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★久しぶりにオズ・マガジンを買ってみました。特集は「のどかな旅へ」。特集記事の目的地には用宗なんてものまである。いいなあ、こういうの。あちこちを拾い読みして、いつまでも何度でも楽しめるのが、こういう本の良いところ。ネット記事にはない、のどかさが、いいね!

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「パンドラアイランド」「海と月の迷路」という2つの大沢在昌密室シリーズが面白かったので、今度はこちらです。舞台は近未来の、歯舞諸島。もちろん、殺人事件の犯人が誰であるかは、主人公によって解明されるのだけれど、真犯人が誰かということより、島(レアアースが産出されるという設定)を巡る日本、ロシア・中国の駆け引きが面白い。主要人物にはちゃんと人格が設定されていて、最後は、悪党と思われた人物と主人公が一緒に戦うというのも、いかにもこの手のストーリーらしくて楽しい。だが「君は美しすぎる。だからどこか信用できない」という主人公のセリフは、甘いぞ。それは、おまいが悪いのだ。
 で、私はというえば、今は歯舞に行ってみたいと思っているところ。でもこれは、小笠原諸島や軍艦島と違って、実行できない。

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 昨日の夜ですが、大沢在昌さんの「海と月の迷路」の下巻を読み終わりました。
 人間というのは、何かに満足すると、それを人に語りたくなるものですが、このようなサスペンス、推理小説の要素が強い作品は、ネタバラしになってしまうので、それができないのが辛いところです。

 読んでいて感じたのは、大沢作品は、犯人の意外性のようなものももちろん楽しいのだけれど、それよりも舞台の背景であるとか、登場する人物の人物像、あるいはそれぞれが抱いている葛藤を味わえるのが大きな魅力なのだろうということでした。
 この作品の舞台は昭和34年の、すなわちあの小さな島に5000人を超える人が居住していた時代の軍艦島です。その特異性であるとか、そこに暮らす人々の思いみたいなものが、小説を読んでゆくうちに、どんどん自分の中に堆積してゆく。そうなると、自分も軍艦島の住人であるかのような思いに浸ることができる。そこが大いに楽しいのですね。
 もちろん、私も軍艦島について僅かの知識はあり、YOUTUBEの映像も見ていたのですが、この小説を読んだ後は、同じ映像を見ていても、「30号棟はどこだろう?」「21号棟は?」「16号棟は?」「65号棟は?」という思いに駆られるようになった。つまりもう、目のつけどころが違ってくるわけです。
 
 読者をこういう思いにさせてくれるのが、良い作品なのでしょうね。
 私も真似しないと。少しでも。

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「パンドラアイランド」を読み終わったので、今日はこちら。同じ大沢在昌さんの「海と月の迷路」。
 舞台は長崎県のH島。H島と名が伏せてあっても、すぐに解る。端島、つまり軍艦島が舞台の小説です。
 昭和34年に島で起こった殺人事件を、新任の若手巡査が追いかけるという展開。小説の本編が始まる前のプロローグでは、時代が平成に入り、主人公が定年退官する様子が描かれていますが、本編は昭和34年の軍艦島となります。
 実は、以前にもグーグルマップでこの島のことを検索していたのだけれど、その時はまだプロローグと、ほんの出だしを読んだだけだった。で、その時は最盛期に5000人を超える人口がこの小さな島にひしめきあうようにして生きていたことを知ったのだけれど、上巻を読み終わったところで、また少し、色々検索してみた。昔だったら図書館に行かなければ解らなかった、それも資料がどこにあるのか解らなかったようなことが、今は自分の机の上ですぐに調べられる。そりゃまあ、「読者の声」も厳しくなるわけですね。
 まだ上巻を読んだだけなので、感想みたいなことは書けないけれど、「パンドラアイランド」が離島という密室を舞台にしていたのに対し、この作品は閉鎖的な労働社会という密室が設定されている印象がある。さて犯人は誰か?いちばん怪しい小宮山ではないはずだし、次に怪しかった長谷川は、どうやら元・刑事らしい。で、下巻を早く読みたいところなのだけれど、仕事もしなければならないし(笑)、少しお預けかなあ。仕事をさぼって本を読む楽しさを、筒井康隆さんあたりも書いていたけれど、よく解る。

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開高健が言ったところの「徹夜で読んでしまうパルプ小説」。これに出会った時の喜びは、何にも代えられない。他のあらゆる趣味が、ぶっ飛んでしまう。野球観戦だとか、食べ歩きだとか、そんなもの馬鹿馬鹿しくって。
 で、この2日間はこれでした。1冊500ページの文庫本を2冊、これを2日でというのはそれなりに「キツイ」のだけれど、何しろ読み始めたら止まらない。物語は小笠原のさらに南にある架空の島(母島のような気もしないではないけれど、母島よりは俗化している雰囲気がある)。ここの「保安官」に就任した元・警察官が、不思議な事件に巻き込まれるという設定。言ってみれば、「900人がいる密室」で事件が起こるというわけですね。
 読んでいて、母島に行きたくなったのだけれど、調べたら父島から往復するだけでも9000円かかる。やっぱり、行けないかなあと思ったり。
 パルプ小説という引き合いを出したけれど、大沢在昌さんの作品は、C・カッスラーあたりの作品と違って、ちゃんと、ど~んとした読後感が残る。主人公の身の上が描き込まれているからだろうけれど、この読後感も読書の楽しさです。
 で、私はと言えば、ずっと主人公の冒険に付き合っていたので、これからようやく仕事の企画書のチェックを始めることになる。でも、その前に、まずは夕食です。
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渋谷で突然1時間の空き時間ができてしまった。その後が喫茶店で打合せだったので、お茶を飲む気にもなれず、東急百貨店本店にあるジュンク堂へ。とにかく大きな店なので、何かいつもと違うものを買おうという、当てのない書店探訪には好適だ。結局、大沢在昌さんの「新宿鮫」シリーズの番外編とも言える一冊を購入する。

 恐らくはこの短編集は(そのような人はまずいないだろうけれど)、「新宿鮫シリーズ」を読んでいない人には、ほとんど面白さが感じられないはず。その代わり、シリーズをすでに何冊か読んでいる人には、行きつけのバーに新しい酒が置かれたような、そんな快感を味わえるのではないかと思う。「新宿鮫」の主人公は、鮫島という警部なのだけれども、この短編集では、彼の上司や、ガールフレンドの目線で鮫島が描かれ、鮫島の人間性にディテールが加えられている。そこが楽しく、常連(読者)が、常連の顔をして威張れるというわけ。

 個々の作品は、短編の本分が踏まえられており、ストーリー展開というよりも、読後の余韻を味わえる。派手な銃撃戦が始まるわけでなく、その寸前で、登場人物が衝突を避けて別れてゆく。なんだか、ヘミングウェイの短編を読んだ時のような余韻があり、本当は、こんな味の小説をもっともっと読みたいとも思った。

 帰りの電車の中で3編読み、本当はこれから没頭したいところなのだけれど、これから仕事をしなければならないのでお預け。良い本には、お預けの快感というのもあるということを、再確認したところです。

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「停車場として最もわたしの興味をひくのは、小さい停車場か大きい停車場の二つであって、どちら付かずの中ぐらいの停車場はあまり面白くない。殊におもしろいのは、ひと列車に二、三人か五、六人ぐらいしか乗り降りのないような、寂しい地方の小さな停車場である」
 これは『半七捕物帳』などの作者として知られる岡本綺堂の言葉です。鉄道には無縁だったように思える人にもこんな言葉があるのが面白い。この言葉は「停車場趣味」という文章の中の一節ですが、現代にも当てはめることができそうな言葉です。もっとも、近年の駅は、あまりにも効率化が進み、鉄道会社自身が鉄道を愛しているのか疑いたくなるようなデザインのものも多いようですが。

 この文章が掲載されている文庫本を買ったのはずいぶん昔のことでしたが、今日、この本が目に留まって、本棚から引っ張り出してみたのでした。長い時間が経った後だと、昔読んでいたはずの言葉も新鮮に感じられ、これもまたつん読の効用なのだろうなと思った次第です。
 
 ひと昔前の鉄道の駅が、壮大な伽藍を建ててみせたのは、産業の神格化のゆえという考え方があります。つまり、リスペクト。それであれば、現代の駅には、これがいちばん不足しているようにも感じます。


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 「故人となった或る著名な脳学者が、常に文字に触れている人間の頭脳が最も冴えるのは平均七十二歳で、それを峠に徐々に機能が低下してゆく、と語った。文字と無縁の人間が、五十四歳を峠に急速に低下するのと対照的だ、とも言った」

 吉村昭のエッセイ『図書館』の中の一節。この説を信じるのであれば、私にもまだしばらくの間、登り坂が残っていることになる。「常に文字に触れている」というのがどの程度のものを指すのかは難しいところだが、毎日スマホを見ていますという程度を指すのではないことは想像できる。スマホをSNSに置き換えたところで駄目だろう。文字に触れるというのは、そこに精神的な格闘が伴っているという意味であるに違いない。ともあれ、自分があと何年生きられるのかは解らないが、十年先に峠がある(それもあくまでも平均値としての)というのはありがたい話だ。頑張ろう。

 ところで、このエッセイの主題はあくまでも「図書館」であって、この一文の中では、ある地方都市の、真摯な仕事をしている図書館員がいる施設があまりにも貧相で、それに比べて市役所の施設が豪華であることを比べて、社会のあり方に疑問を呈している。その地方都市がどこであるのかは伏せてあって、それは書き手にとっての当然の節度ではあるのだけれど、もしこの地方都市がどこであるのかを特定できれば、文章が発表されてから38年経った現状をチェックできるのにと、少し残念には思う。その都市の図書館は、ようやく改築されて今は立派になったか、そのまま朽ちるようになってしまったかのどちらかだろう。あるいは「箱」だけは良くなったけれど、その中身はというと…というパターンもあるかもしれない。そうして考えると、このエッセイは、普遍的な寓話とも捉えることができる。

 そういえば「今日という一日は、残された人生の最初の一日」という言葉もあったっけ。さて、今日の残りの3時間を、どうする?

泉鏡花の紀行文集。いったいいつ購入したのか、まるで見当がつかないが、腰巻もきれいなままだったし、大きな書店で購入したのだと思う。昨日は一日の三分の一くらいは掃除に当て、そうしたらこの本が出て来たのでした。

文章を読んでみると、文体がさすがに古く、すらすらと読めない。もっとも、当時の人にとっては、このリズムをして名文としたのでしょう。そうすると、鏡花よりも先の世代であるのに、かなり現代風の書き方を完成させていた漱石は、当時の「知識人」からは叩かれたのではなかろうか?などと、このあたりは日本文学の歴史には疎いので、まるで解らない。それから、この鏡花や、例えば大町桂月あたりが腕を振るった文語体の作品が、どういう経緯で廃れていったかのかも知りたい気がします。

で、ちょっと嬉しくなったのは、逗子への旅の中の「日影の茶屋」のように、今も老舗として構えている店の名が出て来たりすることで、本で見つけたその名には、店自身が語る能書きよりも遥かに親しみが感じられ、自分がちょっと偉くなったような気持ちになれるのでした。

でも、この逗子の話の冒頭「五日、午後二時二十五分、横須賀行き汽車にて東京発。約三時間ばかりにて、逗子の停車場に着く」とあるけれど、こんなに時間がかかったのだっけ。

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雨に降られ、諸々締切も迫っているので外出もしていないので、また本の話を。「鉄道のての字」もありませんが。
 この本も「名著」と呼ばれている一冊。嵐山光三郎さんが「料理のお稽古」を書いた時に、この本を意識したと、どこかに書いていた気がする。内容はもちろん、料理の指南書であるのだけれど、何度読んでも、また読みたくなるのだから、ただの料理指南ではなく、文芸書でもあるのだろう。何しろ、この人にかかると、夏のソーメンが、あるいは、ただ醤油で2~3時間煮ただけの豚バラ肉が、あるいは、小麦粉でドロリと仕上げた日本風のカレーが、古今東西のあらゆる料理と肩を並べる一皿となってしまうのだから、素晴らしい。
 例えば焼いた牛肉に、ワインをふりかけ、スライスしたレモンとバターを載せて食べるという、その手順が同じであっても、どの言葉を用いてそれを語るかで、想像される味はいかようにも変わってしまう。つまり、書き手にとって、語彙が必須の資質であることは言うまでもないのだが、それと同等かそれ以上に、生き様が大切なのだと、そう思わされてしまうというわけ。
 生き様をすぐに変えることはできないけれど、いろいろな本を読まないと、自分が偉くなってしまっていけない。で、ソーメンを美味しく食べる方法も学べるわけだから、良い本なのであります。

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これも先日の岡田喜秋さんの本に続いて、アマゾンで思わず購入してしまった本、といっても、1円+配送料という奴だけれど。
 月刊「旅」の最終号。JTBで立ち行かなくなり、新潮社が本の名前を買って再スタートさせたものの、やっぱり立ち行かなくなってギブアップ宣言をした最終号です。
 新潮社にブランドが移ったとき、ずいぶん軟派な雑誌になってしまった気がしたのだけれど(なにしろ、岡田編集長時代の「旅」は文字だらけの硬派な本だったから)、今こうして見直してみると、なかなかどうして、結構、突っ張っている。文章ももちろん、掲載されている写真は相当なクオリティで、これだけのものが、あのみすぼらしい「○○まとめ」などのネット情報に負けたというのであれば、それはもう本当に読者が悪い、読者が馬△なのだと思うわけだが、皆が揃いも揃って馬△になってしまうと、それはもう馬△とは言えず、平均的読者となってしまうのだから、笑うに笑えない。あ、本を買わない人たちなのだから、読者じゃないか。
 惜しむらくは、この本にはもっと広告があって良かったし、中高年の読者を固定読者として惹きつける、硬派な記事(現代も残る平家の赤旗の研究とかね)が2本くらいあっても良かった。まあ、それだけでも部数は増えないかもしれないけれど。
 自分がライター稼業を始めて、初めて「旅」に記事が載った時は嬉しかった。JTB時代に最後に記事が載った時は、同じ号に岡田喜秋さんの執筆記事も掲載されていて、それも凄く嬉しかったのを覚えている。
 私もネット記事は書いていて、それはそれで人の縁だから大事にするつもりだけれど、「旅」に記事が載った時の気持ちはずっと忘れず、ボロは着てても(洒落にならないが)、心は硬派、あの日のママよと行きたい。

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 Amazonで岡田喜秋さんの古い紀行文集を見つけ、少し高かったのだけれど、購入してしまった。
全国のローカル線をテーマにした一冊で、発行は昭和31年5月。つまり、まだ東海道本線が全線電化前のこと。私も生まれていない。そんな時代に(日本全部がローカル線のようなものだ)、八高線や、水郡線、姫新線などが湛える旅情に着目しているところは、流石だなと思う。岡田さんにしても、まだ名作「日本の秘境」の取材がようやく始まった頃の発行であり、今日では通用しない表現(自分が住まっていない場所を「○○のチベット」と呼ぶ、などね)もあるけれど、良いところ、物足りないところ含めて、学ばされることは多い。
 飯田線沿線の水窪について、かつては宿場町として賑わっていたけれど、鉄道が開通してからむしろさびれたというような指摘は、こちらとしては虚を衝かれた感があり、つまり、鉄道系で物を書いている人間が、1067mmだとか、昭和43年だとか、そういうデータ的なことにばかり気持ちを回し過ぎ、もっと大切なことを観察し忘れてしまったというのもあるのだろうと思う。もちろん、それが趣味の延長であるだけなら、何も問題はないのだけれど。
 ポイントを切り替えてみれば、また違う所に行けるに違いない。

この3週間くらいの間に、椎名誠さんと谷崎潤一郎、中島梓、辻静雄、景山民夫の5名の作品を色々と同時に読み、その中でいちばん快い読後感があったのが、辻静雄の作品だった。
 で、次にはアマゾンで5~6冊を同時購入。アマゾンにおける中古書籍のあまりにも安い価格相場は私たち出版人を苦しめること大なのだが、こういう当てずっぽうの読書の時には助かる。
 辻静雄の作品の中で、目下、印象的だったのが、この「フランス料理の手帖」で、単に一流の料理、料理人の紹介に留まらず、そこからきちんと文化論へと導いている(それはもちろん、辻作品共通の魅力ではあるが)。この人、元々はフランス料理研究家でも、料理学校の校長でもなく、新聞記者だったのだから言葉選びが正確なのは当たり前と言えば当たり前だけれど、新聞記者の書いた文章すべてに感銘を受けるわけではないから、やはり人として一流なのだと、その結論に行き着く。
 そして、一流と言われたフランスの料理人たちの言葉を随所で紹介し、
「創造的な仕事をなした人は、その仕事を次の世代に教えることが義務である」とか、
「たとえ、料理のことが書いていなくとも、文芸書をたくさん読め。なぜならそれは、人が人のことを書いたものだから」とか、
「料理の世界に携わっているのではない人とたくさん会うこと。なぜなら、料理をしている人とは、これからもたくさん会えるのだから」とか、
「例えば三十年その仕事を続けてきた料理人がいたとして、その人が三十年の間、進歩を続けているとは限らない。三十年間、同じところで停滞していることもある得る」など、
その一字一句は忘れたけれど、そういう旨のことが至るところに書かれていて、この「料理」の部分を「鉄道」にでも「写真」にでも、何にでも変えてみれば、自分たちにとって、まことに身につまされる一言、鮮やかな警句となる。
思わぬ言葉を目の当たりにして思わず立ち上がり、しかし、だからといって何もできないのは凡人の常なのだが、けれども立たないよりは何倍も良い。必要とされるのは積み重ね。「ダルマは9年」である。何事も。これからでも。

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辻静雄の本を読んだ次の日には、まるで反対のベクトルを掲げた本を読んでいる(まだ読み終わっていないけれど)。

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 中島梓。まだこの著者が生前の頃、エッセイを読んで、凄いな~と思った。その怒濤の破壊力に、である。そしてこの歳になって、違う本を読んで感じたのは、やっぱり、凄いな~である。
 この本、何も美食を否定しているわけではない。本の冒頭には「あなたは本当においしいと思って食べているわけ?」というセンテンスもあって、つまり、虚飾に疑問を呈しているのである(だから、違うベクトルというより、違うアプローチといわなければいけないのかもしれない)。実際に彼女は、美食にこだわることは受けづけず、中学、高校の各3年間、毎日ひたすら「ササミ弁当」を食べ続けたといい、それ以外は受け付けなかったといい、では「栄光の」という枕詞さえ付く「ササミ弁当」とは何かというと、ササミに塩、コショーと粉をつけて焼いたのに、ホーレン草のバター炒めと、目玉焼き、梅干しが1個、ご飯は冷えたもの、それだけで構成された弁当なのだという。この弁当のおかずをどう食べるかも順番が決まっていて、いちいち書き写すのが面倒なのでやらないけれど、とにかく、ひと口分残ったササミを食べて食事が終わると、そう決まっている。なのだそうである。
 同じ弁当を6年間食べ続けることを何と形容すべきか?「情念」では足りない。「怨念」でも、6年間持つかどうか?もっと根源的な何かに支配されている気がする。あまり豊かとは言えない食べ物に固執する例には、土屋賢二さん(元・御茶ノ水女子大の学部長だ)の「フィッシュフライ弁当」があるが、「栄光のササミ弁当」には負けている。この中で中島はホーレン草のバター炒めを、「たのきんの野村君、ビートルズのジョージ・ハリスンというパート」と称し、そもそもたのきんって何だっけ?という今日ではあるが、まあ、主役ではないのだろうな、という感触はある。
 で、だ。
 このような「栄光のササミ弁当」と題する、何やら怨念めいた文章が、なんかこう早口で、どろどろどろどろ~っと11編続いただけで、文庫本1冊が埋まっているのである。本の真ん中に「旅のガイドコーナー」や、「MEMO欄」などなく、どろどろどろどろ~っで、1冊だから、つまり凄い。
 何故、今頃、中島梓の本を読み始めたかというと、半村良のことを調べていて(なぜ調べ始めたのかは、自分でももう解らない)、『太陽の世界』という半村の絶筆ともなった壮大な小説に関する記述があり(ウィキに、だったと思う)、「これを書き継げる人間が居るとすれば、栗本薫(つまり、中島梓だ)だろう」、と、そんなクダリを読んで、凄さを思い出したからだった。
 しかし、中島といい、杉浦日向子といい、凄い人は短命だ。私も頑張って凄い人にならなければいけないのだが、今から短命にはなれない。
 ところで、この本の後記には
「作家などというものは、基本的にヒマ人なのである。ただ忙しい忙しいと自分で叫んでいるだけのことである」という旨が書いてあって、これ、本当だと思うよ。





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 ずいぶん前にアマゾンで古本を発注して、読まないままでいた本。辻料理学校を主宰した辻静雄さんの著作で、ほぼ1週間だかのヨーロッパ旅行を中心にまとめた食の紀行文。
 やはり、一流と言われる人は命がけで勉強しているのだなということを痛感させられる。なぜ、この人はここまで、フランスの一流レストランのメニューの、何が美味しく、何が日本人の口に合わないかを、ここまで熟知しているのか。それもパリだけでなく、片田舎のレストランまで。フランスだけでなく、イタリアや、ドイツや、ベネルクスの小さな国のレストランまで…。それはもう通い続けたから、という答えしか見つからないのだが。
 それから、辻静雄の著作のすべてについて言える魅力は、書き手として当たり前のことなのだけれど、語彙が豊富で、色彩感に溢れた言葉で料理が紹介されていること。

 ああ、自分も、ここまで料理に精通できたらと思う。
 これに比べ、ネットの「○○まとめ」記事のくだらないことと言ったら…。
 まだまだ、勉強のし直しだー。


『洋酒天国』第25号。奥付を見ると(虫メガネの力を借りなければいけないのだけれどサ)、昭和33年5月発行とあるから、私はまだ1歳7ヵ月。鉄道の世界に目を転ずるのであれば、まだ東京~神戸間に特急「こだま」も運転されていない、そんな時代に出された本である。
 この雑誌は、寿屋(現在のサントリー)が、PR誌としてトリスバーなどに置いた。発行部数2万部から始まって、最盛期には20万部に達したと、これはウィキに書かれていたことだけれど、その数の伸びは凄まじい。
 ところで、なぜ、今頃この本を出したかというと、先般、ある記者発表の席で、『洋酒天国』でも撮影をしていた大先輩のP氏に会い、この時の話を伺うことができたからなのである。印象的だったのが、
「あの本は開高健さんだけがやったように言われているけれど、山口瞳さんの力も大きかったんだ。誌面に著名人が多く登場したのも、山口さんの力によるところが大きかった」という言葉。
 長年の疑問が氷解した気がした。確かにこの25号でも、吉田健一さんなどの著名人が登場しているけれど、まだ芥川賞受賞前の開高健に、そこまでの人脈があったとも思えなかったから。で、登場する人はみな飲み仲間であったとすれば、これは現代まで引き継がれた「よくある話」ということになるのだが。
 それにしても、総ページ数36ページのこの小冊子には、ウィット、ユーモア、エスプリが散りばめられていて、21世紀の読者までが十分に楽しむことができる。こういう、何と出会うか解らない、怖いような魅力を秘めているのが、雑誌本来の姿なのだと思う。でも、最近は、そんな魅力を感じる雑誌が…。
少なくなったなあ。

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『のんびりとした地勢に耕地と耕地の続いたぐあいは見たばかりでもここちがよい。土の色の感じも柔らかい。山の上の麦畑なぞは深い雪にうずもれているころに、ここには残雪のかたまりすらなく、麦の芽の豊かにのびて青々としたのを見るのも楽しい。信州あたりの耕地に比べると、まるで庭園のような気がする。野に出て麦の芽を踏んでいる人たちまで農夫とは思えない。園丁だ。春先降る雨の暖かさも思いやられる。信州にいるころ、たまにあの山の上から降りて来て見ると、
「ああ柔らかい雨が降るなあ。」
私はそう思い思いしては寒い国の方へ引っ返していった。』

 長い引用ですみません。優しい文章です。描写されているのは、現在の中央線の中野から先(つまり下り寄り)の風景。記したのは島崎藤村で、1913(大正2)年に発表された「甲武線」という文章の中の一節。私鉄の甲武鉄道は明治末期に国有化されるわけですが、まだこの頃には「甲武線」という呼び名が普通に使われていたのでしょうね。
 こんな「田舎」に住めるなら、住みたいものです。


いま、私の手元に時代の先端をゆく漫画『ねことじいちゃん』がある。ねこまきという、実に脱力な著者名は置いておいて、この漫画もネコという、どうせ大したことは考えていないはずの動物に振り回される人々の、ささやかな幸せが描かれている。
 舞台はネコがたくさんいる、とある島。主人公の一人である大吉じいちゃんは名古屋訛りの言葉を話すので、三河地方かどこかの島が舞台ということになるのだが、なに、描かれる風景は、日本の小島の普遍的なものだから、読み手が勝手に想像すればヨイ。
 登場するのはたくさんのネコと、それから島に住む高齢者がほとんどで、でも、皆ささやかに幸せそうに見える。つまり、閉塞感だらけの日本も、こうして高齢者が自立し、若者が高齢者をリスペクトして社会が回転すれば、目をそむけずにすむコミュニティが成立するのではないか?と、あざとい読者はそこにヒントを見出そうとするわけだが、なあに、ネコはそんな難しいことに関心なんかない。
 じいちゃんが、先立たれた妻のことを思い、ネコが来てからは絶えなかった夫婦喧嘩がなくなったと、ネコに向かって「うちに来てくれてありがとうなぁ」と呟く。それだけで、一つの物語が出来上がってしまうのだ。
 で、ネコは相変わらず膝の上で丸くなり、ときどき「ぶに~」などと啼いてみせるだけなのだが、なぜか、ちゃんと主役が務まるところが、巡り合わせの妙、である。

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本日の古書店巡り(と言っても2軒だけだけれど)の戦利品。
“102歳のカメラマン”と形容されるようになった、カメラマンの大先輩、笹本恒子さんの自伝。ヤフオクなど見ても、笹本さんの本はかなりお歳を召された後のものばかりが出ているのだけれど、この本は笹本さんが第一線でバリバリ動きまくっていた時代の記録。
でも。
本の最後のところが、結構いいんだ。飛び飛びで少し抜粋すると、
「六〇年安保の後、雑誌が相次いで廃刊されたのは、大きな打撃だった」
「間断なく仕事に恵まれてきた私には、新しいマーケット開拓への見当がつかない」
「過当競争は激しくなる一方」
「仕事のない日が続いた」
 こうして笹本さんは、半ば仕方なく、空いた時間を活かすために、文章を書き始める。けれども、
「原稿を書き進めているうちに、私はそうはしていられないことに気づいた」
 早く確実な収入を得なければ、生活が賄えないことに気づいたのだという。
 こうして、これもやむなく笹本さんは副業を始める。オーダー服のサロンを開き、あるいはフラワーデザインを手がけ、笹本さんが写真の世界に戻ったのは、それからずいぶん後のことで、それまでの間に、ネガをハサミで切り、焼却炉に送ってしまったこともあったという。その作業を続けなかったのは、ネガの量の多さに、作業を続けるのが億劫になったからなのだと言う。
 笹本さんがバリバリ働いていたのは昭和中期だから、今ほどの不況ではないはずだけれど(不況期があっても、比較的短い間のうちに回復したのではないだろうか)、それでもフリーのカメラマンは、今日と同じような苦境に苦しめられていたことになる。
 色々なことを書ける。「苦しみのない人生なんて、なんの味わいもない」とか、「あの大先輩の笹本さんだって、これだけ苦しんだのだから」とか。
 「ただ一度の人生なら、気が済むようにやろう。逆境を楽しもう」でもいい。これは本当に人それぞれ。
 それからこれは本論ではないけれど「ヤフオクとアマゾンと、ブックオフばかりに頼らない方がいいよ」ということも、私は結構強く言いたいなあ。
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 ちょっと長くなりますが、ある小説家が書いたエッセイの一部を書き写します。誰が書いたか、当ててみて下さい。もちろん、読んだことがある人であれば、間違えることはないでしょうが。(改行の後は、見やすくするため、池口が1行空けました)

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(前略)

 ぐっすり眠って目がさめると、朝。列車は瀬戸内海のそばを走っており、車窓には静かな海、美しい島々、帆をかけた小舟などがながめられた。他の乗客たちは別に知己ではないが、一夜を共に同じ車内ですごしたという意識のためか、眠い顔を見せあったためか、肩をたたきあいたいような気分。人数があまり多くないのもいい。

 これこそ旅だ、列車の楽しさだ、と思った。福岡の仕事は面白いものでなく、なんにも覚えていないが、寝台車についてはいまだに印象に残っている。こんどの夏には熊本へ行く予定だが、またこの寝台車で行くつもりだ。旅の本質は産業からレジャーへと変わりつつある。ビジネス旅行から楽しみの旅へと。人びとの目的が移るのである。この寝台車のムードは、今後ますます貴重さを示すだろう。廃止されては悲しいのだ。

 費用をきりつめ団体を作り、目的地へさっさと行ってさっさと戻る旅行の好きな人もいるだろう。ただ私のように、道中を楽しみたい人もあるのである。趣味や娯楽は、能率や画一化とは完全に別方向のものだ。寝台車は採算がとれないというのなら、引き合うだけの料金を喜んで払う。楽しみを求めて、競馬やバーやゴルフに、せっせと働いて得た金を使う人がある。寝台車をその対象とする人だってあるはずだし、現に私のごとく存在するのだから。

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さて、正解は…

星新一さんです。SFのショートショートを多数発表した作家ですが、ごらんのとおり、エッセイも堅実ですし、このほか、歴史上の出来事を題材とした小説にも迫力があります。やはり、という感じです。エッセイのタイトルは「寝台車」というもので、収録されている文庫本(きまぐれ博物誌 新潮文庫)のあとがきには、昭和43年から45年の間に書いたもの、と説明されています。つまり、ここに登場する寝台車とは、国鉄がまだ輸送の王者に君臨していた時代のものということになります。それでも「廃止されては悲しいのだ」という記述がありますから、その頃に、そういう動きが何か始まっていたのでしょう。

ただ、寝台車の魅力というのは、ここに書かれているとおりで、昔も今も何も変わってはいません。
「寝台車をその対象とする人」も、すjっかり市民権を得た印象ですし、「引き合うだけの料金」で、列車が動くことはもうないのでしょうか。
豪華列車ではなく、誰もがいつでも乗れる寝台列車が、全国の幹線に数本は残されても良いはずです。
それは文化の保存であるとか、理由はいくらでも見つけられるはずです。