的。本当は、この民家園だけで、十分に一日を過ごせるほどの施設なのです。

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 こうして、いわゆる古民家を訪ねるたびに、昔の家は本当にゆったりと造られていて、思いのほか暮らしやすそうだと感じます。前回、この民家園を訪れた時は雨で、現地のボランティアスタッフの方が「雨の音を聞きながら時間を過ごすのは良いものですよ」と、おっしゃっていました。

 本当にできるのであれば、私もいつの日にか、こんな古民家で暮らすことができたら楽しいだろうなと思います。生活に必要な最低のものは通販ででも取り寄せて、本を読んだりしながら暮らせれば。もっとも、こんな古民家でゆったりと暮らしたいのであれば、部屋の中をパソコンなどで埋め尽くしてはいけないわけではあるのですが。


 横浜は朝から強い雨。お昼時にキッチンにいたら玄関の呼び鈴が鳴った。出てみると、ひと月ほど前に屋根の修理をしてくれた若い衆が立っている。
「今日は雨も風も強いので、心配になって来てみました。雨漏りとかないですか?」
とのこと。
「大丈夫。お陰様で。今、どこにいるの?」
「2つ隣の駅の近くの現場です。池口さん、日焼けされましたね」
「ここのところ、一日中、外を歩く仕事が多いのでね」
「何かあれば呼んでください。私たちは緊急の時は動きますから」
「解った。携帯に電話する」
と、やりとり。雨風が強く、仕事にならないので、会社に帰る途中に、ちょっと寄ってみたのかな?これが営業の基本かも。
今日はこちらからは何もできないので、この書き込みでお礼の代わり。食べていたカップヌードルが伸びちゃったけれどね。

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 昨日(3月1日)は、静岡市の図書館に調査に行ってきました。
 そのあと、地元の鉄道会社の方と、個人的に食事。色々な話が出ましたが、その方もある第三セクター鉄道に個人的な旅行をし、様々な疑問を感じたと仰っていました。つまり、その地方では、一つの大きな谷の中に線路が延びているのだけれど、その谷には高速道路も自動車道もあって、競合している。結果として鉄道は割を食う形となっており、行政は何もしないのか?といことが、大きな疑問であったということです。

 そこで、昔フジテレビのニュースで見たことを話しました。静岡に空港ができた時、空港の建設ラッシュに安藤アナウンサーが疑問を持ち、隣に座っている木村太郎キャスターに「これで良いのでしょうか?」と振ったところ、木村さんは「自由競争」と、少し大きな声と身振りで返答した、という話です。

 けれども、もし交通行政を、本当に自由競争だけに任せていたら、国は崩壊します。それは、もう明治初期には予測がついていた。だから明治政府は、私鉄の建設を認めようとしなかった。これは予算の問題から初志を貫徹することができず、日本にも私鉄が誕生するのですが、それでも全国の幹線の建設は国が手掛けた。そして、大きな組織である国鉄が形を整えてゆくわけです。「もし、私鉄を認めれば、すなわち自由競争を野放しにしたら、鉄道は人口の多い所にだけ作られ、地域格差が拡大する」、というのが明治政府、殊に井上勝の持論であったわけです。『坂の上の雲』ではありませんが、明治という時代はそれだけ偉大な時代であった。

 ひるがえって、現代の行政の、なんと貧困なことでしょう。政治家は保身と利権に走り、本来の仕事である政治、すなわち、国を良くするための枠組み作りに着手することには、非常に及び腰になってしまっている。それでも彼らには、殊に国政の代議士には、非常に大きな特権と、待遇が与えられているのだから、悲しい話です。それもまあ、そういう先生を選んだ有権者が悪いということになり、本当に救いがないわけですが。

 「だからもう、、鉄道会社自身が、行政を動かしてしまうようにしなければ駄目な時代なのだと思います」と、これは企業が自らの力で条例を変え、建蔽率の関係から増築は不可能とされていた横浜スタジアムの増築を可能としたDeNAの例を話しさせて頂いたのですが、本当にもう、それくらいの力技ができる鉄道事業者が現れて欲しいと、なんだか悲鳴にも近いような感想を抱いたのでした。

 京浜急行電鉄が創立120周年記念事業の一環として進めていた駅名の変更について、4駅の新駅名が発表されました。
産業道路→大師橋 花月園前→花月総持寺、仲木戸→京急東神奈川、新逗子→逗子・葉山の4駅の変更です。

 当初は40駅程の駅名変更がアナウンスされていましたが、実際には4駅ということで留まりました。
 駅名の変更について、結構多くの反対意見があったのかもしれませんね。
 私も京浜急行はよく利用する立場なので、正直なところ、ほっとしています。
 
 商業主義の優先が目立った「恵方巻」の大量廃棄問題は、去年あたりからマスコミにも採りあげられるようになったけれど、1月16日の記事(つまり本日付けですが)で、朝日新聞が「恵方巻き大量廃棄の悲劇防げるか 国が呼びかける事態にと報道したためか、記事中で「売り方を見直した」と報じられている兵庫のヤマダストアーにも問い合わせ、賛同が殺到しているという。
同社のホームページにも、ヤマダストアーの恵方巻報道についてというページが設けられ、

「昨年の当社の恵方巻の取り組みについて全国各地の多くの方よりご関心を持っていただき、またお褒めを頂き誠にありがとうございます。
(中略)
色々な視点で報道され、様々な議論も出てきていますが 私共が考える一番のおすすめは

「それぞれのご家庭で巻寿司を巻いて家族で楽しむこと」です。

当社の巻寿司を郵送してほしいというお声も頂きますが(笑)、遠い所から巻寿司を取り寄せるよりも地元のお店で具材を買ってお家で巻いて家族で楽しむ方が絶対美味しいです! 」
と記されている。

なんか無茶苦茶恰好良いぞ。ヤマダストアー。大きな組織に属しての安定志向では、絶対にこういうセリフは出て来ない。
小さな、けれどもなんだかとても痛快な出来事。


箱根駅伝を小涌谷の踏切で観戦する場合、11時小田原集合(私は友人と待ち合わせてから、現地に赴きました)では、登山電車の行列待ちの間、タイミング的に間に合うのか、少し不安になります。駅係員からハンドマイクで、「これからでは間に合いません」なんて言われたりしますので。10時半なら大丈夫でしょう。
 それでも何とか11時過ぎに小田原を出発しますと、小涌谷には11時40分くらい着かな。それからここで小1時間、選手が走って来るのを待たなければなりません。
 ⒓時に、どこからか、チャイムが聞こえてきます。沿道の誰かがラジオを鳴らしたりしていると、「先頭は小田原の中継所」なんてアナウンスが聞こえたりしますが、それでも、まだ静かなものです。
 やがて花火がドンドンと響き、こちらの気持ちもこれで高ぶってきます。いよいよ来たなという感じ。そしてヘリコプターの爆音が聞こえる。続いて、何台もパトカーが通過し始め、大会関係者の車から「間もなく選手が来ます」というアナウンスもある。さらに続いて、実にいろいろな車が通過してゆくのですが、このあたりの順番は、テレビ中継では解らない。それを目の当たりにできることが、沿道に繰り出すことの醍醐味でしょうか。
 そして、坂の下の方から、歓声が潮騒のように聞こえてきて、それが少しずつ少しずつ大きくなる。白バイも2台だけでなく、何台か通過するのですが、歓声が聞こえたら選手がやって来るのはすぐ。そして選手を見ながら、多くの観衆が「頑張れ!」などと叫ぶのですが、あれ、見る側も相当にハイになっているのでしょうね。
 選手団の通過にそんなに時間は要しません。たいがい最後は「学連選抜」。それが通過すると、また報道だの、大会関係者だの、警察だのの車が大挙して通過し、最後にやはり大会関係の車が通過して、「これですべて通り終わりました」とアナウンスを続ける。
 でも、これが集団の本当の最後ではなく、実はこの後ろにいつも、大量の「一般の人」が漕いでいる自転車が、集団について走ってきます。この自転車の大集団も、決してテレビには映りません。
 数年前には、「沿道で母校を応援したかったけれど、友人がどうしても福袋を買いたいと言い出し、東京駅の大丸で福袋を買ってから、新幹線で追いかけた」という女性編集者がいました。
「湯本で見ることができました」と言っていましたので、惜しまず新幹線を利用すれば、駅伝観戦の領域はずいぶんと広がるようです。

 どういういきさつだったか、今日は打合せの最後に「皆、どこで箱根駅伝を見る?」という話題になりました。私は「去年は行かなかったけれど、その前の年は、箱根登山鉄道の踏切」と答えたら、「鉄だなー」と言われ、その発言の主は川崎なのだと。なんでも選手が通り過ぎたら、その後は川崎競馬に行くのだそうで。

 横にいた一人は、「俺は家でテレビだ」と言っているところに、後から会議室に来たスタッフは「毎年、カミさんの実家に行っている」と、なんだか素行調査みたいになってきた。でも、結構、皆、あれは見ているようです。

 箱根登山鉄道の小涌谷の踏切には、いつも登山鉄道の運転指令の人が来ていて、選手団の動きと、列車の現在位置をリアルタイムで監視しながら、列車を一旦停止させるか、先に踏切を通過させるかを判断しています。もちろん、列車を一旦停止させればその後はダイヤが乱れることになるから、できるのならば、そうしたくないというのが鉄道事業者の立場でしょう。けれどもある年は、どんぴしゃでバッティングしてしまって、現場から「今年は選手をすべて通します。運転整理よろしく」と連絡していた。運転整理というのは、ダイヤを復旧させるための工夫であるわけですが、それを全面的に委任したというわけ。

 けれども、年に2日だけのことであるし、ダイヤが乱れたとしても、「駅伝開催により」とアナウンスすれば、お客さんは怒らないのではないでしょうか?数年前には、京浜急行の京急蒲田駅の近くにあった踏切が線路の高架化によって廃止され、駅伝の開催によるストレスは解消したわけですが。

 観客の立場で言えば、それも少しつまらない気がします。
 もうすぐ、年末、そして年始です。
 皆さんは、どこで?


 これは先日のこと。とあるスーパーマーケットをぶらついていたところ、この近所にある専門学校の生徒らしい女の子が、買い物に来たおばあちゃんを捕まえて、どのカップ麺が美味しいのか、アドバイスをしていた。
「これを買うのだったら、そちらの方が20円安くて、美味しいですよ」と、その口調は何やら自信に満ちているように感じられた。そしておばあちゃんからお礼を言われた応えが、
「いいんです。私、カップ麺マスターですから」 というものだった。その口調もとても自慢げに聞こえるもので、これが若い人が相手だったらうまい突っ込みを入れてもらえるところなのになあ、と、せっかくのギャグが不発に終わったのが、傍で聞いていても、少しもったいなく思えた。

 それにしても、私が若い頃、つまりまあ30年くらい前までは、インスタントラーメンというと、貧乏とものぐさの象徴だった気がするが、現代のカップ麺には、本質的な部分は変わらないにしても、あの頃のインスタントラーメンのようなうらぶれたイメージはなくなっているのだなと、これは女の子の口調を聞いていて感じられたのだった。何しろマスターですからね。

 世の中には進歩するものと、置いていかれるものの2つがあって、その差はどこから生まれるのかというと、やっぱり勢いなのだろうと思う。それであれば、これから私も何かのマスターを名乗って、勢いをつけてみようかとも考えたのだが、これが案外難しい。牛丼マスター、カレーマスター、回転寿司マスターなどを名乗ってみても、そんなに奥行きが感じられず、それではマスターという称号がサマにならないのである。カップ麺というのは、その点、実に良い落しどころなのだった。

 それでは私もカップ麺で行くかとも思ったのだが、スーパーのあの巨大な棚にずらりと並ぶカップ麺の数を思い出し、自分には無理だと、それは確信できた。
 
 匙加減は大事だと思う。何事も。

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 昨日、山手線で建設中の新駅の駅名が「高輪ゲートウェイ」と発表されました。
 賛否両論と言いたいところですが、ネットなどを色々見ていますと、ほとんどすべて失望の表明でした。まあ、マニアは悪口ばかり言いたがる種族なのですが、気になることは、得票では第一位となった「高輪」の8300票あまり、第二位の「芝浦」の4200票あまりとは、およそかけ離れた少数のものが採用されたことで、「これなら最初から、公募などするべきではなかった」という意見には、大いに頷けます。今頃、多くの人が、がっかりとした気持ちになっていることでしょう。これが、採用作が3位くらいの得票(というか応募数)を得ていたのであれば、まだ、納得もできるでしょうが。

 もちろん、公募というものは、単に数の多さだけで決まってしまうものではありません。そういうことであれば、何もかもが組織票で決定されてしまうということがあるかもしれません。それもまた、公募の趣旨に反することでしょう。鉄道関連の物に限ってみても、今までの公募の例で、何も得票数だけで決まったわけではないものがたくさんあります。

 そもそも、日本の初めての愛称名付き特急が運転されることが決まったとき、愛称名が公募されました。そして第1位の「富士」と、第三位の「櫻」が採用されて、それぞれ東京~下関間運転の特急として運転が開始された。昭和4年9月のことです。

 それでは、第二位の愛称名はどうなったのか?この時の第二位は「燕」でしたが、このスピード感のある愛称名は、この翌年から運転が開始される特急に使用されることになった。「燕」は、途中の停車駅を制限したり、機関車のつけ替えの数を減らすなどの工夫をして、東京と大阪の間を初めて8時間20分で結び、「超特急」の愛称名もつけられています。スピード感のある愛称名は、取っておかれたのですね。これなら、「燕」に投票した人も納得したことでしょう。

 今回も選に漏れた人には、なんだかの形で「お返し」をしてあげて欲しいと思います。それが利用者への還元であり、鉄道と利用者も間に絆を強いものとする鍵になると思います。

「残念でした」だけでは、次からはもう誰も投票したいと考えなくなってしまうかもしれません。


来年5月の天皇即位による10連休の実施が閣議決定しました。
 となると、恐らくは法案が成立します。休日と謳って頂くことはありがたいですし、即位に伴うものですからおめでたいことです。ただ、実際に全国民が10日間、家に籠ってしまうようなことはないわけですから、当然、混乱が生じるでしょう。そのことも仔細に記録するべき、と言うか、しておくと面白いでしょうね。


愛媛新聞オンラインに「しなの鉄道、台湾電車の塗装再現」という記事が掲載されていました。オリジナルは共同通信のものであるようです。
愛媛新聞の記事には、台湾の電車の写真が使われていたので、一瞬、その電車が来るのかと思ったのですが、実際は車体の塗色変更であるようです。
 それでも、こういうニュースが国の境などものともせず、入って来るようになりました。この状況が、日本の鉄道を活性化させることもありそうです。

北海道新聞電子版にアップされていた動画です。↘

 取材で1回だけ乗りました。正直に言えば、沿線風景には退屈したのだけれど、終点、夕張の描写とか、もっと執念深くやれば良かった。ちょうど夕張市の破たんが報じられた時だったけれど、ラーメン屋のおばちゃんは、「別に何も変わっていない。大変なのは役人さんなのでしょう」と日々の暮らしのことを話してくれました。

 取材を終わった直後はいつも、「また来るぞ」って思うんです。でも、この夕張線にしても、その思いは果たせないまま。夕張にもまた行きたいとは思うけれど、この冬は、いろいろな予定があり、無理なのかもしれません。



ツイッタ―欄にリツィートを載せましたけれど、パナソニックが発表した自動運転の小型電動車(画面ではスクールバスと書かれているようですが)は、可愛いですね。これなら乗ってみたくなります。近年のAIの進歩は驚異的な速度ですから、案外早く、こういう乗り物に乗れるようになるかもしれない。

私が昔、クルマの免許を取得したときの父の最初のアドバイスが「余計なスピードは出すな。事故の原因の多くはスピードにある」というものでした。自身はスピード狂でしたが。
自動運転は、安全運転との両立の部分で、まだ十分な信頼性が確保されていないとも言えるのですが、スピードが遅い乗り物であれば、自動運転に頼ることも、早いうちにできるようになるかもしれません。

そういえば、友人たちと出かけた10月の箱根の旅では、友人の一人がロボットを持って来ていました。「踊って」「歌って」というような命令を聞いてくれる。最後は『充電してね」と言って、寝込むのですが。面白がる仲間に、友人は「変な言葉を教えないで~」と繰り返し、懇願していました。




 京浜急行が創立120周年記念事業の一環として、一部の駅の名前を変更するというプランが発表されていました。
 新しい駅名は小中学生を対象にした公募とし、応募の締め切りは10月10日とアナウンスされました。もう、締め切りを過ぎたのだけれど、結果はどうなったのかな?
 
 それから、このプランに対して、多くの反対意見が出たことも、皆さんご存知の通りです。駅名には歴史に対するリスペクトがあり、無用にこれを変えるべきでないというのが、その趣旨。私にとって京浜急行は、5歳の時に神奈川新町の近くに引っ越して以来、大好きな私鉄です。そして、多くの反対意見に、今頃「尻馬に乗る」ようで申し訳ないのですが、無用な駅名の変更には反対します。理由も皆さんと同様で、駅名、地名には、その土地の歴史が反映されているということ。京浜急行で最近あった駅名変更には、谷津坂→能見台がありましたけれど、旧駅名だって綺麗な響きを持っています。この名がなくなってしまったことは、今も残念。

 確かに、小中学生は、これからの時代を担ってゆく主役ではありますが、歴史認識は弱いはず。自分だってそうでしたから。そういったその土地のこれまでの歴史を人に教えるのが地名であり、駅名なのですから、これを記念事業で覆してしまっては、本末転倒というものでしょう。

 もちろん、変えても良いかもしれない駅もあります。例えば「花月園前」は、花月園そのものがなくなってしまったのだから、変えても良いのかもしれない。ただし、これも住民の意向は十二分に反映されるべきでしょう。花月園は、大正時代には関東を代表する遊園地として観光客を集めていたそうです。ここには遊園地だけでなく、ホテルや少女歌劇もあったといいますから、宝塚と同じですね。けれども経営難に陥り消滅。跡地には競輪場ができましたが、それもなくなりました。この「花月園前」という名称が消えたら、ここにそれだけの施設があったことも、忘れ去られてしまう可能性もある。そこまでを考えて、駅名を変更するなら、変えれば良い。

 金沢文庫、金沢八景という駅もあります。綺麗な名前です。今、ここに文庫はなく、八景と称された美しい地形も、埋立によって消滅しました。けれども、そこに住む人は、その地名を、そこに住むことを、誇りに思っているのではないでしょうか。そのことも踏まえた上で、新しい意見も採り入れての、記念事業の推進であって欲しいと感じています。


 
 小田急ロマンスカー7000形LSEが引退しました。1980年から運転を開始。これは私が会社に入ったのと同じ年で、同級生のようなものかもしれません。でも、だからといって、7000形に特別な親しみを感じたということはありません。この時代には、次々に新車が登場していましたから、一つの形式に特別な思い入れを持つことはなかったのですね。

 それは、大して熱烈な鉄道ファンでもないはずの自分が、鉄道雑誌の編集部に就職して、いきなり鉄道が仕事になってしまったからかもしれない。もちろん、好きだからこそ、そこへの就職を希望したわけですが、ある程度冷めた眼で、鉄道を見なければいけないと、考えるようになったことも一因なのだと思います。

 よく、「好きなことを仕事にできて、良いですね。羨ましい」ということを人から言われるのですが、良いこともあれば、良くないこともあります。少なくとも、毎日が楽しくて仕方ないというようなことはありません。もちろん、多くの人がなりたくてもなれない立場になれたことは、とても運が良かったのだとろうと思います。そのことは忘れずにいなければならない。

 鉄道を報道するメディアには、車両が引退すると、「ありがとう」という言葉を使うことがあります。ある席で鉄道ファンの大先輩から、突然、「ありがとうなんて書くな」と叱られたことがあり、「私は、ありがとうと一回も書いたことがありません」と、これは結構強く言い返したことがあります。車両の引退、というか、更新、代謝は、より良いサービスの提供と、安全性の確保には重要なことで、そのようなことは当たり前なのですから。そう捉えています。

 もちろん、一つの時代が終わったということを知らされることには、感傷を覚えることがありますが、それは別の言葉で語りたい。「ありがとう」「惜しまれつつ」、そういう言葉は使わないようにしています。ひねくれているかな?でも、安易な言葉で片付けてしまいたくはない。

 いつもの言葉で終わらせれば、それは楽なのですけれど。