これも先日、人形町で見かけた建物。何やら紋章付き、装飾付きの看板建築も味があるけれど、その上にバラック(失礼)が乗っているのも良い。このバラックの中に住めたらいいなあ、そしてその部屋が丸々自分の趣味の部屋だったらいいなあ、と思う。実際はどのように使われているバラックなのだろう?これで時々屋根がパカッと開いてサンダーバード3号が出動しても良いし、よく見ると、隣のビルにスナックが何軒も入っているのにも味がある。
 こういう混然、雑然とした風景が、けれどもきちんとした調和を見せているのが、歴史のなせる業であり、文化なのだろうな。こんな町に「行きつけ」を作っておきたいね。

看板建築_convert_20170618223659


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一昨日通りかかった日本橋人形町の風景です。モノクロ写真にしてみました。
 こんな構えの通りなら、雨の日も、蝉時雨の日も、雪の日も綺麗だと思う。鬼平犯科帳の世界みたいですけれど。鬼平は本所界隈が舞台になることが多いようですが。

 ついでに人形町商店街のHPを見たら、「桜が満開です」というようなことが書かれていて、ちょっと嬉しくなっりました。

 日本中が同じような風景になってしまった今こそ、本当に僅かな距離でもいいから(高山みたいに)、昔の風景ばかりでなくていい何か特徴のある風景を残して、それにまつわる情報を、月に一度でいいから発信して欲しい…、そんなことも感じました。

人形町_convert_20170614105515



本日飛び入り参加させて頂いたダイヤモンド富士撮影会。しかし結局は、雲の撮影会になってしまいました。そうだ!いっそ雲の撮影会と謳い、運が悪ければダイヤモンド富士になりますとアナウンスしたら…、そりゃ、駄目ですよね。
 というわけで、下山して、富士吉田の「麺許皆伝」なるお店で吉田うどんを食べて帰って来ましたよ。写真は「よくばりうどん」にサービスの天かすを乗せ、掻き揚げをシェアした状態。写真には写っていないのですが、隠れているキャベツが美味しい。うどんって、こんなにお腹一杯になるものなのですね。開店前から行列ができるのも、もっともです。
ダイヤモンド富士には会えませんでしたけれど、撮影仲間との楽しい一日でした。

吉田うどん

 江ノ電と、荒川線に乗り歩きに行くときは、いつも迷う。東から回るか、西から回るかをである。そしてたいがいの場合は、藤沢と三ノ輪を起点に選び、これはもっとも単にアクセスの良さが理由となっているようだ。
 そうなると、自分一人の荒川線日帰りツアーの終点は、たいがいは鬼子母神あたりとなり、この日もそうだった。東京の雑司ヶ谷の界隈は、実は結構古い町並みが残っていて、今もここに住んでいる人を羨ましく思う。「いつも自宅の窓から東京タワーが見えていないと落ち着かない」と言ったのは、たしか作詞家の松本隆さんで、けれども、これは真似しようがない。ただ、言葉に憧れるだけ。
 夕暮れ間際の、そろそろ参拝客が減り始める頃の鬼子母神の境内が好きだ。これだけの密集地帯に、よくこれだけの静かな空間が残されているものだと感心する。その不思議な静けさの中で、ときどき、パォンという路面電車の警笛が聞こえる。いいなあ、と思う。境内に1軒残っている駄菓子屋さんで、買い食いをして、今日はそろそろおしまい。もっとも、本当のことを言えば、この写真を撮った直後に偶然仕事の仲間と出会い、写真の話になってしまった。「これからの写真はどうあるべきか」
 もちろん、結論など出ない。空になったラムネの瓶を元に戻して、さて今日これから何をしたものか?ひょんな出会いから、一日の終わり方が中途半端になってしまった。
 これもまた面白し。
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 江ノ電の江の島駅と腰越駅の間にある併用軌道は、およそ600mの距離で、道幅も広いとはいえない。いきおい、カメラを持って出かけてみても、得られるアングルは限られているのだが、それでも何度訪れてみても、飽きることのない場所である。
 自動車の通行量もそれなりにあり、それに歩行者、自転車も少なくないから、電車の運転にはずいぶん気を使うのだろうと思うが、それでもどこからか「フォーン」という独特の警笛が聞こえてくると、道端で電車が来るのを待っている者は、とてもワクワクするのである。
 ついこの前も、またこの区間を訪れ、何枚もシャッターを切ってみたが、良いと思える写真は撮れなかった。どうしても画面のどこかに自動車が入り、それがひどく目立ってしまうのである。小さな建物がずらりと並ぶ街に、電車の姿はよく似合うように思えるのだが、自動車にそれを感じにくいのは何故だろう。
 そんなことを考えながら、夜の8時過ぎまでカメラを構えていた。空の青さがまったく消えてしまったら、夕景の撮影は終了。今回初めて気が付いたのだけれど、江ノ電の併用軌道のちょうど中間あたりに新しくラーメン店がオープンしていた。「大勝軒」を名乗っているから、池袋にある有名店の暖簾分けなのかもしれない。店に入ってみると、店内には、若い男性が2名と家族連れが1組。若い店員さんが、一人で店を仕切っている。若い人がてんてこ舞いしながら、キピキピと働いているのを見るのは、気持ちの良いものだ。
 そのラーメンの味はといえば、昔ながらのオーソドックスな雰囲気ながら、やはりこってりとした味付けになっている。生き残るためには変わり続けなければいけないという真理は、ラーメンにおいても、というところだろうか。
 落ち着いて食事をしたいのであれば、本当は、もう少し早い時間に来るべきだったのかもしれない。そういえば、この店のすぐ近くには、線路に面して旅館が建っていた。窓の前にすぐ電線があるから、写真を撮ることはできないだろうけれど、一度、あそこに泊まり、夕食には気楽にラーメンでも食べて、あとはぼんやりと、行きかう電車を眺めているというのも、案外楽しいかもしれない。

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本日(17日)の湘南、七里ヶ浜の夕暮れ。本当は、人影が一人が二人だったなら絵になるのだけれど、そうは問屋が何とやら。ま、仕方ない。
 昨日とはうって変わって、空の澄んだ一日だった。この後、狙った鉄道写真は全滅だったけれど、海の写真が撮れたのでマル、の一日…てした。

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高知の大正森林軌道跡の前年の2月にどこに行ったのか?調べてみたら、愛知県の半田に行っていた。写真は2011年2月16日の撮影。
この町の一角には、今も昔と変わらない姿の、酢の工場があって、ミツカンの本社は、いまでもこの半田に置かれている。建物が黒塗りになっているのは、潮風から守るためなのだとか。落ち着いた佇まいは、それは素晴らしいもので、仕事の取材ゆえ、一カ所に留まっていられないことが、本当に残念だった。
こんなに、良い所に行っていたのだなあ。それもずいぶん前に。
それならばいま、もっともっと、それを実りとするべく、頑張らなければならないのだ。
でも、何をどう頑張る?そこが難しい。

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 三浦海岸の宿に泊まった翌日に、どこに行くかは、家を出たときから迷い続け、当日の朝になっても決断がつかないままでした。
あまり天候が良くなかったことも、気を重くさせていた一因ではあったのでしょう。
 三浦海岸から京浜急行に乗って、それを京急久里浜で降り、そこからJRの久里浜駅まで歩いて横須賀線に乗ると、それを横須賀で降りて、京浜急行の汐入まで歩くという、無駄ばかりの行程を、なんとなく選んでしまいました。

 汐入駅からは山の方向に延びる道路を歩いてみました。ここは以前に一度だけ歩いたことがある道で、ちょっと急な坂の上に、汐入駅前とは別の集落が広がっていたことが印象的でした。
 汐入駅からしばらくは、街道沿いに発展した街の姿が感じられました。ただ、半分くらいの商店がシャッターを下ろしているようでした。
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(汐入駅から続く道)

途中、神社があれば、神社の写真を撮り、古い建物があれば、その建物の写真を撮りという具合で、何かネタがないか、探しているような散歩は、ちょっと痛々しくもありました。途中、小さな案内標識が建っていて、この駅前から延びる道に直交する小さな道が、江戸と浦賀を結ぶ「うらが道」の枝道であると書かれていたことが印象的でした。それは住宅街の裏の山に延びた小さな道でしたが、そんな小さな道が、江戸時代から残されていたというわけですね。もちろん、往時の姿そのままではないのでしょうが、「そうか浦賀みちというのも、あったんだな」と気がつかされ、ようやく何かに出会えたような、ちょっとほっとした気分になったのを覚えています。

家に帰ってからネットで検索をしても、浦賀みちに関する有力な情報はヒットしなかったのですが、研究書籍などは図書館にあるようなので、一度目を通してみると良いのでしょうね。

坂道を登った先には坂本の集落があって、その先にはトンネルがあり、トンネルを抜けるとそこはもう衣笠駅が近いようでした。

なんだか、まとまりのない行程になってしまいましたけれど、秋晴れの日に、浦賀みちの遺構を探しに来てみるのも面白そうでした。

 
 話が三浦海岸に戻りまして…

 こちらが朝食です。いわゆる和食善ですが、高級旅館で出されているような食事より、ややシンプル。最近は民食も食事を売りにしていますから、豪華なものをどひゃーっと出すところが増えているようです。それから比べると、お皿の数は少なめですが、鰺が目の前で焼かれるのが楽しく、十分に満足できるものでした。

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(レヴェシェ三浦海岸の朝食)

最近の宿、特にビジネスホテルは、結局は朝食しかアピールできるものがなく、バイキング形式を導入している所が増えているようです。もちろん、私も大歓迎ではあるのですが、ウィンナーとスクランブルエッグとおにぎりしか出ないのであれば、もうひと工夫する余地がありそうです。バイキングのように量を出す必要はないから、そのかわり、何か工夫の一品があれば、宿の食事はずっと印象的なものになる気がします。(それを見つけるのはコックさん、板さんの仕事です)

以前、八戸の駅弁屋さんに取材に出かけたとき、その会社の営業の方が、「当社の者ではありませんが、是非、会って頂きたい方がいます」と、人を紹介されたことがあります。事前に伺った話では、もう90歳を過ぎているとのことで、正直に申して心配な部分もあったのですが、実際にお話を伺うと、実に数多くのことを教えて頂けました。なるほど、部外者であって、年齢が90歳を超えていても、人に紹介したくなる、人に紹介しなければならない人であったわけですね。

その方の、忘れられない言葉の一つが、「食は地産地消でなければならない」ということでした。これは今でこそ、当たり前の言葉になっていますが、当時は、その言葉を聞いた瞬間には、どの字を当てるのか思い浮かばなかった記憶があります。そして、「旬がすぎれば、消えてしまう食べ物でなければならない」とも。

だからこそ、人はそれを食べるために出かけるわけです。春には春でしか食べられない食べ物との出会いこそが嬉しい。たとえば、木曽福島にある、あるお蕎麦屋さんでは、春にタラの芽の天ぷらを出すのですが、それはゴールデンウィークを過ぎた頃から、梅雨入りの少し前まで、と決められているようです。だから、出会えた時に喜びもひとしおです。
確かに最近は、地元産の食事が提供されるようになり、旅の楽しみが増えています。だから、ついでに、もうひと頑張りして欲しいなと、これは利用客の側の勝手な要望ですけれど。

下の写真は、前の夜に撮ったものですが、食堂の入り口に立てられていた看板。12室くらいしかない小さな宿ですから、なくてもまったく問題ないのですが。
でも、こんな演出は楽しいものです。この宿にはあちこちに、人形や、ぬいぐるみや、アクセサリーが飾られていました。
ブログ用に写真を撮ろうかなと思い、でも、辞めてしまったのですが、今はそれをちょっと残念に思っているところです。

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(宿の1階にあるレストランの入口)


 さて、持参した本を読み終わったのですが、実は宿に着くなり、少しウトウトしてしまったもので、どうも眠れそうにありません。
カメラを持って、外を歩いてみることにしました。海岸までは5分くらいの近さです。

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上の写真は、周囲からの反射光だけで撮影した海岸。夜の10時過ぎに、こんな写真が手持ちで撮れてしまうのですね。キヤノン6Dの「手持ち夜景」というプログラムでの撮影です。感覚としては、1/8くらいのシャッタースピードだったでしょうか。もちろん、きちんとした撮影には三脚が必須の条件で、実は思ったよりもきれいに撮れたものですから、三脚を持ってもう一度行かなければと思っているのですが、でも、気軽な手持ち撮影にも、思わぬ出会いがあるものです。

もう1枚。
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言うまでもなく、ファミレスです。これは被写体を目で見ているうちに、このカットはモノクロにすると面白いだろうなと思い、プログラムからモノクロをチョイス。アップの前にフォトショップを使って、少しだけ柔らかい調子にしてあります。直前まで雨が降っていたようですね。路面の調子が潰れていないのが、良い感じです。

潰れない、といえば、もしこの条件でフィルムを使って撮影をしたら、ここまでのトーンは出なかったでしょう。
現代のデジタルカメラによる写真は、フィルム時代の写真とは、似て非なるものになっているような気がします。(つづきます)


 雨が降ったり止んだりの中を宿に到着。「レヴェシェ三浦海岸」という、6月に葉山の施設を利用したときと同じ、四季倶楽部というところが運営している宿泊施設です。今回は和室でした。

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オーソドックスな和室です。窓の外には民家の屋根越に、海も少々。2階から見下ろした1階ロビーはこんな感じで、ちょっと素敵です。

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1泊2食付きで8600円と少々だったかな。1人でも泊まれることが、何より嬉しいところです。
1階のレストランはこんな感じ。

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もとより12室くらいしかない小さな宿ですから、これでも十分な広さといえます。

この日の夕食のコースはというと、

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前菜は、三崎マグロとアボガドのフルスケッタ

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ナスとトマトのクリームパスタ

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タラの魚介鍋

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湘南豚のグリル

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デザートはガトーショコラ

これにパンとコーヒーはお代わり自由です。パンはお代わりをしなくても満腹になりました。

葉山に泊まったときも感じたのですが、お客さんが皆、とても上品で、食事も落ち着いて楽しむことができました。
静かな中にいられるというのはとても良いもので、たとえば新幹線の中で駅弁を食べるときなどでも、近くに騒がしい団体がいたりすると落ち着かないものです。料金が安いのに、お客さんが上品だというのは、食事のメニュー構成にも、理由があるのかもしれません。

味そのものはといえば、肉にしても格別というわけではありませんが、ひと皿ごとに運ばれてくる料理というものは、やはり高級感もあって、楽しいものです。これも宿の魅力をアップする演出の一つともいえそうです。

今回、ここまで出かけてきた理由の一つは、落ち着いて本を読むことでした。もちろん、自室で読むことがいちばん落ち着くのでしょうが、わざわざ出かけることで、帰るまでに絶対読まなければならないぞ、と。そんな気持ちもありました。夜の9締前に、どうにか読了。面白さと、小説としては物足りなさと、両方が感じられた本でした。(つづきます)
 
 浜辺を歩いているうちに、少し宿から行きすぎてしまったようです。
 「諏訪神社入口」という交差点があり、そこから山の方に鳥居が見えました。宿に急ぐ理由もないので、立ち寄ってみることにしました。なんだか、テレビの旅行番組みたいなノリですが。

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小さな神社ですが、境内はきれいに掃除されていました。本殿の左手に小さな社務所がありました。この時、境内にいたのは私一人。静寂の中に一人ぽつんと佇んでいると、心が洗い清められるような気持ちになってきます。

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境内から外に出ると、犬を連れて歩いている、近所の方であろうご婦人から「こんにちは」と挨拶されました。同じ言葉で挨拶します。国道沿いの道沿いには、ファミレスが並んでいますが、そこから200メートル路地を入っただけで、そこには、地元の人の落ち着いた暮らしがありました。(続きます)

 なんだか今年の夏は終わってしまったようです。
夏が短い季節であることは、毎年のように感じられることですが、ことさらに今年の夏は短く感じられました。
それでも、私にとっての今年の夏が空虚だったわけではなく、幾つかの仕事に追われていました。
その一つはJTBキャンブックスの執筆で、これは9月の連休前に発売になります。テーマは国鉄電車で、私のいちばんの本分というわけでもないのですが、版元の担当編集者と、編集プロダクションの方から支えて頂き、何とかゴールに辿り着きました。このような言い回しは、本が出版されるたびに、著者の誰もが使うのですが、今回は謙遜なしです。本当に感謝しています。
テーマは、国鉄205系電車です。

さて、そんなこともあって、8月は本当に休みなしでした。どこでもいいから1泊しに行きたいなとネットを徘徊していたら、昨日までは満室だった三浦海岸の宿泊施設に、前日になって空室が出ました。8月の最終日曜日です。天候の悪い週末だったので、キャンセルが出たのでしょう。すぐに予約しました。
本当は、日曜日の朝早くに出て、三崎あたりをまわってから、宿に行くべきなのでしょうが、当日のお昼前まで、短い原稿の執筆に追われていたので、家を出たのは午後の早い時間となりました。もちろん、電車利用です。
京浜急行に乗って、三浦海岸へ。
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駅に着くと、少し強い雨が降っています。ガード下で雨宿りしてみましたが、止む様子もないので、駅近くのコンビニでビニール傘を買って、海沿いの道を宿の方向に歩き始めます。予約したチェックインの時間より少し早く着いてしまいそうですが、午後4時はまわることだから問題ないでしょう。駅から海沿いの道までは5分くらいで到着しました。駅前には、喫茶店、不二家レストラン、それに何軒かの居酒屋と、お土産物屋などがあった程度で、観光客も少なからず利用するだろう駅なのに、ちょっと拍子抜けもしたのですが、海沿いの道に着いて納得しました。道路沿いには、ハンバーガー屋や、ファミレスなどが、いろいろと並んでいます。

この日は8月30日。まだ8月なのですが、ずいぶんと涼しく、雨の砂浜はほとんど無人でした。
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何軒も並んでいる海の家も、この天気に店をたたみ始めていたところもありました。
淋しい夏の終わりです。
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この日、浜辺をほとんど貸切にしていた3人。サーファーのようですが、波はなく、することもなかったかもしれません。
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三浦海岸が海水浴場として人気が出るのは比較的遅く、それは昭和40年代の中頃のことでした。京浜急行が立地に目をつけ、マイアミの東側にあるデイトナビーチに、この三浦海岸をなぞらえ、「青いデートナビーチ」として売り出したのです。夏には、浜辺でイベントが連発され、江ノ島n飽きた若者が、この浜に殺到しました。京浜急行も海水浴輸送にフル回転したようです。
もっとも、現代はクルマの時代。それに海水浴も、昔のような夏には必須のレジャーではなくなっているようです。
海も、電車も輝いて見えた、あの時代はもう帰ってこないのでしょうか。

浜を歩いた後は、偶然行き当たった神社で少しだけ時間を過ごしてから、宿に向かいました。6月に葉山で利用した格安ホテルのチェーンです。
夕食はまた、イタリアンのコースということです。(続きます)




先日の続き。
山形、滑川温泉の福島屋さんです。

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こんな感じの廊下を歩いて行った先にあるお風呂。

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たしか、この浴槽は混浴でしたが、このときは、女性の入湯はありませんでした。ほかに、女湯もありますし。

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一方、こちらが露天風呂です。5月初旬のことで、まだ渓谷沿いに雪が残っています。

私がこのときより前にこの温泉を利用したのは、10年以上前のことだったと思います。予約なしで現地に行ったかもしれません。小さな部屋に泊まり、浴場の何もなさに驚き、翌日はクルマを旅館の駐車場に駐めたまま、山に登って、稜線の避難小屋に一泊し、翌朝旅館に下りきて、お風呂に浸かってから家に帰った。

つまり、それだけ駐車場もガラガラで、クルマを駐めっぱなしにしても、何も問題がなかったということでしょう。
それだけ、現代はクルマ依存度が高まっているということなのだと思います。
私自身、こうしてクルマ利用で現地に行っているわけですから、本当に何も言える立場ではないのですが、過度のクルマ依存は、やっぱり、旅を大味なものにしているような気がします。

駅について、茶店があれば一息入れて、小一時間歩いて宿に着く。そんな行程にはいろいろな楽しみがあるように思います。クルマ利用だと、渋滞にイライラするばかりで。
だからこそ、私のような立場の人間は、鉄道を利用して旅をすることの楽しさ、意味を、もっと訴えていかなければいけない。
鉄道会社自身も、もっと頑張って欲しいなあ。


引き続き、奥羽本線の峠駅のことです。

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こちらも、旧駅の跡。この駅がスイッチバック駅であった時代に使われていたスノーシェッド(シェルター)の跡です。昔あったホームの脇に建ち、今もシェッドの手前に信号が残っています。ここに線路があった時代には、運転士さんはこの信号を見て、列車の進行方向を確認したのでしょう。

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こちらが、茶店です。「峠の力餅」が名物で、列車が駅に停車している時間には、立ち売りも行われていました。
この立ち売りのおじさん、先代のご主人さんということでしょうか、「今も家にいますよ」と、お店の方からは伺いましたが、このおじさんが気さくな方で、前回、この駅を訪ねた時には、昔ここにいた小さな白い子犬が「米沢に嫁いだ」ことや、「駅の裏手にある山の中腹に残っているレールは、昭和中期まで鉱石の搬出に使われていた」ことなどを、親切に教えてくれたのを覚えています。

で、昨年5月にここに伺った時には、その方にはお会いできなかったのですが、お雑煮を注文したら「取れたての山菜もあるよ」と、この時、お店の方に薦められたというのが、下の写真です。

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取れたての山菜の、揚げたての天ぷら。これが美味しくないはずがありません。

これで「駅の姿は大きく変わったが、駅を守る人たちの暖かい心遣いは、昔と何も変わらなかった」と書いてしまえば、話は簡単にオチの形が作れるわけですが、いくらなんでも、そう簡単には行きません。この駅が、これからどうなって行くのかは、まだこれから先に決まることです。

そうすると、私たちにできることは「愛すること」なのですが、それでは「愛する」ってどういうことなのだろう?と考えてしまいました。自分なりの結論は、「忘れずにいること」かと思いましたが、でも愛するには、「愛される側が愛されるだけの資質を備えていること」も大前提なのだろうな、と思います。これからも鉄道は、利用者から愛されなければならないはずですが、自分が乗ったことのない豪華列車は、愛せないのかなあ、だって、思い出がないのだし、などと、ちょっといじけた気持ちにもなりました。

ともあれ、私にとっての峠駅は大丈夫です。子犬のその後を教えてもらった時のご主人との楽しい会話を、一生忘れられるはずはありませんから。


前回、少し引き合いに出しました、奥羽本線の峠駅です。その名の通り、福島県と山形県の県境に位置する板谷峠の、峠の近くにある駅です。
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とはいっても、写真は、かつての駅の跡。現在の峠駅のホームは、これよりも少し低い位置にあって、山形新幹線が走る線路の脇に、短いものが作られています。写真のものは、新幹線が開業する以前に使われていた、スイッチバック駅時代のもの。今はもう、線路は雑草に埋もれています。

私がこの駅に初めて来たのは、80年代の終わり頃でした。新幹線が建設されるということで、スイッチバックが廃止されることが決まり、その様子を取材に来ましたし、友人たちとも、遊びで、何回か撮影に来た。その頃はもう峠駅も利用する人も希な無人駅になっていて、まだ賑やかな頃はそれなりに利用客がいたことを窺わせる案内所の跡であるとか、看板類を見て、淋しい思いもしたことを覚えています。

でも、今の駅はもっと荒廃しています。使われなくなったのだから、荒廃という表現は正しくないかもしれませんが、あの頃の風景とも、ずいぶんと雰囲気が変わっていた。昔を思わせるものが減って、むしろさっぱりしたくらいです。

で、ここにたくさんの観光客が、クルマで来ていたのです。駅前には、いわゆる茶店があるのですが、それなりに賑わっていました。もちろん、列車の到着時間には関係なく。
本当に、何を求めて、それは恐らくノスタルジーであり、あるいは鉄道が今よりももっと元気で、いろいろな魅力があった時代の面影をどこかに見つけたくて、ということなのかもしれません。
このあたりの心理がどういうものなのか、もっと考え詰めてみる必要がありそうです。

それからこれは駅から徒歩で1時間、クルマだと15分くらいのところにある滑川温泉。
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この温泉も、私が初めて来た時は、秘湯という言葉がぴったりでした。
今回、と言っても写真は昨年の5月のものですが、訪れた滑川温泉は、クルマを駐める場所がなく、旅館の駐車場が空くのを待たされた記憶があります。やっぱりクルマ時代なんですね。
宿が俗化していなかったことには、救われた気持ちがしました。だからもう1回でも2回でも、泊まりに行きたいとは考えています。
本当は列車で行った方が絶対に楽しいのでしょうね。


 

 こちらが木ノ下旅館の2階の廊下です。ことさらに、細部を紹介する必要はないのですが、この旅館の雰囲気が解りやすい写真かな、と思っています。
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私がこの旅館の存在を知ったのは「日本ボロ宿紀行」というホームページだったかと思います。
そのホームページの著者の方も書いていたのですが、「ボロ宿と言っても、けなしているわけではない」ということで、身近な存在であり続けてくれている宿に対しての親しみを表しての表現でであると言います。それであれば、この木ノ下さんも、失礼かもしれませんが、そんな形容がぴったりでした。

私が泊まった時は、当初2食付きでお願いしていたのだけれども、急遽、朝の初発電車に乗らなければならなくなったことから、夕食前に朝食をキャンセルしました。すると宿のご主人が
「それなら○○円でいいよ」と、宿泊代を500円引きにする提案をしてくれました。私は、
「いえ。こちらの都合でお願いしていることですから、それではかえって困ります」と、当初からの代金でお願いしました。
翌日の朝になって、宿を出る間際には、ご主人から
「これ、ばあさんから」と、入浴セットをお土産に頂きました。「ばあさん」って、ご主人の奥様です。500円分のお返しというわけですね。さらにご主人からは
「これ、飲んで」と、缶コーヒーを1本頂きました。

これは先日、フェイスブックの友人と、鉄道旅行談義になった時、友人の、今もう亡くなられたお父様が、列車に乗って旅行する時には、向かいの席に座る人に差し上げるために、必ず冷凍みかんを買ってから列車に乗っていたという話を聞かされました。そして友人からは、「そうしなければ、同じ空気を吸ってはいけないという気持ちになっていたものだ」という言葉も訊かされました。

その言葉を聞いて、いま、自分自身も含めて、忘れているのが、そのような気持ちなのではないかな、とも感じました。
何も、個人主義であるとかの言葉を持ち出す必要はありません。ただ、人生の中で出会った人と、その場その場で一緒に生きていくんだ、という気持ちです。少し、そういう気持ちを持っているだけでも、生きてゆくのがずいぶん楽しくなるのではないか。
そうは言っても、風潮というものが簡単に変わるわけでもないでしょうから、自分だけでもそういう気持ちを忘れないでいたいと、今はそう考えています。

それから、木ノ下旅館にも、また行かなければいけないな、とも思っています。



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こちらが、佐原に泊まった当日の、木ノ下旅館の夕食。旅館1階の食堂で、一人での食事でしたが、楽しかったのを覚えています。
何より、どれも美味しくて、得に刺身は、この日の昼食に食べた、銚子漁港の魚料理屋のものよりも美味しかった。

宿の食事を、旅館で摂るか、町に出て摂るかには、一長一短があるのですが、最近は、2食付きの宿をあえて選んでいます。町に出て食事をするのは散歩の楽しみもあるのですが、自分が貧乏性だからなのか、だいたいいつも同じような店に行ってしまう。さすがにチェーン店は外すにしても、大当たりの店に出会えることは、それほど多くない。金沢などで、そのような店も見つけましたけれど、2度めに行ったら店がなくなっていたり…

宿の食事は、これも貧乏性ゆえ、多くは望まず、しかもお酒が飲めないので、彩りには乏しいところがあるのですが、でも、思わぬ当たりに出会えるのが楽しいものです。この日のお刺身が、言ってみればそれでしたし、他のお皿にも楽しさがありました。想像していたよりもずっと美味しい食事だったので、楽しいと感じたのでしょうね。
もちろん、当たりがあるからには外れもあるはずなのですが、考えて見ると、この数年の間に泊まった小さな旅館、あるいは民宿では、ほとんどどれもが、十分に心を尽くしてくれたように感じます。
蟹田の中村旅館、忍野のセイコウ荘、真鶴の三好旅館、後閑のやませみ荘、この佐原の木ノ下旅館…。
料理を出す方は、きっと大変なのだと思います。
でも、こうやって指折り数えることができるって、何だか勲章が溜まってゆくみたいで。
良いものです。


追記:鰺ヶ沢の尾野旅館を忘れていました。ここにも1票です。「行きつけの宿」と胸を張りたい旅館なのですが、まだ2回しか行っていません。




葉山に出かけた次に行ってみたのは、千葉県の佐原でした。とは言っても、今回は取材旅行。取材先は銚子だったのですが、2日続けて行かなければならなくなり、それであればどこかに泊まってしまおうと考えました。
もちろん、銚子市内のビジネスホテルに泊まるのがいちばんなのですが、少しいたずら心を出して、佐原に泊まってみることにしました。以前からこの町に行ってみたいという気持ちがあり、佐原まで足を延ばそうと考えた次第です。

写真は、今回泊まった木ノ下旅館。結構名前の知れた宿のようですが、私が泊まった夜は、どうやら貸切となっていたたようでした。
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(つづきます)


 宿を出て、海岸に沿った1本の道を、南の方角に進みます。葉山というと、マリーナと、それからお洒落な飲食店、あるいは小綺麗な別荘が並んでいるようなイメージもあるのですが、実際には、そのような建物はあまり目に付かず、昔ながらの小さな建物が、結構たくさん残っていることに気がつきます。

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そして、今、この文章を書きながら、あの時の写真を見ていると、思いのほか、つまらないものにシャッターを切っていることにも気づかされます。

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けれども、これが近場を旅することの効用なのかな、とも思いました。もし、これがクルマ利用の旅であれば、ここに掲げた写真などは、撮らなかったのではないかな、と思います。家の近くを旅しているから、時間には余裕があり、慌てて大きな距離を移動しなくても済む。もちろん、交通費の負担も小さいですから、遠くに1度行くところを、2度出かけてみるという手もありそうです。
ここに掲げた写真は、凄いというものではありませんけれど、自分がそういう他愛ないものに惹かれているということが楽しい。そして、このような写真は、ガイドブックにも、ネットの旅行情報にも出てこない。そんな出会いを満喫できるというのは、情報が溢れ、けれども画一化している今日では、案外、価値があるのではないか。そんなふうに感じました。

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2~3km歩いて、その先に建っていたカレー店で、海を見ながら食事をして、帰路は路線バスに乗ります。バスに乗ってしまえば、家までは1時間と、少しです。