本日の古書店巡り(と言っても2軒だけだけれど)の戦利品。
“102歳のカメラマン”と形容されるようになった、カメラマンの大先輩、笹本恒子さんの自伝。ヤフオクなど見ても、笹本さんの本はかなりお歳を召された後のものばかりが出ているのだけれど、この本は笹本さんが第一線でバリバリ動きまくっていた時代の記録。
でも。
本の最後のところが、結構いいんだ。飛び飛びで少し抜粋すると、
「六〇年安保の後、雑誌が相次いで廃刊されたのは、大きな打撃だった」
「間断なく仕事に恵まれてきた私には、新しいマーケット開拓への見当がつかない」
「過当競争は激しくなる一方」
「仕事のない日が続いた」
 こうして笹本さんは、半ば仕方なく、空いた時間を活かすために、文章を書き始める。けれども、
「原稿を書き進めているうちに、私はそうはしていられないことに気づいた」
 早く確実な収入を得なければ、生活が賄えないことに気づいたのだという。
 こうして、これもやむなく笹本さんは副業を始める。オーダー服のサロンを開き、あるいはフラワーデザインを手がけ、笹本さんが写真の世界に戻ったのは、それからずいぶん後のことで、それまでの間に、ネガをハサミで切り、焼却炉に送ってしまったこともあったという。その作業を続けなかったのは、ネガの量の多さに、作業を続けるのが億劫になったからなのだと言う。
 笹本さんがバリバリ働いていたのは昭和中期だから、今ほどの不況ではないはずだけれど(不況期があっても、比較的短い間のうちに回復したのではないだろうか)、それでもフリーのカメラマンは、今日と同じような苦境に苦しめられていたことになる。
 色々なことを書ける。「苦しみのない人生なんて、なんの味わいもない」とか、「あの大先輩の笹本さんだって、これだけ苦しんだのだから」とか。
 「ただ一度の人生なら、気が済むようにやろう。逆境を楽しもう」でもいい。これは本当に人それぞれ。
 それからこれは本論ではないけれど「ヤフオクとアマゾンと、ブックオフばかりに頼らない方がいいよ」ということも、私は結構強く言いたいなあ。
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 本日は町内会の総会でした。私は会長から書記を頼まれており,書記は,要は居れば良い,議事を正確,そして公平に記録すれば良いわけですが,座る位置は議長の隣で,どうしても執行部側のような気持ちになります。そうすると,案外色々な部分でプレッシャーも感じるもので,終わった時は,ほっとしました。で,そうなることも解っていたので,終わったら,自転車で白楽にカレーを食べに行こうと,数日前からそう思っていおったわけです。そんな訳で,地元のサリサリです。
 
 お店に失礼な言い方をすれば,なにしろ不思議なお店で,お店のあちこちにファンキーな標語が掲げられているし,メニューは1種類だけだし,ご主人は怪しい仙人みたいだし,でも,味はしっかりとした個性のあるもので,不思議な店構えと,個性的な味という両方を合わせるのであれば,私が回った各地のカレー屋さんの中でも,個性派ということでな3本の指に入りそうです。

 ウィークデイはあまり混まないお店なので,たかをくくっていたら,日曜日の今日は違いました。座れてよかった。鶏肉を使った,ドライカレー風の味なのですが,写真に写っているように,風味のあるオイルが絡めてある。前々回にこのお店に来たときに,ご主人と話をしたら,「(味作りに)スープは使わない。塩と,漢方薬だけ」と仰っていましたから,使うのは,塩と,スパイスと,あとは何だ?よく解らないや。

 そういえばお皿も,少し変わったお皿なのですが,相席のお客さんのお皿を何となく見回すと,6皿全部違うお皿でした。「へー,案外,楽しんでいるんだ」とも思ったのですが,消耗するたびに同じお皿を探すのが大変で,こうなったというのが真相かもしれません。それはそれで,いいんだ。

 食事を終えて,ご主人の,何だか弱々しい「どうもありがとー」という声に送られて「やたら威勢の良いラーメン屋より,こちらの声の方が味があるかなー」と思いながら外に出たら,お店の構えを写真に撮っている女の人がいました。なにしろまあ,そんな不思議な,味だらけのお店であります。

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「作品に取り組んでいる時は,影響を受けるといけないので,芸術性の高い作品は読まない」ということを言ったのは開高健だけれども,私にはそんな力はないので,むしろ影響を受ける本を読んでいる。
写真の本もそのうちの一冊で,ずいぶん前にアマゾンで衝動買いしたもの。立原正秋だの,檀一雄だのといった食通,というよりも食いしんぼ,が多数登場して(いまや故人も多いけれど),自らの作品で自らの食を語っている。
登場する多数の作家の中で,何とも気障なナンバーワンは,断然,立原正秋で,けれども文章のうまさも群を抜いている。これが作家というものなのだろう。それであれば,私もそうなりたい。先生は,朝からビールを飲み,松茸だの,ステーキだの,がんがん食べているのである。そうなりたい。そのくせ,これは別の作品でだけれども,「夜更けの雑炊には希望がある」などとも,先生は書いている。
どちらも,劣らず,美味しそうだ。

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本との出会いというものも、人との出会いと同じように、多少の運がつきまとっているような気がします。
 その意味ではこの本と、かなり早い時期に出会えたことは幸せなことだったと思います。横浜の日吉にある古書店で購入した記憶があるから、それであれば大学の3年生か4年生の時ということになります。
 この本の著者の岡田喜秋という人が、「旅」という月刊誌の編集長として一時代を築いたことなどその頃は知らず、けれどもこの人の紀行文には惹かれました。それまでの紀行文といえば、列車なら列車に乗って窓の外を描写し、何か物思いに耽り、また窓の外を描写して、駅に着いたら空を見上げる式のイメージが強かったですから、岡田さんの、人、というよりも人と自然の関わり、人の暮らし、が主役の紀行文は、最初はずいぶんと難しく、それでも必死になって読めたのは、私も若かったから、なのかもしれません。
 この本には、木曽森林鉄道の王滝本線も登場します。路線の終点には三浦(みうれ)貯水池があって、その姿は4色刷りの地勢図にも美しく描かれています。その姿に憧れて、岡田さんは森林鉄道に乗って、ひたすら上流を目指します。けれども軽便鉄道の終点に待っていたのは、赤茶けた湖岸の広がる人造湖で、岡田さんは、失望を胸に、現地の人の宿泊の誘いを断って、すぐに山を下りてしまったのです。
 この本に出てくる1編1編には、そのような物語が仕込んであって、だから読み手も、色々なことに思いを巡らされたものです。それに比べれば、鉄道に乗るだけの紀行文は、この本に出会った以降は退屈で、早い時期の出会いが、自分には幸せなことだったと思うのです。
 翻って自分を見て、今の自分が、今の自分よりも遙かに若かった岡田さんが書いた文章に少しでも迫っているのか?自信はまったくないのですが、未だに目標ではあると、勝手に、そう思い続けています。

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箱根登山鉄道の撮影は、計3日間で終了しました。ムックの特集ページ用でしたが、あまりページ数が多くなかったので、3日で済んだという次第。それでも、これまで知らなかった撮影地を見つけることもできて、これは同じ撮影場所に通うことの魅力、楽しさです。

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江ノ島電鉄もそうですが、この箱根登山鉄道のような、撮っていても、乗っていても楽しい鉄道が、自宅からそう遠くない距離にあることは、本当に幸せなことだと思います。それから今回の取材で勉強になったのは、町立温泉小学校と、温泉幼稚園の廃止のこと。これは先生に話を聞いて、その動きを教えてもらえた訳です。撮影に出かけると、ともすると1日、誰とも口をきかずに終わってしまうことがあるのですが、地元の人と話をすることは、本当に大切なのだなと、改めて痛感しました。

写真は小涌谷駅ですれ違う、箱根登山鉄道の旧型電車。古い電車というのは、本当に格好良いものだと思います。


いすみ鉄道のインタビュー記事に興味があって、週刊「プレイボーイ」を買ったわけですが…。
 まあ、何と言うか、「焼け野原」という印象です。何が?って、誌面。自社広告以外、ほとんど広告が載っていない。昔から、こんな風だったろうか?男性向けの週刊誌というと、バイクや車や、そういう広告がたくさん載っていて、それが時代を反映し、そして時代を動かしていた。そういう広告が週刊誌に載っていたかは覚えていませんが、「ケンメリ」なんて、広告に憧れたもの。「女の子と、あんな旅をしてみたい」って思ったもの。
 「プレイボーイ」誌の広告は電子媒体に関するものがほとんどで、それもほとんどが自社広告だ。自動車会社の広告は、メディアが我も我もと出稿を甘えすぎたという大いなる反省は必要だけれど、ここまで無くなってしまうものか?これはメディアの側にも責任があって、恐らくは編集者自身が、文字を読むことの面白さを、あまり理解していないのだと思う。まあ、大手出版社のことだから、それなりに意志はある人たちなのだろうけれど、どこか投げやりな印象も拭えない。ちゃんと、紙媒体で勝負してくれよって、これはもう嘆願に近い感想。
 ところでこれは八つ当たりですが、石破さんのインビューは、自身は傷つくことのない原則論ばかりで、面白くない。原則論を並べながら、自分は理解者であるという言葉を加えるのは、面白くない。こういう人を論客だなどと、祭り上げちゃだめだよ。編集さん。これは鉄道会社にも責任がある。弱い立場のライターは鉄道会社が敵視するから、こういう攻撃されない立場の人間ばかりが起用されて、メディアに力がなくなってゆく。
 「君の意見には反対だが、君がそれを主張する権利は命をかけて守る」という言葉があるじゃないか。例え辛口の意見であっても、それを抹殺しようとすれば、その見返りだって必ずあるものだ。と、これも八つ当たりです。

 ちょっとした待ち時間ができたもので、本棚の片隅の雑誌を手にとって開いてみました。表紙にシミなどもありますけれど、ご容赦を。
1985(昭和60)年の「電気車の科学」です。ちょうど、私が勤めていた会社が発行した月刊誌なのですが、表紙は国鉄205系のデザイン検討のイメージ図。幾つものデザイン案が検討されていたことが解ります。

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 本の中には、車両デザイナーなどによる研究論が何編か掲載されているのですが、近畿車輛の南井建治さんが、自分の文章の締めとして、こんなことを記されています。
 「(前略)鉄道も、単なる輸送産業から、サービス産業へと変化して行く必要があると考えられる。効率第一の、とにかく運べば良い状況から、移動とするサービスを販売するように変化していかなければならない」
 また、巻頭言を当時国鉄運転局長だった山之内秀一郎さんが執筆しており、その中には
 「企業が発展するためには常に新しい商品を生み出すことが不可欠である」

 どちらも、まったくその通りで、お二方の文章には、他にも紹介したい言葉が幾つもあります。
 翻って現在の鉄道を見ると、北海道での各種サービスの中止など、この2つの言葉からは逆行するような事柄が連続していることが気になります。そこには「どうせ何をやっても駄目でしょう」というメッセージを読み取ることができます。

 けれども、鉄道会社として経営が続けられるのであれば、何だかの元気は見せて欲しいものです。それは、リーダーシップでもあります。例えば、何かの食べ物屋さんに入ろうと考えたときに、2軒店が並んでいたら、魅力を感じるお店に入ることを選びますよね。でも、鉄道会社は地域を独占するという性格があるからか、そういう魅力作りは、昔から上手ではありませんでしたし、今も、上手くなろうとはしていない。このお二方の言葉にも、まだ景気が悪くはなかったものの、曲がり角を迎えている鉄道に対して、何かを感じていることが窺えます。

 一つのサービスを中止するのであれば、その代わり何か別のものを始めないと、どんどん魅力はなくなってゆく。でも、それでも仕方ないとする鉄道会社の姿勢が、もう本当に利用客を怒らせて、というか、呆れさせてしまっている気がしてなりません。

 何も大それたことを期待しているわけではありません。新しいことを始めて鉄道の魅力作りをする、その何かを。何でも良いから見せて欲しい。32年前の雑誌を開いて、そんなことも感じました。

昨日アップした江ノ島電鉄極楽寺車庫の写真は、同じ写真と同じ文章をフェイスブックの方にもアップしたのですが、すぐにコメントがつき、写っている車両の色から考えて、写真が撮られたのは昭和40年代後半だろうという推測がなされました。
何名もの人が幾つかのコメントを積み重ねていった結果、そういう結論が導き出され、こういう時のネットの積み重ねというものは、本当に個人の能力をすぐに凌駕してしまう。凄いものだと思います。

その一方でフェイスブックでは、嫌な思いもしました。書き込みをする直前にも、友人と電話で写真論をしていたもので、少し気持ちが高ぶっていたのでしょうね。その延長のような気持ちでアップされている写真にコメントを書いたのですが、私の気持ちが伝わらず、私の書き方を否定するコメントが返ってきました。私としては舌足らずであったという非はあるのですが、自分なりに相手の気持ちも考えた上でコメントしたつもりなのに否定されましたから、辛かったです。まあ、これもSNSではよくある行き違いなのでしょうけれど。

何もかもを併せ飲み、自分で取捨選択をして粮とする。
現代は、大変な勢いで勉強できる時代でもあるけれど、何かと大変な時代でもあります。
もし、例えば「書き魔」であった田山花袋が端末を持っていたら(花袋の有名な小説というのは数少ないのですが、膨大な数の、今日で言うところの旅行ルポを遺しています)、どうしていただろうなどと、意味の無いことを考えてみたりして。

今日は、これで寝ることにしましょう。








この2日間、ひらすら掃除をしまくって、とは言っても掃除できたのは自分の部屋の2/3程度の場所でしかないのだけれど、それでもこの場所だけは、部屋のあちこちに本が山積みになっていることを我慢してもらえば、友人くらいは招き入れられるようになった。すると、家全体をきれいにするには、あと何日かかるのだ?
 ともあれ、こんな写真も出てきました。昭和40年代の初めかな。極楽寺車庫。こんなのどかな場所でも、今とはまったく風景が違っていることが解る。まあ、ここは、大改修したしね。それから、当時の中学生くらいの小さな子供が、このような場所に堂々入って写真が撮れているというのどかさも、大違い。つまりは、良い時代だったということでしょう。

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古い時代――だいたい70年代か、80年代の初めまで――の鉄道模型雑誌を読むのが好きだ。
 この時代は今日ほど製品が飽和状態になく、だからモデラー自身が、次に何を作ろうかという課題に嬉しく悩み続けていたし、雑誌自身にも業界を導こうとする力が強かった。
 殊に「ミキスト」「パイプスモーキング」という各誌編集主幹による評論は読み応えがあって、TMSの山崎氏がヨーロッパの鉄道模型を、最後まで「玩具的」と誤解していたのは今もって残念だけれども、それはさし置いても、時に何かを堂々と批判する姿勢は、痛快だ。ある号の「パイプスモーキング」の、「そんな調子では、いつまで経ってもレイアウトなど作れない」という、読者への語りかけ、もっと言えば叱咤、もっと言えば批判なども、これまた痛快で、こういう「質の良い怒り」を提供することも、メディアの重要な役割であることを思い知らされる。その怒りに読者が触発され、賛同したり、反論したり、そうやって、全員の意識が高まってゆくものだとも感じる。
 翻って、別に鉄道模型雑誌を指すことはないが、(自分が携わっているものまで含めて)現在のメディアのなんと、事なかれ主義なことだろう。怒ることも、褒めることもしない。そんな調子だから、読者が育たず、その証拠がSNSの世界の言い合いの、何と不毛なことか。語彙、含蓄がないのに、言葉の数だけはやたらに多い。
 「日本の鉄道模型は、このままではいけない。なぜなら~」こうして続く言葉には、時には同意できないものもあったけれど、刺激されること大だった。
 メディアは、もっと良質の怒りを提供して欲しい。しなければならないと思う。
 自分ももう還暦。さて、あとどれくらい「質良く」怒れるか?いろいろ難しい。