本日の古書店巡り(と言っても2軒だけだけれど)の戦利品。
“102歳のカメラマン”と形容されるようになった、カメラマンの大先輩、笹本恒子さんの自伝。ヤフオクなど見ても、笹本さんの本はかなりお歳を召された後のものばかりが出ているのだけれど、この本は笹本さんが第一線でバリバリ動きまくっていた時代の記録。
でも。
本の最後のところが、結構いいんだ。飛び飛びで少し抜粋すると、
「六〇年安保の後、雑誌が相次いで廃刊されたのは、大きな打撃だった」
「間断なく仕事に恵まれてきた私には、新しいマーケット開拓への見当がつかない」
「過当競争は激しくなる一方」
「仕事のない日が続いた」
 こうして笹本さんは、半ば仕方なく、空いた時間を活かすために、文章を書き始める。けれども、
「原稿を書き進めているうちに、私はそうはしていられないことに気づいた」
 早く確実な収入を得なければ、生活が賄えないことに気づいたのだという。
 こうして、これもやむなく笹本さんは副業を始める。オーダー服のサロンを開き、あるいはフラワーデザインを手がけ、笹本さんが写真の世界に戻ったのは、それからずいぶん後のことで、それまでの間に、ネガをハサミで切り、焼却炉に送ってしまったこともあったという。その作業を続けなかったのは、ネガの量の多さに、作業を続けるのが億劫になったからなのだと言う。
 笹本さんがバリバリ働いていたのは昭和中期だから、今ほどの不況ではないはずだけれど(不況期があっても、比較的短い間のうちに回復したのではないだろうか)、それでもフリーのカメラマンは、今日と同じような苦境に苦しめられていたことになる。
 色々なことを書ける。「苦しみのない人生なんて、なんの味わいもない」とか、「あの大先輩の笹本さんだって、これだけ苦しんだのだから」とか。
 「ただ一度の人生なら、気が済むようにやろう。逆境を楽しもう」でもいい。これは本当に人それぞれ。
 それからこれは本論ではないけれど「ヤフオクとアマゾンと、ブックオフばかりに頼らない方がいいよ」ということも、私は結構強く言いたいなあ。
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 ちょっと長くなりますが、ある小説家が書いたエッセイの一部を書き写します。誰が書いたか、当ててみて下さい。もちろん、読んだことがある人であれば、間違えることはないでしょうが。(改行の後は、見やすくするため、池口が1行空けました)

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(前略)

 ぐっすり眠って目がさめると、朝。列車は瀬戸内海のそばを走っており、車窓には静かな海、美しい島々、帆をかけた小舟などがながめられた。他の乗客たちは別に知己ではないが、一夜を共に同じ車内ですごしたという意識のためか、眠い顔を見せあったためか、肩をたたきあいたいような気分。人数があまり多くないのもいい。

 これこそ旅だ、列車の楽しさだ、と思った。福岡の仕事は面白いものでなく、なんにも覚えていないが、寝台車についてはいまだに印象に残っている。こんどの夏には熊本へ行く予定だが、またこの寝台車で行くつもりだ。旅の本質は産業からレジャーへと変わりつつある。ビジネス旅行から楽しみの旅へと。人びとの目的が移るのである。この寝台車のムードは、今後ますます貴重さを示すだろう。廃止されては悲しいのだ。

 費用をきりつめ団体を作り、目的地へさっさと行ってさっさと戻る旅行の好きな人もいるだろう。ただ私のように、道中を楽しみたい人もあるのである。趣味や娯楽は、能率や画一化とは完全に別方向のものだ。寝台車は採算がとれないというのなら、引き合うだけの料金を喜んで払う。楽しみを求めて、競馬やバーやゴルフに、せっせと働いて得た金を使う人がある。寝台車をその対象とする人だってあるはずだし、現に私のごとく存在するのだから。

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さて、正解は…

星新一さんです。SFのショートショートを多数発表した作家ですが、ごらんのとおり、エッセイも堅実ですし、このほか、歴史上の出来事を題材とした小説にも迫力があります。やはり、という感じです。エッセイのタイトルは「寝台車」というもので、収録されている文庫本(きまぐれ博物誌 新潮文庫)のあとがきには、昭和43年から45年の間に書いたもの、と説明されています。つまり、ここに登場する寝台車とは、国鉄がまだ輸送の王者に君臨していた時代のものということになります。それでも「廃止されては悲しいのだ」という記述がありますから、その頃に、そういう動きが何か始まっていたのでしょう。

ただ、寝台車の魅力というのは、ここに書かれているとおりで、昔も今も何も変わってはいません。
「寝台車をその対象とする人」も、すjっかり市民権を得た印象ですし、「引き合うだけの料金」で、列車が動くことはもうないのでしょうか。
豪華列車ではなく、誰もがいつでも乗れる寝台列車が、全国の幹線に数本は残されても良いはずです。
それは文化の保存であるとか、理由はいくらでも見つけられるはずです。


田山花袋の「温泉めぐり」を読んでいます。箱根の塔ノ沢が出て来て、伊香保が出て来てという具合に、今も名が知れている温泉が出て来て、そこに出向いて、酒を飲んだり、芸者さんの弾く三味線を聞いたりしているのだけれど、でも、とてつもなく淋しい紀行文。

さすがに文体が少し古く、馴れない読み手の足取りを弱めさせるのだけれど、雨が降り出す前の夕暮れの風のような、ひとりぼっちの夜のすきま風のような、やりきれない淋しさを読み取るくらいのことはできる。

こういう著作まで目を通していないと、内田百閒の紀行文の位置づけはできないということになる。

またも、目の前に、暗闇、か。



今日,向田邦子のエッセイを読んでいたら『ヒコーキ』という一編があって,『飛行機』でも,『航空機』でもない。このネーミングで,私が真っ先に思い出したのは,行軍将棋(軍人将棋とも)であった。このゲームでヒコーキはまったく強く,少将以上にしか負けない。タンクにも勝ち,このあたりは近代戦の色合いが感じられ,しかもヒコーキは自陣から自由に敵陣に飛翔できるというアドバンテージがあった。

これは結構手こずる性質のもので,対応に苦慮すると,自らのヒコーキをこれにぶつけて相撃ちとすることで,敵のヒコーキを除去のだが,得策とは言えなかった。このヒコーキを用いた一種独創的な運用法を考案したのは,高校のクラスメートの菊池君で,自陣から敵陣に向けて,ヒコーキが普通に歩いてゆくのである。これだと,相手はまさかこれがヒコーキだとは思わないのだが,この戦法の強みは,万一敵の地雷を踏んでも,これを除去できることにあった。敵のある程度強い兵がまんまと地雷を踏んだはずなのに,地雷が負けてしまうのである。その理由に気づかされるのには,一瞬の間が必要で,いずれ地雷を踏むだろうからと,自軍の少将以上がその近くにいないと,いよいよ対応に苦慮されられることになる。

これに勝る方法には,地雷が敵陣に歩いてゆくというのがあり,これは相当のものを撃破できるのだが,審判がグルになっていなければならず,基本的には反則である。

きょうは,半藤一利さんの太平洋戦争ものを2冊読んだ後に,向田邦子に移ったからこのような思考に陥ってしまったのだが,エッセイがあまり波長に合わなかったものだから,吉村昭の,江戸末期の天然痘治療をテーマにした中編に切り替え,これにはヒコーキも,タンクも,地雷も,少将も出て来なかった。
当たり前である。

ここのところ、少しばかり続けて読んでいるものに山田風太郎の小説、エッセイがあるのですが、今日はこんな文章に出会いました。
ちくま文庫「山田風太郎明治小説全集一」に収録されている『開花写真鬼図』の中の一節です。物語の冒頭で登場人物の一人(主人公ではない。この小説のシリーズは、主人公らしい主人公はいなくて、それが物語を微妙なバランスに仕上げている。強いていうなら油戸という少し間の抜けた巡査なのだが、小説の主人公たる心理描写は乏しい)が、新橋から完成したばかりの汽車に乗るシーンがあり、「乗車セムト欲スル者ハ遅クトモ表示の時計ヨリ十五分前ニステイションニ来タリ,切手買レ其他手都合ヲナスベシ」で始まる駅の告知を見て、憤慨し、「この告知も気にくわない。内容がではなく、文章がである。これは従来の日本の文章ではなく、どこかに紅毛臭がある」と,記されています。

もちろん、どこかに紅毛臭がある、とするのは山田風太郎の眼によるものです。この文章は、恐らくは当時の鉄道技術、運行を司っていたイギリス人による英語の文章を、そのまま日本語に訳したものであるはずです。何より、日本に鉄道が開業した時点では、日本の社会はまだ太陰暦を採用しており、15分という時間の概念は一般的な日本人には無縁のものでした。
当然、まだ洋式の時計も普及しておらず(イギリス人は本国から懐中時計を携行していた)、そのような社会にあって、庶民に「15分前に駅に来い」ということが、いかに意味のないものであったかは、同じ日本人であれば、痛いほど解っていたはずです。当時の庶民がいかにして、列車の発車15分前に駅に到着する術を手にしたのか。これは私が数年前に鉄道時計の歴史の本を書いた時に調べたことがあるのですが、はっきりと解らないままでした。

また、山田風太郎の汽車の描写には、「まあ、西部劇に出てくるようなやつを想像していただいた方がてっとり早い」とあります。こう書いた理由を想像すると、作者は明治の蒸気機関車について調べ、北海道の「弁慶号」「義経号」の写真に辿り着いたのでしょう。でも、鉄道が好きな人にはよく知られているように、あのアメリカンスタイルの機関車が、明治初頭に運転されていたのは北海道だけで、本州の機関車は、それよりも小型で繊細な姿をしたイギリス製のものだけでした。

もちろん、だからこの小説が間違っているというのではなく、むしろよく調べたことと思います。ただ、最近は読者のツッコミが厳しくなっていますから、このようなことを書いたら、まず間違いなく、発売翌日の版元に、読者からの質問という電話がかかります。

私が、鉄道時計の本を書いていて、とても心残りだったのが、明治5年12月(新橋~横浜間に鉄道が開業した後です)に、ようやく太陽暦が採用されて、庶民にも1日24時間の概念が導入され、それがどのような過程を経て、社会に浸透していったのかを、十分に調べることができなかったことでした。最初はチンプンカンプンであったはずの西洋式の時間が、いつ頃から誰にとっても当たり前のものとなったのか?私が読んだ本の中には、その過程を「よくわからない」と記したものがあって、それは正直なところなのだろうな,とも思いましたが。

西洋式の時間が採り入れられる前は、日本人の時間の概念は非常にルーズで、待ち合わせに2時間遅刻することなど日常茶飯事であったといいます。また、時間に遅刻するという概念が生まれたのも、時間の制度が変更された後のことだ、とあり、この部分だけは、少し羨ましく思ったり…。

腕時計を普及させたものの一つが、戦闘機のパイロットの存在だったのだそうです。編隊を組む全員がきちんと時間を守れなければ作戦行動が取れないからだとか。時間が厳守されてこそ、一人の人間が多くの仕事ができるということ、これは間違いがないようですね。

またまた、鉄道の話とは離れてしまいますが、最近入手した絵本です。ネット経由で、もちろん中古のもの。奥付を見ると、1991年初版とあります。

可愛らしいオバケを主人公にしたお話。ちょっと可哀想な筋書きになっていて、こういうものを読みますと、童話というのは、気持ちが優しい人向けのものだということが解る気持ちになります。あくまでも童話ですから、しかも主人公のオバケがカレーを作る話ですから、このような話はどこにもなかったわけですが、でも、何となく、心がしんみりする。

いつもながら、自分もこういうストーリーを作ってみたいという、それが読後感の一つなのですが、さて。

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出先にブックオフがあったので、立ち寄ってみた。山田風太郎のエッセイがないか探したのだけれど、ない。忍法帖のシリーズが数冊あるだけで、食指が動かなかったものだから、林芙美子の随筆集を買う。

読んでみると、大したことはない。あれだけの文筆家が書いたものを、私がこう言うのも気が引けはするのだが、解説にも「小説の合間の随筆には、内的な使命はなかった」ということが書かれてあって、納得もしたし、この読み手の確かさにも、感心させられる。

道は、まだ、遠いのだろうなあ。
だから、歩き甲斐があるのだと、思おう。

また、ネコの絵本に話を戻しますと、クロとトラのシリーズの絵本にもう一冊ありまして、これがその本。
主役は、やっぱりトラ君です。

えほん05
















なかよく縄跳びをしていた2人(本の中では、最後にトラ君が「3人で」と言っていて、「3匹で」、ではないので、ここでも2人と書きます)、が、ちょっとした行き違いから、仲違いしてしまう。で、少しネタバレをしてしまうと、トラ君が、降り始めた雨の中を、ひとりぼっちで、いつまでも縄跳びを続けることになるという展開です。
他の2作では、少し腕白な所もあるトラ君ですが、なんだかすごく可哀想。

そういえば、私たちも、子供の頃は、こんな行き違いをしょっちゅうやっていたような気がします。皆で遊ぶつもりで家を出たのに、一人で先に帰ってきてしまうとか…。
そういう意味では、この絵本のテイストも、なんだか大人向けです。そして、ちょっぴりのハッピーエンド。

子供の頃は、こんなハッピーエンドにもたくさん出会っていたような気がします。
大人になってしまうと…。なかなかうまくいきませんよね。

頑張ろう…。


こちらは、絵本ではないのですが、ネットオークションで入手した本。
今はなくなってしまった、プレス・アイゼンバーン発行の「木曽森林鉄道」という写真集です。

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かつて、木曽の山中に路線を延ばし、木材の搬出に働いた軽便鉄道がテーマ。実物は、もう廃止されてしまいましたが、鉄道が好きな者にとっては憧れの鉄道でした。廃止されたのは、私が高校生の時で、行きたくても行けなかった。
だから、その鉄道を160ページというボリュームでまとめてくれたこの本も、憧れの本だったのですが、発行部数が少なく、入手しようにも高価な一冊となってしまっていたのです。

そんな本を今回入手できたのは、以前に、一度週刊現代に載せて頂いた写真が、もう一回掲載になって、臨時収入があった。その直後にネットオークションに、長い間、欲しかった本が出品されたので、これはもう落札しようと。しなければいけないと(笑)。実にすごいタイミングでした。

本は、1975年の発売で、初版がたしか1500部の発行。当時の販売価格が4500円でしたので、今回は1万円ちょっとでの落札でしrたが、決して高くはないはずです。

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その中の1ページ。木曽森林鉄道を走っていた「理髪者」が紹介されているページです。下の2枚がそれで、左の写真が室内。写真の一部が切れてしまいましたけれど、奥に散髪のためのイスが見えます。

文字通り、車内が床屋になっていて、機関車に引かれて走り、あちこちで散髪をする。山に籠もっていて、なかなか町に出られない人のためのサービスとして生まれた車で、龍角散のテレビCMに出たことで、一躍有名になりました。
私にとって、機関車以上に、憧れの強かった車両です。
もちろん、今はもうなくなってしまいましたが、こうやって写真で見ることができるだけでも、凄いことだと思います。

やっとのことで本を入手できて、これでもううなされなくて済むと、ほっとしたのですが、本を眺めていると、今度は、現地に行きたくなって困ります。もう鉄道は廃止されて久しく、この風景には出会えないわけですが、それでも現地に行きたくなる。一難去って、また一難です。

先にアップした絵本「やこうれっしゃ」の中に出て来る1シーンです(部分を拡大しています)。

皆、辛そうに寝ている。でも、若者は駅弁を食べながら談笑している。そんな、観察の細かい絵が、ずっと続いています。
今は、こんな列車も、ほとんどすべてなくなってしまいました。

やこうれっしゃ20


やこうれっしゃ

これも、最近、中古で購入した絵本です。
鉄道が好きな人なら、この絵本は結構、気になったのではないかと思います。表紙は紛れもなくEF58+10系。本の中には金沢―上野とサブタイトルが記されているから、登場している列車は、急行「能登」。今は廃止されてしまった列車です。
本の中に、説明文は何もなく、ただ、夜行列車が、上野から金沢に向けて走る姿が、ページごとに、客車をカットボディのスタイルで描き、車内で過ごす乗客の姿が描かれているだけ。

ページが進むと、時間が経過し、談笑をしていた人たちが眠り始める。座席車で眠る人たちは、ちょっと辛そう。でも、今は、こんな旅もなかなかできないですよね。
夜が明ける頃には、客車の下回りには、雪がこびりついています。上野を出る時には着いていなかったもので、こんな書き分けも楽しいところ。

金沢駅でホームに降りたお客さんの口からは、息が白く出ています。駅構内に赤電話があるのも懐かしい。
一冊の中に、色々な発見があり、鉄道を好きになって良かったと思うのは、実は、こんな時なのかなとも思いました。

先に紹介させて頂いた絵本の、こちらは続編的な一冊です。
『おへんじください。』では、脇役だったとら君が主人公。

えほん04
















とら君が、道を歩いていてベーコンを拾い、交番に届ける。お巡りさんから「落とし主が現れなければ、ベーコンは君のものになるよ」と言われ、そこから、とら君の葛藤が始まるわけです。さあ、とら君はベーコンを食べられるのでしょうか?それとも落とし主が現れるのでしょうか?というストーリー。

この話も、ちょっとしたオチがある、ハッピーエンドです。
どんな結末なのか、私もアマゾンに出ていたレビューを参考に、(本が届く前に)推理してみました。
結果は、外れ…でしたけれど。

こんな短いストーリーで、大人がほっこりできる。
物語との出会いにも、運があるのかもしれませんね。

7月の月末前から続いていた締切の連続に、ようやく一段落をつけることができました。
まだこれから、単行本の執筆に本格的に取りかからなければならないのですが、久しぶりに読書の時間を持つことができました。本当は毎日、少しでも良いから読まなければいけない。いや、そうするために、エッセイの1~2本は必ず読んでいます。文章を書く立場の者にとって、読書は呼吸と何も変わらないものなのですから。

ただ、新刊を読む気持ちにはなれずにいました。まさに、「つんどく」状態が続いたわけですが、何も褒められたものではありません。久しぶりに買った新刊の中で、ようやく本を開けたものに「旅に生きて八十八年」がありました。著者は、岡田喜秋さんで、昔、長く、月刊「旅」の編集長を務めた方です。当時の「旅」は、近年とは違う、なかなか硬派な雑誌で、文筆家としての岡田さんも、私にとっては憧れの人でした。もう、八十八歳を過ぎていたのですね。

書籍の中のすべてを紹介することはできませんが、短い随想の連作である本書の中に「『点と線』誕生秘話」というものがありました。松本清張の出世作である「点と線」の冒頭には、東京駅で、夕刻に4分間だけ、横須賀線のホームから東海道線のホームを見通せる時間があり、その事象が作品の中で大きな位置を占めているのですが、なぜ、そんなことが起こることを知り得たのか?についての、種あかしです。

以下、ネタバレですが書いてしまいますと、「旅」の編集者である岡田さんが、ホームのアナウンス室に確認にいって、それが事実であることを確かめた。では、なぜそのことに気がついたのかというと、岡田さんが、婚約者を見送るために、しばしば、この時間帯に横須賀線のホームに立ち寄っていたから…、ということなのだそうです。そして、このエッセイの中で、「点と線」が発売され、岡田さんはそれと同じ頃に結婚をし、もうフィアンセを見送る必要もなくなったな…、と、当時を振りかえる。けれども、単にこのことをエッセイのオチにすることはなく、東京駅のトリックが作品を決定づけたのではなく、犯人像を描き、その配偶者が病床にあるということを描き、二人の刑事を東京と九州に配置して、その性格まで書き分けた松本清張の筆の力に、「点と線」の成功の鍵がある、と岡田さんは書いています。

私が、岡田さんの文章に惹かれるようになったのは学生時代のことですから、もう三十年以上前のことですが、なぜ、岡田さんに、まだ若かった自分があそこまで惹かれたのかを、うまく説明することはできない気がします。もしかしたら、単なる偶然であったのかもしれません。本当に、東京駅で隣りのホームを見通せる僅かな時間が存在することと同じくらいの偶然。

それであれば、本を読むことにしても、旅に出ることも、もっともっと積極的に取り組まなければいけません。
何かを始めなければ、何も起こらないということ。
これは偶然でも何でもないのですし。

昨日は、姫路に日帰りの出張。

往復で1日6時間、新幹線の中にいたわけですが、こういう旅の何よりも嬉しいことは、車中で、心置きなく本を読めるということ。
「行き」は池波正太郎のエッセイを読みました。先生は旅に出るとオムライスが食べたくなるといい、「チキンライスではべとつき気味になるケチャップ飯が、卵でくるむとほっこりする」というから、こんな簡単にみえる料理に対しても、やっぱり、うるさいのです。先生は「オムライスを食べに、旅に出たい!!」といい、これが、高級料理であれば鼻につくのでしょうが、オムライスというところが良いところです。

そのような次第で、私も、姫路の昼食に食べたのはオムライスでした。
先生の時代のオムライスより、恐らくは相当に艶やかに進歩した一皿なのでしょうが、そこは「虎の皮を着たオムライス」。ほっこりしているところが、良いのです。

オムライス

そして、新幹線の帰路は宮部みゆきさんの「初ものがたり」を読みました。
江戸時代の捕り物帳であるこの連作には、「火盗改めは何をやっていたんだ?」なんてフレーズも出て来て、「鬼平」の向こうを張っているような楽しさがあります。そして読者としては、嬉しくも困ったことに、この物語には、「手の込んだ汁物を出す稲荷寿司の屋台」というのが登場して、名脇役を務めているのです。

オムライスの問題は、昼ご飯でうっちゃったのですが、今度は、汁物と稲荷寿司の誘惑と闘わされるはめとなりました。


 
 本日は夕刻に百合ヶ丘で撮影を終了。さて、ここからの帰宅ルートは、どこがいちばん近いのだろう?小田急沿線や、京王沿線から横浜へのルートは色々なものが考えられ、iPhoneでの経路検索には楽しみでもあるのですが、何のことはない登戸から武蔵小杉に出なさいとのことでした。それはそうだ。

 それでも帰路に立ち寄った古本屋さんに内田百閒の文庫本が豊富に揃っているのを発見し、これも収穫となりました。その店はブックオフではないので、1冊1000円という販売価格がつけられているものもあり、でも、これが普通です。何冊かを立ち読みしてみると、有名な「阿呆列車」と同じような結びの文章を用いている一編もあり、先生も、気に入った結びを使い回ししたのかもしれないと、想像したり。このあたりも、読書の楽しみです。

 ライターの仲間からは「いやしくも、文章で収入を得ている身なら、安売りの古本屋ばかり行くなよなー」と言われており、「そうなんだよねー。でも、今は数を打っているところだから。ムニャムニャ」と返事。ここのところその手の古本屋さんを見つけるたびに、1冊105円の文庫本4冊を購入するのが、おかしな習慣となってしまっていて、あり得ない話ではありますけれど、仮にこれを毎日続けたところで、月刊の書籍代は約1万2000円。特にどうということはない数字です。私が多く読んでいる短文を集めた文庫本は、たいがいの場合、同じようなテイストの作品を集めているものが多く、1冊に収められた作家Aの作品4編を読むより、作家A~Dの4冊の書籍から1編ずつを読む方が、傾向を速く掴めるものです。って、なんだか受験勉強をしているみたいですが。

 受験勉強といえば、電車の中の中学生、高校生で、特に夕方は、勉強(読書も含めて)をしている子って、ほどんどいないですね-。みんな携帯を覗き込んでいる。彼ら、彼女らが、片手で、凄いスピードで文字を打っているのを見ると、ぞっとします。

 と、そんなことを言いながら、私も電子媒体のための文章を、こうして書いているのですが。
 でも、「心は錦」だぞー。
 
今日もまた、小田急の沿線を徘徊した一日でした。例によって駅前に「ブックオフ」を発見すると覗きに入り、帰宅時にはカバンの中に文庫本が6冊入っていました。これだけを一日のうちに読むことは、私はできませんが、心は満たされるというものです。

その中の一冊に阿刀田高さんの「好奇心紀行」があり、そこにこんな文章がありました。
「高知県の中村市で線路が終わっている風景を見た。全国を走りめぐってきたJRの鉄道がここで終わっている。それを見下ろしている窓がある。見ている少年は、いくばくかの感傷を覚えないものだろうか」

これは「小説家の工房から」と題されたエッセイの中にあるもので、身近にある様々なプロットを、小説へと仕上げる過程などについて書かれたもの。引用した一節には「有効レベル」という評価がつけられていて、つまり、様々なプロットに「1本」のレベルあれば、それだけで小説が書ける。「技あり」であれば2つあれば1本となる。「有効」は小説の中の何かの部品にはなるという具合に、柔道の判定に見立てて、小説の材料のこと、あるいは作家の頭の中の動きを解説しています。

「そこで線路が終わっている」というのは、それだけでドラマが思い浮かびます。列車の姿を見る少年は、窓のそばにいなくても良いでしょう。線路が終わる上に積もった砂利の上に腰掛けていても良い。彼にとってはそこが特等席であって、彼はここに来るために自転車で何時間もかけて走って来たのだった。って、これ宇都宮照信さんから伺ったご自身の子どもの頃の話なのですが。

そして、ある日、その少年がいなくなる…というプロットをここにつけ加えれば、「有効」が「技あり」に昇格できるかもしれません。彼にその特等席を教えてあげたのは若い機関助士なのだが…、と、さらにつけ加えてゆく。何だか、技ありに近づいてきた気がします。

それでは線路が行き止まりになっているというのは、どこが良いのだろう。中村でも良いけれど、もっと東京に近い方が良いかもしれない。東京駅からいちばん近い線路の終点はどこだろう?単に途切れていれば良いというのであれば、東京駅の構内にあるじゃん。起点から営業距離0.3kmくらいかも。これではつまらないので、路線としての終点はどこが近い?京浜東北線の大宮か大船?などと、想像が膨らんでいきます。

鶴見線の終点も近いなあ。でも、鶴見線には東京駅からの直通列車はないし。などと考えていたら、山手線が近いのではないか?と思いあたりました。東京の都心で環状運転をしている山手線ですが、田端―東京―品川間は東海道本線と、東北本線に間借りしているというのが解釈で、品川―新宿―田端間が正式な山手線の区間。この終点こそ、東京駅からいちばん近い路線の(東京駅以外の)終点である…などと、考えを進めてゆくと、マニア的にはなんだか面白くなってきたのですが…

小説のネタとしては、そういうことを持ち出してみても、やっぱり「有効」にはならない気がしてきたのでした。


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 K氏でも、M氏でも、Y氏でも、誰でもよろしい。作家諸氏の一日の過ごし方をエッセイなどで読んでいると、多くの人が昼夜を逆転させているのが解る。起床はたいがいの場合正午頃で、それからおもむろに食事となる。池波正太郎はこれを「第一食」と呼んでそれなりの趣向を凝らし、立原正秋はステーキを食した。律儀なのは吉村昭で、「夜には仕事をやめる」というのだが、これはお酒を飲みたいため。もちろん、これも立派な理由だと思う。

そのような毎日の中で、散歩であるとか、着想を練るであるとか、あるいは松本清張のように「おやつの時間」というようなものが練り込まれ、読む側もそれぞれに楽しめるのが作家の一日であるのだが、そのほとんどの発表には「読書の時間」というものは、書き入れられていない。

それはもちろん、作家にとって読書は呼吸と同様にやって当たり前の行為であるからそれを喧伝などできないし、何を読んでいるなどとの書けないということもあるのだろう。週刊誌には時々「読書日誌」なども出るけれど、あまり面白いものはなく、それよりも開高健の「図鑑や料理書を見て過ごす」という一言の方が、遙かにイマジネーションを刺激してくれる。

それであれば本当は、書き手の諸氏が、その時々で何を読んでいるのか、正直に報告しなければならない義務とすれば、それはそれで興味深いことにはなるのだろう。作家のK氏は目下現代フランス文学に傾倒しており、A氏は日本の古文書を読み漁っているということが解れば、読み手にとっても参考になるところ大となる。

翻って鉄道ライター諸氏は如何に?鉄道雑誌と時刻表ばかりとなるのだろうか?などと、このあたりは想像で止めておいた方が無難であるのかもしれない。結末は読者の方がご自分でお考え下さい、ということである。

しかし、それにしても、多くの作家諸氏は、あまり長生きをしていない。その原因は、運動不足と酒、タバコ。不規則な生活とストレスというあたりが間違いのないところだが、睡眠を削って勉強というのも、きっと理由の一つであったはずだ。ここもまた、幾ら学んでも追いつくことのない世界なのである。

したがって、早死にした方が死後の評価は高くなるということにもなり、この傾向に対して、私が取るべき姿勢とは何なのか?これは目下、検討中である。



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 本日(日曜日)は、主に小田急沿線で撮影を行いました。途中、町田、本厚木などで「ブックオフ」を見つけ、帰りがけに、また4冊ほど文庫本を購入。田口ランディさん、鎌田慧さん、山本周五郞、吉川英治と、例によってバラバラなチョイス。ただし、書籍の内容はルポ、あるいはエッセイばかりです。鉄道史研究では高名な和久田康雄さんが、「古本であれば、新刊では買う気になれない本であっても手が出る」ということを書いていらっしゃいましたが、そんな印象もある買い方。古本でもっともっと「食わず嫌い」の部分を直していかなければいけません。

 そんな中で、ちょっとつまらなく感じたのは、昔ながらの古書店が減ったなあということ。特に古書の場合は、新興のチェーン店が安売りをし、品物の価値を見極められない読者がそればかりに飛びついたら、昔ながらのお店は大変でしょうね。でも、今時、正しい古書店の利用法なんて、誰もレクチャーしてくれないだろうし。

 そんなことを考えながら帰宅した後に、本棚の片隅に「みなと紀行」という本を見つけました。1981年発行の朝日選書です。やはり私が会社員になった直後の発行ですが、奥付に古書店の値札が貼ってあり400円。恐らく、フリーになった直後くらいに、紀行文作家になることを意識して、「紀行」と書かれていた書籍だったので購入したのでしょう。それでも、本棚の前に置いてなかったということは、しょっちゅうこれを読んでいたわけでなかったことが解り、事実、今読んでみても、結構、重い感じのする文章が並んでいます。執筆者は、そうそうたる顔ぶれなのですが。

 それでも、ここにも発見がありました。この紀行文集は、著者がふらりと出かけて、単にその場の印象を記述したものでもなければ、誰かと現地で落ちあい、話を聞いたり、弥次喜多式の問答を展開するわけでもない。最近、目にする紀行文というと、とかくこの2つの方式が多いように感じるのですが、この「みなと紀行」の、それぞれの著者が、取材地に思い入れを抱き、かつ歴史や現状を調査した上で現地を訪れるというスタイルには、読み応えのある骨格が感じられ、なかなか痛快でした。

 先日読んだ深田久弥の、何気ない記述に宿る活気、そして今回の骨太な記述。
 古本には、現代の書籍が忘れかけている何かが宿っていることは間違いないようです。
 現代の著者も、編集者も、もっとしっかりしないと。
 って、感心ばかりしている場合ではないのですが。
 
 一昨日だかに、今の家に引っ越してきて以来廊下の隅に積み上げてあった文庫本の一部が崩壊し、昨日は無作為にその中から一冊を採り上げ、読んでみました。たまたま手にしたその一冊は「山岳展望」という朝日新聞社の文庫。著者は深田久弥です。

 昨今、ちょっとしたブームともなっている「日本百名山」を発表した文筆家で、もちろん、登山に関する随想を多数発表している人。奥付を見ると昭和57年発行とありますから、私はこの本を、会社員になってまだそれほど日が経っていない頃に、少なくとも一度は、読んだということになります。その頃を思い返してみると、会社員となり、まだその頃は土曜日も普通に勤務がありましたから、学生のように気ままに山に出かけられるというわけではなくなり、けれども山への想いを断ち切るわけにはいかず、登山の記録が書かれた文庫本は、片っ端から購入していたのでした。

 同じ山行の記録であっても、山小屋を利用して豊かな自然の中を縦走する記録よりも、岩壁の登攀の記録の方が面白く、それは岩をよじっている間に夜となれば、岩の割れ目にハーケンを打ち込み、そこにハンモックを吊して眠るというようなストイックさが、心を打つからなのだと思います。まさか自分がそのようなことをしたいとは考えなくても、ストイックなものは面白い。これは、いにしえの文人の放浪の記録であるとか、アーティストの貧乏の記録に通じるところがあるのかもしれません。

 それからすると、深田さんの記事には、そのようなストイックさはないのですが、でも面白いのは、やはり圧倒的とも言える文章の深み、表現力によるものでしょう。せっかく買った山の文庫本も、何回かの引っ越しなどを経て、廃棄してしまったものもあるわけですが、深田さんの本はちゃんと残されている。その後は「つん読」だけになっていた本でしたけれど、やっぱり、捨ててはいけない本だと思っていたということでしょう。そのおかげで、こうして本当に久しぶりにページを繰ることができました。
 
 その本の中に、昔の飯田(飯田線の中央部にある町です)を描写したくだりがありました。引用しますと
 「飯田は僕には始めて(ママ)の町だが、いかにも伊那谷の文化の中心と言ったような繁華な小都市だ。僕等は蕉梧堂ホテルという宿に泊まった。夕飯後、散歩がてら山の買物に出かけると、人出が多くなかなか賑やかだ。ちょうど飯田商業高校が全国中等野球の地方予選に始めて(ママ)優勝したというので、どの店の飾窓にも祝賀のビラが貼ってあった。通りのラジオで明日の天気予報を聞いて宿へ帰ってくると、遙か下の松川の河原で、タナバタの花火があがっていた」
とあります。これだけの描写でも、あらゆる所がシャッター通りとなってしまった今日とは異なる地方都市の活気が感じられ、なんだか羨ましくなるような、今日の姿が勿体なくなるような、そんな気持ちにさせられます。

 その頃の飯田線は、まだ私鉄によって運行されていました。この記事の初出を見ると、昭和12年とありました。


Eiji Ikeguchi

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 ここ数日間を埼玉での撮影に費やしました。連休中には狭山市内で一泊して、これは家からの往復時間を省くのと、それから、連休でもあるので、ちょっぴり旅行気分を味わおうという狙いもありました。実際には、ホテルのチェックインの前に立ち寄ったファミレスはとても騒がしく、旅行気分どころでもありませんでしたけれど、これも連休ならではということなのかもしれません。

 今回の小旅行で楽しめたこと。それは、この地域の主に駅周辺に、何軒か「ブックオフ」があったことです。「ブックオフ」というチェーンの古書店は、品揃えのスタイルには不満もありますけれど、とにもかくにも床面積が広くて、たくさんの本を見ることができるのがありがたいところです。それからとても安い価格で販売されている本があることも、良いところとするべきでしょう。

 先ほどのファミレスの向かいにも一軒、「ブックオフ」があり、ホテルで読む本を欲しくて立ち寄りました。連休のセールということで全品が2割引きとなっており、鎌田慧さん、C.W.ニコルさん、五木寛之さん、それにハヤカワの冒険小説の計4冊を購入し、計320円+消費税。これは嬉しい買い物でした。

 実は、一昨日と、昨日にも、味をしめて別の「ブックオフ」へ行ってみました。何となく気分が合わず、結局購入したのは中島らものエッセイ一冊でしたが、今は、また古書店巡りを「兼ねた」撮影に行きたいという気持ちになっているということと、鎌田慧さんの単行本で、買っておきながらまだ読んでいなかった本が1冊あったということを思い出したところ。こういう気持ちになれることを、モチベーションが高まる、という風に表現しても良いのかもしれません。

 これも本の効用といったところでしょうか。